6「森を抜けて」

 夜の森を彷徨い歩いてどれくらい経っただろう。辺りは暗く、数歩先の木を確認するのがやっとだ。主な光源は月明りで私の手には懐中電灯もなければランタンもない。というか、服すらない。


 静かな森の中には虫の声と私の足音だけが響く。集落からは結構離れ、追手の心配はもういらない。今現在で最も心配なのは野生動物である。


 特に夜行性の動物が突然現れるとまずいと思う。私の姿は見えないが、そもそも夜に行動をする動物なのだから目で獲物を認識はしないだろう。耳、或いは匂いで他の生物を感知していると思う。具体的に思い浮かぶ動物はいないが、ここはアブール地方の大自然のど真ん中。どんな動物が生息していても不思議はない。


(怖い…。お腹空いた…。)


 私は恐怖と寒さと空腹に耐えながら日が昇るまで森を歩き続けた。途中、尿意を催したのでその辺でこっそり済ませたが、残念ながら辺境の森にはTPがなかったため、適当にその辺の葉っぱをむしり取って代用する羽目になった。やがて虫の声が鳥の鳴き声に置き換わり辺りが薄っすらと明るみ始めた頃、遂に森の外に出ることができた。


 だいぶ迷ったけど、こうして森を出てしまえばこちらの物だ。…いや、ここから更に人のいる所まで行かないといけないのか。先はまだ長い。


 森沿いに更に2時間ほど歩くと、やっと目的地にたどり着いた。遠くに私たちが乗ってきた車が見える。まずは車に積んである服を着たい、いつまでも全裸で徘徊はしたくないのである。


 そういえばこの透明化は光を受けずにいられるわけだから、日焼けもせずに済むかもしれない。どうやらそんなことを考えるくらいの元気はまだ残っているようだ。


 一旦森の中にもう一度入り硬くて太い棒を拝借すると、私は車のリアガラスを思いっきり叩いた。衝撃でガラスが車内に飛び散る。枠に残ったガラスも全て車内に叩き入れると、手を切らないように土足で侵入した。


 車は4WDのミニバンで、荷物は後部座席の後ろに置いてあるため、ガラスの破片がまき散らされてしまっていた。なるべく手を切らないように荷物を持ち上げて外に放り投げる。自分の分だけではなく、教授やトーマスの分もだ。


 続いて前の席に移動して、車内から鍵を開けて外に出た。この車はレンタカーなので修理代とかを払わなければならないのだろうが、緊急事態なので大目に見てもらえないだろうか。そんなことを思いながら荷物を物色していく。


 まずは自分の荷物の中から下着と服を取り出して着る。そして透明化を解除した。透明な状態だと手元が見えないからだ。因みに透明になっている間は目には見えないが、自分の身体がそこにあるという風に感じる。第六感というよりも、何かそこに青っぽいオーラのような物が見えるのだ。


 …見えるといいうのも少し違う。目に映るというか感覚的に視認しているというか。普通の目の他にそのオーラだけを見ることができる目があるような感じだ。


 まぁ、とにかくオーラ的なものが視えるわけだ。そのオーラだけど、私の身体だけではなく空気中にも少量だけ漂っている。喩えるなら埃のような感覚だ。ただ、目で見ているというわけではないので視界の邪魔にはならない。


 空気中のオーラの粒は基本的にぷかぷか浮かんでいるが、私が近づくと風に舞うように動き出す。そして私の手にある指輪の青い石に吸い込まれているようだった。この粒はもしかしたら魔法の燃料なのかもしれない。


 透明化を解くと、肌が日差しを受けているのを感じた。既に日は昇っていて朝日が森と荒野を照らしている。


 次に荷物から取り出したのは食料と水だ。先日ホテルで買ったお土産のクッキーとペットボトルに半分残っている気の抜けたぬるいコーラがあった。空腹も限界だったのでその場でバリバリと包装を剥がして貪る。口の中はあっという間にパッサパサだ。それをコーラで一気に流し込む。気の抜けたコーラが人生で最も美味しく感じた瞬間である。


 そしてあっという間に全てのクッキーを平らげてしまった。ごめんねキャサリン、お土産は持って帰れそうにないや。


 その後、トーマスと教授の荷物や車の中を物色して必要なものをショルダーバッグに詰め込んでいく。教授の荷物からはミネラルウォーターとスティック状の口がパサパサになる携行食を、トーマスの荷物からは大きめのコートを拝借して、車に置いてあった地図とコンパスもしまう。


 地図にはメラ族の集落と森の入口にペンで印がしてあり、この車は森の入口に停まっているはずなので現在地がどこだかはわかる。あとはコンパスを頼りに歩けば人がいる場所までたどり着けるだろう。どれだけ時間がかかるかはわからないが。


 コートは日中の日差しの強さや夜の気温を考えると必要だと思ったので使わせてもらうことにした。日差しの方は透明になれば大丈夫な気もするので主に夜に活躍してもらうことになるだろう。


 最後に自分の荷物の中から財布と帽子を取り出し、昼も夜も過ごせそうな服装に着替えて準備完了だ。「集落に行ってもお金を使う場所がないから財布は車に置いていきなさい。不安なら持ち運んでも構わないが、どうせこんな場所には車上荒らしはでないさ。」という教授の言葉に従って車に財布を置いてあって良かった。お金があれば食事も出来るし交通機関で移動もできる。もし私が無人島に漂流しても財布だけは絶対に手放さないようにしようと思う。


 準備が整ったらまずは地図と睨めっこである。とにかくまずは車道にたどり着きたい。もし車が通りかかればそのままヒッチハイクをしよう。


「ここから北西にまっすぐ行くのが道路に一番近いけど…途中に大きい川があるっぽいから、橋の手前で道路に行くために…西、かな。」


 コンパスで方角を確認すると、地図をバッグに戻して私は歩き始めた。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 広大な荒野に延々と続く道路を一台の車が走っている。車内には二人の男が乗っていて、左の運転席には細身の若い男が、右側の助手席にはスーツ姿の身なりの良い男が座っている。


 前方には雲一つない空が広がり、遠くに山が見える以外には辺りに何もなく視界は良好である。外気温は高いだろうが、車内はエアコンが効いている為過ごしやすい。運転している男も上機嫌で高速で車を走らせていた。


「…うん?」


「どうした?」


 沈黙の中、運転席の男がふいに訝しげな声をあげたことに助手席の男が反応した。


「あれ…人じゃないすか?」


 運転席の男は上半身を少し前へ傾けて目を細めながら言う。次第に車とその人影らしきものとの距離が縮まり、その姿が徐々にはっきりとし始めた。男の言う通りそれは人間だった。その人物はその場で飛び跳ねながら両手を大きく振っている。


「女…だな。こんな場所でヒッチハイクか?」


 助手席の男が首を傾げるのも当然だ。この地域は人が住んでいる地域から遠く離れていて、地図上では町や村もない。ただただ荒野が広がっていて、時々森や川があるだけの場所なのだ。ヒッチハイクをするにしても、一体どうやってここまで来たのか不明だ。


「ヤン、車を停めてくれ。手袋を忘れるなよ?」


「わかりやした。」


 助手席の男に言われるまま、運転席の男ヤンはズボンのポケットから手袋を取り出して左手だけに嵌めた。そしてアクセルペダルから足を放し、徐々にブレーキを踏みこんで緩やかに手を振っていた女性の近くで停車した。


「どうした、お嬢ちゃん?」


 助手席の窓を開け、スーツの男が訪ねる。窓の外からは熱された外気が車内に潜り込んできた。


「すみません、どこかの街まで乗せてってもらえませんか?」


 女性は暑さにうんざりした表情でそう願う。長時間この暑さの中にいたのだろうか、身体中が火照っていてどこか艶めかしさを感じる。


「この暑さの中、人を置き去りにするつもりはないさ。とりあえず乗ると良い、事情は中で聞こう。」


「あ、ありがとうございます!」


「少し荷物をどかすから待ってもらえるかい?」


 スーツの男はそう言って車から降りて後部座席のドアを開ける。そして荷物が多く積んであった後ろの座席に人が一人座れるだけのスペースを作り、そこに女性を案内した。


「ありがとうございます!」


 女性はそのまま後部座席に乗り込んだ。運転席のヤンはその一部始終を黙って眺めていた。スーツ姿の男が座席を整理している間もとくに女性と会話する素振りはなく、ただ横目でその姿を見ていただけだ。


『よし、出してくれ。』


『へい、わかりやした。』


「え?何ですか?」


 スーツの男がもう一度助手席に乗り込むと、発車の指示を出す。ヤンはそれに返事をして、後部座席の女性は聞き返した。


「あぁ、悪い。こいつに運転するよう言ったんだ。彼は共通語がしゃべれなくてね。」


 その言葉に女性は先ほどまでのヤンの態度に納得がいったようだった。


「俺はマーフィー、こいつはヤンだ。俺たちはユール方面に向かうんだが、お嬢さんはどちらまで?」


「あ、はい。私、ソフィアっていいます。できればロイドまで帰りたいんですけど、どうやって帰ったらいいかわかりますか?」


「ロイドか…それならコルティから車か飛行機だな。」


 それを聞いてソフィアは少し思案している。彼女は運転免許証を持っておらず、車の運転ができない。かといってタクシーや飛行機に乗るほど現金を持っているわけでもないのだ。


「ところでソフィア、どうしてあんな所で一人でヒッチハイクなんかしてたんだい?さっきも言った通り、狂暴化した動物に襲われたって不思議じゃない。」


 マーフィーに尋ねられ、ソフィアは今後の道程については後回しにして今までの経緯を語り始めた。大学のゼミの教授と男子学生と共に遺跡調査に来たこと、調査のために近くのメラ族という部族の集落に滞在していたこと、そして昨日その集落の者たちによって教授と男子学生が殺されたことを悲痛な表情で伝えていく。マーフィーは時折相槌を打ちながら、静かに彼女の話を聞いていた。


「なるほど、それは災難だったね。俺たちはこれからコルティのランカーズまで行く予定なんだ。そこまでなら送るよ。」


「本当ですか?ありがとうございます!」


「さて、まだまだ時間はかかるだろうから今のうちに休んでおくといい。」


「はぁー…何か一気に気が抜けちゃいました。昨日からずっと徹夜で歩き続けてもうくたくたですよー。」


 そう言ってソフィアは大きな欠伸をする。ランカーズという都市はコルティの首都であり、ソフィアが教授たちと宿泊したホテルもそこにあった。知っている地名が出て彼女も安心したのだろう。


「少し眠ってもいいですか?」


「あぁ、勿論。街に着いたら起こしてあげよう。」


「ありがとうごzzz…。」


 あっという間にソフィアはいびきをかきながら眠り始めてしまった。あまりの寝つきの良さにマーフィーも思わず笑ってしまう。会話が終わったとみて、運転席のヤンが口を開く。話す言葉は共通語ではない。


『…アニキ、アジトへ連れて行くんで?』


『あぁ。結構な上玉だ、高く売れるだろう。失踪しても部族に殺されたんだと思うだろうし、足もつかない。いつものように薬漬けにして捌くぞ。』


『へい。…しかし良く寝てらぁ、睡眠薬嗅がせる手間が省けやしたね。』


 ヤンがルームミラーで後部座席を確認すると、少し涎を垂らしながら熟睡しているソフィアと沢山の積み荷が目に留まった。


『…いい拾い物をした、薬の回収を早めて正解だったな。』


 マーフィーとヤンはユールに本拠地を構えるマフィアの構成員である。アブールに麻薬の生産拠点が存在し、それを年に一度回収に来ているのだが、動物被害が拡大している情勢を見て今年は例年よりも早めに回収せよとの指示でここまでやって来ていたのだった。


『アジトに着いたら逃げられないように服を全部脱がせて寝室に転がしておけ。鍵も忘れるなよ。』


『へい、わかりやした。』


 ソフィアは自身に危険が迫っているなど知る由もなく、呑気に眠り惚けていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 ソフィアが車内で熟睡し、芋で出来た森でホテル育ちのコーラの妖精とメールのやり取りをする夢を見ている頃、IPO研究所に一人の男が訪れた。


「失礼ですが、どのようなご用件で?」


 守衛の男が訪ねると訪問者は少し困ったような表情を浮かべつつ答える。


「んーと、最近の動物災害の原因を知ってるから責任者に会いたいんだけど…ダメかな?」


 訪問者は白いスーツに身を包み、柄物のワイシャツの胸元を開けて着崩していた。ノーネクタイで靴は高級そうなブランド品、荷物は持っていないようで手ぶらである。


 髪の毛は茶髪であり、顔立ちはユール連合諸国のタリーズ方面でよく見かける顔をしていて薄っすらと顎鬚を生やしている。多くの人間は彼を見て「軽薄で胡散臭そう」という印象を受けるだろう。


「アポイントがないならばここを通すわけには行けないので、お引き取りを。」


 当然ながら守衛はこの男を通すことはなく、警戒をしつつ腰の拳銃に手をあてる。


「うーん、困ったな。じゃあどこに行けばいいんだろう…アリシアあたりなら話聞いてくれるかな?」


 訪問者は頭を掻きながらどうすべきかを考えているようだ。だが、その仕草によって守衛の男があることに気づいた。


「…それは、どこで?」


 訪問者は守衛の言葉に一瞬きょとんとしたが、自分がしている指輪のことを尋ねられたのだと理解するとニヤリと笑った。


「もしかして、IPOにこれと同じ指輪あったりする?僕、この指輪が何なのか知ってるんだけど取り次いでもらえない?」

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