5「まずは服を脱ぎます」

(教授が殺された!?うそでしょやばいやばい…)


 突然の出来事に頭が追い付いていかない。私の頭の中にはいろんな感情がいっぺんに浮かんで大洪水状態だった。人が死んだ衝撃、生首のグロさ、武器を持った男たちへの恐怖、知り合いが死んだ悲しみ、自分も殺されるのではという不安などが主な感情だったと思う。


「*****!!」


 男の叫び声と、ドッというくぐもった音。手の中の画面ではトーマスが殺される光景が映し出されている。教授と同じように飛ばされた首が転がるのが見えた。


(私もきっと…殺される!!)


 その恐怖心が、震えて止まらなかった身体を再び起動させた。とにかくここから離れなければならない。


 私はまず携帯をポケットに入れ、静かに動き出した。すぐにでも全力で走り出したいが、今見つかったら絶対に追いつかれてしまうだろう。


 とりあえずこの部屋には私の荷物がある。少しでも生存率を上げるために使えそうなものは持っていくべきだ。でも何を持っていくのがいいだろうか。これといった道具は思い浮かばなかったが、一先ず大きめのショルダーバッグの中を確認してみることにした。


 だが、最低限の着替えや日用品を除いて殆どの荷物は森の外の車の中に置きっぱなしだったため、使えそうなものはなかった。その時、背後に人の気配がした。


「…***!」


 私が咄嗟に横に飛び退く。手に持っていた鞄も一緒に引き寄せてしまったために中の荷物が散らばってしまった。声の主を確認すると、そこには私がさっきまでいた場所に大きな斧を振り下ろしている男がいた。


 男は地面に突き立った斧を引き抜こうとしたが、上手くいかずにいるようだ。私を、人間一人を叩き切ろうとしたのだから相当な力で振りかぶったに違いない。


 今のうちに逃げなければと急いで体勢を立て直して裏口まで向かおうとするが、男に腕を掴まれてしまった。そして強引に私を引き寄せると、地面に叩きつけるように乱暴に転がした。


 顔のすぐ横には地面に刺さったままの斧と散乱した私の荷物が見える。と認識したのも束の間、男が私の腹に座り込んだ衝撃で視界が歪んだ。男は両手を私の首にかけ、絞めるように力を込めた。


「っ…かはっ…!」


 私は必死に抵抗したが男の力は強く、振り解くことなど出来そうもない。このままでは殺されてしまう、何とかこの男をどうにかしないと。私は朦朧とする意識の中、斧に手を伸ばした。


 男の力でも抜けなかった斧を抜き取って反撃しようなどという無謀なことは考えてない。それが出来るならとっくに男を振り切って逃げ出している。私が手を伸ばしているのは斧を掴むためではない。あと、もう少しで…!


「****!?」


 数秒間だっただろうか、私は走馬灯を見ていたので一生分の時間が過ぎた気がしたが、男はようやく気を失ってくれたようだ。


「…がはあっ!…はあっ、はあっ!」


 すぐに私は酸素を取り込んだ。危なかった、走馬灯は先月のキャサリンの誕生日まで来ていた。あと一歩遅かったら死んでたと思う。


「助…かった?」


 辺りを見回すが、他には誰もいないようだった。さっきまで私の首を絞めていた男は苦しそうな表情で気絶しているように見えた。私は立ち上がり、手の中にある指輪を確認する。


「使える物…あったじゃん。」


 それは遺跡の隠し部屋で見つけたあの指輪だった。何故か私以外の人間が触れると気分を悪くする、黒く光る指輪だ。


「これを使えばもしかしたらここから逃げ出せるかも…。」


 そう思い、私はその指輪を嵌めることにした。教授はやめておいた方がいいと言っていたが、そうも言ってられない。指に嵌めておけばさっきみたいに腕に押し付ける必要はなく、手で掴むだけでいいから咄嗟に役立つだろう。


 やっぱり利き腕の方がいいというのと、誰かの腕を掴んだ時に確実に触れる所へと考え、私は指輪を右手の中指に嵌めた。しかし指輪はサイズが大きく、私の細い指ではしっかりと嵌らなそうだった。


 ならば妥協して親指にしようかと思ったその時だった。指輪はスッと小さくなり、丁度私の指にぴったりのサイズになった。


 そして指輪の台座に取り付けられていた石が放つ黒い光が、青色に変わった。同時に私はこの指輪の使い方を、いや、魔法の使い方を思い出した。…思い出した?そんな記憶はないのに?さっきの走馬灯にだって魔法のことなんてなかったよ?


「ん~?…よし、わからない!」


 私は考えることを止めた。まずはこの力を使って集落を逃げ出そうと思う。もう逃げ出せるかも、という不確定な状況ではない。この指輪があれば確実に逃げ出すことができるだろう。


そのために私は、服を脱ぐことにした。







―――――――――――――――――――――――――――――――

「族長、男二人はゾォゾが殺しました。女の方は今捜索中です。ヌックが3人一緒に帰ってきたのを見ているので、すぐに見つかると思います。」


 屈強なメラ族の男が年老いた男に顛末を報告している。年老いた男——族長が無言で頷くと、男は報告を続ける。


「ヘッグの救出と石板の確認にはノェジとモュマ゜を向かわせましたが、そちらはまだ帰ってきていません。」


 族長は傍らにある煙管に煙草の葉を乗せると火を点けた。紫煙を吐き出しながら彼は語る。


「ヘッグは勇敢で正義感も強いが、生真面目すぎる…。異人が寝静まってから暗殺するのが確実であった…。」


 ヘッグという男はこの族長の孫で、遺跡の最奥でソフィアたちに刃を向けた男である。門番であるヌックが怪我をしているトーマスを訝しんでロイス教授に事の顛末を確認した際に、彼らによって気絶させられたと知ったのだ。


「…厄災は起こってしまうのでしょうか?」


 報告を終えた男は苦い表情を浮かべ、族長へ尋ねる。


「…あの異人が厄災を齎す者であれば、亡き者にしてしまえば防げるやもしれぬ。だが、既に種が蒔かれてしまっているのであれば…我等の手には負えぬ。」


「…。」


族長の吐く煙が緩やかに漂う中、暫しの沈黙が生まれる。


「用心に越したことはない…な。ディロよ、命を与える。」


「はっ。」


「ジャナと共に、彼の異人の他に遺跡に立ち入った者がいないか痕跡を調べよ。怪しき者は殺して構わぬ。」


「御意に。」


 頭を下げて了解を示すと、報告に来た男ディロは機敏な動作で立ち上がりその場を後にした。残された族長は煙草を燻らせ、憎々しげに舌打ちをした。


「なぜ私の代なのだ…。昨年の祈祷の儀では何も記されていなかったではないか。」


 祈祷の儀というのはメラ族が年に一度行う儀式であり、遺跡の奥の石板に祈りを捧げ厄災を抑えることを目的としている。彼の言う通り、前回までの儀式ではあの石板には何も異常はなかった。例年通り、石板には何の文字も記されていなかったのだから。







―――――――――――――――――――――――――――――――

 私の現在の服装は白のスニーカーに青く光る指輪、以上である。勿論、上着もズボンも身に着けていないし下着も全て脱ぎ捨てた。開放感がやばいけど、命が懸かっているのだから我慢するしかない。


 この指輪を身に着けたことによって、私は透明化の魔法が使えるようになった。


 人の姿は光源からの光を反射することによって視認することができるが、この魔法は自分の身体にあたる光を反射させずに通過させることができるというものだ。幽霊のように物質をすり抜けられるわけではなく、実体はちゃんと存在している。


 ただし自分の身体以外の物は対象外となってしまうため、服を着たり物を持ったりしているとそれらが浮いているように見えてしまう。そういうタイプの透明化だ。


 因みに指輪は透明化の対象なので身に着けていても問題はない。というより、透明になれ!と念じると指輪が真っ先に透明になる。


 森を抜けて行くため、靴は履いていくことにした。裸足だと痛いし、足元の草むらが隠してくれると思う。もし見つかったら靴を脱ぎ捨てて逃げればいい。


 私を襲ってきた大男は未だに意識不明のようだが、復活したら怖いので30秒ほど右手で男の手首をしっかり握っておいた。そして広間へ移動すると、そこには教授とトーマスの亡骸が横たわっていた。頭は持ち去られたようで、二人とも体しかない。


「…。」


 私は無言で二人の冥福を祈ると、表に出て逃走ルートを探す。集落全体で私を探しているようで、皆きょろきょろと辺りを見回しながら歩き回っていた。茂みの中の鼠すら見つけ出しそうなくらい血眼である。


「すーっ…、私はここだあああああああああ!!!!!!」


 思いっきり息を吸って出来る限りの大声で叫ぶ。その声に一斉に集落の人々が振り返った。そしてこの家に私がいるのだろうと確信し、視界に映る全員が一斉に押し寄せてくる。


 その隙に私は彼らの脇をすり抜けて集落の出口へ走る。そこら中で飛び交う声と足音に自分の呼吸音と足音を紛れ込ませて一気に駆け抜けた。


「はぁっ…はぁっ…。」


 何とか集落から脱出し、森に逃げ込むことができた。近くにあった木に肩を預けて、集落の方から追手が来ないか確認しながら呼吸を整える。


「ふぅー…。…これからどうしよう。」


 日は傾き、虫の声が夜を告げようとしていた。ここで様子を見て、皆が寝静まったら最低限の荷物だけでも取りに戻る?いや、もしかした夜通し私を捜索するかもしれないし夜は足音が際立ってしまう。もし疲れ果てて眠ってしまったら、まずい。


 透明化は眠っている間も維持できる気がするけど、誰かが私に躓いて転んでしまったら見つかってしまうかもしれない。ここは森の外まで何とか辿り着いて、停めてある車に避難するのがいいだろう。


「しまった…、車の鍵だけでも持って来れば良かった。」


 車の鍵程度なら靴の中に隠すこともできただろうが、残念ながらそこまで考えが回らなかった。というか、そもそも…


「帰り道が、わからない…。」


 どうやら私の受難はまだ始まったばかりのようだ。







―――――――――――――――――――――――――――――――

ソフィア・ウリヤーナ 【?】の指輪 [属性:青/状態:青]

Lv1:光線透過⇒自身にあたる光を完全に透過

Lv2:???

Lv3:???

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