11「避難」
学校帰りのバスが牛と衝突した事故から数日が経っていた。
あの日から、家畜の暴走が頻繁に起こっていてそれが原因で怪我人も増えてきている。狂暴化する動物には予兆が何もなく、突然暴走するのだ。町人の中では家畜を一斉に処分するべきだとの声も上がったが、畜産農家たちはそう簡単に首を縦に振らない。彼らにも生活がかかっているのだ。
しかし動物による被害は次々と増えていく。私たちの町だけではなく国中で動物たちの暴走が増えていっているようだ。それを受けて政府は動物を取り扱う職種の人々に動物の隔離を義務付けた。頑丈な檻に入れるなどして、人間に被害が及ばないようにするためである。
だが、動物園などはすぐに対応できるだろうが畜産業はそう簡単にはいかない。牛や羊など元々大人しい動物を育てている為、頑丈な檻などは持っているはずもなく、あるのは牧場の周りを囲う柵だけである
そういった人たちに対して政府は地域ごとに補助金を出すことにした。そのお金でそれぞれの自治体で大きな酪農、畜産用の敷地を用意して頑丈な壁で囲むのだ。そしてもし動物が暴走するようなことがあれば銃を持った警備員が処分することになる。他の動物たちに被害が出ないようにするために、そして万が一にでも壁の外に脱走しないようにするためである。
とはいえ、全ての畜産農家がその共同酪農場を利用できるわけではない。私たちの町のように都市部まで距離がある場合は、今育てている家畜を輸送するのに大きなリスクがあるのだ。その場合はまだ動物たちが温厚なうちに処分して、食肉として加工してしまうようにするしかない。
近所の牛飼いたちは仕方なく全ての牛を処分し、都市部へ輸送した。そういう事情があるので食肉は国が買い上げてくれるらしく、とりあえず生活の保障はされているようだ。
窓から見える無人の農場を見ながら物思いに耽っていると、肩に何かが乗せられた。確認してみると、隣に座っていたエイミーの弟リュートが眠ってしまい私の肩に頭を乗せていた。
私は今、町の人たちと共にバスに乗っている。目の前の座席に父と母が座っていて、通路を挟んでエイミーの両親、その後ろにエイミーと彼女の二番目の弟が座っている。三番目の弟はまだ小さいのでエイミーの母が抱きかかえている。そして一番上の弟リュートは私の隣というわけだ。長時間の移動で疲れてしまったのだろう、このまま目的地まで寝かせておいてあげようと思う。
目的地は隣町にある駅である。幼いころに首都へ向かったときに行ったきりであまりよくは覚えていない。その駅から列車に乗って首都へと非難する予定なのだ。
政府は国民の命を守るために、首都と主要な都市へ人口を集中させることにしたらしい。イサディアはそれなりに自然も多く、野生動物も多く生息している。隣のグラディほどではないが、呑気に暮らせるほど安全というわけでもない。
首都では既に大きな外壁建設が始まっていて、宿泊場所などの地方に住む人々の受け入れ準備も進んでいる。主要都市から離れた地域に住んでいる国民から順次受け入れを始めるということで、私たちの住んでいた地域は早い段階で非難をすることになったのだ。
私たちの町にはバスが1台しかないため駅のある隣町からも応援のバスが来ていて、全部で5台のバスに私たちと近所の住人が分乗している。たった5台で足りてしまうほどに私たちの地域は人口が少ないのだ。
「うわっ!」
静まり返った車内に運転手の驚く声が響くと同時に急ブレーキがかけられた。体が慣性で前に倒れてしまい、前の座席に強く体をぶつけてしまった。咄嗟に隣で眠っていたリュートの頭を抱えたので彼は無事の用だが、何事かとあたりをきょろきょろと見まわしている。
「どうした!?」
そう叫んだのは近所の声の大きいおじさんである。
「すみません、前のバスが突然急ブレーキを…」
運転手が説明する声を遮り、今度は銃声が響いた。乗客たちは何事かと窓から顔を出して前の車両の様子を伺う。
「虎だ!先頭のバスで警官が虎と戦ってる!」
状況をいち早く把握し、皆に伝えたのは先ほどの声の大きいおじさんだ。その間も銃声が何度も鳴り響いている。
「…はい、こちら5号車。えぇ、わかりました。」
運転手に誰かから電話がかかってきたようだ。おそらくは先頭のバスに乗っている誰かからだろう。運転手は車内放送で乗客にこう伝えた。
「現在、先頭のバス付近で暴走した動物が複数現れ警官が対応しています!隙をついてバスを発車させて離脱しますのですぐにシートベルトを着用してください!」
それを聞いた乗客たちは慌ててシートベルトをまさぐり始める。私もすぐにシートベルトを締め、隣で慌てているリュートの分も締めてあげた。
「ありがとう、アイラ姉ちゃん!」
「もしもの時のために手で頭を護っておいてね。」
「うん、わかった!」
私の言葉にリュートは両手で頭を抱え込むようにして屈んだ。この前のバス事故で頭を打って気絶してしまった経験があったため、そうさせたのだ。私もすぐに同じ姿勢を取ると、車内アナウンスが聞こえた。
「それでは発進します!」
エンジンが唸る音と共に体が後ろに引っ張られるような感覚がする。急発進の後、バスは左右にハンドルをきり銃声が響く中を走り抜けた。
銃声が後方から聞こえるようになり揺れもなくなったので、恐る恐る窓から後ろを伺う。先頭のバスの周りでは虎や狼などの動物たちが走り回っていて、窓から上半身を出した警官たちが銃で戦っている様子がわかった。私たちの乗ったバスは凄い速さで進み、警官たちの乗るバスはみるみるうちに小さくなっていく。
「このまま駅まで向かいます。駅到着後は1号車の到着を待ち、合流後に列車にて移動することになります。」
車内アナウンスがそう告げるのが聞こえる。とりあえず窮地は脱したらしい。
「アイラ、リュートくん。大丈夫だったか?」
前の座席の父に尋ねられたので、私はリュートの無事を確認して大丈夫だと伝えた。
「お父さん、駅まであとどれくらい?」
「そうだな…何事もなければ、大体あと30分ってところかな。」
「わかった、ありがとう。」
バスはスピードを落とさず進み続け、それから20分後には駅に到着した。私たちは順番通りにバスを降りると、両手を上にあげて大きく背伸びをした。
「はーっ…疲れたー!」
エイミーがぐーっと伸びをしながら片目を閉じて言う。
「お巡りさんたち、大丈夫かな?」
リュートは心配そうに今来た道の先を見ている。その様子を見ていたエイミーの母がリュートの頭をなでながら「大丈夫よ、お巡りさんたちは強いんだから。」と優しく言った。
「今のうちにトイレに行っておきなさい。ここからまた長いわよ。」
「そうだな、俺も丁度行きたかったところだ。混んでるかもしれないが、さっさと済ませよう。」
私の両親がそういうと、みんなでぞろぞろと駅のトイレに向かうことになった。
女子トイレはなかなか進まず、やっと順番が回ってきてトイレを出るころには警官たちの乗ったバスも到着していた。どうやら無事だったようで、他のバスに乗っていた人たちと談笑している。
同じバスに乗っていた声の大きいおじさんもちゃっかりその輪の中に入っていて、若い警察官の肩を叩いて笑っていた。
「アイラ姉ちゃん、こっちだよー!」
声のする方を見てみると、リュートがジャンプしながら手を振っている。エイミーとお母さんたちはその様子を微笑ましく見ていて、エイミーの父は末っ子を高く掲げてあやしていた。エイミーの2番目の弟はリュートの真似をしてぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「おまたせ、お父さんは?」
私の父だけいなかったので母に聞いてみると、私たちの分の切符を町役場の職員に受け取りに行っているらしく、暫くその場で待っているとすぐに戻ってきた。
「全員トイレから戻ってきたようだし、行こうか。」
父の言葉に全員が頷き、荷物を持って改札へ向かう。改札では駅員がはさみのような道具で受け取った切符に次々と穴を開けている。私たちはその列に並び、父から受けとった切符を駅員に渡していく。切符を受け取った駅員はすぐにそこに穴を開け、差し出されたままの私の手にすっと戻した。まるで魔法のような手際の良さだ。
「もっかい!もっかい!」
「だーめ、後ろがつまっちゃうでしょ?」
エイミーの二番目の弟がその早業をもう一度見たいとごねるが、エイミーに諭されている。道中、銃撃戦があったとはいえ幼い子供はまだ旅行気分なのだろう。
「それにしてもこんな形で首都まで行けるとは思わなかったなー。」
列車の座席で発車を待ちながらエイミーが言う。私たちは4人掛けの向かい合うタイプのボックス席に私とエイミー、リュートと2番目の弟で座っている。通路を挟んで隣には大人たちと、末っ子が抱きかかえられて座っている。
「そうだね。首都まで行けば安全だし、いろんなお店もあるから楽しみ。」
私も不謹慎ながら首都に行くのを楽しみにしている。あわよくばそのまま定住してもいいのに。
「そうだ、服!あと化粧品とかすぐ買いに行こう!?」
「…姉ちゃんすっごい元気。」
エイミーの様子を見ながらリュートがあきれたように呟く。
「落ち着いてからでいいんじゃない?」
「いやいや、何言ってるのよ!学校が始まる前には絶対行かなきゃ!田舎者丸出しで恥ずかしいじゃん!」
「…あー、確かに。」
エイミーが言う学校は今まで通っていたところではなく首都にある学校のことだ。首都に避難することが決まり、避難中は首都の学校に一時的に転校するような形になる。都会の学校なのだからさぞお洒落な学生が通っていることだろう。
「でも、制服で学校に行くわけだから服を買っても着ていけないし化粧だって校則違反かもしれないよ?」
「アイラ、よく聞いて。」
エイミーは私の指摘を受けると小さくため息をつき、やれやれわかってないなという表情で真剣に話し始めた。
「首都に居られるのもいつまでかわからないの。もしかしたら1ヶ月もしないうちに帰ることになるかもしれないわ。その前にするべきことがあるの、わかる?」
「…わからない。美味しいものをいっぱい食べておく、とか?」
「確かにそれも大事ね。でも、一番はやっぱりコネクション作りよ。この機会に都会の子と仲良くなって連絡先を聞いて、地元に帰ってからも連絡を取り合うの。あわよくば男を捕まえて卒業と同時に同棲するのだって悪くないわね。とにかく、将来こっちで暮らすための布石を打っておくのよ!」
「なるほどね…。でもエイミー、連絡先を聞いても私たち携帯電話持ってないじゃない。今は携帯のSNSとやらで皆やり取りしているらしいよ。」
「…それは、まぁ、頑張って親を説得して買ってもらう!」
そう言ってエイミーはちらりと隣のボックス席の両親を伺い、決意したようだ。だがやはり携帯を買ってもらうことはできないだろう。金銭的な問題ではない決定的な原因があるのだ。
「でもエイミー…、私たちの住んでる地域って電波が届かないよ。」
「…そうだったああああ!!!」
こうしてエイミーのコネクション作り作戦は幕を閉じた。「私の将来が…」などとぶつぶつ呟くエイミーをよそに、列車の発車ベルが鳴り、いよいよ私たちは首都へ向けて出発することとなった。
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