9「触れられる者」

「君が持っているその指輪だが、実は他にも存在している。」


 ザックはそう言って一枚の画像をタブレット端末に映し出して見せてくれた。そこに映っていたのは確かにこの指輪と似ているものだった。細かい装飾部が異なることと宝石が黒いこと以外は、同じ指輪だと認識できるくらいに良く似ていた。


「この指輪は何です?」


「これは昔からIPOの研究室で研究されている指輪でね。この指輪に使われている石が未知の物質だというのが研究の始まりさ。ところが、2ヶ月ほど前にこの指輪の石が突然光を放つようになったんだ。丁度、そのころから動物の狂暴化の事例が確認されるようになってきていて、研究所では何らかの因果関係があるんじゃないかと見ている。」


 2か月ほど前というと、以前勤めていた会社が倒産する少し前だ。その頃から世界では動物たちがおかしくなっていったという。


「もしかして、その光って黒い光ではないですか?」


 この指輪を拾ったときは確か黒く光っていた。もしかしたらと思い、聞いてみるとザックは驚いた様子だった。


「あぁ、そうだ。黒く光っているという不思議な発光現象だった。もしかしてその指輪もなのか?」


「えぇ、この指輪も見つけたときは黒色の光でした。」


「今は緑色のようだが…?」


「指に嵌めたら光が宿ったんです。そしたら魔法が使えるようになりました。」


「…魔法?」


 ザックは不思議そうに首を傾げる。確かにこの物を動かす力は魔法というよりも超能力のサイコキネシスというイメージが近い。


「魔法を使っているという感覚があるんです。」


「ふむ…ところで君はその指輪を手にする前から不思議な能力を持っていたのかい?」


「いや、いたって普通の人間ですよ。…多分。」


「歯切れが悪いな。」


「いや、自分でも何と言ったらいいかわからないんですが…この指輪を嵌めたときに、この力を”思い出した”ような気がしたんです。もちろん過去にそんな経験はないんですけどね。」


 自分でも何を言ってるのかよくわからないのだから、ザックもよくわからなかったのだろう。腕を組んで考えるように話を聞いている。


「それも何か不思議な力によるものかもしれないな。…あと、もう一つ聞いてもいいかい?」


「えぇ、どうぞ。」


「その指輪を他の人間に渡したことはあるかい?」


「一度だけ、こっちのマーカスに。」


 そう言ってマーカスに視線を向けると、彼は頷いてその時のことを話し始めた。


「リョウから指輪を渡されたんだが、触ったとたん妙に気持ちが悪くなってすぐに返しちまったんだ。」


「なるほど、それは研究所の指輪と同じだ。あちらの指輪も黒く輝き始めてからというもの殆どの人間が持てなくなってしまったんだ。」


 ザックは殆どといった。中には持てる人間もいるのだろうか。


「指輪に触れてもいいかい?」


「えぇ、どうぞ。」


 俺は指輪を嵌めている方の手を差し出した。彼は指輪に触れるとすぐに苦悶の表情を浮かべて手を放す。マーカスのときと同じである。


「…くぅっ、確か研究所の指輪を触った時もこんな感覚だったな。やっぱり同じものと見て間違いない。…次は彼に渡してもらえるかい?」


 ザックが後ろに控えていたリッドを示して言った。俺は頷き、指輪を外して手渡す。


「…問題ありません。」


 リッドは涼しい顔で指輪を弄んでいる。緑色の宝石の光がちらちらと手の隙間から漏れ出す。


「彼は研究所にある方の指輪も問題なく手にすることができたんだ。もしやと思ったがこの指輪も平気みたいだな。」


 なるほど、彼のように指輪を触ることができる人間もちゃんといるのか。


「IPOの隊員では唯一彼だけが指輪を直に触れるんだ。研究員たちも驚いていたよ。」


 ザックがそう教えてくれた。指輪に触れられるということは彼にも魔法が使えるのでは?と思い、聞いてみることにした。


「その時、指輪は嵌めてみましたか?」


「あぁ。嵌めてみてもらったんだが、指輪は黒いままで特に変化がなくてね。良ければ君の指輪も試してみてもいいかい?」


「構いませんよ。」


 ザックがリッドに頷くと、彼は頷き返して指輪を指に嵌めてみる。指輪の色は変化せずに緑色のままだ。


「どうだ、何か感覚的な変化はあるか?」


 ザックの問いに、リッドは辺りの椅子や自分の持っていたボールペンに手をかざして何かを確認してから答えた。


「ありませんね。物質を動かしたりもできません。」


「そうか…。」


 何も変化らしい変化がないことを確認するとリッドは指輪を外し、差し出してきた。


「ありがとう、返すよ。」


 俺はそれを受け取り、再び自分の指に嵌めた。


「…まだサンプルが少ないから何とも言えないが、もしかしたら指輪は君にしか使えないものなのかもしれないな。」


 何かを考えていた様子のザックが言う。


「リョウ、現段階でその指輪を使って不思議な力を行使できるのは君だけだ。すまないが我々IPOの研究所本部まで来てほしい。」


 突然の申し出だった。なんか面倒なことに巻き込まれそうな予感はしてたんだよな。うーん、どうしようかな。お金とかもらえるなら行ってもいいかな。


「もちろん十分な報酬も支払うし、全てが済んだ後の帰国の際の移動手段も手配する。他にも要望があれば可能な限り応えよう。」


「行きまs


「すぐには決断できないと思う。今日はここの客室に泊まってもらって構わないから、一晩ゆっくり考えてみてほしい。」


「いや、行…


「シュンスケ、夕食の手配を。同郷だから好みもわかるだろう。リッドは荷物置きになってる客室の一つを部下たちと片付けて、事務員に清掃をさせてくれ。」


「「了解!」」


「リョウ、疲れただろうから今日はゆっくり休んでくれ。また明日返事を聞きに来るよ、それじゃあ。」


 ザックたちはそのまま嵐のように去って行ってしまった。


「…とりあえず喉が渇いたろ?」


 静かになった部屋の中でマーカスが自分の鞄の中から缶コーヒーを差し出してくれた。





 その日の夜、一人でベッドに横になって今後のことを考えていた。ここのところサバイバルな生活を送っていたから久しぶりのベッドである。さっきは報酬という言葉に目がくらんで即決しそうになったが、ゆっくり考えてみてもいいだろう。


 ザックは現時点で指輪を使って力を行使できるのは俺だけだと言った。二つ目の指輪ももしかしたら使えるのかもしれない。だが、その場合は違う魔法が使えるようになるのか?それともこの物質操作の魔法を使うための鍵であって複数持つことに意味はないのだろうか?


 前者ならばいよいよ本格的にこの状況から逃げられなくなるだろう。他に指輪を扱える人間がいないのならば指輪の使用者は現状自分しかいないことになる。代わりがいないのだ。だが、後者の場合は俺以外にも指輪に適応する人間がいる可能性がぐっと高くなる。一人の人間にしか使えないものが複数あるとは考えにくいからだ。


 この指輪を見つけるためにあの無人島に導かれた。指輪を見つけたとき、俺は確かにそう感じた。根拠はないが何故か確信はある。本当に謎が多い指輪である。取扱説明書とか一緒に落ちてればよかったのにな。


 ひとまずIPO研究所へ行くことにしよう。帰国の面倒も見てくれるそうだし。そういえばマーカスにお願いしてもらった飛行機の手配はどうしよう。断るしかないか、何だかこっちから頼んでおいて申し訳ないな。


「…よし、決めた。」






 翌日、ラウンジで缶コーヒーを飲んでいると再びザックが訪ねてきた。今日は一人のようだ。彼も自販機で缶コーヒーを買うと、向かいの席に座った。


「やぁ、昨日はよく眠れたかい?」


「ぐっすりですよ。相当疲れてたみたいです。」


 ザックはそれは良かったと陽気に笑うとコーヒーの缶を開けて勢いよく半分ほど飲み干した。そしてこちらを見据えて尋ねる。


「リョウ、返事を聞かせてくれるかい?」


 その質問に対する答えは既に決まっていた。


「研究所について行きます。ただ、二つ条件があるんですが構いませんか?」


「そうかい、助かるよ。で、条件ってのは?」


「一つは俺の家族についてです。無人島に漂流して以来、連絡を取っていません。携帯電話を失くしてしまったので電話番号がわからないんです。なので、家族へ連絡を取る手段を何か提供してください。」


 両親にはしばらく海外旅行に行くと言っておいてはいるが、無人島に漂流してからのことは何も報告していない。そろそろ心配かけてそうだし連絡をしておいた方がいいだろうと思ったのだ。


「なるほど。家族に無事を知らせたんだね?」


「えぇ、そうです。あとは今後のことについて話もしておきたいですし。それと、可能であれば家族の安全を保障してもらいたい。」


 野生動物も少なく比較的平和な国なので大きな被害はないと越野から聞いていたが、万が一ということもある。動物園から猛獣が脱走するかもしれないし、山から熊が下りてくるかもしれない。彼らに協力するならこれくらい配慮してもらってもいいだろう。


「わかった、すぐに手配しよう。あとで渉外担当を寄越すから、君の家族の名前と住所を教えてほしい。」


「助かります。」


 ザックはすぐに承諾してくれた。連絡が取れるようになったら色々状況を説明するしかないな。まぁ、あの親なら何とかなるか。


「それで、もう一つの条件は?」


「条件というか、お願いですね。この街の外壁補強作業を手伝いたいんです。」


 マーカスにはだいぶ世話になったし、折角お願いした飛行機も不要になってしまって申し訳がないので何かお返しがしたかったというのが半分、この力があれば簡単に巨大な石材を積み上げることもできるので手伝ってあげようというボランティア精神が半分だ。


「それは…願ってもない申し出だが、いいのかい?」


「えぇ。この街の人は狂暴な動物たちに苦しんでいます、助けられる力があるのに助けないという選択肢はありみゃせ…ありません。」


 噛んだー。いいところで噛んだー。慣れないこと言うもんじゃないな。まぁ、嘘ってわけじゃなく本心なんだけど。


「すまない、助かる。それじゃあ今後のことを詳しく話そう。司令室まで来てくれるかな?」


「えぇ、わかりました。」


 そしてそれから数日間かけて外壁の強化作業をやることになった。

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