7「イサディアの少女」
空は青く、大きな雲がたくさん浮かんでいる。その光景を私は教室の窓から眺めていた。黒板の前では先生がチョークで文字を書きながら何かを語る声がする。
やがてチョークの音が止むと、先生は何かを問いかけた。しかしそれに答える生徒はいない。
「…アイラ・ヴァルマ。せめて前を向くなりノートを書くなりしてくれないかな?」
「ごめんなさーい。」
私は返事をして、先生に向き直った。
「今日はこの授業で終わりですから、もう少し頑張ってくださいね。では次に…」
授業が再開された。先生が言う通り今日はいつもよりも早く学校が終わる。理由は最近増えてきた動物被害だ。世界的にも大きな問題になっているらしく、この国イサディアの辺鄙な田舎町でも最近は野犬や狼などの被害が多くなってきていた。遠くから通っている生徒もいるので、暗くなる前に家に帰れるようにというわけだ。
この町は小さく、学校も一つしかない。母が言うには、学校があるだけ幸せだと思いなさいとのことだった。母の時代には学校すらなく、都市部で働きたい人は自分で勉強をしていたという。
住人も多くなく、表を歩けばだいたい見たことがある顔が歩いている。だからクラスメイトも十数人程度。一応学年ごとに分かれてはいるが、先生の人数も多くないので時々上の学年との合同授業になったりもする。
やがて退屈な授業は進み授業終了の鐘がなった。
「はい、じゃあ残りのページは宿題です。」
「えー?先生、今日宿題多すぎじゃないですか?」
私の斜め前の男子生徒が先生に文句を言う。確かに今日受けた全ての授業でたくさんの宿題が出ている。正直私も多いと思う。
「明日と明後日は連休ですし、十分こなせる量です。それに最近は動物被害も増えてきていますので、落ち着くまでは暫く半日授業になります。ですから学校で授業がない分、家で勉強を進めてください。さて、それじゃあ今日はホームルームはなしです。まっすぐ家に帰ってくださいね。」
きちんとした理由を突き付けられ、抗議していた生徒も諦めてしまったようだ。大人しく席について帰り支度を始めている。先生も教室から出ていった。
「アイラ、帰ろ?」
私に話しかけてきたのは特に仲のいい友人のエイミーだ。お互いの住んでいる家も歩いていける距離で、幼いころからよく遊んでいた。近所に他に同世代の子供もいなかったので、私の唯一の幼馴染である。
「うん。…そういえば、昼間のバスって何時だっけ?」
私もエイミーも家がそれなりに遠いのでバス通学だ。いつもは乗らない時間帯なので時刻表は把握していない。町にバスが1台しかないため乗り遅れると次に来るのが数時間後だったりもするので、そうなってしまったら歩いて帰るしかない。それは避けたい。
「確か朝確認したときは12時30分だったと思うよ。でも今日のドライバーはもじゃもじゃルーカスだったから少し遅れるかもね。」
今の時刻は11時50分。学校からバス停までは大体10分くらいなので十分間に合う時間だ。
ちなみにもじゃもじゃルーカスというのはバスの運転手で、髪の毛がもじゃもじゃしている。腕毛ももじゃもじゃしていて、暑い夏の日はハーフパンツから出ていたすね毛ももじゃもじゃしていた。年齢は大体30歳くらいだろうか、基本的におっとりしていて運賃のお釣りを渡すのも遅いし運転もゆっくりだ。そのため、彼がドライバーの日は少しバスが遅れがちになる。
「じゃあ慌てなくてもいいね。日差しが強いから日陰の道から行こうよ。」
「さんせー。」
日焼け止めの売ってないこの町では、紫外線をダイレクトに浴びることになる。日傘なんていう洒落たものはない、というかふつうの傘もあまりない。雨が降ること自体が珍しいし、雨にぬれてもそのうち乾くからほったらかしだ。ほとんどの人は日焼けなんか気にしないが、私たちは田舎者だが十代女子である。なるべく日焼けはしたくないのだ。
「あ、お遣い頼まれてたんだった。ごめん、ちょっと行ってくるね。」
エイミーはそういうと、バス停付近の新聞売りから新聞を買った。また父親に頼まれたのだろう、いつもの光景だ。私たちの住んでいる家の周りにはお店がほとんどなく、買い物をするなら学校のある中心部まで来るしかない。私も学校の帰りにお遣いを頼まれることがしばしばあった。
「エイミーはいつもここで新聞を買うよね?」
帰ってきたエイミーに私は尋ねる。
「んー…あの新聞売りのお兄さん、たぶんあたしに気があるんだ。」
「え?なにそれ初耳。…もしかしてエイミーも気になってるの?」
「そんなわけないじゃん。私が買うと少しまけてくれるから、さ。」
そう言ってエイミーはお釣りのコインを見せてくれた。
「なるほど。最近買い食いが多かったのはそれが原因ね。」
「そういうことー。」
「それで太って愛想尽かされないようにね。」
「う…うん。確かに最近お腹周りやばいかも。」
他愛ない話をしていると、ようやくバスがやってきたので運転席のもじゃもじゃ頭に定期を見せて乗り込んだ。
バスは町の中央部を暫く回った後、郊外の私たちの家の方角へ進む。
「学校が早く終わるのはいいけど、家の手伝いが面倒なんだよねー。」
エイミーが気だるげに言う。確かに家にいると水汲みや料理の手伝いなどをさせられる。それに私は一人っ子だが彼女には3人の弟がいるため、弟たちの世話も彼女の役目だ。弟たちは年が離れていて、一番上の弟が来年から学校に通うことになる。末っ子に至ってはまだ言葉も話せないくらい幼い。
「大変だねー、リュートの遊び相手なら手伝ってもいいよ。あいつ可愛いし。」
リュートというのがその一番上の弟だ。エイミーの家に遊びに行くといつも「アイラねーちゃんあそぼー!」とかけてきて非常に可愛い。
「リュートはアイラに懐いてるからなー。正直助かるわ。」
「うち兄弟がいないから一人くらい分けてくれてもいいんだよ?」
「あはは、いっそ婿にどう?」
「それはちょっとなー。私、将来は都会の人と結婚したいし…。リュートが勉強頑張って都会で仕事して暮らすっていうなら考えてもいいよ。」
「上から目線過ぎてウケる。何様だって。」
「あははー。」
冗談めかしてはいるが、都会に行きたい気持ちは強い。両親も特に今の家業に拘りもなく、家を継げとか婿をとれとかという話は全くない。むしろ私の好きなように生きなさいと言ってくれている。そもそも、都会で働きたいから学校へ行くのだ。
大人たちもこの田舎町に限界を感じているのだろう。子供たちを繋ぎとめるのではなく、都会に送り出していく。そうして年々人が減っていった。
「都会かー、アイラは首都に行ったことがあるんだよね。いいなー。」
「行ったっていっても、子供だったからあんまり覚えてないよ。」
私が学校の初等部に通う直前、両親に連れられて列車で首都まで行ったことがあった。将来ここで暮らしたければ学校の勉強を頑張りなさいと言われたことを覚えている。初めての列車、初めての都会、たくさんの人込み。どれもが新鮮で、いつかここで暮らす日が来るのかと心躍った。だが、昔のことなので具体的にどこに行って何を見たとか細かい記憶は薄れてしまっていた。
「首都に行きたいなー。」
アイラが小さな声で呟く。この町に住む若者ならほとんどが都会に憧れている。いつかこの小さな町を出て首都へ出ていくことを夢見ている。
だが、その時はすぐに訪れた。それも最悪の形で。
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「敷島さん、これをどうぞ。」
グラディ軍本部の中に通され、この会議室で待機してほしいと言われたので適当な席に腰を下ろして待っていると、越野から何かイヤホンのようなものを渡された。隣にはマーカスが座っている。
「これは?」
「IPO隊員が普段使っている翻訳機です。自動で各国の言語を共通語に翻訳するものなんですが、技術班にお願いして僕たちの国の言葉に翻訳するようにしてもらいました。」
それは一見イヤホンにしか見えないが、どうやらすごいものらしい。試しに耳に装着してみるが、あまり違和感はない。フックを耳にかけるだけなので周りの音も今まで通り聞こえる。
「あと、このスピーカーを胸元に着けてください。自動で言葉を共通語に翻訳した機械音声が流れます。」
渡されたのは小さいバッジだった。こんなに小さいのに翻訳機能がついているだって?流石は最先端の技術を持つIPOだと思いつつ、うきうきしながらそれを装着してみた。
「やぁ、マーカス。俺の言葉が通じるかい?」
とりあえず隣にいたマーカスに話しかけてみる。するとすぐにバッジからそれらしき音声が流れる。比較的流暢で聞き取りやすい音声だ。
「*****。*****?*******。」
マーカスの声をイヤホンが拾うとすぐに耳元で翻訳された。
「ばっちりだ。最新の技術か?すごいなそれは。」
すごい。これで共通語が苦手な俺でもわざわざアプリを起動しなくても世界中の人と会話ができる。いくら?買うよ?
越野に遠回しに欲しいと言ったが、遠回しに譲れないと言われた。残念である。
「とりあえず、この後僕たちの上官やグラディ軍の指揮官の方がいらっしゃいます。その際に敷島さんの事情を説明してもらいたいので今のうちに慣れておいてください。」
何やら面倒なことになりそうだなと、その時の俺は呑気に考えていた。
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