5「巨犀」

 車が空を飛んでいる。どういう状況になればそういうことが起こるのかリッドにはさっぱりわからなかった。だが、異常事態であるということに変わりはない。


「隊長、どうしますか?」


 隊員もやっとのことで言葉を絞り出したようだ。リッドも聞かれるまで言葉を失ってしまっていた。だが、何が起こっているのか確かめるしかない。


「進路を変更してあの車のところへ向かってくれ。」


「了解しました。」


 リッドの指示に運転手は進路を変更し、現場へ向かう。その間にもう一度本部へ連絡を取る。


「こちら第12分隊。南西の空に異常確認、直ちに現場へ向かう。」


「こちら本部。異常って一体何だ?具体的に報告してくれ。」


 オペレーターは先ほどと同じ人物のようだ。彼の言う通り報告連絡は具体的かつ迅速にしなければならないが、リッドもそれは承知である。彼が言葉を濁したのは、いきなり話しても理解されないであろうことが容易に想像できたからである。


「オーケー、状況を説明する。これは冗談でも何でもないんだが…車が空を飛んでいる。」


「…は?何が飛んでいるって?」


「車だよ。」


「…怪力のゴリラのような動物が車を手当たり次第に放り投げているということか?」


「いや、投げられて飛んでいるとかそういうことじゃない。正確に言うならば、浮いている、という状態だ。」


「リッド、すまないが良くわからなかった。他の隊員に代わってくれ。」


「待て待て、俺はいたって正常だ。それに他の隊員も全員同じ光景を見ている。確認してみてくれ。」


 リッドは隣にいた隊員に通信を代わるが、その隊員もリッドと同様のことを説明した。そして再び通信機を取る。


「な?…浮いてるんだよ、まるで映画のように。」


「俄かには信じられないが…わかった、現場へ向かってくれ。最悪、何らかの超能力に目覚めた動物が操っていることも考えた方がいいかもしれん。後ほど応援を送る。」


「了解。…テロの線もありえるぞ。新型のドローン兵器とかな。」


「世界が混乱してるこの時期に、か?…あぁ、ロイド帝国ならやりかねないな。」


「念のため対人戦闘装備を準備しておいてくれ。」


「了解。無理はするなよ?」


「あぁ、なるべく情報を持ち帰る。」


 そして通信を終了すると、空飛ぶ車がゆっくりと降下し始めたようだ。こちらも間もなく外壁に到着するだろう。幸い見通しのいい場所であったため、車がどこに着地したのかは遠目にも確認できた。


 部下から双眼鏡を受け取って様子を確認すると、その車から2人の男が下りるのが見えた。助手席の男は近くにいたグラディの兵士の元へ向かい何か話をしているようだ。もう一人の運転席から降りてきた男はその様子を車の横から見ている。そこで気づいた。


「まずいぞ…!」


 リッドは運転席の男の後ろに巨大なサイがいるのを見つけた。遠目にも明らかに異常な大きさである。体当たりでもされたら間違いなく即死だろう。他の隊員たちも確認したようで、銃を構えて臨戦態勢に入る。


「おい!逃げろ!」


 大声で叫ぶが、聞こえてはいない。すると部下の一人が車に内蔵されている拡声器のスイッチを入れてマイクをリッドに渡した。


「ありがとう、助かる。」


 それを受け取り、マイクのスイッチを入れて再度叫ぶ。」


「後ろだ!逃げろ!」


 今度は声が届いた様で、男たちとグラディ兵士たちは後ろを振り返った。











―――――――――――――――――――――――――――――――

 巨大なサイはこちらを睨みつけているように感じた。距離としては大体数百メートルといったところだろうか。そしてサイはゆっくりと歩きだし、徐々に加速しこちらに走ってきた。


「マーカス、クルマ!ノレ!」


 俺はすぐさまマーカスとグラディ兵がいるところまで走った。マーカスたちも慌てて軍用車に乗り込む。


 後ろを振り返って確認すると、サイは物凄い速さでこちらへ向かってきている。このままでは追いつかれるかもしれないと思い、さっきまで乗っていた車を動かしてサイの進行方向上に置いた。少しでも時間稼ぎになればいいが。


「リョウ!ハヤク!」


 マーカスが車から手を伸ばしている。あと少しで手が届くというところで後方から大きな衝突音が聞こえた。サイが車を吹き飛ばした音だろう、もうすぐそこまで来ているようだ。


 何とかマーカスに引っ張られ軍用車へ乗り込むと、運転手はすぐに車を発進させた。しかしサイの勢いは一切衰えず、差はどんどん縮まる。


「****!」


 運転手が何かを叫ぶと、俺以外の全員は椅子や車体に掴まり体を低く構えた。俺もそれに倣って適当な取手に掴まる。運転手がハンドルを思いっきり回すと車は砂埃を上げてドリフトし、進行方向を直角に変えた。そのすぐ後ろをサイが横切る。何とか躱せたようだ。下手したら車から放り出されてサイに轢かれていたかもしれない、危ね。サイはそのまま近くの壁に激突し、大地が少し揺れた。


「マーカス。」


 マーカスに声をかけて、人差し指を空に向けるジェスチャーをする。彼はそれで俺が言いたいことを察したようで、兵士たちに説明をしてくれた。


「***、****、*******。」


「…***?!」


「**…、****。」


 驚く兵士と、苦笑いをするマーカス。何を言っているのかわからないが、何となくわかる気がした。そして驚く兵士に対して頷き、車を上空に持ち上げた。


 サイはちょうどこちらへ向かって来ようとしていたようだが、空に浮かぶ俺たちを見てどうしていいかわからなくなってしまったようだった。


 さて、あのサイをこのまま野放しにしておくわけにもいかないよな。どうにかして倒さないと。


 そんなことを考えていると、IPOのバギーがすぐそこまで来ていた。兵士たちはサイに向かって銃を構えている。


「ファイア!」


 兵士の一人の合図で、サイにマシンガンの集中砲火が始まる。それを見ていたこちらの兵士も頷いてマシンガンを撃ち始める。マーカスもライフルでサイを狙い引き金を引く。数十秒ほどの間、サイは暴れる様子もなくその場に佇んでいた。これだけの銃弾を浴びせられたのだ。もしかしたらもう死んでいるのかもしれない。


 銃声が止み、巻き上がっていた砂埃が晴れるとそこにはサイの姿があった。所々血が出てはいるが、まだしっかりと立っている。そして視界にIPOの車両を確認すると、そちらへ向かってのそりと歩き始めた。


 それをみてIPOの兵士たちはサイに向かって何かを投擲した。数秒後、数回の爆発が巻き起こる。どうやら手榴弾のようだった。だが―


「…オーマイガー。」


 マーカスが呟く。俺も同じ心境である。爆発などものともせずに、爆風の中からサイが飛び出してきたのだ。このままではまずい、そう思って俺はIPOの車両も空に持ち上げた。当然、乗っていた兵士たちは混乱しているが仕方ない。


 サイはそのまままっすぐに進み、車両のすぐ下を通り過ぎた。そのまま暫く走ると減速して振り返る。空中にいればとりあえず安全、か。


 辺りを見渡し、何か武器になりそうなものを探す。なるべく硬くて大きいものがいいだろう。ふと目に入ったのは壊れた外壁の瓦礫だ。大きさはまちまちだが、大きいものでは直径3mくらいはありそうだ。散弾銃のようにぶつければ多少はダメージになるだろうか。


 試しにいくつかの瓦礫を魔法で持ち上げ、なるべく速くサイに向かって発射する。的が大きいため、全弾命中だ。衝突の勢いでサイは体制を崩したが、まだ倒れない。それでもサイの体からは所々血が出ているようで効いてはいるようだ。


「***!」


「**、****!」


 同乗している兵士たちが色めき立ち、絶望的だった表情に希望の光が宿ったように見える。


「*******!」


「**!」


 そして彼らも再びマシンガンを手に取った。ここからだと少し狙いにくいので車を移動させることにする。サイの頭上まで接近すると、一斉掃射が始まった。サイの負傷した傷口目掛けていくつもの弾丸が発射される。


 「ヘイ!」


 IPO車両から声が聞こえたので振り返ってみると、彼らも銃を携えて手を振っていた。なるほど、彼らも応戦してくれるようだ。すぐに彼らの車両を近くに引き寄せる。そして弾幕はさらに増えた。


「**…、*****。」


「…***。」


 兵士が何かを呟くとマーカスがそれに応答する。


「リョウ、タマ、スクナイ。」


 どうやら弾薬が残り僅からしい。サイは傷口に銃弾をひたすら浴びせられて暴れ狂っている。まだ元気はあるようだ。このままでは倒しきれないかもしれない。


「オーケー…どうにかしてみる。」


 辺りにはまだいくらかの瓦礫が残っていた。先ほどサイにぶつけたものは粉々になってしまっていて威力は期待できないだろう。それに魔法を使って物を動かす場合、その全ての個体を視認・把握していないとコントロールはできそうにないように感じる。


「全部で5つか…。」


 瓦礫ショットガンも残弾僅かのようだ。こいつで確実に仕留めるためにはまずサイに大人しくしてもらわないといけないな。瓦礫を空中に持ち上げ、サイの動きを観察する。


「***!」


 同乗しているグラディ兵士が叫ぶ。どうやら弾切れのようだ。それから少し経ち、IPO側も全てを撃ち尽くしたらしく、銃撃がやみ静かになった。


 サイはまだ倒れない。全身血だらけではあるがまだ暴れ回っている。さて、そろそろこちらの準備もできたし、動くとしよう。


 乗っている車を地面に下ろして、一人車から降りようとするとマーカスに腕を掴まれた。


「キケン。」


 心配してくれているようだが、行かなければならない。誰かがサイを引き付けるために囮になる必要があるのだ。


「…ダイジョウブ。」


 それに勝算もある。俺もわざわざ死に急ぐような真似はしない。マーカスはじっと俺の目を見つめると、腕を離してくれた。信頼してくれたようだ。


「リョウ、シヌナ。」


「オーケー。」


 そして車を再び空中へ浮かせて安全圏へ避難してもらう。さてサイも地面に下りた俺に気が付いたようだ。こちらに向かって動き出し始めていた。


 向かってくるサイに向かって瓦礫の内の一つを発射する。瓦礫をぶつけられたサイは大きく雄叫びをあげた。効いているようだ。


 ひるんだ隙に更に2発をお見舞いする。サイは大きく後退りをしたが、まだ倒れそうな気配はない。再びこちらへ向けて歩みを進め始める。


 ズシン、ズシンと大地が揺れる。もはや走る余裕もないのだろう、一歩一歩地面を踏みしめている。踏みつぶされたら間違いなく圧死するだろう。


 タイミングを見計らい、最後の瓦礫をサイの足目掛けて発射した。4つ目の瓦礫が足に直撃すると、サイはその場で膝をついた。


 後はもう、なるようにしかならない。俺はサイに背を向けて逃げ出す。直後、大きな地響きがした。

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