3「狂暴な獣」
快適な空の旅は10時間ほどで終了した。陸地に到着である。
幸いにも陸からそう離れていない島だったようで、何とか俺は九死に一生を得た。まずはこの国がどこなのかを確認して、自国へ帰るための手段を確保したいと思う。
海岸からしばらく海沿いを歩くと、砂浜に沿って道路が走っているのが見えた。人工物が見えて一安心である。
だが、問題は言葉の壁だ。この世界には数十か国の国があり、一部の言語は複数の国で使われているが殆どの国は独自の言語を話す。しかし、それだと不便であるため数百年前から共通語が使用されるようになった。共通語は世界で最も国力のある国の言語であり、言語以外でも長さなどの単位や暦の数え方もこの国由来のものが多い。
その国はアリシア共和国という。アリシアを筆頭に世界の国々から代表者が集まり世界政府が組織されている。政府の運営・活動資金はそれぞれの国から出資され、出資金が多いほど議席も多くなる。議席の少ない国は少しでも自国の不利にならないように政治を行っていくために小国同士で連携をとっていることが多い。
世界政府に加盟する国の中でアリシアに並んで二大国と呼ばれる国が存在する。ロイド帝国といって、アリシアとは別大陸に存在する広大な国である。君主制であるため、皇帝の性格によって国家運営の指針が大きく変わる。当代の皇帝は野心が強く、世界政府未加盟国に度々ちょっかいを出しては世界政府の加盟国から非難をされてきていた。中でもアリシアとは犬猿の仲である。噂ではまた戦争の準備を始めたとのことだが、旅行に来てからは特に新聞を読む機会もなかったので現状はわからない。
俺は旅行が趣味だが、実はそれほど共通語はしゃべれない。一応義務教育の中に共通語は組み込まれているが、昔から苦手だった。それでも特に困らなかったのはタブレットや携帯電話の翻訳アプリがあったからだ。
しかし今は、携帯はおろか財布すらない。荷物は全て海の中を漂っていることだろう。こうなってしまっては身振り手振りとカタコトの共通語でどうにかするしかない。この国が共通語の通じる国であることを祈ろう。
暫く道を進むが、人の気配はない。大きな道路なのに車もまったく走ってない。海沿いの土産屋やレストランなどもシャッターを下ろしていて無人だった。その中の一店舗のドアがちょうど壊れていたので、新しいドアを提供しておいた。取り付けて開閉するもよし、上に乗って海を渡るもよしの高性能ドアである。
それにしても静かなものだ。まさかこの島も無人島なのだろうか、いやいやまさか。
その時だった、近くの茂みからガサガサと物音がした。何かの動物かと思い見てみると、茂みから飛び出してきたのは鹿だった。
鹿は俺の姿を見つけると、こちらに向かって走り出した。
「…ッ!」
間一髪のところで鹿の体当たりを躱すと、鹿はそのまま反対側のガードレールにぶつかった。痛そうだ。そう思ったのは鹿が体を打ち付けたからではない。鹿の体当たりによって、ガードレールが引きちぎられたように割れたからだ。あれを食らったら間違いなく痛い、というか確実に死ぬ。
なんだあの鹿は、どう考えても普通じゃない。あまりのことに動けずにいると、鹿は再びこちらに向かって突進してきた。俺は咄嗟にキャリーケースを魔法で持ち上げ出来るだけ早いスピードで鹿に向かって投げた。
加減を一切せずに思いっきり放ったキャリーケースは一瞬で鹿に正面から衝突し、その衝撃で鹿は茂みの奥まで吹っ飛んでいった。そしてすぐに大きな衝突音と共に茂みの中にある木が一本大きく揺れた。あの木にぶつかったのだろう。
「やべ…やりすぎた。」
どう考えても致死レベルだ。動物愛護団体から非難囂囂だろう。しかしこちらも正当防衛だ、仕方がない。
衝撃でキャリーケースも大きく凹んでしまっていて、中身も飛び出し散乱している。地面に落ちたボストンバッグを拾い上げ、中身を確認する。どうやら干した果物は無事なようだ。
干物はどうかとあたりを見回すと、いつの間にかたくさんの海鳥が集まってきていて
干物を食べ散らかしている。だが、その中の数羽は干物に目もくれずにこちらを凝視しながら今にも飛び立ちそうな体制をしている。
「嘘だろ…。」
鳥がこちらに向かってくると同時に走り出す。羽ばたく音はあっという間に後ろまで迫ってきていた。危険を感じ横に跳ぶと、さっきまでいた場所をすごい速さで鳥たちが通過していく。
道路に転がり辺りを見回すと、茂みから数匹の狼が顔を出した。さっきの音を聞きつけてきたのかもしれない。うん、もう逃げるしかないわこれ。
俺は壊れたキャリーケースを引き寄せると、それに掴まり空に逃げた。狼は飛べないからこれで大丈夫。次は鳥の方だ。
数羽の鳥は木の枝にとまっていて既にこちらを捕捉している。そして今度はタイミングをずらし一匹ずつ襲い掛かってきた。ざっと十匹はいるであろう鳥たちの突進をぎりぎりで躱していく。華麗なるキャリーケース捌きである。
そして気づいた。こちらの動きの方があの鳥よりも速い。ならばこの場で延々と避けゲーをする必要はない。俺はキャリーケースに掴まったままその場から逃げ出すことにした。
暫く飛んだが、追ってくる気配はない。ひとまず助かったようだ。キャリーケースに掴まる手もそろそろ限界だったので、とりあえず下りることにした。
さっきの鹿や鳥はなんだったのだろうか。たまたま虫の居所が悪かった?いや、そんなわけない。この国の動物は気性が荒い?…違うな、こちらに目もくれず干物を啄んでいた鳥たちもいる。それに海の上で見た海鳥同士の争いの件もある。争いというよりは一方的に攻撃されていた様子だった。一部の個体だけが狂暴化しているということか?一体何が原因で?
考えても答えはわからない、まずは人に会うことを目指そう。そう思い俺は市街地までの道のりを進んだ。
道路には相変わらず人の気配はないが、時折車が壁に激突していたり道に外れて藪の奥に突っ込んでいたりした様子が伺える。
車内に人はいないようだが、辺りには血の跡らしきものが広がっている。この付近で何かが起きたのは間違いないようだ。おそらくさっきの狂暴な動物たちが関係しているのだろう。
比較的損傷の少ない車を見つけたので、拝借することにする。残念ながらエンジンはかからないし、タイヤも前輪が2つともパンクしている。しかし俺は気にせずその車に荷物を積み込み、運転席へ乗り込んだ。もっとも、魔法で動かすので運転席ではなくてもいいのだが、何となく座ってしまった。
車体は問題なく浮上し、本来の速度と変わらないくらい速く進ませることができた。
途中で念のために道端に落ちていた小石を巾着袋いっぱいに拾い集めておいた。また何かしらの動物に襲われたときに護身用として使おうと思う。魔法を使えば銃弾くらいの殺傷力は出せるかもしれない。
暫く荒れた道を進んでいると、道の先にコンビニが見えた。人がいるかもしれないので立ち寄ることにしよう。
少しずつスピードを落として、コンビニの駐車場に降り立つ。車は何台か停まっているが、車体は所々凹み、窓は殆どが割れていてまともに走れそうなものは一台もない。
店内は暗く、入り口は商品陳列棚がバリケードのように積まれていた。そしてその周りには大きな赤い斑点模様が出来上がっていた。おそらく血痕だろう。
「ヘイ、ユー!******?」
店の方から男の声が聞こえた、共通語だ。後半は何を言っているかわからないが、呼びかけられたのだけはわかった。ようやく人間に出会うことができた。俺はすぐに返事を返す。
「ハロー、ヘルプミー!」
すると、バリケードの隙間から人影が見えた。こちらの様子をうかがっているようだ。
「アンゼン、カ?」
そして共通語でそう言った。狂暴な動物がいないかどうか確認しているのだろう。
「ダイジョウブ、ワタシ、ヒトリ。」
片言でなんとか意志の疎通を図る。しかし男は店の奥に引っ込んでしまった。何か言葉を間違えたか?まずいな、折角人にあえたのに。そんなことを考えていると、店の裏手から男が顔を出した。
「クル、ハヤク。」
そう言って手招きをしている。どうやら裏口から出てきたようだ。俺は走って男の元へ向かい、一緒に店内へ入った。
男はドアを閉めると内鍵をかけた。そして従業員の控室のような部屋へ案内してくれた。椅子を勧められたので二人で着席する。パイプ椅子が体の重みでぎしりと鳴った。
「オマエ、ガイコクジン?」
そう聞かれたので、イエスと答えた。
「タスケ、チガウカ…。」
すると残念そうに男が呟く。少しずつ話を聞いていくと、今の状況がわかってきた。
まず、俺が呑気に旅行をしている間に各地で動物たちが暴走する事例が複数件起き始めたということ。その件数は増え続け、やがて死者も出始めた。そして世界中で何か異常が起きているという大きな事件として認識されるようになったそうだ。
郊外に住む者の中には危険を感じて市街へ避難する者もいたが、ほとんどの人間はそう簡単に住居を離れることも出来ずに過ごしていた。この男も同様で、どうやらこの店のオーナーらしい。
数日前に大量の動物たちが暴れ回るという事態に陥り、この近隣では野犬や狼などが暴れ回ったらしい。危険を感じたオーナーは入り口にバリケードを設置、護身用のライフルで入口に群がる動物を撃って撃退していった。しかしライフルの弾が切れ、隙を見計らって車で逃げようにも既に車は壊れて走れない状態で、仕方なく籠城して助けを待つことにしたそうだ。
「ケイサツ、デンワ、シタ。デモ、コンラン。タスケ、ムズカシイ。」
なるべく簡単な言葉を選んでオーナーは説明してくれている、ありがたい。
警察も混乱していて、救出作業も難航しているようだ。この場所にはオーナー一人しかおらず、食料の備蓄も十分なために後回しにされているのだろう。
「タクサン、シンダ…。オマエ、ヨクブジダッタ。」
駐車場の惨状を見るに、相当大変だったのだろう。確かにさっき出逢った鹿もかなり危険だった。死者が出てもおかしくはない。続いて入口の血痕について尋ねてみると、オーナーは苦い表情で答えた。
「クワレタ…。」
どうやらオーナーが撃ち殺した狼に他の狼が群がり、その死骸を全て貪り食っていったらしい。あれは狼の血だったのか。もしかしたら途中で拾った車の主も食べられてしまったのかもしれない。
そしてオーナーが籠城し息をひそめて待っていると、狼の群れはどこかにいなくなったという。それ以降もたまに野生の動物が現れるそうで、仕方がないので隙を見てバリケードを強化しつつここに立てこもっていたとのこと。
「オマエ、ドコカラ、キタ?」
次はこちらが状況を説明した。時々言葉が出てこずにジェスチャーを交えながらの説明ではあったが、伝わっているような気はする。
「ウミ、ドアでワタッタ。」
「…ウン?」
「ドア。がちゃっ、ぎぃーっ、のドア。」
「ドア?」
「イエス、ドア。」
「…ウン?」
さすがにドアで渡ったとか俄かには信じられないよな。実際に見せてみるしかないか。俺は座っている椅子を浮かせて見せ、その場でふわふわと左右に動いた。
「オーマイガー…。」
オーナーが口を開けて呆然としている。驚くのも無理はないだろう。自分は何故か割とすんなり受け入れたけど、普通の人はこれくらい驚く。しばらく空中浮遊をして、元の位置へ着地する。
「ワタシ、モノ、ウゴカセル。」
「…オマエ、ナニ?」
何者かと聞かれたのだろうが、自分でもわからない。俺は何者なのだろう。魔法はつい最近使えるようになったけど、前から使い方を知っていたような気もする。それに、超能力というよりは魔法というイメージだ。超能力のように一部の特別な人間が使える能力というよりも、誰でも使える力のように感じる。
ふと思い付いて、俺は指輪を外してオーナーに差し出した。
「コレ、ツケル。」
オーナーはおそるおそる手を出して受け取ろうとする。もしかしたらこの指輪がきっかけなのかもしれない。これさえあれば誰でも魔法が使えるかもしれない。
「…ウッ。」
しかしオーナーは指輪に触れるや否や苦い表情になり、すぐに突き返してきた。
「コノユビワ、キモチ、ワルイ。」
気持ち悪い?この指輪は人によっては受け付けないようなものなのだろうか。パクチーみたいだな。
「ゴメン、シッパイ。」
とりあえず謝罪して指輪を自分の指につけ直す。まだこの指輪や力についてはわからないことが多いな。
外はだんだんと薄暗くなり、日が暮れ始めている、オーナーがここに泊まって行けと言ってくれたので有難く申し出を受けることにした。今日はゆっくり休んで明日には出発しよう。折角ならオーナーも連れて行ってあげようかな。
「ワタシ、クルマ、ウゴカセル。アシタ、マチマデ、ミチ、オシエテ。」
俺がそういうとオーナーは喜んでくれた。そして店内に行って戻ってくると、ハンバーガーとコーラを持ってきてくれた。
「タベロ、オマエモ、タイヘンダッタ。オレ、マーカス。オマエハ?」
「リョウ。タベモノ、アリガトウ。」
久しぶりに食べるジャンクフードはとても美味しかった。
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