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入学式から暫く経ち、

高校生活にも慣れ始めたこの頃。

朝日が痛いほど刺してくるということもなく

翳りのある空はどこまでも続く。

曇りや雨の日は前々から好きではない。

気分が落ちるから。

湿気の多い日々は苦手だった。

朝のはずなのにどこか

暗い雰囲気が立ち込める。

だが、そんなことを気にせず

教室内では色の明るい話し声が響いていた。

私もその1人。

席の近い人と呑気に話をしていた。


昨日は図書室で1人のクラスの人と

仲を深める事が出来たと言っても

過言ではないと思う。

そんな出来事が起こったのだ。


図書室にいた彼女と2週間に1回、

互いにおすすめの本、曲を

教え合うというもの。

私は本、彼女からは曲を。

その人はいかにも大人しそうで、

人と話すのは好きそうではなかった。

だが、少し気になって

話しかけてしまったのだ。

何がと問われれば答えられないが。

稀にあるだろう。

どことなく目で

追ってしまう人がいるということが。

好きというわけでもないけれど、

記憶の何かに引っかかるような。

そんな感覚が。


それこそ、過去に読んだ絵本に出てきた

プリンセスに似ていたとか。

そういう類なのだろう。


…と、脳内で回想を巡らしている間に

噂の彼女が登校してきた。

声をかけられる位置にいたので

迷わず声をかける。


美月「陽奈、おはよう。」


陽奈「あ、おはよう…!」


彼女は奴村陽奈と言った。

私自身苗字が雛ということもあってか、

他のクラスメイトよりも

親しみを持てている気がしている。

陽奈はすたすたと

自席に向かってしまったけれど。


「えーなになに、あの子と仲良いの?」


美月「昨日少し話したのよ。」


「へー、そうなんだー!」


近くの席の子は嫌味を言うわけでもなく

ただ興味なさげにひと言言っていたっけ。


先日の不可解で気味の悪い事

…教室に黒い糸状のもの、

それこそ髪の毛のようなものが

大量に発生していたあの出来事を

忘れようと忘れようと

楽しい思い出ばかりを思い描いていた。

だが、必ずその最後には

先日の遊留先輩との光景が浮かぶのだ。


怖い事が苦手な人なら

あるあるなのかもしれない。

怖いあの情景が常に脳裏に巡り、

いつでも思い出せる位置にいるのだ。

逃げるように楽しい話に花を咲かせる。

そう。

怖い事からは逃げてきた。





***





授業は通常通り進み、

あっという間に時間が進むこともなく

私達の生活は紡がれてゆく。


放課後、次々と生徒の多くは

部活動を勤しむ為に姿を消した。

この高校ではバイトが一応は

禁止になっている為か、

その分部活動に参加している人が多かった。

家の事情が有れば

バイトはしていいらしいが。


部活動は音楽系が盛んなイメージがある。

高校に普通科と音楽科が

併設されているから

そのようなイメージがあるのかもしれない。


美月「……よし。」


今日は部活動体験のない日。

どうやら先輩達のみでの

ミーティングらしい。

そして明日からは本入部。


今日は宝探しに参加しようと思っていた。

休日にも嶋原先輩と遊留先輩と会い、

3人で神奈川県内を巡った。

その中で、兄弟の話や

バドミントンの話があったのを覚えている。

嶋原先輩が妹にぞっこんな事や、

遊留先輩は思ったよりも抜けている事を

知ったんだったか。

遊留先輩とはバドミントンの部活動内でも

気を遣ってくれる事が多く、

しっかりした人だと眺めていた。

が、私生活となるとそうでもないらしい。

嶋原先輩の昼食を食べてしまうのだとか。

それは嶋原先輩限定で

起こる事のような気がするけれど。


…と。

また楽しい回想に浸ってしまった。


この後、嶋原先輩の教室にて

集まることになっていた。

早く行くのもいいけれど、

嶋原先輩だってクラスの人や

それこそ遊留先輩とも

話したいことだってあるだろう。

ふと、寄り道をしてほんの少しだけでも

時間を潰してから行こうか。

…なんて考えが浮かんだ。


美月「…よくないわね。」


遅れるなんて言語道断。

私は直接嶋原先輩の元へ向かった。


教室へ辿り着くと、

授業が終わったばかりだからか

未だに多くの生徒が

帰宅準備をしていた。

早くきすぎてしまったらしい。


美月「…少し待つしかなさそうね。」


ぽつりと失望の色を滲ませたような言葉が

口から溢れ顎を伝い、

マスクへと染みていってしまった。

今度は図書室は勿論の事こと、

音楽室にも足を向けてみようと心に決め、

嶋原先輩が出てくるのを待った。





***





梨菜「ごめーん!待たせたよね?」


美月「構いませんよ。殆ど待ってませんし。」


梨菜「ほんと!?よかったぁ。」


波流「あんまり甘やかさない方がいいよ?」


美月「そんなつもりは…」


梨菜「ひどーい、波流ちゃんの鬼ー。」


波流「鬼なのは梨菜の遅れ癖。」


梨菜「てへぺろ。」


波流「可愛くねー。」


2人が出てくるや否や

静かだったはずの私の周りは

唐突に賑やかな色が咲いていった。

そう思えば、2人は随分と

賑やかなのだなと改めて理解する。

嶋原先輩と遊留先輩が揃っている時は

大体話が途切れることがないのだ。

10年程一緒にいると

いつだか共に宝探しへ出かけた時に

聞いたのだが、

それでも尚話題は尽きないらしい。

幼馴染という存在に

どこか羨ましいと思うものの、

私とはもう縁のない

…縁を切ったものだから

諦めの気持ちが湧く。

いっそ再度出会わなければ

諦めたままでいれたのに。


波流「ねーねー美月ちゃん。」


美月「はい?」


波流「梨菜が何で帰りの用意するだけなのにこんなに時間がかかってたか知ってる?」


美月「いえ。」


梨菜「ほら、これ見て見て。」


嶋原先輩は手にしていたスマホを

私の方へと傾けてくれた。

すると、これまでに集まった

宝物の言葉がずらりと並んでいる。


梨菜「数字と住所を除いて並び替え問題かと思ってずっとやってたんだけど、上手く繋がらなくて。」


美月「並び替え…。」


波流「そう。並び替えしてて帰る用意忘れてやんの。」


梨菜「しかも、〇〇して…とか、〇〇しろだとか命令してるようなものが多いからまとまらないの!」


美月「まだ見つけていないものにヒントがあるかもしれないですね。」


梨菜「そうだといいなぁ。」


間伸びした穏やかな声からは

いつまでこの楽しみが続くのか、

逆にいつ終わってしまうのかと

期待と寂寥の両方が

混じっているように聞こえた。


波流「ってちょっと、美月ちゃん、梨菜のことしばいていいからね?」


梨菜「えー、美月ちゃんそんなことしないもんね?」


美月「然るべき時にします。」


梨菜「ひぇっ…鬼?」


波流「よしっ。」


嶋原先輩は体をぶるりと震わせ、

それに反して遊留先輩は

ガッツポーズをしていた。

似ているんだか正反対なんだか。

きっと両方なのだろう。

微笑ましい風景はこれからも

延々と続いていきそうな気がしていた。





***





足が若干ながらぴりぴりと

音を上げているのがわかる。

足の裏の皮がまた破れてしまったみたいです。


羽澄「いってて…。」


剣道をしているとあるあるなのですが、

手やら足やらのマメがよく潰れるんです。

決して皮膚が弱い訳ではありませんが

一生懸命踏ん張るからなのでしょう、

最も簡単に皮が

こんにちはしてしまうのでした。


最寄駅から住みなれた家へと帰る中、

独り言…とはいえど

痛い痛いと呟いていました。


今年で羽澄も3年生。

夏の大会が終われば

後は受験まっしぐら。

羽澄が受験して高校生になって、

しかも退学せず続けただなんて

羽澄自身に驚いています。

今頃羽澄は中卒で

訳もわからない運送業者とかで

働いているのだろうな…なんて

思っていましたから。


羽澄「…あ。」


遠くにちらと見えた影。

それは羽澄よりも幾分か小さく、

可愛らしい影でした。


「羽澄、おかえりー。」


羽澄「ただいまであります!」


まだ幼さの残る声が

耳に浸透してゆく。

羽澄よりも5歳ほど歳が下の

現在中学2年の子。

千聖、という名前だから

ちーちゃんという愛称で親しまれています。

ちーちゃんは随分と羽澄のことを

慕ってくれている様子。

ここ数年間一緒に住んできて

散々喧嘩もした。

だからこそ仲良くなれたのかもしれないですね。


千聖「今日佐々川さんがデザート買ってきてくれるんだよ。」


羽澄「デザートですか?」


千聖「そう!あたしがお願いしたんだ。」


羽澄「佐々川さんはオッケーしてくれました?」


千聖「うん!みんな新生活頑張ってるし、今日は頑張ってみんな分買うんだって!」


羽澄「また無茶なお願いをしたんですね…。」


千聖「だって今が食べ盛りなんだもーん。」


羽澄「それを言ったら許されると思って」


千聖「こうやってあーだこーだ言ってるうちが可愛いもんなんでしょ?」


羽澄「…そうとも言いますけど。」


千聖「ほうら!あたしだって高校生になったら大人になるもん。」


羽澄「高校生になっても思ったより世界は変わらないですよー。」


千聖「なになに達観しちゃって。羽澄、厨二病?」


羽澄「ふっふっふ…悪に染まりにこの右手が…」


千聖「あはは、ださーい!」


ちーちゃんはそうひと言吐き捨てると

ぱーっと走って、

すぐそこまで見えていた

羽澄達の家へと入っていった。


一般の一軒家よりも

明らかに広そうな外観。

少しだが庭もついており、

毎夏ここでは簡易プールを作って遊んだり、

ホースで水を掛け合って遊んだ。

春夏秋冬、顔ぶれは時に変わってゆく。

変化の激しい、羽澄の家。

羽澄達の家。


羽澄「ただいまです。」


この児童養護施設に住み始めてから

早10年弱くらいは経ちました。

羽澄自身がこの施設に

お世話になるようになったきっかけは

今でも色濃く覚えています。

この記憶を知っているのは

当時働いていた施設の方々、

そして羽澄の数人だけ。

同じ施設に住む子には

話したことがなかった。

そのことについて話さずとも

楽しく遊ぶことはできるし、

そのことについて話さずとも

人となりは知ることができる。


そうやって表面上の付き合いを

続けてきたのです。


「きゃーっ!?」


羽澄「…!?」


家に入るや否や、

突如空気を切り裂くような悲鳴が。

慌てて靴を脱ぎ室内へ進むと、

そこには立ち尽くした

ちーちゃんの姿だけ。

普段はこの共有スペースにいるはずの

他のみんなの姿が珍しく見えず、

施設内は閑散としています。

それだけでもひとつ異常に見えるのに。


千聖「は、羽澄…これ…。」


羽澄「…!」


床には共有スペースでみんなで

飼育していたはずの魚が

力なく横たわっていました。

中には赤黒いであろう液体を

床に迸らせている子までいます。

魚は散乱しており、

部屋の至る所に寝転がっていて、

こんなことは初めてなので

羽澄の体は硬直してしまって

思うように動きませんでした。


千聖「ねぇ、羽澄!」


ちーちゃんから肩を揺すられて

はっと我に帰った時、

1歩後退ってしまいました。

刹那、足裏にはびりびりとした

何度も経験してきた特有の痛みが。

そうでした。

羽澄は今、足の裏のマメが

潰れているんでしたっけ。


千聖「すぐに水につけよう、生きてるのもいるかもしれないでしょ!」


羽澄「…!…そうですね、急ぎましょう!ちーちゃんは水槽を持ってきて。羽澄がお魚を集めます。」


千聖「うん…!」


ちーちゃんは羽澄の指示通り、

共有スペースの飼育ゾーンへと

水槽を取りにたったっと

魚を器用に避けて走っていきます。

羽澄も急いで集めなければ。

鞄を玄関に投げ、腕を捲ったところで

足裏に何かが刺さりました。

幸いマメの部分以外の場所だったので

痛みはあまりありませんでしたが、

それでも固形物だからか

違和感を感じます。

片足を上げ、裏を確認すると、

そこには靴下に刺さる小さな白いもの。


羽澄「…?」


背筋がぞくぞくとしているのが

羽澄自身でも嫌なくらい分かります。

背筋に何か生き物が取り憑いてしまい、

脊椎を掌でこねくり回しているような。

そんな違和感なんです。


白い物を掌に乗せる。

すると、見たことのある形ということに

気付きました。

気づいてしまったんです。


羽澄「…っ!?」


白い物。

見たことがありました。


それは、抜けた歯だったのです。

しかし、そんなことならまだ

よくあることなのです。

幅広い年齢の子供達がいるのだから、

歯が生え変わる前の子だって多くいるわけで。

問題はそこではないんです。


魚の方にあったんです。

歯を一旦は置いておき、

魚を手で拾い上げようとした時でした。


ぬめぬめした感覚と共に

見えた魚、その口。

魚の口には人間の歯が

びっしりと揃っていたのです。


羽澄「いやっ…!?」


つい反射的に魚を放り出すと、

ぼろぼろと歯を撒き散らしながら

びたんびたんと2回跳ね、

ぐったりとまた動かなくなりました。


千聖「今持ってくよ!」


羽澄「…わ…かりました…。」


それから魚を集めていったのですが

最初の魚以外は人間の歯が

揃えられているものはありませんでした。

ちーちゃんにはわからないよう

ささっと手早く歯を集め、

ポケットに突っ込んだはいいものの

後からどこに捨てようかだったり、

そもそも誰のものなのか。

考えれば考える程気持ち悪さが勝ってゆく。


濁った海に顔面を押し付けられているような

そんな気味の悪い感覚がありました。

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