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かっ、かか、か。
軽快なステップで近づいてくる
凛々しい顔をした獣が1匹。
麗香「んー、いい子だけぇ。」
しゃがんだまま手のひらを上にし、
下の位置から差し伸べてやる。
すると、もう慣れたとでも言う様に
喉元を差し出してくれた。
ん、と突き出された喉や首筋を
わしゃわしゃと撫でてやると
気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らす。
とても可愛らしい野良猫だった。
多分野良猫。
首輪ついてないし。
野良猫はばい菌を沢山持っているから
触らない方がいいなんて
幼い頃は頻繁に言われたけれど、
今年高校2年になる身なもんで
言いつけはあまり守っていなかった。
後で洗えばいいんだけぇ。
遠く遠くにある街頭の残花が
あての足元にざっくばらんに咲いている。
麗香「可愛いけぇ。」
今度はこれでもかと言うほど
体を擦り付けてきてくれた。
きっとズボンは毛だらけだろう。
これも洗濯すれば落ちるのだから
全く気にするところではない。
いつからか猫が好きになっていて、
いつからか猫に好かれるようになっていた。
それに因果があるのかは分からないけれど
夜にほっつき歩くようになった。
まあバイトがあるからって時も
勿論あるけれど、それを理由にして
実はただ散歩しているだけ
って言うこともざらにあった。
それこそ夜歩いていたら
やたらと猫に逢い、逢う度猫を愛でる。
その時間は何だか特別な感じがして好き。
だからこうやって今も夜に散歩していた。
麗香「甘えん坊さんだけぇ。」
擦り付けてくるものだから
いいんだと理解して背中を撫でてやると
伸びをするかの様にふにーっと
背中を丸めている気がする。
犬もいいけれど猫の方が好き。
今不意にそう思った。
猫の方がなんだか
自由な気がするからだろうか。
伸び伸びと部屋だけに囚われず
生きている猫を見ると心が和んだ。
この見知らぬ猫は心を許してくれてると
勝手に解釈して今度は頭の方へと
手を移動させて行く。
背中から離れた温度を寂しく思ったのか
猫はあての事をじっと見つめだした。
何を訴えているんだろうか。
あてには何となくでしか分からないし
そもそもその何となくなんてものは
自分の想像だとか欲だとかでしかないけれど。
ほら、例えばこの猫は
撫でて欲しそうにしている、とか。
そんなのはただの主観、
自分がこの猫に対して思っていて欲しい事。
そうだとは分かっているけれど、
澄ました目を向けてくる猫を見ていると
今撫でて欲しそうな表情をしている
…なんて思ってしまう。
麗香「おうちに帰らなくていいけぇ?にぃ?」
暗がりのせいでちゃんとした毛並みの色すら
判断はできないままこの子の
頭にそっと手をかざしてー
「帰らなきゃいけないのは麗香ちゃんの方だと私は思うんだよー。」
ふしー。
そう一言残して猫はすぐそばにあった
車の下に隠れてしまった。
すぐ近くには駐車場があるものだから、
今晩はそこを行き来でもするのだろう。
麗香「…あーあ、猫逃げちゃった。」
「また会えるよー。」
麗香「一期一会って知ってる?」
ずっとしゃがんでいたからか
足首や太ももには
焼き切るような痛みが走っていた。
これを機に地面と近い時間はおさらば、
背後から声のする方へと向く。
即座にあての脳は普通の話し方モードへと
シフトチェンジしていた。
いろは「てれーん。勿論知ってるよー。」
雨も降っていないのに傘を貸して
夜道を歩いていた幼馴染は
その場で一周回ってみせた。
曇りだから傘を持っていても
おかしくはないにしろ、
こいつはとにかく頭がおかしい。
きっと晴れでも傘を貸していただろう。
長い髪はいつも見るようにおさげにされ
まとめられていた。
あてが変人だとするならば、
この目の前にいる奴もまた変人の1人だった。
西園寺いろは。
彼女は現在中学2年生で、
あてとは3つ歳が違うことになる。
幼馴染っていう事もあり
いろはのことはだいぶ知っているつもりだ。
理解はできないだけで。
数年前まではたまに2人で
遊びに行ったものだ。
とはいえ今みたいなこういう
よく分からないタイミングで出会い、
2人で過ごすなんてことが
多い気もするけれど。
麗香「じゃあ邪魔しないで欲しかったねぇ。」
いろは「私と麗香ちゃんの一期一会は無視なのー?」
麗香「いろはに関しては一生に一度の出会いじゃないから。」
いろは「おー、それは確かにー。」
言葉尻が綿毛のように抜けていく
喋り方を聞いていると、
外にいるのに夜も相まってか眠くなってくる。
いろはは絶対先生にならない方がいいなんて
昔からよく思ってたっけ。
麗香「いろはこそこんな夜に歩いてちゃあ怒られるんじゃない?」
いろは「って言ってもまだ9時だよー?」
麗香「おこちゃまにはもう夜だよ。」
いろは「むう。これでも中学生だもーん。」
麗香「そう言ってる時点で子供なんだー。」
いろは「そんなぁー。」
本当にショックを受けてるのか何なのか
傘がふらりと俯いた。
あてはいろはの奇行の数々に
漸く慣れてきたはいいものの慣れただけ。
理解は何一つできていないんだと思う。
何なら猫に対しての方が
理解できている気すらしてくる。
いろはは昔から周りからは少しずれた
感覚を持っていると言うか
不思議な感性を元に生きていた。
いろはが中学1年の時、
美術で靴のデッサンをするという
授業があったらしい。
それは文化祭の時1ブースを設けられ、
学年全員の絵が飾られた。
その時いろはが描いたのは
周りの、いかにもこの角度がかっこいい
とでも主張するかのような
斜め上からの視点の靴ではなく、
何とも情けなさそうな表情を
浮かべていた靴の裏だった。
ずらっと並べられた絵の中で
やたらと浮いている1つの靴裏の絵。
それが世間でのいろはとも共通していた。
麗香「なんでいろははこんな時間に1人で歩いてるの?」
いろは「そりゃあ勿論、新しい構想を練る為だよー。」
麗香「構想って事はまた絵の事?」
いろは「うんうん、そんなところー。」
麗香「今日は何がゴール?」
いろは「今日はねー、梅雨のカタツムリのイメージを掴む事ー。」
麗香「ふうん、そう。」
やっぱり何を言っているか分からない。
今は4月だし梅雨でもない。
1番はカタツムリ自身を見つける事だと
勝手ながらに思ってしまうけれど
これがいろはなりのインスピレーションを
得る方法なのだと常々思い知らされる。
麗香「掴めそう?」
いろは「ううん、これは長期戦ー。」
麗香「そんな予感がしてるってこと?」
いろは「そう、予感ー。」
麗香「カタツムリを探してるの?」
いろは「そうなのー!でも今日は空が唸ってるからカタツムリには会えなさそうー。」
唸ってる、とは。
多分雨が降るだとか雷の音の
例えではあるんだろうけれど
いまいちピンときていない。
何かいろは自身感じるものがあるんだろう。
小学生の頃まではここまで捻れているような
イメージはなかったが、
中学校に入学して何の影響を受けたのか
今では変人戦線で堂々と1番前を張っている。
かく言うあてもあてか。
いろは「そういえば麗香ちゃんこそ見つけられそう?」
麗香「何を。カタツムリ?私は興味な」
いろは「目も当てられない程ぼろぼろになりながら出来るような事、見つけられそう?」
あての言葉を制し被せてまで
純粋且つ辛辣な疑問を吹きかけてきた。
いろはの目はあくまで穏やかに笑っているが
問われている内容には棘だらけ。
過去にあてが放った言葉だった。
なのにいろはが口に出すと
彼女自身の独特な言い回しと感じてしまうのは
いろはの才能とも言えるのだろうか。
そんな言葉を再度、こうやってあてに
突きつけるものだから
この幼馴染は恐ろしいものだ。
過去と今では立場が逆転しているようだった。
麗香「…うーん、どうだかねぇ。」
適当に言葉を散在させて
とりあえずその場を潜り抜けようと試みる。
ぃあーぉ。
そんな猫の鳴き声が何処か
家の裏あたりから聞こえた。
歯軋りのような音を立てながら
颯爽と自転車が駆け抜ける。
奇妙な目で傘をさす彼女の事を見た後、
何もなかったかのように
進行方向を向いてしまった。
いろは「そっかー。」
麗香「…。」
いろは「んじゃあ、今日は帰るー。」
興味がなくなったとでも言うように
あてに傘を向ける。
その傘には水滴など一滴もついておらず、
遠くの街頭の光を微力乗っけているだけ。
いろはが歩くと同時に
光は傘から振り落とされて
地面に染みを作ったまま動かなくなった。
麗香「いろはー。」
いろは「んー?」
彼女の動きが止まったはいいものの
こちらへと振り返るような素振りは
一切見えなかった。
良くも悪くも過去は見ないタイプとでも
暗示しているかの如く。
暇なのか手癖なのか傘を回して
玉転がしでもしているかのよう。
けれど上にあるのは夜風だけ。
麗香「野良猫、どっかに行ったよ。」
いろは「手元にまだいるよー。」
不意に彼女は傘を下ろし
しっかりと音が鳴るまで閉じてしまった。
そして半回転。
肩あたりまで伸びた髪が靡いて
風とワルツを踊っている。
いろはの芯を突くような眼差しを目にした後
自分の掌を眺めてみる。
真っ暗な事もあり皺の部分により濃く
影が落ちている。
ただそれだけだった。
いろは「いたー?」
楽しげな声をあげる彼女には
最早一種の恐怖さえ覚える。
彼女には何が見えているのだろう。
どんな世界で生きているのだろう。
…なんて。
麗香「カタツムリがいた。」
考える事などとうに辞め、
今まで会話で出てきた単語を
いろはへと飛ばし返していた。
いろははというとにんまりと笑って
満足した様子だった。
いろは「残念ー。私が見つけたかったなー。」
麗香「はいはい。早く気をつけて帰れー。」
いろは「優しいんだか怖いんだか…はぁい。じゃあまたねー。」
私の反応に不満など一切なかったのか
小さく鼻歌を歌いながら
再度傘を開いていた。
今にもスキップし出しそうな勢いで
夜の閑静な住宅街を歩く後ろ姿。
それは異様の他何でもなかった。
麗香「…あてはあんな奴と同類けぇ…?」
いろはが離れたことを確認して
ひと言夜風に吸わせてやった。
時々疑問が浮かぶ。
あても変人の類だ。
いろはもそう。
だからといって同類とは捉え難いと
昔から感じていた。
変人にも種類があるのかもしれないなんて
発想が浮かんでしまう。
麗香「…今日はここら辺で勘弁して帰るけぇ。」
手元にはもう猫の体温は残っておらず、
冷やかす様に風が舞う。
あての足に光が纏わりつく。
さっきいろはの傘に寄生していた
あの街頭の光とはまた別物の様。
あての体を貪り食ってくるものだから
それが不快で急いで街頭下をくぐる。
麗香「これだから夜はいいけぇ。」
夜があての居場所とさえ
錯覚してしまいそうなほど
あては夜に陶酔していた。
1人。
それが心地よかったのかもしれない。
その時、街頭とはまた別に光。
あてのポケットから漏れ出ているようで、
辺りに人口の光を仄かに散らしていた。
麗香「…?」
何だろうか。
しっかりと立ち止まり傍に逸れた上で
スマホを開いて確認する。
こう言うところで真面目なところが
透けてしまうあたり少々憤りを感じる。
この気温だから冷えてると思われた無機物は
あての体温のせいか生温く、
人が座った後の椅子に座るような
若干の気持ち悪さを覚えた。
スマホを傾け画面を無理矢理起こしてやると
浮かび上がる通知の文字。
左側に青い鳥のマークがある事から
Twitterかと片隅で思う。
麗香「何けぇ。」
通知の画面から見るに、
知らない人からのメッセージらしい。
見たことのない名前。
本名だろうか。
フルネームのようで、
遊留波流という文字が目に入った。
見た事があるようなないような。
似た名前の芸能人を
テレビとかで見たのだろうか。
しっかりとした記憶がないせいで
知らない人として片付けられてしまった。
麗香「…誰…?」
新しいフォロワーか何かだろうか、
無視していればいいものを
ついついアプリを開き確認してしまう。
人が目の前を素通りしていった。
その人は明るい画面に視線を向けたまま
半ば早足で歩き去って行く。
歩きスマホというやつだった。
そういう人を視界の端に捉えてみて、
あては根は真面目という
やつなのかもしれないと過る。
知らない虫が羽音を立てる。
不快感だけが募ってく。
再度画面に目を落とすと
何とも丁寧な長文がそこにはあった。
麗香「新手の荒らしけぇ?」
知らない人に急にDMを送って
嫌がらせ行為をする、
みたいな事があるらしい。
あてはそのような場面には
幸いにも出会った事ないが
割と頻発しているだとか何とか。
経験した事ない上DMなんて個人のものは
全てを把握しようといえど
できないものだからよく分からない。
しかし、この文面を数秒見るに
そういった迷惑をかけるような人では
ないとではないかという考えに染まってく。
うんざりしかける程の長文だったが
文章は読み慣れている事もあり
仕方ないと割り切った。
肩をくっと上げすぐ下げる。
息でも詰まっていたのだろうか、
ため息が夜風に飲み込まれていった。
『DM失礼します。こんばんは。
中学生の頃一緒の学校だった遊留波流です。
関わる機会はそんなになかったんだけど急にDM送っちゃってごめんね。
ちょっと聞きたい事があるんだ。
早速なんだけどプロフィールは確認した?
まだ確認してなかったら一回見てほしいの。
その上でこの後の文章を読んでくれると嬉しいですー
そこで思う通りに読み進められず
意図せず留まりもう一度読み返す。
どういう事、と思ったのが第1、
第2には何が目的なのか
全く図れないと言った具合だった。
そして何より中学時代の同級生だという。
詐欺か何かか?
とは思ったけれど実際そういう人が
いたかもしれないしいなかったかもしれない。
曖昧な感覚のみが漂っている。
同じクラスにはなった事ない人だろう。
あては中学時代、
とある界隈で少し有名だったから
学校内で名前を知っている人も
少なくはなかったと思う。
しかし逆は違う。
あてはあまり友好範囲が広いわけではない。
あて自身の性格もあり人を覚えるのは
好きでも得意でもなかった。
麗香「…プロフィールぅ…?」
小さい声ながらも不満に満ちたの声が
靴の元で花火を咲かす。
夜だから誰にも見られず済んだけれど
きっと眉間には皺がより
口だってへの字に曲がってただろう。
こんな顔正面から見たら
虫だって恐れ慄いて逃げてく筈だ。
あては目つきが悪いのもあって
真顔から少し不満な顔でもすれば
よく怒っていると勘違いされたものだ。
いつまでも主観なものだから
今自分がどんな顔してるかなんて
想像しかできず実際どうなってるかなんて
確認しようとさえ思わなかった。
遊留さんという人の指示通り
自分のプロフィールを開こうとした。
左からリストとかモーメントとか
設定へと繋がる画面が出てきたところで
漸く違和感に気づけた。
漸く遊留さんのいう事が
少し理解できてしまった気がした。
嶺麗香と堂々とした文字が
そこに居座っていていた。
麗香「…ふうん、これについて何か話があるって事けぇ。」
内心様々な設定が変わっていることに対して
何故とは思ったけれど
他は特に思う事はなかった。
それこそさっきも考えていたが
あてはとある界隈で
少々名が知れていたからだろう。
知らない人に名前が知られているのは普通で
日々の当たり前の一部だったから。
だからネットで本名を晒そうと
そんなに焦る事もなかった。
名前なんて設定から簡単に戻せるもの。
そう思って操作をしていたけれど。
麗香「…エラー…けぇ。」
変更は効かず、さっきと微塵も変わらぬまま
またタイムラインの画面に戻ってしまった。
麗香「…にぃ?」
流石のあてでもいよいよこの奇妙さには気づく。
それと共に興味を惹かれてしまったのは
言うまでもないこと。
誰がどんな目的でこの異常を企て
しかも実行してしまっているのか。
あてのような一般人を目標にするあたり
ただの詐欺とかその部類だろうけれど、
そう考えると何故遊留さんから
連絡があったのだろうか。
再度連絡を確認してみると
続けてつらつらと文字が泳いでいた。
『フォローのところを見れば早いんだけどね、今まで繋がってた人は解除されて代わりにアカウントの名前が本名の人だけ登録されてるの。
その内の1人が嶺さんだったんだ。
どうしてこんな事態になってるのか、今フォローしてる人達の共通点さえも分からないの。
嶺さんは何か心当たりある?』
そこで途切れており、
返信待ちと言ったところだった。
一瞬、生温い風が手元にある人工機器と
あての肌をなぞって消えてく。
不気味だった。
麗香「…共通点なし、けぇ…?」
ふうん。
そう。
不思議だね。
興味を惹かれている割には
そのくらいの感想しか出てこなかった。
遊留さんの返信としては
「自分は心当たりない」
とだけ伝えたが直ぐに既読は付かない。
スマホの前で待機している訳では
なかった様子だった。
その直後に「同じ中学校である」
という共通点があるかもしれないとは
考えたもののメッセージを打つのが
面倒になって辞めた。
麗香「…。」
夜のせいで空の様子など知り尽くせない。
雲の動きはどうだろうか。
上を見上げた途端、
頬に何かが掠り肌に吸着したまま
落ちるところを知らず。
小雨が降り出した様だった。
微かに湿ったままの感覚が
頬に住み着いていた。
麗香「…ちぇ、いろはから傘借りればよかったけぇ。」
いろはは変人は変人だけれど、
時に正しい事もあるのかもなんて
思ってしまった。
これじゃあきっと猫も帰ってしまったけぇ。
手のひらを上に向けると
虚しく小粒が降ってくるだけだった。
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