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花奏「……ふぅ。」
一息。
その後に鉛筆を荒く置きすかさず伸びる。
あー。
今日も勉強ばかりの日やったな。
暫くこの生活をしていたものやから
春休み明けて学校に行くとなったら
体力は持たへん気がする。
花奏「んんーっ…んー!」
声を盛大に出してやって
肩とか首とか腕含み気が済むまで
引っ張って引っ張って引っ張りまくってやる。
そうして力を抜いた時
漸く解放されたかのような心地になった。
何から解放されたんかって聞かれたら
特にこれといって思いつかないけれど。
強いて言うなら安直やけど疲れやろうか。
時刻は午後5時頃。
もうすぐ父さんが帰ってくる頃か。
目の前に開かれた春休みの宿題。
もうすぐで入学式があり
その翌日に提出だった気がする。
しかも入学テスト付き。
すぐ終わるやろって後に回してたら
いつの間にか4月に入ってたから
終わらせるかぁと思って手を出した。
私の見通しやと2日で終わりそうやったけど
まぁ概ね予想通りやろうな。
春休みの宿題に手をつけるまで
ずっと中学までの復習だとか
高校生になって以後の勉強を
していたものやから
この後の問題も案外すんなり解けそうだった。
花奏「頑張った甲斐あったなぁー。」
畳に手をついたところで
あぁもう駄目やーって思って
そのまま倒れ込み大の字になって寝転ぶ。
井草の匂いに取り巻かれてた。
天を仰いでも空は見えず
代わりに出迎えてくれたのは
我が家の見知った木の天井。
だいぶ黒くなっているからか
それとも光が当たっていないだけなのか
木目まで確認することは出来なかった。
キッチンの小窓から刺すように伸びた陽が
指の端くれを照らす。
もう夕方か。
そう分かってしまうには十分の
陽の傾き具合だった。
花奏「…勉強、飽きたな。」
最近はそればっかり言っている気がする。
でも私は周りの子、
それこそ同級生とは大きく遅れをとってるから
もっともっと頑張らないかん。
よし、もうひと頑張り。
そう思い体を起き上がり小法師のようにして
勢いをつけた反動で上体を動かす。
視界を90度起こしたところで
鉛筆を持つ気にはなれなかった。
そんな日もある、か。
花奏「あ、買い出し行ってへん。」
昼間に書き出した食材のメモが
キッチンに置きっぱなし。
ご飯作ろうってなった時に思い出せるよう
キッチンに置いていたんだっけ。
花奏「日も落ちてきたしそろそろいくか。」
家の中にずっといると家から出るのが
とてつもなく高い壁に感じる。
怠けた体に鞭を打ち
よっこらせと言う声と共に畳とはおさらば。
夏になれば立ち上がる時
畳が肌にくっついてくるという
なんとも奇妙な感覚のおまけ付き。
夏とはあまり関わりたくないもんやな。
エコバッグにメモ、
あとはサイフとかの貴重品。
必要なものを全部持っていることを確認して
乾いた音を響かせる玄関から踏み出す。
陽は落ちているとはいえ
まだ陽気は地面にこびりついていて
外に出たくないと思うには
十分すぎるほどの春がそこにいた。
***
花奏「ただいまー。」
近くのスーパーから戻ってきて尚
家に人の気配はなかった。
誰もいなくても律儀に
ただいまと言ってしまうのは
今となっては習慣になっている。
前は意図的にしていたけど
いつからか日常になっていた。
私の家は誰がどうみても
和の家っていうこともあるからか
人がいない時は特に寂れて見える。
しかもこの夕暮れと来た。
さっきよりもまた更に陽は傾き、
もう夜手前と言ったところ。
花奏「そりゃあこんな哀愁も漂うわな。」
にへらと思わず嘲け笑ってしまいながら
後ろ手で扉を閉める。
が。
花奏「…?」
いつもならすんなりと閉まるところ、
今回はなぜか押し返されるような感覚が
腕を襲って噛み付いてきた。
扉の滑りでも悪かったのだろうか。
後ろを見ずに数回閉めてみるも
どうにもびくともしない。
それどころか押し返されている
感覚まである始末。
なんでやろう。
扉を開けようとするかの様で、
漸く違和感を覚えた時。
「ちょちょ、ちょっと。」
花奏「ん?」
声が私を止めていた。
それは聞き覚えのない声だったー
…っていうこともなく何なら
1番知ってる人だった。
花奏「ああ、父さん。」
父さん「全然気づかないから指挟むところだったろ。」
花奏「あっはは、ごめんごめん。」
父さん「全く。」
花奏「おかえり。」
父さん「おう、ただいま。」
仕事用の鞄を玄関に置き、
私の持っていたエコバッグを持ってくれた。
牛乳とかも買ったからか
エコバッグの持ち手は
悲鳴をあげているかの如く皺を寄せていた。
父さん「それ、貸してみ。」
花奏「だーもう、ええんに。」
父さん「はいはい、料理は頼んだ。」
花奏「持っていくから料理してくれや。」
父さん「頼んだ。」
花奏「はあい。」
いつもの気の抜けた会話をしつつ
家の奥へと荷物を運ぶ。
料理を押し付けられているようにも感じるが
今日は私が料理当番なので仕方がない。
洗濯は父さん。
当番は決めつつもお互い気がついたら
家事を率先してやるようにしていた。
この暮らしにもだいぶ慣れたもんだ。
使い古されたキッチンに
味しかないくらいの寂れた低い机、
滲みだらけの木製のタンス、
比較的新しい白い布団。
偶に家の中をぐるっと見回してしまう。
いつしかしっかりと私の家だと認識していた。
花奏「あ。」
机の上を見て思わず声が漏れ出る。
勉強道具を仕舞ってないや。
これじゃあご飯を持ってく時に
邪魔になるし何なら
父さんに何処か訳の分からない場所に
置いてかれるのが目に見えてる。
エコバッグから食材を取り出し
物によっては冷蔵庫にしまった後、
片付けを先にしてしまおうと机の方に向かう。
ノートを閉じようと紙に触れたところで
何か得体の知れない塊が
一部白紙のままの海に投げ入れられていた。
よくよく見たところ、
私が鉛筆を削っていた時に溢れた
使い用もない欠片だった。
他にも消しかすとか諸々。
花奏「ありゃー、鉛筆の削りカスちょっと落ちとるやん。」
夕食作りを始めてしまう前で
本当によかったと安堵した。
机の元へ行きぱっぱと手際よく
手の甲で塵を集め
紙で折り作られた箱に払う。
木の目や黒光する細かな芯が
一瞬陽に当たり鮮明に見えた。
あぁ、綺麗やなって。
こう言う何気ない1秒が好きだし
何より大切にしたいなって思ってる。
…って、早よ片付けさんと父さん待ってるな。
手早くノート類いをまとめ
自分の部屋に持っていく。
布団にタンス、あと家の中心となる部屋…
言わばリビングやダイニングみたいな、
さっきまでいたところにあった机とは
大きさの規模が全然違う机。
とても小さくて、ノートで言うなれば
開いたら机の上が
ほぼいっぱいになってしまうほど。
流石に勉強しづらいから
いつも大きい方の机を使っていた。
ノートいくつ広げようと全然平気やしな。
余計なことを考えつつ勉強道具をしまう。
そこで不意に見つけてしまった
充電しっぱなしのスマートフォン。
確か充電しっぱなしは良くないんだっだっけ。
どこで見たのかすら覚えていない
あやふやな知識には頼らず
そのまま繋げてスマホを弄る。
花奏「今んところまでの勉強の記録しとくか。」
と言いつつ記録した後でもスマホを
弄ってしまうと言うのは良くあること。
だから大体こうやって
別の部屋にスマホを置いて勉強していた。
それこそ勉強し始めた頃…
ちょうど去年くらいやっけ、
から比べれば成長した方だ。
あまりスマホを触らずともいいやって
思えるようにさえなってきたのだから。
とりあえず今の所の勉強時間の記録を
まとめてしまう。
いつもノートの端に何を何時間勉強したか
乱雑に残していた。
Twitterへの投稿はいつからか
手間と時間がかかると思い辞めていたが、
今日ばかりはしてみようという
気が起きたのだ。
花奏「ふうん、今日は数学多めか。」
襖が息をしているのが聞こえそうなくらい、
それくらい静かな時間。
もう陽射しは窓から差さず、
電気をつけないと暗くなってくる時間。
父さんはいるけれど部屋は
ほぼ反対側だからかあまり声とかはしない。
だから私も聞かれていないだろうからと
独り言をついつい喋ってしまう。
ま、ええや。
そう考えている事に区切りをつけて
さっさと記録してしまおう。
Twitterを開いて今のところはこのくらい
勉強していると言う内容を
投稿しようとした時だった。
花奏「…!?」
まず気づいたのは、投稿画面でのアイコンが
私のいつ撮ったのかすら記憶にない写真。
慌てて今書いていた内容は下書き保存し
設定し直そうとプロフィールを開くも。
花奏「なんや、これ。」
視界に飛び込んでくる更なる情報。
名前も変わってた。
小津町花奏。
私の名前が間違いなくそこにあった。
機械の文字で、奇怪な文字で。
今までの名前で見慣れていた
幸という言葉は跡形もなく消えていた。
花奏「…っ。」
誰の仕業か分からんけど
色々ネットに流れてしまったな。
もしかしたらまだ誰も気づいてへんかも知れん。
そもそも、元々誰のアカウントだったか
分からない人も多いんとちゃうか。
私も実際急に名前が変わったアカウントを
見かけたことがあるけれど
元々誰のアカウントだったか
すぐに見分けがつかなかった。
いつも話しているような人だったら
割とすぐにわかるんやけど。
これはあえて前のアカウント名前を
言わない方がいい気がしてた。
元々幸って言う名前で使ってましたって。
聞かれたら答えるくらいにしておいた方が
きっといいんだろう。
誰もきっと、まだ気づいていない。
その淡い期待に想いを馳せ、
プロフィールを変えようと
画面に指の腹を少し強く押してしまう。
どこか焦ってるんやろうな。
大丈夫。
どうにかなる。
花奏「最悪、警察沙汰なんかなぉ。」
未だ現実味が湧かず宙ぶらりんとした言葉が
口から連ねられていた。
どうにかなる。
今までそうだったから、
漠然と今回もそう思っていた。
名前を小津町花奏から
元々の名前に変更して保存を押す。
花奏「…?」
押した。
押したのだ。
間違いなく、今。
もう1度押してみる。
花奏「変え…れへんやんけ…。」
エラーの文字。
そしてプロフィールに戻される。
何かの不具合やろうか、
それとも悪意のある人の
悪意ある悪戯だろうか。
どこか焦っている。
…そのはずなのにどこか他人事の様に
感じてしまっている自分がいる。
なんとかなるやろう。
そう、言い聞かせてるのか
素で思っているのか。
父さん「おーい。」
花奏「ぁ…何ー?」
反射かの様にスマホの電源を落とし
声のする方へと振り向く。
父さんの声は割と遠くから聞こえたことから
別に真後ろとかにいた訳ではなかったみたい。
それに安心してほっと胸を撫で下ろす。
父さんだけは心配させたくない。
きっと今回の件を知ったら
とんでもなく心配してしまうだろう。
だから特に話す予定もない。
私は大丈夫やから。
しかし、このまま放っておいて
父さんに害がある様なことが
あるなどしたらどうしようか。
そこにばかり不安は寄って皺を作って行く。
父さん「ご飯作るぞー。」
花奏「手伝ってくれるんー?」
父さん「少しだけな。あー腹減った。」
花奏「はいはい、ちょっと待ってなー。」
声を飛ばして話すものだから
自然と語尾が伸びて
その伸びた音は家の木々に吸われていった。
スマホは地べたに置き、
父さんのいるキッチンの方へと向かう。
裸足だったからか
足裏と木目が挨拶をしている。
張り付く感覚が土踏まず以外を刺していた。
花奏「あ、記録。」
なんだかんだぼんやりながらに
日課と化していた勉強の記録付け。
今日もしないでおこうか。
けれどこの状態が何日も続くのであれば
変更できなくても、元に戻せなくても
気にせず今まで通り使うか
別のアカウントを作るかとか
別の処置を考えなきゃなと思う。
紙媒体のメモを捨てない様にしなきゃな。
キッチンに一歩踏み出した時
そこはもう夜真っ盛り。
そんな中父さんが何やら野菜を
切ってくれている姿が目に入る。
青々としている小松菜は
無惨にも断たれていった。
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