第10話 楽しませてくれよ

「花山恵介って言うんだ」

 バイクに跨りながら、鈴東さんがつぶやいた。

「女みたいな顔してる。地元がどこかは知らないけど、電車でこの辺まで来てることは間違いない」

 私もヘルメットをかぶる。

「男と喧嘩しても滅茶苦茶に強い。体格的に力は出なさそうなのに、センスがいいんだろうね。どんな大男も簡単にやっつけちまう」


「何かやってる人なの?」

 私が訊くと、鈴東さんは首を横に振った。

「我流みたい。特に武道や格闘技の類はやってないって言ってたし、実際そんな動きをするんだ」

 我流。

 何も学んでない。なのに強い。


「いい? 話をするっていっても危なくなったらすぐ逃げるんだよ。これまでも何人か、あいつに話をつけようとしてひどい目に遭ってる奴いるんだから。何かあったら私が全力で守るから、逃げて」

 エンジンをかける鈴東さん。その背中にぎゅっとつかまる。

「行くよ」

 そしてバイクが、走り出した。


 *


 心当たりは四か所あるそうだ。

 大抵そのどこかにいるらしい。煙草をふかしたり、お酒を飲んだり、女の子に女の子をいじめさせたりして遊んでいるそうだ。

 許せないと思った。自分一人で悪さをするならまだしも人を弄ぶなんて……。鈴東さんが心当たりのある場所に連れていってくれて、三度空振りした頃には私の怒りは頂点に達していた。


 四か所目の心当たり。ちょっと大きな河川敷の、鉄橋の下。電車が通れば何もかも掻き消されてしまいそうなところだった。

 すぐに分かった。人の気配がする。それも……たくさん。


 堤防に掘り込まれた階段を下りる。橋脚の裏。まず目に入ってきたのは地べたに座り込んでおしゃべりをする十人くらいの女の子たちだった。

 みんな髪の毛を染めていて、派手な化粧をして、だらしなく制服を着崩して……いわゆるやんちゃな子たちなのだなとすぐに分かった。


 そしてそんな子たちを見下すように。

 橋脚の基礎になっている、周囲より一段高い場所に彼がいた。


 遠目なのでよく分からなかったが、意外にもきっちりと着こなされた学ランで、短く切り揃えられた黒髪で、育ちの良さそうな、そんな印象の男子だった。私は女子の群れの中を突っ切ると彼の元へ歩み寄った。


「舞!」

 鈴東さんが追いかけてくる。しかし私は構わず、段上の彼に告げた。

「私に用があるなら私に向かってくればいい!」

 我慢の限界に達していた怒りをぶつける。


「どうしてあんなひどいことができるの? どうして関係ない人たちを、どうしてそんな簡単に傷つけ……」


 そうして言い淀んでしまった。

 それは私が歩み寄ったせいである程度彼のことをしっかり見られるようになったからであり、そして彼の特徴的なパーツが目に付くようになったからであり、そしてそのパーツが、見覚えのあるものだったからだ。私は硬直した。


「へぇ」

 彼が首を傾けた。だから耳元でそれが揺れた。

「お前が泉舞かぁ」

 彼はにこっと、無邪気そうな笑みを浮かべて続けた。

「この間の子だなぁ。何だっけ……そうだ、太極拳の」


 私の目線の先で、小首を傾げていた彼。

 いつだかの夜、公園で練習していた私に声をかけてきた。

 家紋みたいな丸いものに札がぶら下がったピアス。

 それは、そう、風鈴のような耳飾りをした、あの男の子だった。

「面白そうじゃん」

 私にそう言ってきた子だった。


 *


「で、俺に何か言いたいわけ?」

 彼が段の上で微笑んだ。

「身に覚えがないなぁ」


「嘘つくなよ!」

 私の後ろで鈴東さんが叫んだ。

「あんなひどいこと、お前にしかできないだろ!」


「おいおい、莉麻。あんまかっかするなよ」

 耳飾りの男の子……花山恵介くんはまた首を傾げた。どうも癖、らしい。

「お前に新しい友達ができたらしいから挨拶しに行っただけだろ?」

「やっぱりあんたが……」

 鈴東さんの声が震えていた。


「文句があるなら私に当たりな! 学校の奴ら巻き込むんじゃねぇ!」

「なぁなぁ、莉麻。自惚れるなよ。お前は確かにいい女だけどよ」

 花山くんは目を細めた。

「俺が会いたかったのはそこの太極拳女だ」


「だったら!」

 私は叫んでいた。

「あんなひどいことしなくても私が会いに行く!」

 すると花山くんがまたにこりと笑った。顔だけ見ればかわいらしい……のだが、今は悪意しか感じなかった。

「こうして来てくれたんだもんなぁ。嬉しいよ俺は」


「謝って!」

 私はまた叫んだ。

「それから女の子たちを解放してあげて! どんな弱味を握っているか知らないけど、無理矢理言うことを聞かせるだなんてひどい!」

「おいおいそれは誤解だ」

 花山くんはじっと、私たちの後ろの方を見た。……おしゃべりしていた女の子たちがいる方だ。

「そいつらは俺のことが好きだから俺の傍にいるんだよ。なぁ?」

 するとすぐに後ろの子たちが答えた。

「はい……」

「そうです……」


「お前ら」

 鈴東さんが叫ぶ。

「目を覚ましなよ。あんな奴だぞ」


「ひどい言い草だなぁ、莉麻。お前だってこの間まで俺の言いなりだったじゃねぇか」

「もう違う」

 鈴東さんがぐっと花山くんのことを睨みつけた。

「私は逃げない。バラしたかったらバラせばいいさ。私はもう、あんたの言いなりにならない」


 花山くんが黙り込んだ。それから風船が萎むような息をひとつ、ついた。

「そこの女がそう言わせるのか」と、私のことを示す。

 かわいそうに。花山くんはそう続けた。

「助けてやらないとなぁ」

 くい、と花山くんが顎をしゃくった。その合図で、私の後ろからたくさんの足音が聞こえた。


「おい、太極拳女。俺と話がしたいんだろ?」

 彼が私のことを見下ろす。

「その数さばけたらお話してやってもいいぞ……何だか楽しくなってきたなぁ!」

 女の敵は女って言うじゃん? 

 その言葉を合図に、私のすぐ後ろに一人、寄ってくるのを感じた。


「楽しませてくれよ」

 そんな彼の言葉のすぐ後。

 私の肩に、小さな手が置かれた。

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