第7話 理想

 沈んだまま学校から帰った。

 あんずに迷惑をかけてしまった。あんずを苦しめてしまった。そのことが辛かった。

 彼女は大丈夫だって言ってくれたけど、でも私がいなかったらあんなことには巻き込まれなかったし、体調が悪くなることもなかった。

 去っていく車の背中が頭から離れない。


 家に帰ってから、いつもなら慢架を練習するのだけれど、この日はそんな気持ちになれなくてベッドに沈んだ。明日の練習をどうしようか、悩みながらウトウトしていたら晩御飯の時間になった。


 夜、気になってあんずに「大丈夫だった?」とメッセージを送った。返事はすぐに来た。

〈大丈夫だよ! 安心して!〉

 ホッと息をついた。気が抜けたからだろう。それから一気に眠たくなって、ふらふらしながらお風呂に入って歯を磨いた。ほとんど行き倒れる形でベッドに横になる。


 夢を見た。私があんずを守っている。何だか分からない黒い敵から、必死にあんずを守っている。

 太極拳の動きを使っていた。特に何をしようなんてことは思わなかったけど、体が勝手に動いた。鈴東たちをやっつけた時も、体が自然と慢架の動きをしてそこに相手がはまってくれた。夢の中でも同じだった。黒い敵の動きが私の慢架の動きにはまる。肘底看捶ちゅうていかんすい斜飞勢しゃひせい野马分鬃のまぶんそう扑面掌ぼくめんしょう


 目が覚めると汗をかいていた。午前五時。早起きだった。



 いつものように公園に行くと、先生が先に来て八門五歩をやっていた。すぐ先生の後ろに行って練習する。ゆっくりと、海藻が海の中を漂うように手を動かしていると、気持ちが落ち着いてきた。でも、先生はつぶやいた。


「何かあったね」

 どきりとした。

「心が尖ってる。何かされたかい?」

 言葉に困った。何で後ろの人のことが分かるんだ? しかも心の中? 図星を突かれて慌ててしまった。でも、必死に言葉を紡ぐ。

「私をいじめてくる子が、私の友達を傷つけようとして」

 手が止まってしまう。しかし先生は体を動かし続けている。

「やっつけたのかい」

 静かな声。私は頷く。先生の背後にいるから、頷いても見えるはずないのに。

「太極でかい?」

 また、頷く。

 怒られるだろうか。大事な太極拳を人を傷つける方法として使って、叱られるだろうか。


「君が脅威から身を守れたのは、ひとつ成長だ」

 しかし先生の言葉は温かった。

「太極は……」

 この時になって気づいた。先生は太極拳のことを「太極たいじ」と呼ぶ。多分、中国語なんだろう。

「太極は哲学だ。芸術でもある。もちろん武術としての側面もある。究極的には、人との接し方や、問題との関わり方について問うものだ」


 先生が振り返った。徐に手を差し出してくる。私はそれが、推手をやる動きだとすぐに分かって、同じように両手を構えた。一、二、三、四。ゆっくりと動く。


「いいね。問題との関わり方、向き合い方だ。今から言うことをよく聞いて」

 一定のリズムで動きながら、そして私の拙い動きに流れるように合わせながら、先生が、唱える。

「上善如水、水善利万物而不爭。処衆人所惡、故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、政善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤」


 中国語だった。当然欠片も分からない。先生は微笑む。

「日本語だと、頭の『上善如水』は『上善は水の如し』っていう言葉になる。続く言葉も日本語にされているから、気になったら調べてみて。ひとまず『上善は水の如し』について言うと……」


 先生が優しい目で私を見た。

「『上善』は素直に字だけ見ると『すごくいいこと』とか、『理想的な』とかになりそうだよね。実際そう訳している日本の学者も多い。でも本当は、『対人関係』……様々な場面での人との接し方について示している言葉なんだ。『上善は水の如し』。意味、分かるね?」


 水の如し。水のような。それが上善。つまり対人関係の理想が水。人との接し方のコツが水。

 少し理解できる気がしたが、何で水なのか、水ってどういうことなのか、言葉にはできなかった。そしてそれが、どうして私が鈴東たちをやっつけた話に繋がるのか、全く分からなかった。先生は続けた。


「もうひとつ、教えよう。太極で理想的な手つきはどんな感じだと思う?」

「さ、さぁ……」

「例えばほら、友達を家に招く時」

 先生が私の肩に触れる。

「『どうぞこちらへ』。優しく触るだろう?」

「はい」

「『友達の背中に手を回すように』。それが理想的。如何なる時も。そう……」


 戦う時も。

 先生のその一言が重く心にのしかかる。やっぱり、叱られているのだろうか? 

 しかし先生は続ける。


「不丢頂、っていう考え方がある。日本語だと『ふちゅうちょう』って読むのかな。これを表すのにぴったりな日本語があるんだよ。『つかず離れず』」

 先生はずっと温かい笑みを浮かべていた。

「相手にとって重すぎもしない、軽すぎもしない手つきっていう意味だ」

「はぁ」それとさっきまでの教えがどうつながるのか分からない。


「『上善は水の如し』『友達に接するように』『不丢頂』。どれも、君がとるべきだった対応だ」

 あの時。

 殴りかかられた時。

 あんずを守らなきゃいけなかった時。

 無理だ。あんなに攻撃的な態度を示されて、実際に殴り掛かられて、「友達と接するように」なんて動けるわけが……。

「そんなことはできないと思っているね」


 また、動き出す。推手の動き。一、二、三、四。

「まだ君の心が水になれていない証拠だ。容れ物を選んでいる。水は選ばない。方、円、どんな形の容れ物にも入る」

「でも……」

「でもじゃない」

 一瞬圧がかかった先生の言葉にびっくりしてしまう。先生は続ける。


「多分君は、慢架の動きを実際の戦闘に当てはめたんだろう。意識はしなかったかもしれないが自然と体がそう動いたはずだ。でもね、いいかい?」


 先生がまた、私の肩に触れる。


「これが扇通背せんつうはい

 先生の手が柔らかく私の肩に添えられている。最初は何をされているのか分からなかった。

 と、先生の掌の中が明らかに変化した。触り方が違う、というか。でも私の肩に手を添えている外見は変わらないのだ。ただ、掌の中の……ぬくもりが違うというか……。

「これが単鞭たんべん

 何が起きているか分からない。触り方はさっきから変わらないのに、でもその触り方が明らかに違う。掌の中の何かが違う……いやもっと言えば、先生の手首、肘、肩、それに繋がる胴、それぞれの中の何かが、微妙に、いや驚くほどに……。

 先生の掌の中は動き続ける。

「これが玉女穿梭ぎょくじょせんさ

「これが肘底看捶ちゅうていかんすい

「これが斜飞勢しゃひせい……そろそろ分かってきたね?」

 先生の手が離れた。私はぽかんとしていた。


「容れ物を選ばない。究極的には形を選ばない。そう、扇通背だろうが単鞭だろうが玉女穿梭だろうが、形はどうでもいい。体の動かし方だ。骨格の全てが自由に動く。『水の如し』は哲学的な意味でもそうだし、身体的な意味でもそうだ。太極の理想はそこにある。そしてさっきから言っていることの真理もそこにある」

 君は才能がある。先生はそう続けた。


「いつか必ず理解できる。でも思い出して。大事なことは……?」

「……頭を空っぽにする?」

 私が続くと先生は、今度はにっこり笑った。嬉しくて、私も頬を緩めた。

「その通り。やっぱり君は、才能がある」


「でも頭を空っぽにしたらさっきのことが考えられません」

 先生は目を伏せ首を横に振った。

「例えば自転車に乗った時、『ここで右足を漕いで、次に左足を漕いで、おっと、ハンドルを切って……』なんてことを考えるかい?」

 先生の言いたいことが、朧気ながら見えてきた気がした。


「練習が必要ですね」

 私がそうつぶやくと、先生はまた優しく笑って、返してきた。

「そう。練習しましょう。慢架に推手、八門五歩……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る