第6話 思わず体が……
あんずが連れていかれるのを見た後、一瞬ためらってしまったのがよくなかった。
すぐに二人を見失った。鈴東は背が高いし髪も金色だからすぐに分かると思っていたが、この学校に鈴東くらいの背の高さの金髪なんて山ほどいるから区別がつかなかった。休み時間。廊下は人であふれている。どこだ。どこだ。焦って探す。
駄目だ。無闇に探すよりある程度当たりをつけた方がいい。
私は必死に考えた。鈴東が行きそうなところ。鈴東が人をいじめたり、痛めつけたりするところ。
すぐに思い至った。南校舎、屋上に繋がる階段の踊り場だ。広いし人目につかないから素行の悪い生徒のたまり場になっている。あそこなら、もしかしたら。私は急ぎ足でそこを目指す。
果たしてあんずは見つかった。彼女は鈴東と取り巻き二人の計三人に睨まれていた。しかし彼女はいつも通り、どこ吹く風、といった体だった。
「お前最近泉と仲良くしてるな」
鈴東が低い声で脅しにかかる。
「ムカつくんだよ」
がしゃん。階段の手すりを蹴る音。
「あんなクズと仲良くするなよ。な?」
鈴東があんずの顔に近づきながら話す。
「話が分かればこれで終わりにしてやるよ」
ああ、私のせいだ。
私の心が悲鳴を上げた。私のせいであんずが怖い思いをした。私のせいであんずが鈴東に目をつけられた。私のせいであんずが脅された。消えてしまいたくなる。やっぱり私は学校にいちゃいけない存在なんだ。たまたまあんずと仲良くできたからって、調子に乗って……そう思った時だった。
あんずは、鈴東の脅しに従わなかった。
「私が誰と仲良くするかは私が決める」
鈴東の顔が凍る。
「舞はいい子だよ。鈴東さんも仲良くしてみたら?」
「てめえ」
取り巻きの一人があんずに近寄る。かなりの剣幕。どうしよう、あんずが傷つけられちゃう。
しかしそう思った時には体が動いていた。私は階段を駆け上がって、右手であんずの肩をぐいっと引っ張った。取り巻きとあんずの間に身を差し込む。それから、自分の体であんずを庇う。
「何だよ」
取り巻きの一人……唯野さんが舌打ちをする。事態を見て自分も参加しなければ、と思ったのだろう。取り巻きのもう一人……川南さんが立ちあがった。
「引っ込んでろブス」
多分、ブスにするつもりだったんだろうな。
唯野さんの拳が顔面に飛んでくるのが分かった。その動きはひどくスローモーションで、唯野さんが拳を握る場面、それを突き出す場面、拳が私の顔に迫る場面。全部見えた。
そして気づいたら、体が動いていた。
左手を横に突き出して、右腕を扇のように振り上げる。両手を開く動作をする時、右手は額の前。
扇のように振り上げた右手が、下から唯野さんの拳を上方に跳ね上げた。そのままがら空きになった胸部目掛けて、横に張った左手が突き刺さる。呻き声。張り手が胸に刺されば声も出る。
「このっ」
川南さんが唯野さんの後方から飛び掛かってくる。やっぱり拳。女の子同士って、割と容赦ないよな……。これが男の子だったら拳ではないのかも。そう思っていた頃には、やっぱり体が動いていた。
腰を落として両腕を開く。左手の肩はほぼ動かない。むしろ右肩の方を蝶番のように開く。両手の位置は少し高めに。体を沈ませる時お腹が出ないように注意して。
手を見ると、血がついていた。鼻血、かな。
負傷者が出たことで明らかに鈴東たちの顔が殺気立った。しかし唯野さんは一撃食らった後だからか前に出ない。鈴東さんが動く。多分、文化祭の時の、屋台でも組んだ時のものだろう。踊り場に放置されていた木材のひとつをつかんで、鈴東さんが殴りかかってきた。しかしこの時にはもう、遅かった。私の頭の中は透き通っていた……そう、水晶みたいに。
暖簾をめくるような動きの手の下からもう一方の手を突き出す。下から出す手は突き出しすぎないように。両腕は、上側に来る腕と下から出す腕が九十度になるくらい。
暖簾をめくるような動きが上からくる木材を、振り下ろされる前に綺麗に受け止めた。そのまま下から突き出した手が鈴東さんの顎に刺さる。がちん、と歯の鳴る音がして、鈴東さんが仰け反って倒れた。木材が放り出される。その様子を見て唯野さんが尻込みした。私は倒れた鈴東さんを見た。
「だ、大丈夫……?」
私は声をかける。
お腹を抱える唯野さん。
鼻血を押さえる川南さん。
尻もちをついた鈴東さん。
動いたのは唯野さんだった。川南さんに合図を送り、鈴東さんを引っ張り上げるようにして起こすと、そのまま私たちの前から去った。残された私たちはぽかんとしてその様子を見ていた。すぐに、あんずが口を開いた。
「すごい! すごい!」
ぴょんぴょん跳ねている。
「あれが太極拳? すごい! やっぱり戦えるんだ!」
私は少し呆然としてから、何となく答える。
「……そうみたい」
「舞かっこよかった! 一人で三人もやっつけるなんてすご……」
と、いきなりあんずが胸を押さえてしゃがみ込んだ。慌てて私は舞の顔を覗き込む。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ごめん。ちょっと胸が苦しく……多分、病気のせいだけど、大丈夫。すぐによくなるから」
「本当に大丈夫? 先生呼ぶ?」
「大丈夫。ちょっとはしゃいだりすると、よくないの。ごめんね。大丈夫」
しかしあんずの顔は見る見る白くなっていった。これまずい。そう思って、私はあんずに肩を貸した。
「保健室行こう。ゆっくり、歩ける?」
それから私はあんずに付き添って保健室へ行った。鈴東たちが保健室にいたらどうしよう、とは思ったが、さすがに保健室で悪さはしないか、と腹を括って行った。しかしあいつらはいなかった。私は先生にあんずを任せた。
「脈が安定してない。病院行こうか」
先生があんずの手を取り脈をとった後すぐにつぶやく。
「親御さんには連絡するから。何か、びっくりしたり飛び上がったりしちゃった?」
「……ちょっとはしゃぎすぎちゃって」
あんずは私を庇う。白い顔。生気がない。
彼女をベッドに寝かせた後、先生が私を呼んでスツールに座らせた。私は椅子の上で小さくなった。そんな私に、先生が告げた。
「広崎さんは心臓に病気があるのは知ってる?」
私は黙ってうなずく。
「不整脈が主な症状なんだけど、細かい病名については伏せるね。でも、ちょっとしたことで動悸がしたり脈が飛んだりするの。変な刺激は避けなきゃいけない」
再び、頷く。
「広崎さんと仲良し? これからはできるだけ、広崎さんをそういう刺激から守ってあげて」
「はい」
決意を込めて、頷く。あんずを、私の大切な友達を、守らなくちゃ。
ベッドに行くと、いくらか顔色のよくなった彼女が横になっていた。私はほっとして、何だか泣きたくなった。しかしあんずが、嬉しそうに笑った。
「舞、自分の力で戦えたね」
あんずがベッドの中から手を出してくれる。
「かっこよかったよ。これでもういじめられないかも」
「うん」
「自信持って。あなたは私を守ってくれた」
「でも、私あんずの病気を……」
「ううん。これは私のせい。ちょっとはしゃいじゃったから」
「でも」
「大丈夫」
あんずは目を瞑った。私はあんずの手を握ったまま、しばらく呆然としていた。
やがてあんずの親御さんがやってきて、あんずをかかりつけの病院まで連れていった。車に運び入れる時、私は精一杯手伝いをしたが、やっぱり胸の中の暗雲は晴れなかった。でも、あんずは車の中から手を振ってくれた。私も振り返した。
車が去っていく。排ガスの音が、妙に耳に残った。
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