油揚げ異譚
北緒りお
油揚げ異譚
祠(ほこら)なんてものは、わかりやすくするために置いてある飾りだと言い捨てていた。
そんな作り物よりも、この田んぼや畑、それに人との距離が重要なのだと諭された。
豊作を祈り建造された祠の近くに寄り集まり、長老と年寄り達、その世話をする若者との会話の中で出た一言であった。
長老は全身の毛が白くなり、なにやら神々しい見た目になっている。どちらかと言えば小柄な体格で、年をとったからなのか背中が丸くなったのもあり、福々しい印象もある。長生きした証として、尻尾は九本になりそれを見た人間は物の怪か神の使いと勝手に恐れるが、集落で共に暮らす狐からしたら気のいい爺さんにすぎない。
若い狐が採りすぎたからと余った鼠を分けに行くと、目を細めて喜んでくれる。また、子狐がその尻尾を珍しいからとじゃれついてくると、子狐をあやすのに右へ左へと尻尾を動かしている様子からは、人に恐れられるような力を持っているようには見えない。
そんな長老を中心に年寄り達が集まり話をしている。
蝉の声と抜けるように高い青空の下、田畑に囲まれた村の外れでその集会は開かれていた。村の中心から山の入口にある雑木林の入り口に人間の建てた倉庫がある。その横には狐を祀る祠があり、そこから雑木林を少し行くと狐の集落がある。人間の近くにいるものの、狐は人に深く関わることななく営みを続けていた。
長老たちの話は、作物の吉凶を見据えて鼠が増えるか否か、減るようであれば狩りをする範囲を広げるかどうかという、集落の行く末がかかることを話していたかと思うと、孫狐が生まれたのなんのと茶話にふけっていることもある。
いつ終わるともしれないこの会合の世話係として若い狐がかり出され、その面倒を見ることを役割とされているのだった。
長老達の言うことは若狐には何のことやらわからないことばかりだった。話している内容もわからないのはもちろんだが、そもそも歯が抜けた年寄り狐の滑舌では、自分の名前を呼ばれたとしてもわからないぐらいに言葉がこもってしまっていた。
鼠は狐の主食である。果物もそうだが、米やヒエが豊作となれば鼠の数もふえる。特に人間が育てる稲が豊富に実ると鼠の育ちは特に善くなる。
しかし、鼠が増えすぎると稲は荒らされ、雪の時期になる頃には人の食べ物が枯渇してしまう。だからと鼠を捕りすぎるとその先の狐の獲物がなくなる。絶妙な加減で鼠を捕え、腹を満たしてくのが要であった。
年寄りの話は時に淀み、時に本題から外れたりしながらも、蛇が地面を這うかのように前進はしているようだった。
祠に捧げられている油揚げは若狐は世話をする褒美として与えられていた。少し油が古いのか、堅牢な若狐の胃袋をもってしてもやや重い。数口で食べ切れる量ではあるが、そんな勢いで食べてしまっては油揚げに負けてしまい、年寄りの世話を最後まで見られなくなってしまう。それでも、この不健康な味が癖になるのか、文句を言いながらも来るたびにかじっている。他意はなく、人間も鼠とか置いといてくれりゃいいのに、と呟いた独り言を長老は聞き逃さなかった。
油揚げが祀られるようになるには、狐と人の距離がついたり離れたりを繰り返し、そして今の形がある、という話を長老は若狐にし始めた。
長老や年寄たちが若い時代には村という集まりはなく、それぞれの狐が別々に暮らしていた。
しかし、飢饉が襲いかかり、狐は多くの死者を出した。子供と年寄りが命を落とし、未来と経験が失われていったのだった。
しかし、その当時の人間の集落は幸いにも命を落とす物がほとんどいなかった。一方、狐はかろうじて絶滅を逃れることができたが、生き残ったものは滋養が足りずやせ細り、狩りをするのにもやっとのありさまであった。
狐も人も同じようにやせ細っているが、狐は生き残るのがやっと、人は栄養が足りているとは言えないが、大きな影響を受けずに生き延びている。その違いはなにか。それを偵察したのがいまの長老なのであった。
人の住まいの軒下に潜んだり、人が集まっているところのそばに行き、その動きを観察し続けたのだった。長老がそこでつかんだ要点は三つあるという。一つは集まって補い合ったこと、そして、知識を共有し生かしたこと、最後に食料を蓄え、なにがあっても飢えることがないようにしていることという。
狐もそれにならい、集団生活をするようにしようとしたのだった。
とはいえ、いままでが単独行動で過ごしてきた者達だ。集まって話をしようと言うのですら難航した。人間の行動を見てきた狐達は単独行動から集団行動に変化させる意味を把握していたが、その意味を把握するのには繰り返しの説明と、ある程度のあきらめを誘発するしかなかった。
飢餓を乗り越えた数少ない年寄りは栄養が足りなくほとんどが巣に閉じこもっている。また、ある程度の年長の狐であっても栄養失調で体の力がほとんど抜かれており、若い狐が何かしようとしても協力こそできないにしても、それを止めたりといった眼の上のこぶになるようなことはなく、静かにしていてくれたのだった。そのおかげで若い狐達の画策は形にするまでにあまり時間がかかることもなく、集落の形につくりあげることができた。
このことについて、長老達はたまたま運良く、そういう時期に遭遇してやることができた、と言い、狐らしからぬ集落の創始物語があるのだが、年寄りの言うことをそのまま記すといくらでも長い話になってしまうので省略する。
人間の生活と狐の生活は長いこと別になっていた。人間が稲作を始め、鼠が稲に寄っていくことに気付いた狐は人里近くで暮らすようになった。
しかし、田んぼを駆け回る狐を見た人間は、それを良いことと考えなかった。田んぼや畑に入り込み狩りをしている狐は高く跳ね上がり、獲物を前足で真上から捉えようとする。その動きが人間から見るとせっかくの稲を倒してしまっていると考えられていた。
ある日のこと、子狐が狩りの真似事をしていた。田んぼに入り鼠はまだ怖いからとバッタを相手に飛びかかろうとしたときのことだった。高く跳ねた子狐にその子の頭ほどの石が飛んできて、後ろ足に当たったのだった。子狐は一声大きく鳴き声を上げると、足を引きずりながら山の方へとかけていき、狐の集落へと戻ってきたのだった。
怪我は幸いにもじっとしていれば治るようなものであったが、共同体となった狐にとっては初めての大きな事件であった。以前から人間が狐を悪者にしているというのは話題には登っていた。しかし、このような実害を伴う形は初めてであり、集まってはどのようにするかの話を重ねていったのだった。
稲田に湧く鼠はほしい。けれども、悪者扱いされるのは論外だ。なによりも、子狐が人間に捕まったりしたら怪我どころではすまないだろう。という話が進んでいた。
集落としての意見は固まった。鼠は惜しいが狩り場を捨てて、違うところに集落を作ろうというものだった。
団結した狐は行動が早かった。人里から遠ざかると森の中に新しい拠点を見いだしたのだった。
狐が立ち退き、新しい生活が定着し始めた頃、人間の村では違う形での変化が起きていた。
稲の育ちが悪くなり、いつもならば頭を垂れる頃合いだというのにほぼ直立したままの姿であり、直立した稲穂の先には米がついてたらしい形跡はあるものの、実り、膨らみ、糧となるはずの重みはなく、一年の労の結果とは思えないほどの貧相な立ち姿であった。
そのかわり、田の中や周りには枯れ草を寄せ集めてできた鼠の巣がそこかしこに出来上がり、鼠の巣を支えるために田圃があるような有様であった。
その影響は田だけではなかった。村の貯蔵庫に貯めてあった米はもとより芋などもすべて食べ尽くされ、畑で育てていた作物も、収穫できたものがあるとしても、どこかに鼠がかじった跡があり、鼠が食べ残した作物を人間が食べているような有様となった。
鼠が人間の田食べ物を横取りしているだけではなかった。
村に疫病が流行りはじめ、乳飲み子や年寄りがやられ、そして命を落とす者があった。
滋養が足りなく、普通に過ごすだけでもやっとの体力しかないところに疫病の拳が振り上げられたようなものだった。
村は満身創痍となり、その傷を癒すための策はなかった。
村の集まりでなにがこんな飢えと病と永訣を呼び寄せたのか、話し合いが起きていた。
ある者は祟りといい、ある者は水神に供えが足りなかったといい、ある者は鼠に恨みをもたれた奴が仕返しをされていると言い、それぞれがそれぞれで原因らしき要因を述べ、そしてそれをどうしたらよいのかの解決策を見いだせないまま空虚な時間を過ごした。
ある者がふと口にした、狐に石を投げてから姿を見なくなったとの一言が袋小路に入っていた話し合いに灯りを与えたのだった。
狐は鼠を食う、と誰かが口にする。
どうにかして狐を呼び戻し、鼠を捕ってくれるよう頼めないかとの言葉もでる。
でもどうやってやるか見当すらつなかなかった。
ある者が思い出したように言う、そういえば子狐が油揚げをさらっていったことがあった。もしかしたら油揚げが好きなのかも。と。
村人の最後の頼みの綱として、最後に狐を見たという雑木林の近くに油揚げを置いてみる。
何日か試してみたが、狐が油揚げを食べた気配はない。
これが最後にしようとしたときのことだった。村人が隠れてみている目の前で子狐が油揚げを持って行ったのだった。
狐の集落でもその油揚げはなにを意味しているのかと話題になった。
人間はなにを考えているのか、この油揚げをきっかけに何かたくらんでいるのではないか、それとも油揚げに何か意味はあるのか。それは狐同士で話し合っても解決しないことであった。
そこで出向いたのは生き延びていた長老であった。尾は九尾あり、幻術を使うのは自在であった。もし、人間が何かしようとしても無傷で帰ってこれるのは長老ぐらいのものだろう。それを自負してからなのか、長老は子狐に油揚げをの場所まで導いてもらい出向いた。
九尾の狐の登場で腰を抜かしたのは村の者であった。伝説とされていた九尾の狐が目の前にいる。そして、さっき油揚げを持って行った子狐が先導している。きっと、願いが通じたのだと確信していた。そして、九尾の狐を拝み、どうか、村に戻り今まで通り鼠を捕ってほしいとの願掛けをしてている。
困ったのは願掛けをされている長老だった。人の言葉はわからない。だが、身振り手振りを見ていると、どうやら悪くしようと言うのではなく、こちらにお願いをしているようだ。
そして、その願いは油揚げがつなぎになり、狐達を導いているらしい、と長老は考えた。
油揚げは子狐に持たせ、狐たちの集落に戻ったのだった。
長老は集落戻るとすぐに若狐に人間を観察するようにとのお触れを出し、翌日を待った。
一方、村人は狐に願いが届いたと安堵の声を上げていた。
その様子に始まり、若狐は村の周りをうろつきながら人の様子をつぶさに観察し、長老の目と耳、または鼻となりすべてを伝えていたのだった。人間の村の中を橋から橋まで若狐はあるき回る。そうすると、田や畑、倉庫の近くに油揚げが置いてあることに気付き、油揚げに近づく。狐がおびき寄せられたのは油揚げだけではない。その周辺には鼠の臭いもプンプンと漂い、狐にとってはなんとも食欲がそそられる誘惑的な場所だったのであった。
見回りの若狐は油揚げを平らげると、すぐに集落に戻り長老にことを伝えた。
長老は人間が求めるところを確信した。人間は自分たちの食料を守るため、鼠が邪魔であり、狐が鼠を捕らえ、そしてその周辺をうろつくことで狐の匂いを嫌う鼠たちが他所に行くことが目的なのであろうと気付いたのだった。
そうとわかれば、狐達の行動は早かった。油揚げが置いてある田圃に入り、安穏と肥えた鼠を捕まえ、そして腹を膨らませて帰ったのであった。
人間もその動きに気付き、油揚げがなくなった所では巣の中に鼠の影を見ることもなく、狐が食べて仕事をしているのがわかった。
いつの日か、地に直接皿を置き油揚げを置いていたのをやめ、祠を建て狐に供え物をし、鼠から作物を守ることで豊穣を願うようになった。
狐は田に入っては鼠を捕り、倉に忍び寄る鼠を捕まえ、また倉の周りに自らの尿を巻き、鼠除けとした。
人間が狐に油揚げを捧げるようになった始まりであった。
油揚げ異譚 北緒りお @kitaorio
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