終章

終章



 ブリュノが必死に守ろうとした秘密ではあったが、レモンド自身がすでにそれを隠し続けることに疲れていた。良心の呵責かしゃくもあったろう。


 そのあとすぐに、レモンドとメラニーが二人でテルム公爵に真実を告げた。


 もちろん、テルム公爵にとっては衝撃の事実だ。

 だが、二十年近く愛娘として育ててきたのだ。今さら赤の他人でしたと言われたところで、愛情を断ち切ることはできなかったようだ。

 レモンドは公爵家の娘として、これまでどおり暮らしていくことになった。ただし、跡取り娘はアドリーヌだ。


 アドリーヌはまだ自分が公爵令嬢だったという事実になじめない。両親の公爵夫妻とも、どこかぎこちない。だが、やはり、母娘だ。夫人とならんだときの仕草や気質はひじょうによく似ている。さほどの時間を要することなく打ちとけるだろう。


 それに、アドリーヌには彼女を支えてくれる人がいる。サミュエルはまだしばらく治療が必要だが、そう遠くない日に日常生活に戻れるという。おとなしい二人だ。つつましやかな愛を末永くはぐくんでいくに違いない。


「レモンドはしばらく旅行に出るそうだよ。素晴らしい馬の産地が西部にあって、そこまで買いつけに行くんだそうだ。ジェロームといっしょに」


 ジョスリーヌの屋敷の客間。

 春をイメージしたやわらかいパステル調の室内で、円卓の席にすわるワレスを前に、報告するのは、ブリュノだ。

 ニコニコ笑う魅力的な美青年を、ワレスは複雑な気分でながめる。ついこの前、この男に殺されそうになったのだから、いたしかたない。


「おまえ、なんだって、ちょくちょくたずねてくるんだ?」

「えっ? だって、友達だろう?」

「誰と誰が?」

「君と僕だよ」

「いや、友達ではない、と思う」

「僕が捕まらないように手をつくしてくれたじゃないか」

「おまえが処刑されたら、ギュスタンが悲しむだろうからな。おまえには、まだまだギュスタン用の壁になってもらわなければ」


 悪いがシロンに罪をかぶってもらった。リュドヴィクを殺したのはシロンであり、レモンドを呼びだして殺そうとしたことがバレそうになり、自害したのだと。


 サミュエルを襲ったのは、ワレスを襲撃した謎の外国人ということにした。

 サミュエルは違和感をおぼえたかもしれないが、アドリーヌと結婚できることになって有頂天なので、今なら細かいことはどうでもいいはずだ。


「おまえは新しい花嫁を探さないといけなくなったな」

「君がギュスタンの養子になる件をあきらめてくれれば、それでいいんだ。僕がなるから」

「…………」


 そう言われると、なぜかちょっと惜しい気がする。ラ・ヴァン公爵家のばくだいな財産のせいだろうか。それとも、勝ち誇ったようなブリュノの顔つきが鼻につくからか?


「あっ、僕、もう帰らないと。ギュスタンが服を仕立ててくれるっていうんだ。じゃあ、また」


 時告げの鐘を聞いて、ブリュノは帰っていった。と言っても、彼の自宅ではない。近ごろはすっかり、ラ・ヴァン公爵家が彼の住居だ。


 その姿を見送って、ジェイムズがつぶやく。今日は旬末の休息日だ。役所は休みなので遊びに来たのだ。


「ブリュノはなんでかわからないけど、憎めないなぁ」

「だったら、あいつについてけばいいだろう?」


 ワレスの声が不機嫌だったのだろうか?

 ふりかえったジェイムズが笑っている。


「私は君と釣りをする約束だから来たんだ」

「釣りなんか老人のする遊びだ」

「でも、行くだろう?」

「……まあな。ジョスが新鮮な魚を食べたいと言うからな」


 ほんとはそうではない。

 でも、そういうポーズを作っておかないと、ワレスは怖い。なんだか、自分の心の均衡が壊れそうで。


 近ごろ、一晩じゅうジェイムズの看病をしたときのことを、やけに思いだす。

 または、天使のように助けに来てくれた彼の姿を。後光がさして、輪郭が淡く金色に輝いていた。


 心の距離が近づいた。

 それはまちがいなく両者が感じている。ワレスも、おそらくは、ジェイムズも。


「さあ、行こう。ワレス。ジョスリーヌが船を出してくれるんだろう?」

「ジョスが釣りにつきあえる女じゃないことはわかりきってるだろ? 小型の釣り舟だよ。船頭のほかは、おれとおまえだけだ」

「のんびりできていいじゃないか」


 乗り気なジェイムズについていく。歩きだすと、心が弾むのを止められない。

 それもまた楽しい。




 黒薔薇館の謎 完

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