第5話 夜奏会3
夜の演奏会を満喫して、それぞれの寝室に帰ることになった。
「ワレス。今夜はわたくしの部屋にいらっしゃいな」
ジョスリーヌに誘われて、ワレスは彼女と歩いていった。ワレスの客室は一階だが、ジョスリーヌには特別な部屋が用意されていた。三階にある賓客用のそれだ。
ワレスたちの前を同じく賓客用の寝室へむかうギュスタンとブリュノが歩いている。ブリュノはギュスタンと腕を組んで、すっかり恋人同士の様相だ。レモンドのことは完全にあきらめている。
「ふふふ。ブリュノも可愛いんだけれどね。ギュスタンがあんなに気に入ってるんじゃ、しかたないわ」
「令嬢の花婿候補がどんどん減ってくな」
「婚約者が亡くなったばっかりだもの。レモンドがその気になれないのは当然じゃないの?」
「まあな」
二階から三階への階段をあがっていたときだ。どこからか話し声が聞こえてきた。小さくひそめた声だが、女だとわかる。
「……恥を知りなさい。おまえという子は。公爵さまに育ててもらった恩義をどうするのですか?」
「ごめんなさい。お母さま。でも、わたしはシロンさまを……」
どうやら、アドリーヌとその母だ。娘がシロンと愛しあっていることを知って、忠義な乳母が怒り狂っている。
「姫君の夫になるかたですよ?」
「まだ候補の一人だわ」
「だからと言って身分が違うでしょ? とにかく、ゆるしません。もう二度と令息と二人で会ってはいけません」
「お母さま」
そのあと、まだ何やらゴチャゴチャと話していた。が、パンと高い音が響く。母が娘を平手打ちしたようだ。
(厳しい母だな。それはまあ、彼女らが贅沢に暮らせるのは、テルム公爵のおかげだ。住居も衣服も食べるものも、すべてが公爵家の財産でまかなわれている。その家の令嬢の花婿候補を奪うのは、たいへんな不忠だ。だからって、恋心は自分でもどうにもならない。ムリに抑えられるものではないだろうに。母なら娘の幸せを望まないのか?)
とは言え、娘のことを思ってこその心配だろう。身分違いの恋なんて、いいことはない。よくて愛人。悪ければ遊ばれてすてられるだけ。
いや、それはかえっていいほうだ。なまじっか愛人になどなれば、奥方にいびられて、一生みじめな思いをすることになる。
きっと、母はそれを案じているのだ。それにしても、たたくことはない気もするが。
さまざまな思惑が入り乱れている。リュドヴィクの事件がなかったとしても、このままでは終わりそうもないと、ワレスは思った。
きらびやかな寝室で、ジョスリーヌと夜をすごす。窓外からは薔薇の香りがほのかにただよってきた。この屋敷は壁紙も薔薇のモチーフだ。音楽の名残もあり、ロマンチックなひとときではある。が、
「ワレスったら、上の空よ?」
「悪い。事件のことが気になって」
「ベッドのなかでは忘れておしまいなさい」
「うーん……」
「ワレス!」
ワレスは笑って、ジゴロのつとめに専念した。甘い香りに包まれて、心地よくまどろむ。
ふと目がさめたのは真夜中だ。
ワレスはあたりを見まわした。もちろん、室内から声がするわけではない。窓の下? いや、外ではないようだ。廊下のどこか……。
この時間に女が忍び泣いている。無視して寝ようとしたものの、目が冴えてしまった。ワレスはサンダルをはくと廊下へ出ていった。
灯が落とされて、屋敷のなかはどこも暗い。月明かりをたよりに歩く。
あちこち扉をあけて、ようやく見つけた。誰も使っていない空室で、若い女が出窓にすわっている。浮かびあがる白いよこ顔は、アドリーヌだ。
「母に叱られて泣いているのか?」
ワレスが問いかけると、アドリーヌはあわてた。
「な、なんのことですか? ラ・ベル侯爵さまのつれてきたお客さまですね」
「隠す必要はない。もう知ってるから。シロンと愛しあってるんだろ?」
近づいていき、同じ出窓に腰をおろす。
アドリーヌは言いわけを探すふうだった。が、ワレスの目をのぞきこんだあと、素直にうなずく。
「……わかっているんです。わたしなんかが、侯爵家のご子息と恋をしたって、不釣りあいだって。結婚もできないし、けっきょく、うまくいかない。ましてや、お嬢さまの花婿として呼ばれた人なのに」
「好きなら、しょうがない」
「テルム公爵さまには、わたしたち母娘。たいへんなご恩があります。母はわたしがお腹にいるとき、夫を亡くしました。お産のために、当時、お仕えしていたお屋敷もいとまごいすることになり、困りはてていたのです。そんなときでした。ちょうど身ごもっておられた奥さまのために、テルム公爵さまが母を雇ってくださったのです」
「乳母として雇われたんじゃないのか?」
「ええ。奥さまは体のお弱いかたですので、乳の出る世話係が必要だったということです」
産み月が同じころだから、前もって迎え入れた、ということのようだ。
「しかし、おまえの父はこの館の騎士だと聞いたが?」
「それは母の再婚相手ですね。ほんとの父は商家の息子だったそうです。でも、養父はわたしを実の娘のように可愛がってくれますから」
「むしろ、血をわけた母のほうが厳しいな」
アドリーヌはさみしげに微笑した。
「養父や公爵さまに気づかっているのでしょう」
指さきで涙をぬぐうと、アドリーヌは立ちあがった。
「もう帰りませんと」
「アドリーヌ」
「はい」
「シロンと別れるのか?」
恋人の部屋ではなく、一人でこっそり泣いているのは、そういうことだと思った。
アドリーヌはつかのま、ためらう。
「……そうできたらいいのですけど。まだ決心が」
「そうか。もしも、どうしても困ったことがあれば相談に乗る。おれでよければ」
「……ありがとう」
二人で心中でもされては後味が悪い。
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