第5話 夜奏会2



 演奏会はなかなかのものだった。

 楽器にくわしいだけあって、サミュエルは見事な才能の持ちぬしだ。ヴィオロンを演奏しているときの彼は、楽神の申し子だ。もともと美青年ではあるものの、三割り増しカッコよく見える。


「ほほう。美しい音色だ」と、ギュスタンが感心するので、敵愾心てきがいしんをそそられたのか、ブリュノまでステージへあがる。彼が手にしているのは高音の横笛だ。貴族の子息がたしなむにはマニアックな楽器である。そこそこ、うまい。


 ジョスリーヌは上機嫌だ。

「ワレス。あなたも楽器が弾けたわよね?」

「…………」


 すごいムチャブリをされてしまった。

 それはたしかに、ピアノなら多少弾ける。教えてくれたのは、ジョスリーヌ自身。しかし、あくまでだ。音楽好きの貴婦人と連弾しながら、イチャイチャするのに困らないていどには。


「ね? 弾いて。弾いて」

「…………」


 しかたないので、しぶしぶステージにあがり、ピアノの前にすわる。


 ブリュノがいてくれるのが救いだが、サミュエルの腕前は宮廷楽士も自前の楽器をすてて逃げだしそうなほどである。貴公子でなければ、まちがいなくプロの楽士になっていただろう。


 練習曲エチュードのほか、ほんの二、三曲しか弾けない、それもたいていどこか一回は失敗するワレスの技量では、ついていくのがやっとだ。伴奏に徹して、和音でごまかすことで、なんとか乗りきった。


「素晴らしい。演奏も上手だが、何しろ見ためが麗しい。見栄えのする楽隊で嬉しいよ」

「いいわねぇ。お抱えにしたいわ」


 ギュスタンとジョスリーヌはさんざん、はしゃいでいる。

 ジェロームは馬術以外で負けることは、さほど気にならないらしい。おとなしく手をたたく。


 音楽室には、あとはジェイムズしかいない。シロンはいつもどおり姿が見えなかった。公爵たちの機嫌をとるより、恋人との語らいを選択したのだ。


「興奮したら熱くなってきたわ」とジョスリーヌが言うので、ワレスは窓をあけた。

 窓の外はバルコンだ。下をのぞくと黒薔薇が咲いている。背の低い品種がならんでいた。とくに柵などはない。


 上を見ると、窓辺に人影が見えた。しかし、室内の明かりは消えている。


「ワレス。もう一曲、お願い」


 ジョスリーヌが呼びかけてくるので、ワレスはふたたびステージに戻った。

 サミュエルは何やらブリュノの弾ける曲をたずねている。やっと数年前に流行った、まだ新しい曲に決まる。


 ワレスはまた和音であわせるていど。たまに即興で古い曲の知っているフレーズを入れる。

 ヴィオロンのソロの多い曲で、自然にサミュエルがひきたつ。彼の興が乗ってきたころだ。どこからか歌声が聞こえてきた。澄んだソプラノ。高音がよく伸びる。


 誰だろうと思ったが、ワレスはピアノの前から動けない。サッとジェイムズを見ると、うなずいてバルコンへ歩いていった。しかし、首をひねりながら帰ってくる。歌手の姿は見つからなかったようだ。


(令嬢か? いや、でも、令嬢は音楽はヘタなんだったな)


 でも、若い女の声だ。

 しかし、すぐに聞こえなくなった。おそらく、窓をあけたせいで、音楽室の演奏が外までもれた。それにあわせて歌いたくなったのだろう。

 令嬢でないなら、召使いかもしれない。


 演奏が終わると、ギュスタンとジョスリーヌはすっかり満足していた。しかし、急にサミュエルが落ちつかなくなった。


「あの歌声、誰だったのだろう? きれいな声だった。今度はいっしょに演奏してみたい」

「残念だが、姿は見えなかったようだぞ。なぁ、ジェイムズ?」


 ワレスが問うと、ジェイムズはうなずいた。


「そうか……気になる」


 サミュエルは美声の持ちぬしに惹かれたらしい。音楽好きの彼にとっては楽才のある乙女は理想の相手に違いない。


 ワレスはふと、上の階の窓のなかにいたのが、その人物ではないかと思った。若い女。それも室内を暗くしていた。


「この上はテルム公爵家の誰かの部屋ですか?」と、ギュスタンにたずねる。


「いや。このあたりはふだん使っていない客室ばかりだ」

「なるほど」


 客室を掃除する時間ではない。おそらく密会だ。ということは、アドリーヌではないだろうか。今、公爵家のなかで誰かと密会する予定のある若い娘と言えば、アドリーヌしかいない。相手はむろん、シロン。


(アドリーヌか。彼女にはすでに恋人がいる。サミュエルには悪いが、誰かの恋人を奪いとれるとも思えないし、教えないほうが無難だろうな)


 レモンドの花婿探しなのに、その侍女が花婿候補二人をはさんで恋の三角形を描くのは、想像するまでもなく、めんどくさいことになる。


 だが、ワレスの配慮はけっきょく役に立たなかった。

 のちのち、思ったとおり、ややこしいことになったからだ。

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