第二章 過去と現実④

 しばらく遠真の周りから何も音が聞こえなくなる。突然の出来事が頭の中を真っ白にさせて、思考が止まる。目の前の遠真の見た事は現実なのか?

 遠真の身体が急にこれまで出たことのないような汗が滲み出ていた。身を投げ出すのを止めようとした時に出した手をよく見ると、自分の意思ではなく、力も入れてないのに微かに震えている。指が一定のリズムで痙攣し、手から冷や汗のようなものが溢れ出し、手を握る力も出ない程握力が弱くなっている。

 遠真はとにかく後ろを3.4歩下がると、急いで振り返り、その場を後にしようと走り出した。現在も身体中から冷や汗が流れ出し、走った風圧で身体が妙に汗の乾いた後の冷たさを感じる。そして屋上に一つしかない出入り口のドアを開けた。

 すると、いつもと違う光景であることに気づいた。いつもの階段ではなく、そこは丁度学校の一階に存在する、更衣室から見える風景になっていた。

 まだ今の状況を理解できない遠真は後ろを振り返り、自分が出たであろう更衣室の中を見渡す。

 さっきまで屋上にいた筈なのにどうしてだ?頭の中が混乱寸前だったのを振り払い、外に一歩踏み出す。

 やはりいつも体育の授業中にの時によく使用する更衣室からの景色である。ドアを閉めたあと、先程彼女が飛び降りた辺りに向かうため、その場を走り出す。

 とりあえず先程飛び降りた所まで行かなくては!そんな考えと、焦りが遠真の心臓の鼓動を加速させる。思わず息が荒くなっているのを止めようと、心臓あたりに手を当てて落ち着かせる。

 そして屋上から身を投げ出したであろう真下の所にたどり着く。そこにあったのは遠真が向かう際に考えたくもない出来事であり、受け入れたくもない現実だった。

 先程まで屋上のフェンス越しにいた、同級生の女の子に違いない。その子の首元から、大量の生々しくアスファルトに流れ染み渡る赤黒い血液が広がっていた。着用していた制服に血が滲んでおり、うつ伏せのまま乱れた状態の髪に血が混ざりあっていた。

 遠真はその光景が視界に入ると同時に、脳内から今までに味わったことのない脳汁が一気に溢れ出す感覚に襲われる。

 

 『嘘だ…。嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁ!こんなの…悪夢だ…』


 突然遠真の身体が、自分の意思ではなく勝手に動き出し、その場で足がふらつく。思わず自分の動きに思考が追いつかなくなり、無理矢理身体の動きを止めようと右脚を自分の拳で殴り続ける。力が入らない手をひたすらに握り、全力で止めようとする。しかし、脚に痛みだけが走るだけで、妙な動きは止まらない。そして力が一気に抜けて、腰から崩れ落ちる。

 

 『俺が…殺した…?俺のせいで…死んだ…?彼女を‥死なせた‥?』


 『遠真……』


 急に遠真の背後から誰か男性の声が聞こえる。咄嗟のことに頭から冷や汗が急に出だし、後ろを振り向く。

 

 『遠真、お前…この子を自殺に追い込んだのか…。お前は、たった一つの同じ命を奪ったのか…』


 そう訴えるのは、遠真のクラスの担任だった。いつもクラスで見せる朗らかな表情ではなく、殺意と悲壮感を混ざり合わせたような表情が遠真の目に映っている。

 遠真は担任の訴えたその言葉に、自分が何をやってしまったかをもう一度頭の中で蘇らせた。


 −−−俺が、彼女を死なせました−−−


 遠真も頭が回らなくなっていた。だから担任の言うことを鵜呑みにし、自分が彼女を死へと追い込んだと言うのが遠真の思いだった。もはや自分に責任があると勝手に思い込んでいる遠真は、身体を小刻みに震わせながら頭を強く抑えながら深くうずくまる。

 

 『そうか。お前が彼女を…。ならば、お前の罪は許されない。その罪は永遠にお前を縛り続ける。お前のせいさ。一番近くで救いを求めていた人間を、自分の無力さのせいで死なせた。余りにも救いようがない。お前に生きる価値など、もうないんだ…』


 遠真はしばらくうずくまった後、ゆっくりと顔を上げる。そこには、自分の同級生全員自分のクラスの担任で遠真を睨む姿が広がる。

 遠真はその光景から、恐ろしさの余り勝手に叫び出す。腰から崩れた状態でクラスメイトから離れようと後ろに下がる。しかし、遠真の背後に妙な違和感を感じる。遠真の背中に何かがぶつかったのだ。後ろを振り向くとそこには、自分の通う学校の担任全員が立っていた。


 『お前のせいだ…』


 その言葉が遠真の周囲に響き渡る。遠真を囲い出し、逃げ場をなくしていった。飛び降り自殺した彼女の姿が遠真から見えなくなっていき、視界を阻む学校の教員や学生達が遠真を覆い被さるように近づいてくる。


 『お前のせいで、生きるべき人間が死んだ…』


 『お前がこの世にいる資格はない…』


 『自分の過ちを償え‥』


 遠真を囲いながら、呪詛を唱えるかの如く呟き続ける。

 遠真の視界から空が見えなくなっていく。辺りは真っ暗な、光など一切存在しない程の闇に包まれる。


 『ごめんなさい…ごめんなさい…もう、頼むから…やめてくれ!』


 次々と遠真の身体をベタベタと何者かが触っては、髪を引っ張り、脚を蹴って、首を絞められる。何者かにリンチを受け続け、ついには声も出なくなった。声を発しようと試みるも、何かが喉に詰まっている感覚に襲われる。


 『誰がぁぁぁ…助げでぇぇぇぇ!』


 潰れた声が暗闇の中に反響する。意識が朦朧とするなか、平常心を取り戻そうとする。だが遠真はとうとう呼吸もできなくなっていった。そして、静かに目を閉じていく。



 気がついた遠真は、悪夢を見せられていたのだと気づいた。目を開けると、雲ひとつ存在しない青空に緑の森林が視界に見えた。


 『これでわかったか。お前の存在など無価値。誰も救えず、何も出来ずにただ目の前の命さえも奪っていく。それがお前だ。遠真…』


 『……俺は…何も出来ない…。誰にも存在を認められない』


 『そうだ。だからこれ以上この世界に自分の存在価値など求めるな。お前は虚無。いや、それ以下。負の存在なのだ。お前に生きる意味など、この世界にはない…』


 遠真の父親が畳み掛けるように存在否定してきた。

 遠真は仰向けになったまま、いつ出てきたかわからない涙が頬に垂れていくのを感じる。自分の存在する意味。存在価値。目の前の命を救えず死へと追い込んだ絶望感。そして、生きている意味のない自分の中の悲壮感。その全てが内の中に溜まっていく。立ち上がる気力が出ない遠真は、ただその場で涙を一粒、また一粒と流すことしか出来なかった。


 『さぁ、後はお前がこの世界から消えればみんなが平和になる。その為に俺がお前をこの場で殺してやる。お前をこの世に生み出した俺がな』


 その言葉に遠真の手がピクッと動き反応を見せる。


 『黙れよ…』


 『何だと?聞こえないぞ!』


 そして遠真はやっと腹の底から力を込めることが出来た。今、遠真の内から募る思いを全て吐き出した。


 『黙れって言ったんだよ!俺はな!俺はお前らの都合のいいように生きてきたわけじゃねぇんだよ!父さん、何で俺をこの世に生み出した。何のために俺を育てたんだ。どうせ殺すのなら、最初から俺なんかこの世に産むんじゃねぇよ!』


そう言いながら段々と身体に力が入り込むようになる。ゆっくりと上体を起こし、自分を育てた父親を睨みつける。


 『お前の血が通ってる俺は、例えお前に殺されても、永遠にお前の呪いの産物さ。失敗作だ。永遠にお前の人生に纏わりつくんだよ。お前が俺をこんな風にさせた。お前の俺に対する愛情が、俺みたいな世界から見捨てられた人間を作った。だからお前こそ、本当に要らない人間。負の存在だ!』


 『何だと!』


 父親が怒りを露わにし、遠真の元に早歩きで近づいていき、遠真の頭を鷲掴みする。殺意の目をした父親は遠真を睨んだ。


 『お前と言う存在など、本当に産むんじゃなかったなぁ。俺の家族は母さんと遥と鈴香だけだ!お前など今すぐ消してやる!』


 そして遠真に勢いよくフルスイングで平手打ちをした。弾けるような音が森の中に反響する。

 遠真は再び地面に倒れる。しかし、再び上体を起こした遠真は父親の顔を激しく睨んだ。


 『俺はお前らとは違う!俺には、俺にしか出来ないことがちゃんとあるんだ!それは!』


 そして遠真はゆっくりと立ち上がり、父親を殴りたいと言う思いを込めて両腕に力を入れた。すると遠真の身体が金色のオーラに包み込まれ輝く。


 『この世界を救うことだ!』


 『この世界を救う?』


 遠真の身体が妙な光に包まれていることに驚きながらも父親は疑問をぶつけた。


 『あぁ。お前らと違って、誰かを虐げるためじゃない。誰かを陥れるためじゃない。みんなが生きてるこの世界を終末から救うためにある力。クリーチャーから世界を救うための力だ。そのために俺は存在する。俺には存在価値はある!』


 父親は鼻で軽く笑い遇らう。


 『何を訳の分からん事を』


 『そうだろうな。お前らみたいなクソ親にはわからないだろうな。自分達は世界から受け入れられる。自分の存在を認められる。そんな奴と違って、俺は誰にも理解されない。例え世界を救っても、その戦いを知る者はいない。戦いが終われば、破壊されていた街や物は全部元通りになっている。クリーチャーに襲われた人達も皆記憶すらないまま生きている。だから誰にも理解されない。それは、今までの俺の人生と同じだ』


 『どう言う意味だ?』


 『いくら誰かのためにやっても認めてもらえない。俺が成し遂げた結果も、そして努力も。残るのはただの虚無な結末のみ。俺が頑張った成果は誰も理解されない。それは俺が世界を救うために戦っても、みんなからはその戦いすら記憶がない。平穏な時間あるだけが流れる。だが、俺が世界を救ったからみんなが生きていられる。だから俺こそ、世界で一番存在する価値があるんだよ!』


 遠真の熱意は冷めることはなかった。淡々と話す遠真に父親はついて来れない表情だった。


 『テテ!』


 遠真の身体から眩い光が放たれる。そして今いる世界が、段々と浄化されていく。


 『うっ!何だこの光は!』


 『お前らにはない、クリーチャーと戦う力。みんなの世界を救う力だ!』

 

 そして、遠真の視界が真っ白に広がっていった。遠真の意識が段々と浅くなっていった。

 

 

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