第二章 過去と現実③
遠真は意識をゆっくりと取り戻し、さっきの戦いでの疲労が溜まった身体を面倒臭そうに起こす。額を手で強く撫でるようにぐるぐると押すと、多少ぼんやりした視界で辺りを見回す。
遠真の実家に似たその風景を驚きを露に瞬時に首を横に大きく振る。周りが完全に自分の実家の庭だった。
何本もの強く伸び育った森林に囲まれ、聞き覚えのある鳥類の鳴き声が数匹天から響き渡る。馴染みのある湿った地面に倒れていた自分の身体を起こし、身体中の砂を両手でパンパンと払い落とす。
『実家に帰ってきた?』
そして、家の玄関にあたる場所で家族が遊んでいる。そこには、妹二人と父親、母親の姿。みんなの元に向かおうと足を運ぶと、家族全員が遠真を睨んだ。
思わず遠真は足を止め、家族達の顔を眺める。
『父さん、母さん。
父親が遠真に近づいてくる。そして母親がなぜか二人の妹を家に入れようとする。
『遠真。なんでここにいる?』
それはこっちが聞きたいくらいだった。なぜ自分がここにいるのか?わからないが、遠真はそれよりも、なぜみんな自分の姿を見たら非難するような態度なのかが気になった。
『父さん。俺、なんで避けられてるんだよ。家族じゃないのか?』
『家族?お前が?』
えっ?と疑問を投げかける返事で返す遠真。そしてだんだんと距離が近くなってくると、遠真を更に鬼の形相で睨んできた。
『父さん?』
その言葉に父親がなんの返事もせず、ただ静かにその場に立っていた。そして次の瞬間。
バン!
遠真のことを強い拳で殴りかかってきた。今までされたことのない行動と聞いたことのない音が遠真の思考を混乱させる。
『えっ…。父さん?』
そしてまだその場に立っている遠真をもう一度反対の頬に向かって殴った。その勢いで地面に倒れる。
『お前など家族だと認めてない!お前は、昔から何も変わらず、兄としての責務を果たせずに何をやってもダメな人間だ。お前は俺達にとって必要ない人間だ!』
いきなり何を言い出すかと思えば、怒りを込めながら罵倒し、暴言と暴力の嵐だった。
『父さん…。そんな…』
『気安く父さんと呼ばな!このろくでなしが!お前は何も期待できない愚か者。そして意味のない存在。昔から何をやらせても大した事も起こせなくて、妹達にも劣る。俺達は大事に育ててきた全てを、お前は無駄にするような男。恥晒しめ!』
もう遠真はショックのあまり何も喋れず、思考が働かない。遠真がこれまでやってきた事の全てが無意味だと散々罵倒され続ける。
『なぜだ。何故お前は!』
父親の目が、獣が獲物を喰らいつきそうな目になっている。遠真は、こんな父親の顔を見たことがなかった。
『まだ生きているんだ!そしてなぜ目の前に現れてきた。俺達だけじゃない。皆、お前の存在など受け入れることなどない!』
人権否定よりも重い判断が父親の言葉から吐き出される。長々と遠真の耳に、止まらないヘイトの言葉が入り込んでくる。
遠真はもう立ち上がれない程気力を失い、父親の目を合わせられない状態まで追い込まれている。
『そんな酷いこと…』
『酷い?だと!』
そして遠真の胸ぐらを強く掴み顔を近づけ、遠真に強引に目を合わせるように睨んだ。
『だったら!お前は今まで人に認めてもらうような事をしたか?お前がしっかりと実力を成し遂げたと言う功績はあるのか!』
遠真は深く考えたが、思考が回らずにいる。しばらく黙って、父親の意見に対して首を横に振る。
『フン、そうだ。わかってるなら上等。お前は所詮意味のない存在。頑張っても何もできない。他人に認めてもらいたくて無駄に足掻き、それでも結果は出ない。功績の出てる者と自分に劣等感を感じ、自分さえも何者かわからない。挙句の果てに誰かを蹴落とすことが考えられない無能などこまで落ちた。誰もお前の事を素晴らしい人間と認められることのない…』
胸ぐらを離した父親は、冷たい目線で遠真を見下ろす。
『存在価値のない人間なんだ』
遠真は胸に溜まって吐き出せない程の絶望感が身体中に流れ出す重みを受け入れる。身体中の力を抜き、目を閉じた。
『俺は……俺は…。今まで頑張ってきた。家族にも、友達からも、みんなから自分の努力を認めてもらいたくて。みんなのためだと思って頑張ってきた事もあった。自分の感情を殺してでも…、頑張ってきた』
『いや、そんなものない。お前には何もない。家族のため?友達のため?周りはお前の事をただそこにいるだけで、都合のいい時にしか存在を認めてもらえない
遠真の発言を真っ向否定した。
『お前が無価値な存在。いやお前などいなければいいと思う人間は山程いる。その証拠を見るがいい!』
その言葉で俯いていた顔をあげると、風景がガラリと変わっていた。そこは、遠真が通っている高校だった。
場所はいつも昼食を食べている屋上。辺りを見回すとゆっくりと立ち上がり、自分の服装がいつも着ている制服に変わっていることに気づく。
『あれ?父さん?』
そして背後に視線をやると、丁度学校の部活生徒達が使うグランドがフェンス越しに見える所に誰かが立っている。
瞼をじっとうすめながらその人物に視界を集中させる。フェンスの超えた所に立っていて、いかにも足を滑らせると落ちてしまう程細い足場に靴も履かずに立っていた。
遠真はゆっくりとその人に近寄る。そして声を掛けた。
『なぁ!そこ、危ないぞ』
その声に反応して遠真の方をに視線をゆっくりやるのは、校舎の階段ですれ違ったあの同級生だった。
『えっ!あんたは…』
するとその同級生は、風に靡いている髪が顔に絡まっているのをゆっくりと解き、遠真の姿を捉えたあと、両目に涙を零していた。
『遠真君だよね?貴方も私を助けてくれない…』
理解できない発言に一瞬足が止まる。
『何言ってるの?俺が助ける?ねぇ、そこ危ないから』
『誰も私のことなんて助けてくれない!』
遠真はいきなり甲高い声で何か訴える同級生に一瞬体を飛び跳ねると、硬直させた。
『な、なぁ。どうしたんだ?俺にだったら、相談…乗るけど…』
『貴方は学級委員とかやってた癖に、私の事を見捨てた。助けてくれなかった。貴方は私のことをただ苛めの被害者だってだけで見過ごしてた』
苛め?もしかして、階段ですれ違った時に服がやたらと汚れていたのって…。
思考が働き始めた、遠真は彼女の叫びと以前の姿をリンクさせ、やっと理解した。
彼女は学校で苛めに遭っている。しかし遠真は、これまで無理矢理都合のいい時に学級委員や副委員長などをやらされて、仕事など放棄したいくらいだったから何一つ生徒のことなど把握せずにいた。副委員長の時も同じだった。
学校には言葉でなく、本当の『友達』と呼べる人などいなくて、皆自分の事を『
正直、自分も教師からネグレクトに近いものを受けている節はあった。教師も都合のいい時には責任を押し付けられる。そして生徒は教師のいない所で好き勝手やって、備品を壊す、学校のものを盗む、クラス内での陰湿な嫌がらせ、スクールカーストとか言う誰も得しない制度による圧。そんなものが全部学級委員長や副委員長に『責任』と言う形でのしかかってきて、自分を犠牲にしてまで対処しなければならないと言うことだと押し付けられる。それは、そんな『責任』をやたら重視する教師や、それを起こしたりする生徒達からだ。だから無関心でいた。結局どう頑張っても、皆繰り返してしまう。誰かに責任を押し付け合うから自分と向き合わない。その繰り返しだから。自分と向き合おうとする人少しでもいれば、自分の欠点に目を向ける事ができる。それで互いを認め合い問題を解決するべきだと。
そして今、目の前で自ら命を絶とうとする彼女の問題も、自分が目の前で起きている事だから誰よりも重大視されることになっている。
こういう場面はどう声を掛けるべきかわからない。強引に助けようとすれば確実に最悪な結果が訪れるのがほとんどだ。
遠真は何も出来ないまま、その場に立っている。
『なぁ、お願いだからやめてくれないか?』
『どうして?どうして今更止めようとするの?』
どうして?また遠真は思考を巡らせる。
『みんなが怖がる。困るのはあんただけじゃない!あんたのことを一生懸命育ててくれた家族!これまで過ごしてきた同級生!それから…それから…』
わからない。なんと言えばいいか。多分この発言も綺麗事ってやつだ。恐らく今の自分も目の前で死なれたら、自分が原因で飛び降りてしまうからそれを回避するためになんとか綺麗事を言ってるだけ。自分勝手な考えだ。それでは目の前の自殺を止められない。
そう感じた遠真は、言葉を中断させた。でも、そのあと何も言葉が出てこない。
『フン。結局綺麗事なんだ…。それ、みんなが思いつくような綺麗事の台詞と変わらないじゃん』
『いや!この先変わるきっかけがあるかもしれない。今はそれがなんなのかわからない。だからあんたは、それを見つけるために生きるべきだ!』
いや、これも綺麗事に近い。先のことなんて誰もわからない。より相手を混乱させるだけだ。
彼女に寄り添う気持ちがこもってないことがわかる。でもなんとか止めないと…。
遠真は、今そんな事考えているのも自分勝手なことだと悟った。
『じゃあ、私が楽になる方法…他に教えてよ。この今の気持ちをすぐに忘れさせる方法を…』
そんなものない。遠真が思うことはそれくらいしかない。
『ごめん…そんなの、ないよ。俺、あんたのことを考えたくても、わからないんだ』
すると彼女が自分の涙を拭いた。
『そう。そうよ。私も、何もわからないの…。だからこうするしかない』
そして彼女は、遠真の前で自ら手をフェンスから離し、身を投げ出した。
『おい!待って!』
その後、静かに吹き通る風が遠真の横を通り過ぎる音だけが響く。
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