第10話

 洋室は静寂に包まれ神庭、樋口、鈴木の目は武田に向けられていた。神庭は祈るように、樋口は唖然とした様子で、鈴木は驚愕の色を隠せずにいるようだった。三者三様それぞれ異なる反応をみせた。


「………佐藤が憎かったんです。美佐子は俺と付き合ってるのに、そのことを佐藤は知っていたはずなのに俺の目の前で堂々と美佐子を口説き落とそうとしていたんです」


 永遠に続くと思われた静寂は武田の自白によって破られる。


「お前。鈴木と付き合っていたのか……」


「ええ、そうです。それで数日前、大学から帰宅している途中で偶然見てしまったんです。2人がホテルに入って行く姿を」


 鈴木はばつが悪そうに俯き、視線を床に落としていた。


「佐藤が暖炉にくべる薪が少なくなってきたことに気づいた時、これはチャンスだと思いました。その時は外はまだ吹雪いていなかったので僕が佐藤に薪割りにいかないかと声を掛けて、斧の場所を教え、美佐子のことで話があるから先に外に行ってるよう彼に伝えました。いくら広い屋敷の中でも俺達が揉め合うようなことになれば皆さんに気づかれてしまう。だから屋敷の外に連れ出したんです。だけどそこで言い争いから取っ組み合いになってしまって……殺すつもりはなかったんです。ついつい頭に血が上って……我に帰った時にはもう佐藤は死んでいました」


「首を絞めて殺したんだな」


 武田は頷く。


「動かなくなった佐藤のことを部長に報告しようと思って実は一度、屋敷の中に戻ったんです。でもその時、さきほどまで穏やかに降っていたはずの雪が一瞬にして猛吹雪になりました。俺の中で恐ろしい考えが浮かびました。もし佐藤が死んでいたら美佐子に想像絶する恐怖を与えながら殺してやるのも悪くない。1人殺したらあとは数の違いだけですから……」


 佐藤がいなくなったことに気が動転し、屋敷の外に飛び出していったあの時の武田も全て殺人計画のために為していた演技だったのかと思うと神庭は他人のことをこれまでのように掛け値なしに信じることができなくなってしまうような気がした。


「ただそれには斧が必要でした。申し訳ないですけど先輩らはその贄となって頂く予定だったんです」


「回収した斧はみんなが自室に引きこもっている内に佐藤の部屋に持ってきた。そうだな?」


「ええ。用が無い限りはだれも先ほど死んだ人間の部屋に入ろうとは思わないでしょ?遠藤先輩を次の標的にした理由は、遠藤先輩は少し抜けていて、後輩の頼みを断れないタイプのお人でしたから、そこに付け込みました。佐藤の部屋に上手く誘い出してそして……」


「そうやって鈴木以外の全員を殺す。そういう筋書だったわけだ」


「……しかし部長の先ほどの見事な推理に俺の目論見は全て看破されてしまい、今はこうして僕が追い詰められ現在に至るという訳です。少し前まで俺は捕食者側だったのにいつの間にか立場が逆になってしまっている。間抜けな話ですよね」


 くっくっくっと疲れ切った顔をして武田は自らをせせら笑うように自嘲の笑みをその口元に浮かべた。


「俺を殺した後は、具体的にどうすつもりだったんだ?」


 樋口は神妙な面持ちで武田に聞く。


「樋口先輩を殺した後は廊下の洋箪笥の中やどこかに隠れるつもりでした。美佐子の性格からきっと現実逃避をし始めるか、残った部長を犯人だと決めつけ泣き喚くだろうと。そしてあわよくば美佐子が部長を殺してくれればと思いました。そうすれば俺は最後にゆっくり美佐子を辱めることができるんですからね」


「身を守るために習っていたはずの少林拳法を殺人に用い、外道の道へと足を踏み外すとは、お前の師範も親族もさぞ嘆くだろうに……」


「そうですね……特に両親にはもう顔向けできません」


「この人でなし!」


 鈴木が金切り声をあげ彼につめよった。彼の犯行の動機があまりにも稚拙で短絡的だったからだ。痴情のもつれが殺人へ発展するというのはニュースでもよく耳にする。


 彼女がそのことを軽んじていようがいまいが巷では浮気や不倫が引き金となった殺人は山の様にあるのが現実である。彼女にとってはほんの少しの出来心でしてしまった火遊びかもしれないが武田にとってのそれは犯行に至るまでの動機となるには十分だった。


「美佐子。お前の悲痛と恐怖に歪む顔がもっと見たかったよ」


 そう言うと武田は突如、洋室を抜け出した。


「待て!どこに行くんだ!」


 突然のことで呆気に取られた神庭は数秒後にようやく状況を飲みこむことができたのが我に返って武田を追いかけた。樋口もやや遅れて神庭の後ろをついていく。


 しかしロビーに到着した頃には時すでに遅く、武田は2階廊下の手すりを乗り越え身を投げだそうとしているところだった。


「部長。天国と地獄というものが存在するとしたら俺は確実に地獄行きだと思います。でも天国に行ける人間ってこの世にどれだけいるんでしょうかね?」


「待て。早まるな武田」


「おーい美佐子。今から死んでやるから大広間になんか引っ込んでないで見に来いよ。お前が人でなしと罵った相手が死ぬとこ見たくないのか?俺の人生はここで終わりかもしれないけどよ、お前は被害者面した悲劇のヒロインとしてこれから死ぬまで生きていくんだろうなぁ。言っとくけどな。今回の事件はそもそもお前が浮気なんてしなけりゃ起きなかったんだぜ。間接的に皆を殺したのはお前なんだからな。お前が皆を殺したんだ。そのことだけは忘れるんじゃねぇぞ。俺は今からお前のことを呪いながら死んでやる。絶対に許さないからな。亡霊になってでもお前の人生台無しにしてやるよ」


「いやぁぁぁぁぁっ!!!」


 鈴木は悪魔の言葉に耳を塞いだ。怨嗟の念が込められた呪詛の言葉に彼女の心は掻き乱される。


 武田は彼女の悲鳴を聞いて壊れたような笑い声をあげながらと手を大きくまるで羽ばたこうとする鳥のように広げて頭から地面に落下した。ぐしゃりという嫌な音と共に武田の頭部から真っ赤な花が地面に咲く。それは血で彩られたおぞましい花だ。


 武田が絶命する瞬間を目の当たりにしてしまった樋口は神庭の隣で不意に膝を折って嘔吐した。


 どうしてこうなってしまったんだろう。いったいどこで何を間違えてしまったのだろう。神庭にはもう何も分からなくなっていた。何も考えたくなかった。1つだけ分かることといえば楽しくなるはずだった今日というこの日は今後の人生に深い影を落とし続けるということだけ。それはまるで呪いの様に執拗に付き纏い神庭たちの精神を蝕み続けるだろう。


 神庭はゆっくり目を閉じる。


 瞼の裏に現れたのは地獄の業火で身を焦がしながら勝利の高笑いをあげ続ける武田の姿だった。



 終劇。

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