第8講 「こころ」は資源として使うべきではない
「『勝手にやっている』とはどういう意味だ?」
「私は仕事に忠実にやっているだけです」
「そうしなければ、仕事にならないじゃない」
などなど、様々なご意見が返ってきそうで少しばかり恐怖を感じているのですが、何とかご理解いただけるよう、筆舌を尽くしてまいりたいと思いますので、もうしばらく耳を、いや、目をご拝借いただければと思います。
筆者が伝えたいのは、あくまでも「こころ」を資源として提供するようなことは仕事とは言えないということです。
「心を資源として提供する」というのは、わかりやすく言い換えますと、「自分の自尊心に反して、我慢して、そうあるべきという教育や方針に従って、仕事というものとして割り切って行動する」ことを言っているのです。
そうですね、そんなことをやらなくていいならどんなにいいでしょう。
でも、本来仕事というのは、そうであるべきなのです。そんなことをしなくても利益は出るはずですし、もし利益が出ないのであれば、商売として破綻しているというべきです。
企業や経営者たちは、従業員さんたちに「こころ」まで提供させてはいけないと思います。なぜならそれは「無償の資源」だからです。
雇用被雇用の関係はあくまでも対等であり、提供を受けるのは「労働力」です。
「こころ」は「労働力」ではありませんよね。
であるなら、これを提供させるような職場があれば、そこはもう仕事をする場所ではないのです。
ですが、残念なことに、そのような「こころ」を提供させない職場はどんどん減少しています。それは、現在の「商社会」で「言ったもの勝ち」「顧客至上主義」「口答えしないでむしろ謝る接客」「大人な対応」などなど、本当に様々な言葉で表されていることを見れば明らかです。
クレーム対応マニュアルなどがある場合、多くの場合は、「まずは丁重に謝罪しましょう。ただし、それは、商品に瑕疵(不良)があったから謝るのではなく、お手数をおかけしたことに対しての謝罪です」と書かれていることでしょう。
すでにこの時点で、「こころ」の提供を要求しています。
だってそうでしょう? クレームに対応したその方自身に非がないことの方が圧倒的多数なのですから。
そういう意味で正しくは、
「ご連絡ありがとうございます。すぐに事実関係をお調べいたします」が正解と言えるのではないでしょうか。
「謝罪」ではなく「お礼」です。
わざわざお知らせしてくださったことに対していうべき言葉は、ありがとうであるべきです。
ですが、このように教育されている職場は本当に多数なのでしょうか。
そうであってほしいと願うばかりです。
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