第7講 「心の提供」から「心の略奪」へ
CSが行き過ぎた結果、従業員さま方は「心の提供」を求められたと、前に述べました。
繰り返しますが、人の心は経済的には「無料の資源」です。いくら使っても、金銭として換算されることはありません。
労働と報酬というのは、本来つり合いが取れていないといけないのですが、時間や成果というものは金額に置き換えることがある程度可能なものであります。
ところが、「こころ」の方は金額に置き換えることができません。そもそも、経費をかけずに売り上げを上げる方法として考案された、「顧客満足」という「考えと方法論」なのですから、そこに、経費がかかると本末転倒になります。
かくして、労働者様方、ことに広義の意味でのサービス業にかかわる方たちの「こころ」の資源は、無償で利用されていきました。
資源というものは、使われた分補充されなければならないことは容易に想像できるものです。
そうしないと、枯渇してしまうからです。
これは無償の資源「こころ」も同様です。
それでは「こころ」を労働に費やされたならば、これはどうやって補給するのでしょうか。
答えは簡単です。
持っているものから奪うのです。
とはいっても、力づくで奪うわけでも、強制して奪うわけでもありません。なぜなら、そんなことをしなくても提供してくれる人がいるからです。
そうです。他店の店員さんたちです。自身がお客になったときは、相手の従業員さんたちが「提供」してくれるのです。
ですが、これも長くは続きませんでした。
なぜなら、自分が費やしている「こころ」の消費量より、提供してもらえる「こころ」の補給分の方が圧倒的に少ないと感じるからです。
これは、どうしても仕方のないことです。なぜなら、基本的に人間とは「自身の価値」と「他人の価値」を比べてしまうものですし、自分の方が価値が高いと思うものだからです。
むしろ、そうでなくては、人類は存続しえません。
「自己」があってこその「他者」なのです。自分が存在しない世の中において他者の価値は比べることすらできません。なぜなら、比べるべきものさしとなる基準、つまり、「自分」が存在しないのですから。
この論法はいささか乱暴かもしれませんが、すくなくとも、相手に対して同等の価値の提供を求めてしまうのは必然であり、仕方がないことなのです。なぜなら、消費した分補充しなければ、すり減っていってしまい、ついには消失してしまうからです。
そうして、ある場所では「提供者たる労働者」の立場の人が、ひとたび「受給者たるお客さま」の立場になったとき、立場が180度ひっくり返ると、相手に対する対応の仕方もまた、180度変わってしまう可能性が高くなるのは必然のこととなりましょう。
これが現代問題になっている、「カスハラ=カスタマーハラスメント」の根幹にあるものと筆者は考えます。
「自分はいつもこうやって我慢して耐えているのだから、あなたも我慢して耐えなさいよ。それが仕事でしょ」
そういう思いをいだくのは至極自然のことのように思えてきます。
が、
批判や反論を覚悟のうえで敢えて言わせていただきますと、
「そもそもそれは、あなたが勝手にやっていることなのだから、人にそれを強要するのは間違っています」
では、なにがどう間違っているのでしょうか。
次の講ではそのあたりを説明しようと思います。
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