感情を食べて生きている 1話

 人気のない夜の住宅街の路地。


「ぎゃあああああ!」


 若い男性の悲鳴。制服を着た若い女性(氷見谷 結衣)は勢いよく地面に叩きつけられ、その勢いのまま路地を転がり、ぐったりと身を丸める。男性(高橋)は自身の血まみれの右手を抱えながら苦痛に顔を歪め、悲鳴混じりに悪態をついた。蹲っていた氷見谷はゆっくりと高橋の方へ顔を向ける。その口元から鮮血が覗いていた。

 緩慢な動きで上半身を起こそうとする氷見谷。途中で身体を震わせ止まり、奥歯を噛みしめる。再びゆっくりと上半身を起こし、地面に座り込んだ状態になった氷見谷。その彼女の背後の方から、ほの白く発光し炎のように揺れ動く触手が、高橋へ向かって次々と手を伸ばし始めた。


 場面転換。温かな陽気が降り注ぐ校舎の教室。窓際かつ一番後ろの席で蕩けきった顔でこっくりこっくりと船を漕いでいる氷見谷。その頬をむにっと引っ張る指があった。


氷見谷「むぃえ」

清水「次移動だよぉ、氷見谷さん」


 制服をへそ出しコーデに崩した女子生徒(清水 真帆)はにやにやと笑いながら氷見谷の頬をむにむにと揉んだ。


清水「ぜったいさっきの授業寝てたっしょ」

氷見谷「……と、時々は起きてた」

清水「アウトじゃん。ウケる」


 ケラケラと笑う清水と欠伸をしながらもつられて笑う氷見谷。その様子を見て、氷見谷の隣の席に座っている背の高い男子学生(加藤 護)が彼女に問いかけた。


加藤「次でさっきの内容の小テストやるらしいけど大丈夫?」


 細まっていた氷見谷の目がカッと見開かれる。


氷見谷「……ノート見せてもらってもいいですか……?」

清水「どうしようかなぁ」


 楽しそうに悩む仕草をする清水。その隣の席に座っているとても恰幅が良い男子学生(勇上 直人)が振り返り氷見谷に話しかける。


勇上「ガチ寝かよ。具合悪いんか?」

氷見谷「あっごめん違うの! 最近朝にバイト入れてるから、この時間眠くて」

勇上「なんだ」


 姿勢が辛くなってきたため、加藤の机に寄り掛かる勇上。まとめていた教科書でその背中を小突く加藤。


勇上「ぐぇっ」

清水「学校来る前にってこと? すご、なんのバイト?」

氷見谷「漫画喫茶の早番。深夜に入店したお客さんが出る時間だから募集してるんだって」

加藤「なんで早朝バイト? 放課後の方が楽なのに。氷見谷さん部活入ってたっけ」

氷見谷「ううん。放課後も今バイト探してて」


 唖然とする3人。呆気にとられる氷見谷。


清水「なんで?」

氷見谷「お金が足りないから……」

勇上「……なにか手伝えることあるか?」

加藤「俺の昼ご飯食べる?」

氷見谷「えっ」


 3人の様子に戸惑う氷見谷。


氷見谷「あの、推しの舞台見に行くためだから、自分で頑張らないと意味ないかなって……」

勇上「なんだよぉ!」

氷見谷「え!?」

勇上「家の事情とかそういうヤバいやつかと思ったじゃん」

清水「びっくりした」

加藤「……いる?」

氷見谷「なんでそんな話に……」


 ゼリー飲料を差し出そうとする加藤を大丈夫、ありがとうと制す氷見谷。


勇上「舞台ってそんなに金かかんの?」

氷見谷「かかるね。それに次の公演ではグッズ全部買いたくて!」

勇上「熱いねぇ」


氷見谷「だってそれが一番推しのためになる事だし!」


 間


勇上「そうなん?」

氷見谷「うん! 前に違う公演の共演者の人が言ってたの。役者が一番嬉しいのはチケットとグッズが売れる事だって! 今回は新幹線で日帰りしなきゃいけないから、せめていっぱい買わないと」

清水「すごぉ」

加藤「……」

勇上「……氷見谷」


 加藤の机に頭を乗せていた勇上が体勢を変え、自身の椅子に正座し背筋をのばす。その様子を見て、氷見谷は思わず姿勢を正す。


勇上「なんか違くない!? そりゃなんか色々あるんだろうけどさ、一番嬉しいは違うだろ!」

氷見谷「えーっ!? だってお客さんに言ってたよ!?」

勇上「マジかよ……役者さんの世界怖すぎねぇ……!?」

清水「加藤くんはどう思う?」

加藤「いや舞台の事とか何も知らないし」


 そう言った加藤だが、逡巡の後にぼそりと付け加えた。


加藤「推しの人に直接聞いた方が良いんじゃない? その共演者の人と推しの人は違う人間なわけだし」

氷見谷「うーん……」


 戸惑う氷見谷。しばし考え込んだのち、それを振り切るように言った。


氷見谷「なんにせよ、公演観に行くお金は稼がなきゃいけないし! グッズはちょっとでも買いたいし! とりあえず今はバイトを頑張って……」

八宮「ほう」


 氷見谷がギョッとして視線を向けると、氷見谷の席から少し離れた場所に教師の八宮が立っていた。八宮はバチンと抱えているバインダーをペンで弾いた。


八宮「そのためなら学業を疎かにしても良いと。良いご身分だ」

氷見谷「そ、そういう意味で言ったんじゃ……!」


 思わず立ち上がる氷見谷。


八宮「ではどういう意味で言ったんだ? 言ってみろ」

氷見谷「……」

八宮「氷見谷。お前は特に奨学金などを受けておらず、授業料や学校納付金、教科書や文具、制服や通学費用はご両親から支払われているはずだが間違いは無いか」

氷見谷「……間違ってないです」

八宮「お前がこの学校に通うことによってかかる数百万円と、その公演とやらにかかる数万円。どちらを優先するべきかよく考える事だな」


 バチンと再びバインダーを弾き踵を返そうとする八宮だが、清水の服装に目を留め、眉を顰める。


八宮「……清水」

清水「なんですか~? 私真面目に授業受けてますけど」

八宮「……体調を崩さんように」


 苦々し気な表情で背を向け、教室を後にする八宮。姿が見えなくなったのを見計らい、清水が唇を尖らせる。


清水「あの言い方無くない?」

勇上「間違った事言ってるわけではねぇけどな」

清水「言い方の話!」

加藤「まぁ、ドンマイ」

氷見谷「……」

加藤「……別に公演を諦める必要は無いと思う。観に行きたいんでしょ? そのために真っ当に頑張ってるんだし、授業も普通に受けて胸張って行ってきなよ」

清水「簡単に言う~」

勇上「まぁ、それ出来ればヤミセンも文句言えんだろ」

清水「そうだけどぉ」

氷見谷「……うん。私、どっちも頑張る!」


 自身の両頬をバチンと叩く氷見谷。


 場面転換。翌朝。朝日が差し込む氷見谷の自室。8時を示すスマホ。ベッドの上で青ざめる氷見谷。


氷見谷「あのっお疲れ様です氷見谷です! すいません、私寝坊して……!」


 氷見谷は慌ててスマホでバイト先に電話する。その後、教室の机に突っ伏して沈みきった氷見谷。3人が心配げに声をかけているが、氷見谷の耳には入っていない。氷見谷の脳裏に「深夜帯の高橋くんに残ってもらったから、今日はいいよ。次からは気を付けてね。」と言う社員の顔が浮かび苦悶の表情を浮かべ、大きいため息が漏れる。


 場面転換。翌日の早朝。氷見谷のバイト先であるネットカフェ。店内とカーテンで区切られており雑然としているバックヤード内の机に、立ったまま手をついてしんどそうに俯いている高橋。そこにネットカフェの制服を着た氷見谷が恐る恐るといった様子でカーテンをくぐり、入ってくる。


氷見谷「あ、あの、高橋さん」

高橋「……」


 億劫そうに顔を上げ、氷見谷を見る高橋。氷見谷は高橋に頭を下げた。


氷見谷「昨日はすいませんでした! 高橋さんが代わりに残ってくださったって聞いて……」

高橋「……別に。具合悪かったんでしょ」


 高橋は大きなため息をついて、壁にかけられた清掃のチェック表が挟まったバインダーに手を伸ばした。


氷見谷「あっいえ、普通に寝坊で」

高橋「……へぇ。俺が寝る間を削って代わってやってるあいだに君はのうのうと眠ってたんだ?いいねぇ高校生は気楽で!」


 高橋がバインダーを取り落とす。バインダーが床に落ちバシンと音が鳴ると、氷見谷は息を飲み込んだ。


高橋「どうせ遊ぶ金欲しさでやってんでしょ? でもバイトとして働いてる以上、きちんとしなきゃいけないんじゃないの? あ、困ったときには親に泣きつけば良いか。高校生だもんな!」

氷見谷「そ、そんなこと思ってな……」

高橋「じゃあなんで寝坊なんかしたんだよ!」


 拾い上げたバインダーを机に叩きつける高橋。大きな音が鳴り、氷見谷は身を竦ませる。


氷見谷「ごめんなさい……」

高橋「そんなに適当な気持ちで仕事されても迷惑なんだよ!」

氷見谷「も、申し訳ありません……」

高橋「謝って済む問題じゃないんだけど。俺の事馬鹿にしてんの?」

氷見谷「いえ、ちがっ……」

加藤「あの」


 カーテンの向こうから声がかかり、それを捲って加藤がバックヤードを覗き込んだ。思わず振り返る氷見谷の目には涙が浮かんでいた。


加藤「なんか凄い音したんですけど、大丈夫ですか? 店の中にまで響いてましたけど」


 加藤は氷見谷がいることに気づき目を見開くが、特に言及せずに高橋に話しかける。が、高橋は険呑な表情で加藤を睨みつけた。


高橋「こちらはスタッフ以外立ち入りをご遠慮いただいてます。店内にお戻りください」

加藤「だって本当にでかい音だったから。寝てる客もいるだろうし、やめてもらえませんか」

高橋「おい、おい! 盗ろうってのか? 俺が食ってんだぞ!」

加藤「エジンが集まってくるって言ってんのが分かんないんすか? 困るのアンタだよ」

高橋「……」


 据わった目で加藤を睨む高橋。張り詰めた空気のなか、カーテンがめくられ店長が顔を覗かせた。


藤敦「あれ? お客様、いかがなさいましたか?」

加藤「ちょっと漫画の場所分からないのがあって。入っちゃってすいません」

藤敦「そうでしたか! じゃあ、氷見谷さん案内お願いしていい? 高橋君は時間だから、もう上がっちゃって」

氷見谷「は、はい」

高橋「……お疲れ様でした」


 踵を返す高橋。氷見谷はバックヤードを出て本棚へ加藤を案内する。場所を指し示すと、加藤は何事もなかったかのような様子で漫画を手に取った。


氷見谷「……加藤くんで良いんだよね?」

加藤「ここでバイトしてたんだね。知らなかった」

氷見谷「うん。なんでこんな朝早くに?」

加藤「あー……。漫画いっぱいあるし、時々この時間に来て読んでるんだ」

氷見谷「そうなんだ」


 沈黙


氷見谷「ありがとう」

加藤「別に。お礼言われる筋合い無いよ」

氷見谷「それでも、ありがとう」

加藤「……まぁいいけど。8時上がり? どうせだし一緒に学校行く?」

氷見谷「あ、うん。じゃあバイト終わったら声かけに行くね」

加藤「りょーかい」


 手頃な漫画を手に取り、パラパラとページをめくる加藤。そんな加藤を氷見谷はじーっと見つめた。


氷見谷「エジンってなに?」

加藤「そんな事言ったっけ、俺?」

氷見谷「言ってた。エジンにバレたらどうこうって」

加藤「……まぁ、気にしなくて良いんじゃない?」

氷見谷「言いたくない?」

加藤「……」

氷見谷「じゃあいいや、自分で調べよ」

加藤「うーーーーーーーーんそれは……」


 悩む加藤を見守る氷見谷。加藤は渋々といった様子で口を開いた。


加藤「方言だよ。俺とあの人は、まぁ、同郷みたいな感じでさ。地元の人以外のことを『エジン』って言うんだよ。沖縄で本州の人のことを『ないちゃー』っていうのと同じ」

氷見谷「へぇー。……じゃあ食ってるとかって言ってたのは?」

加藤「……それは、わかんないなぁ」


 加藤を見つめ続ける氷見谷と彼女と目を合わせようとしない加藤。


加藤「これ読んだことある?」


 手元の漫画を差す加藤に、氷見谷は不満そうに顔を顰めた。


 場面転換。数日後の早朝。バイトの制服を着て氷見谷がバックヤードに入ると、私服の高橋が椅子に座っていた。


氷見谷「なんで……今日シフト入ってなかったのに……!」


 身を竦ませる氷見谷。バックヤードに入ってきた氷見谷に気づいた高橋は慌てて立ち上がり、直角に深々と頭を下げた。



高橋「氷見谷さん、この前は酷いことを言って本当にすいませんでした!」

氷見谷「!?」

高橋「あの時俺就活ボロボロでイライラしてて、いや、だからって君に暴言吐いて良いわけはないから許してもらえなくて当然なんだけど、余裕なくて氷見谷さんに八つ当たりした。本当、申し訳ありませんでした」

氷見谷「い、いや、元々私が寝坊しちゃったのが悪いので……!」

高橋「寝坊で言って良い限度超えてたから……!」

氷見谷「もう頭上げてください!」


 慌てふためく氷見谷だが、ふと思い付き高橋に話しかける。


氷見谷「そ、それじゃあ許しますから、質問してもいいですか?」

高橋「もちろん。俺に答えれるなら何でも」

氷見谷「じゃあ……加藤君が言ってた『エジン』ってどういう意味ですか?」


 高橋は目を見開き、逡巡する。氷見谷がそのまま返事を待っていると、高橋はあぁ、と納得したように声を漏らした。


高橋「答えられるけど、説明が長くなるから今からは無理かな。今日の放課後、改めてでもいい?」

氷見谷「……! はい!」


 場面転換。教室。日中、高橋の話が気になり全てに上の空の氷見谷。勇上と清水がどうしたんだろうと言い合っている隣で、加藤は気にしながらも特に声をかけることは無かった。

 放課後、街中のファミレス。端の席に私服の高橋と制服姿の氷見谷が座っている。


高橋「ごめんね、端っこで。あまり人に聞かれたくない話だから。怖かったらすぐ店員呼んでいいから」

氷見谷「大丈夫です」


 店員呼び出しスイッチを氷見谷の方に寄せると、高橋はしばし顔を覆った。


氷見谷「だ、大丈夫ですか……?」

高橋「うん……」


 高橋は大きく息を吐き、覚悟を決めたように氷見谷に向き直る。思わず背筋を伸ばす氷見谷。


高橋「『エジン』っていうのは、餌の人って書く。それで餌人」

氷見谷「餌人……」

高橋「その餌人が誰の事をさすか。……君達人間だ。」


 表情を強張らせる氷見谷。


氷見谷「……漫画の話ですか?」

高橋「その認識で終わってくれるなら、俺めっちゃ助かるんだけどね」


 「白目が真っ黒になったり?」「あれ面白いよね」などと話しながらも緊張感が切れない2人。


高橋「俺達は『粧人』。君達人間の感情を食べて生きている、人ではない生き物なんだ」

氷見谷「人間じゃない……?」


 高橋を頭の先からじっと観察する氷見谷。


高橋「君達には見分けつかないと思うよ。より多く身近に栄養源を確保するために進化したから。口以外は人間とほぼ同じ身体をしてるんだ」

氷見谷「口……」


 高橋の口を注視する氷見谷。その視線に気づいた高橋は笑った。


高橋「こっち」


 自身の背後を指さす高橋。指さされた先に視線を移す氷見谷。


高橋「人によって形が違うけれど、背中から触手みたいなのが生えてるんだ。それが俺達の口。君達人間はどんな時もその身体から、俺達の食料であるエネルギーを発してるんだ。なんにもない時は身体を薄く覆うくらいだけど、感情が強くなるにつれ上半身を中心に濃く強く立ち上る。俺達はそれに触手を伸ばして取り込んでいるってわけ」

氷見谷「……ってことは、あの時高橋さんは私の感情を食べてたってことですか?」


 高橋に怒鳴られた時の事を思い返す氷見谷。言われた高橋は頭を抱える。


高橋「本当にごめん、ちょっとタイミングが良く……いや、悪くて、腹減ってて……。気持ち悪いよな、ダサすぎる俺……」

氷見谷「いや、どういう気持ちになればいいのか分かってないです……。今も食べてるんですか?」

高橋「……食べないように頑張ッテマス」


 じっと高橋の背後に目を眇める氷見谷。


氷見谷「……何も見えないです」

高橋「粧人じゃないと見えないし、触れないからね」


 「いいですか?」と手を伸ばす氷見谷に「いいよ」と答え身を捩って背中を見せる高橋。2人で人目を気にしつつ、高橋の背中をわさわさと触る氷見谷。ひとしきり触った後、自身の手を不思議そうに見て、ここらへんか?と自分の周りのエネルギーに触ろうと空を掻く氷見谷を見て高橋は思わず吹き出した。


氷見谷「えっなんですか!?」

高橋「こんな話を信じてくれようとしてるのが嬉しくて」

氷見谷「もしかして嘘ですか!?」

高橋「ちがうちがう! でも君たちにとっては信じられない話でしょ? 証拠も出せないしさ。なんなら『まだ中二病やってんのか』って笑われてもおかしくないし、狂人扱いが関の山。それなのに事実として受け入れてくれたのが、嬉しくて。ありがとう、氷見谷さん」


 鼻の頭が少し赤くなっている高橋に驚く氷見谷。泣かないでください!とあわあわする氷見谷の様子に、高橋はさらに吹き出した。


 場面転換。翌日の学校。教室で氷見谷は小声で加藤に話しかけた。


氷見谷「ねぇ、加藤くんの背中の口はどんな形してるの?」

加藤「っ!? なんで知って……!」


 大声を間一髪で飲み込む加藤。その反応に呆気に取られている氷見谷の腕を加藤は掴み、人気の無い場所へ連れ出した。


氷見谷「ごめん、もしかしてそういうの訊くのってデリカシー無かった?」

加藤「なんで知ってるの。どこで調べた?」

氷見谷「あー、えっと、色々……図書館とか……」

加藤「嘘だよね? どうやって知った? どこまで知ってんの?」

氷見谷「待って! 別に私、粧人のこと言いふらしたりするつもり無いから! 本当に! ただ興味本位で……」


 慌てて弁明する氷見谷をじっと見る加藤。深くため息をつくと氷見谷の腕を離し、ガシガシと乱暴に自身の頭を掻く加藤。そんな様子を見て、氷見谷は腑に落ちたように呟いた。


氷見谷「やっぱり粧人って本当なんだ……」


 思わず目を見開き、氷見谷を見る加藤。


氷見谷「暴露したりしないから! 正直聞いた時は半信半疑だったけど、本当にいるんだったらそうなんだってだけ。どうせ私は感情食べれないし、気にせずどうぞどうぞ! でも粧人のこと全然知らないから、色々聞かせてもらえると……」

加藤「そんなに面白い?」

氷見谷「えっ?」

加藤「理解甘いんじゃないの。俺達は人間のふりした化物だよ。素知らぬ顔でアンタ達を食い物にしてる人外。その正体を知ってる人間が現れたら、俺達が身を守るためにどうするか、想像できるでしょ」


 冷たい表情で氷見谷を見下ろす加藤。思わず息がつまる氷見谷を見ると、加藤は踵を返した。


加藤「これ以上深入りしないで、忘れなよ。それが一番平和なんだから」

氷見谷「……」


 去っていく加藤の背中を納得できないとでも言いたそうな表情で見送る氷見谷。氷見谷の脳裏に鼻を赤らめた高橋の顔が浮かぶ。


氷見谷「……」


 場面転換。その日以降、高橋と何度も会う氷見谷。「つまみ食いし放題なのは楽ですね」「そうでもないよ」と話したり、人ごみの中で「この中にいます?」と訊いたり、高橋に触手のスケッチをしてもらったりする氷見谷。学校生活も問題無く楽しそうに過ごし、粧人の事を口には出さないものの、加藤とも普通にやり取りするようになる。

 が、次第に高橋はわざと大きな音を立てて物を落としたり、時折乱暴な仕草を見せるようになる。親し気で協力的な態度は変えないまま、時折氷見谷を恐怖させる行動をするようになる高橋に違和感を感じつつも、表向きの態度は変わらないため呼ばれたら会い、会話もする氷見谷。しかし、だんだんと高橋のいない学校生活や家の中でも物音や人の姿に恐怖するようになってしまう。


 場面転換。教室。


清水「氷見谷さん、なんかあった?」

勇上「最近変じゃね?」

氷見谷「ううん、なんでもないよ」


 スマホに通知が入り、高橋の名前が表示されるのを見て身体が強張る氷見谷。そんな氷見谷を無言で見つめる加藤。


加藤「……」


 場面転換。その日の日暮れ。高橋を怖がりつつも、表面上は何でもないように装う氷見谷。高橋がふと時間を確認し、言う。


高橋「遅くなっちゃったね。気づかなくてごめん。氷見谷さんといると楽しくて」

氷見谷「あっ、じゃあ帰りますね」

高橋「家まで送るよ」

氷見谷「いえ!そんなっ」

高橋「え?」

氷見谷「……っ」


 顔を強張らせ目を逸らす氷見谷と顔を綻ばせる高橋。そのまま帰路に就き、自宅までもうすぐという所になり氷見谷は意を決したように高橋に言った。


氷見谷「ここまでで大丈夫です! もう家すぐ近くなので。送ってもらっちゃってすいません」

高橋「そう? じゃあここで」


 ほっとする氷見谷に、高橋が話しかける。


高橋「……代わりに、聞いてほしいことがあるんだけど良いかな」

氷見谷「あ、はい。なんですか?」

高橋「俺、氷見谷さんのこと好きなんだ」

氷見谷「……え?」


 虚を突かれぽかんとしてしまう氷見谷。


高橋「会うたびに、なんていい子なんだって思ったよ。八つ当たりした俺のことを気遣って許してくれて、正体を知っても引かないで、むしろ好奇心旺盛に色々聞いてきてくれて、優しくて可愛い魅力的な子」

氷見谷「そ、そんな!」

高橋「それに、忘れられないんだ」


 混乱と羞恥で動揺している氷見谷を、突然乱暴に路地の壁に叩きつける高橋。そのまま殴りかかるように腕を振り上げる高橋に、氷見谷は恐怖で固まった。


高橋「あぁ、美味しい」


 恍惚とした表情で氷見谷を見つめる高橋。そんな高橋に氷見谷の目は釘付けになっていた。


高橋「そう、この味だ。どいつもこいつも浮かれた味を押し付けてきやがって! 防ぐことも、吐き出すことも出来ない地獄の中で、君のこの甘さが俺を救ってくれた! その後も、君は何回も俺を救ってくれた。食べさせてくれた。俺の事を受け入れてくれた。ねえ、なんでもしてあげる。君に苦労させないって誓う。だからこれからも俺に食べさせて。ずっと、毎日、永遠に。俺を怖がって。ずっとそばにいて。ねぇ、結婚しよう、氷見谷さん」

氷見谷「……」


 縋りつくように氷見谷に迫る高橋と、顔を伏せる氷見谷。


氷見谷「……高橋さんには感謝してます。迷惑かけたのは事実だし、高橋さんがいなきゃ餌人の意味も、粧人のことも知らないままだった。どんなにズケズケ質問しても、嫌な顔一つせずに答えてくれた。高橋さんもいい人です」

高橋「ねぇ、違うんだけど。俺が欲しいのはその味じゃない。戻してよ、氷見谷さん」

氷見谷「でも私は、高橋さんが求めるような関係にはなれません。ごめんなさい」

高橋「甘くなくなっちゃった……なんで、どうして取り上げるんだよ。俺の幸せを返して。怖がれよ、なぁ、ほんとに殴っても良いのか!?」

氷見谷「っ……プロポーズなんだから、怖い以外の私の気持ちも美味しく受け止める気概見せたらどうですか!」


 キッと高橋を睨みつける氷見谷。それを聞いた瞬間、高橋は彼女の顔を強くつかみ、掌で口を塞いだ。


高橋「じゃあ殺す。せめてたくさん怖がって死ね」(もういい。殺す。せいぜい怖がって死ね)


 そのまま氷見谷の首に手をかけようとする高橋に、氷見谷は自身の口を塞いでいる高橋の掌に噛みついた。高橋は悲鳴を上げ氷見谷を振り払おうとするが、氷見谷も必死に食らいつく。ギジッっと歯が皮膚を切り裂くと、高橋は叫びながら氷見谷の頭を殴り飛ばした。吹き飛ばされ、路上に倒れこむ氷見谷の口から高橋の血が覗く。目を開けた氷見谷の視界にうつるアスファルトとその先で血が滴る手を抱える高橋の姿。上半身を起こそうとする氷見谷だが、身体に走る痛みに思わず唾を飲み込む。やっとのことで上半身を起こし、地面に座った状態になる氷見谷、その目に、夜空や外灯よりもっと近くを、ほのかに発光する半透明の触手のような物が自身を覆うように背後から靡いているのが映る。


氷見谷「あ……」


 禍々しくも美しくも見えるそれに息をのむ氷見谷。その元を辿ろうと見上げて、後ろへ体重をかけた瞬間痛みが走る。そのまま後ろに倒れかけた氷見谷の背を支えるように、手が置かれた。振り返ると、加藤が高橋を睨みつけながら氷見谷の身体を支えており、自身の上を流れる触手も彼の背中から生えているようだった。


高橋「お前っ……また盗りに来やがって! 離れろ! 俺が食うんだ!」


 激昂する高橋。彼の背中にも形状は違えど似たような発光する触手が生えていた。掌の痛みに顔を歪めながらも怒鳴る高橋を加藤はじとーっと見つめたあと、ため息をついた。


加藤「……大変なんだろうけど、やっちゃいけない事はやっちゃいけないでしょ」


 氷見谷から離れ、高橋の方へゆっくり歩き始める加藤。たなびく加藤の触手が大きく蠢き、高橋がたじろぐ。


加藤「しばらく絶食の刑」


 高橋は叫び、加藤に殴りかかる。加藤は4足獣のように姿勢を低くすると、加藤の触手が高橋の方へ勢いよく伸び、彼の触手を絡めとった。加藤の触手を振り払うように自身の触手と腕を振り回しながら加藤に向かっていく高橋。が、次々と加藤の触手に自身のものを切り裂かれ、悲鳴をあげる。引き裂かれた触手の端は煙のように夜闇に溶けていく。遂に加藤の元に辿り着き、動きが緩慢になりながらも加藤に拳を突き出す高橋。しかし加藤の拳が顎に入り、彼の身体は脱力し、地面に倒れこんだ。そしてしだいに2人の触手は氷見谷の視界から薄れて消えていった。


氷見谷「……」


 加藤は座り込んだままの氷見谷の方へ歩み寄り手を差し出そうとするが、氷見谷の身体がビクッと震えたのを見ると思いとどまり、倒れた高橋の所へ戻る。高橋を覗き込む自身を氷見谷が見ているのに気づくと加藤は振り返り、薄く笑いながら言った。


加藤「怖いでしょ」

氷見谷「……」

加藤「だから言ったじゃん。深入りすんなって」


 倒れた高橋を背負う加藤。


加藤「この人はしばらく入院だし、もう姿現さないようにさせる。だから、まだ間に合うよ。忘れるの」


 氷見谷が返事する前に、高橋を背負ったまま夜道を歩き去る加藤。氷見谷はしばし呆然とした後、立ち上がる。制服をパシパシとはたき砂利を落とし、口元を手の甲で拭った。そこには高橋の血が付着し、氷見谷はそれをじっと見つめた。


 場面転換。夜の駅前から繁華街。まだ賑わいがあるそこを一望できる片隅のベンチに座る氷見谷。ゆっくりと周りを見回し、そして自身の手の甲に視線を落とす。そこに残る血の跡を彼女はぺろりと舐め、その味に顔を顰めながら飲み下す。そして再び視線を上げると、目の前を行き交う人の中に加藤や高橋のように背中から触手を生やした者が数人、人と全く変わらない様子でいるのが見えた。


 場面転換、翌朝の学校。朝早くから校門の前に立ち、きょろきょろと登校する生徒の中で加藤を探す氷見谷。加藤は遠くからそれに気づき、別の所から忍び込むように学校に入った。氷見谷がSHRギリギリに教室に駆け込むと、既に着席している加藤。声をかけようとするが、教室に教師が入ってきてしまったため、何も言えず席に着く。授業が終わった瞬間、加藤に話しかけようとする氷見谷だが、加藤はすぐに席を立ち教室を出て行って姿を消してしまう。


 場面転換。体育の授業中に清水がこっそりと加藤に話しかける。


清水「ねぇ、話があるんだけど放課後時間ある?」

加藤「なに?」

清水「詳しい話は今無理」

加藤「……分かった」


 放課後、氷見谷を撒き清水が指定した場所に来る加藤。清水の姿は無く、途方に暮れていると氷見谷が姿を現した。


加藤「……!」

氷見谷「ごめん! どうしても話したくて……」

加藤「……ドMなの?」

氷見谷「へっ?」

加藤「じゃなきゃ馬鹿か無神経なのか、頭がおかしいのか。あんな目に合ってさ」

氷見谷「……そうかもしれないけど! でも、加藤君だって忘れろって言っといて避けようとするしおかしいじゃない!」

加藤「だってそっちが……」

氷見谷「忘れられる訳ないじゃん! すごく痛かったし、怖かったし。でも私は知ったことを後悔してない。それに、加藤君の事はまだぜんぜん何も知らないから……!」

加藤「また痛い目に会うよ」

氷見谷「分からないよ、そんなの」

加藤「俺は化物だよ。あの人と同じ、人を喰いものにしている人外だ」

氷見谷「加藤くんと高橋さんは違う人でしょ!」

加藤「同じだよ、あの人殴ったのも見てたでしょ」

氷見谷「それは……でも、それは加藤くんが私の事を助けるためにしてくれたことで」

加藤「大義名分があれば暴力振るってもいいって?」

氷見谷「そういう事じゃない! 高橋さんは味覚を満足させたいからで、加藤くんとは」

加藤「俺もそうかもしれないよ、なんで分かるの。粧人でもないのに」

氷見谷「――――――――――っ!」


氷見谷「そうだよ、わかんないよ! それでも私はあの時助けられたから、加藤くんと高橋さんは違うと感じてるの! だから高橋さんとはもう会いたくないけど、加藤くんとはこれからも友だちでいたい、知っていきたい!」

加藤「……」

氷見谷「もし加藤くんの言った通りだとしても、次に出会うひとはそうじゃないかもしれない。粧人のひと全員がそうだと思わないでいたい! それっておかしいこと!?」

加藤「……それ、は」

八宮「おい、大声が聞こえたがトラブルか?」


 八宮が現れると氷見谷は慌てて居住まいを正す。


氷見谷「いえっ! なんでもないです!」

八宮「本当か?」

氷見谷「はいっ!」

加藤「はい……」

八宮「……まぁいい。最近は居眠りもしていないようだからな、そのまま健全な学生生活を送るように。いいな」

氷見谷「はい!」


 バシッとバインダーをペンで弾く音に氷見谷の肩がビクリと跳ねる。その場を去る八宮を黙って見送る2人。沈黙ののち、加藤がぽつりとつぶやく。


加藤「あれなんなんだろうね。バシバシバシバシ」

氷見谷「……たしかに。……実は八宮先生、こう、音でビクッとしている時に出てる感情を美味しく食べてる粧人さんとか……?」

加藤「違うよ」

氷見谷「違うんだ」

加藤「安心した?」

氷見谷「……分からない。どんな感情の味してる?」

加藤「言わない方が面白そうだから言わないでおく」

氷見谷「面白そう!?」

加藤「あと、これからは粧人か餌人か答えないからそのつもりで」

氷見谷「……わかった!」

加藤「……楽しそうで何より」

氷見谷「うん!」


 遠くから2人の様子を伺っている勇上と清水に気づき、そちらに歩き始める氷見谷と加藤。


清水「終わった? ならいっしょに帰ろ!」

氷見谷「うん、帰ろ!」

勇上「告白? 告白だったん? OKした?」

加藤「うっざ」

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私達は感情を食べて生きている 春夏冬 しゅう @dragonfly_autumn

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