第32話
こんなことは質問することじゃないかもしれない。
そう思いながらも、聞いてしまった。
だって、明日からの私達はもうなんの接点もないただの他人になってしまうんだから。
そう考えると毎日学校で会える先生と生徒はなんて羨ましい関係なんだろうと、思えてしまう。
それはそれで苦しい恋愛になるとわかっているのに、つい自分の理像を想像してしまう私はきっとまだ恋愛初心者だからだ。
「それは……初めて君に会った時、なんてキレイな子なんだろうと思って」
「え?」
予想外の言葉に私は驚き、そして絶句した。
「つい見とれていたら、言いそびれて……」
佳太くんはバツが悪そうに頭をかく。
「そ、それ、冗談ですよね? あ、あはは。先生ってそういう冗談も言えるんだ」
だから生徒に囲まれるくらいの人気者なんだなと思った時「違う!!」と、大きな声で否定された。
また驚いて佳太くんを見ると、その頬が真っ赤に染まっていることに気がついた。
そんな態度をとられたら、私は勘違いしてしまう。
佳太くんは本当に私のことが好きで、それで近づいてくれたんじゃないかと思ってしまう。
だって私は恋愛初心者だ。
ちゃんと言ってくれないとわからなくて、勝手に傷ついて勝手に期待して勝手に落ち込んだりもしてしまう。
「途中で何度も教育実習生だって言おうと思った。だけど、それを伝えると君の態度が変わるんじゃないかと思って、怖くて、それで言えなかったんだ」
今までの気持ちを吐き出すように伝えてくれる佳太くん。
その声は真剣そのもので、私には嘘をついているようには見えなかった。
信じていいの?
先生のその言葉を、私は信じちゃうよ?
「私をA組へ戻すことで株が上がるって言われた」
坂下さんに言われたことをそのまま口に出してみた。
こんな試すような言い方をするなんて可愛くないってわかってる。
だけどこれは聞かなきゃいけないことでもあった。
「それは、確かにそうなんだ。生徒の悩みを聞いてちゃんと教室へ通えるようになったら、どんな先生の株だって上がる」
佳太くんはごまかさず、ちゃんとそう言ってくれた。
「だけど断言する。俺はそのために矢沢さんに近づいたわけじゃないってこと。教師とか生徒とか関係なくて、ただ1人の男として矢沢さんのことが好きだから、会いに行っていたこと」
佳太くんの言葉がジワジワと胸に広がっていって、それは涙腺を伝って涙となって流れ出してきた。
「でも結果的に君をすごく傷つけることになった。本当にごめん」
佳太くんの指先が私の涙を拭う。
「あの、キスは?」
背の高い佳太くん相手に上目使いになって聞くと佳太くんの顔はまた真っ赤にそまった。
「それは、その……弱っている矢沢さんが可愛くて、つい、我慢できなくて」
ごにょごにょと言葉を濁しながら言う佳太くんの顔を覗き込む。
彼の顔を見たい。
どんな顔で、どんな表情をしているのか、雰囲気や声だけじゃなくて、ちゃんと見たいと思った。
それでもやっぱりその顔を認識することができなくて、もどかしい気持ちになる。
「そんなに見るなよ」
佳太くんは視線をそらしてそっぽを向いてしまった。
私の涙はいつの間にか引っ込んでいる。
「ここまで言ったら俺の気持ちわかってくれた?」
私は首をかしげる。
「先生、私人を好きになったことって初めてなんです。もう知っていると思いますけど、小学校の頃に事故似合って、後遺症が残って。それから人を好きになることってなくて、だから、ちゃんと全部言葉にしてもらわないと、わからないんです」
私の催促に気がついた佳太くんが困ったように首をかしげている。
「わかったちゃんと告白する」
佳太くんはそう言うと、少し下がって私の両肩に手を置いた。
そのお起きた手のひらのぬくもりにドキドキしてしまう。
「矢沢知奈さん、俺と付き合ってください」
真剣な声。
真面目で真っ直ぐで濁りがなくて、信用できる声。
私はニッコリと微笑んだ。
「はい」
頷いた私はそのまま抱き寄せられて、そして唇に柔らかさとぬくもりを感じた。
2度めのキスは優しさと幸福に満ちていて、私はまたこっそりと、泣いたのだった。
☆☆☆
「娘さんとお付き合いさせてください!」
公園でのロマンチックな告白の後、私達は家に戻ってきていた。
物語の中ならキスシーンで終わりかもしれないけれど、これは現実でキス以降もちゃんと時間は進んでいく。
ついでに行くと、私達は両親に何も告げずに朝っぱらから家を出てしまった身だ。
リビングには腕組みをして険しい顔をしているお父さん。
その隣にはニコニコと微笑んで上機嫌なお母さんがいる。
そして私の佳太くんは隣同士に座り、頭を下げていた。
まるで結婚挨拶みたいだと思ってちょっとおもしろい。
「君は教育実習生だったね。大学生か?」
お父さんの質問に佳太さんは近所の大学名を告げた。
そういうことに関しては家に戻ってくるまでに私も教えてもらっていた。
松茂佳太くん20歳。
教育学部の生徒さんだ。
ようやく彼のことを知ることができて、心の底から安堵していた。
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