二 帝

 帝に謁見した次の日の晚。藤は妙な寝苦しさで目が覚めた。

 障子の外からは、庭で鳴いている虫の声が響いている。

 だが、室内は己の立てる呼吸の音だけがうるさい。息が荒く、短くなっている。傷からきている発熱とは種類の違う、体の奥の熱さ。

 横になっていても頭がくらりと揺られるような感覚に、藤は眉を寄せる。異変を感じて体を起こそうとしてみたが、全く力が入らない。

 急速に喉が乾いていく感覚があり、藤は布団を握りながら掠れた声を上げる。今日の夕餉ははじめて梧ではなく侍女が運んできたため、昼頃から誰とも話していなかった。

「そこに誰かいるのだろう、体調が悪いようだ、少し来てくれないか」

 藤の部屋の前には、いつも誰かしら武士が立っている。藤が逃げ出したり、他の者に危害を加えたりしないようにという警備だ。

 職務が違う彼らも、人質として確保している者が死んだら責任問題になる。ゆえに、放っておかれることはないだろうと藤はふんだ。しかし、声をかけても部屋の外からの反応はない。

 焦燥感が募りだした時、ようやく障子が開いた。手燭てしょくを携え現れた者の風貌に、藤は目を瞬く。

 着ているものは藤と同じ寝間着の白い襦袢。下ろせば長い髪を髷にして、きっちりと結い上げている男。年の頃は浄と同じ程度。腰には太刀がなく、どう見ても武士ではない。

 顔立ちに特徴的なところはなく、体つきから何から、中庸という言葉がよく似合う。だが、その全身から発せられる雰囲気だけが異質だった。藤が今まで対面してきたことの無い種類の人間。

「誰だ」

 荒い呼吸を抑えながら、藤は問いかける。男は藤の様子を見下ろしながら、後ろ手で障子を閉めた。一度は近くなった虫の声が遠ざかり、室内に、男と藤の二人だけになる。

 男は畳の上に腰をおろしながら、手燭を置いた。

「我が名は光昭みつあき

 男の口から発せられた声に、藤は瞠目する。

 その声は、帝と謁見した時に、御簾の向こうから唯一聞こえてきた声だった。さらに、この世で二文字以上の漢字で表す名を持つことは、たった一つの血統しか許されていない。

「まさか、帝か……?」

 光昭は返事をせず、藤を見つめ続けている。否定をしないことが答えだった。帝に仕える者が、帝かと問われて否を唱えぬはずがない。

「どうして帝がここに」

 当然の問いを口にした時。感情の読み取れない表情で藤を見つめ続けていた光昭の手が伸びた。指先が藤の唇に触れ、そっと表面をなぞる。指は肌を滑るまま、頬を撫で、こめかみ、首筋へと降りていく。

 ぞわりと背筋を抜けていく悪寒に、藤は咄嗟に帝の手を払おうと腕を上げた。しかし、その手首を易々とつかまれ、布団の上に縫い留められる。光昭の力が強い訳ではない。藤の体に全く力が入っていないのだ。

 光昭はなおも抵抗しようとした藤の両手首を、一纏めにして頭上で押さえつける。そのまま、彼の体は布団の中へと潜り込み、藤の上へと覆いかぶさった。

「お前、何を考えてっ」

 拘束から逃れようとして身を捩るたび、元より荒かった呼吸がいっそう乱れていく。目眩のような感覚が強まり、藤は眉を寄せて粘つく唾を嚥下した。

「案ずるな、そなたの体の変化は薬の効果だ」

 その様子を見下ろしながら光昭は吐息で囁き、藤へゆっくりと顔を近づける。

 藤は目を見開くと、光昭が発した言葉の意味を理解し、必死で顔を背けた。色ごとには疎い藤だが、さすがにこの場における薬の意味はわかる。

 つまり光昭は藤の夕餉に媚薬を盛り、ここへ夜這いをしに来たということだ。世を統べる帝が、男である自分にそのようなことをする理由は見当もつかなかったが、藤も己が性的に襲われかけているということだけはわかった。

「ああ、綺麗な肌だ……はじめは見るだけのつもりであったが、昨日そなたをこの目で見て気が変わった」

 独り言のように熱っぽく囁き続ける光昭の唇が、耳殻に触れた。浄のものとは全く違う、薄い唇に、低い体温。それが耳の形をなぞるようにゆっくりと耳を食み、首筋の肌を伝って降りていく。藤は、込み上げてくる嫌悪感の強さにとまどった。

 光昭の手が藤の襦袢の帯を解くと、その帯で藤の両手首を縛りあげる。さらに首筋から鎖骨、胸の先へと唇が移動し、粘り気を感じる舌が胸の先を舐る。襦袢の合わせを乱した手は、足の間へ滑り込んだ。

「やめろ、わたしは男だぞ」

 できうる限りの抵抗をしようと、膝頭を重ねるように足を閉じる。だが、無遠慮な手は難なくその両足を開かせ、意思に反して熱を持ちだした昂りに触れる。

「無論承知しておる。男だというのに、やつれて漏れ出る色香の芳しきこと。そなたは浄を体で籠絡したのだと聞いた。男娼とでも呼べば良いのか。こういうことに慣れているのであろう」

「俺は男娼などでは」

「ない、と言い切れるのか?」

 再度問いかけられ、藤はきつく目を閉じる。浄が男色だと知り、己の体を利用して繋ぎ止めようとしていたのは事実だ。

 藤の昂ぶりを数回扱いた手は、さらにその奥へと指を伸ばす。周到に油のような滑り気を纏った指先が臀部の奥の窄まりを撫で、そのまま中へと埋められた。

「うっ……」

 強制的に中を割り開かれる気持ち悪さに、総毛立つ。

 思わず体に力を入れると、中に異物を入れられた痛みだけではなく、腹部に負った傷も引き攣れるように痛む。藤はさらに低く呻き、眉を寄せた。

「酷いことはせぬ。あの何者にも縛られぬ浄が、執着する体に興味があるだけよ。そなたも愉しめ」

 中をぐちゅぐちゅとかき混ぜられながら、囁かれる。その手付きと言葉に、頭の芯からふつふつと怒りが湧いてくる。

「ふざけるな、あいつはわたしになど何の関心もない。貴様の勘違いだ……っ指を抜け、下衆野郎が」

 声を荒げる藤に、光昭は逆に楽しそうに笑う。帝である己に粗野な態度をとる者が珍しいのだ。

「そのような言葉に騙されるか。浄は、そなたに真実を伝えると言っただけで言うことを聞いたのだ。執着しているに決まっている」

 ひとしきり藤の中を指で乱したあと、光昭は指を引き抜く。体を起こし、己の襦袢の帯を解く。

 藤はむなしくも何の障害にもなっていない抵抗を続けながら、光昭の発した一言に引っかかった。

「真実だと?」

「藤、そなたの親兄弟は浄に皆殺しにされたのだ」

 光昭は話しながら実に楽しそうに笑う。

「浄は白虎にいた時は、二つ返事で依頼を受けていたものを、此度は一度断ってきたらしい。だがそのことをそなたに伝えると言っただけで、浄の顔色が変わったと奏上をうけたぞ。まあ、もう言ってしまったが」

「なに……」

 想定もしていなかった言葉に、藤の緩慢ではあるが抵抗を続けていた動きが止まる。

 その隙を突くように、光昭は藤の体をうつ伏せに組み伏せた。背後から全身を密着させるように押し付け、その吐息が藤の項にかかる。

「そなたさえ手中にあれば、浄が我を裏切ることはない。我はこの世で最も強い刀を手に入れたのだ」

「う、ぐっ」

 無理に体重をかけられ、怪我を負った全身がひどく痛む。だが、今藤の頭の中には、最後に見た浄の姿が思い浮かんでいた。


 「一度ここから出ていったら、わたしはもう二度とお前に抱かれない」と、藤は浄へ告げた。浄の返事は「それで構わない」だった。

 あの瞬間、藤は浄との関係の全てが切れたのだと思っていた。だがもし、そうではないのなら。

 浄が、藤と体の関係を失ってでも、側にいたいと願っていたのなら。


「っ……」

 正体のわからない感情が胸に込み上げて、藤の瞳から涙が溢れる。

 露わにされた藤の臀部に、光昭の昂ぶりが押し付けられた。光昭の体温は低いのに、そこだけが熱い。指先で無理に広げられた窄まりの粘膜に、滑りを感じる肉棒が触れた。

「やめろ、いや……嫌だ」

 吐き気を覚える壮絶な嫌悪感に、全身の血の気が引いた。

「浄っ……」

 縋るように呼んだ名前。光昭の腰に、力がこもったその瞬間。

 静寂の闇夜を、男どもの悲鳴がつんざいた。

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