俺様黒蛇と僕
目を開けると、黒い蛇が鎌首をもたげてこちらを見ていた。
『よお』
蛇が喋った。
喋ったと言っても、実際には肉色の口元からシューシューという音がしただけなんだけれど、僕にはなぜか蛇の言葉がわかった。
黒蛇の肉色の口元から、ピンクがかった舌がチロチロと見える。
なにこれ怖い。
ここは僕の家の中だ。窓を開け閉めしたときに虫が入るくらいで、この家に住む僕達以外が自由に出入りはできないのに。
なんでこの蛇、勝手に入ってきているんだろう。
『俺様がここにいるのがそんなに不思議か?』
……うーわっ、この蛇、一人称「俺様」だ。ダサッ!
僕の言葉がわかることにも驚いたけど、それより一人称のダサさの衝撃の方が勝る。
うわー、ひくわー。
『こ、こら。ダサいとはなんだダサいとは!! いいじゃねえか一人称俺様!!』
シャーッ!! と音を立てて蛇が遺憾の意を唱える。
うん、そりゃね。普段の一人称くらいは個人の趣味でいいと思うよ?
でもさ、初対面相手に個性強めの一人称使うのって僕はどうかと思うな。
『うぐ。いやそうかもしれねえが、一人称にこんな嫌悪感示されたの初めてだわ』
そう? じゃあ今までの相手が優しかったんだろうね。
黒蛇の表情に衝撃が走ったのが見て取れた。
『……そうかもな』
しゅんと鎌首を下げる。
あれ、この蛇、意外と打たれ弱い?
『――ッ!! ……おまっ、そういうこと言うな!』
蛇は、照れたように言って鎌首を下げたままプイとそっぽを向いた。
この蛇ちょっと可愛いかも。
静かになった蛇をじっくり見てみる。
最初はただの黒い蛇だと思ったんだけど、よく見るとおかしな点がいくつかあった。
まず皮膚。蛇って鱗があるはずなのに、この蛇にはない。代わりに黒い雲がぎゅっと圧縮されたような質感の肌があるんだけど、雲のようにゆらめいて輪郭が掴みにくい。そして、背も腹も問わず全身がこの色と質感だ。
他の色がついているのは目口鼻くらい。
口と鼻の穴は肉色で、
見れば見るほど不思議な蛇だ。
『おい、そんな見んなよ……』
居心地悪そうに蛇が呟く。
あ、ごめんね。不躾に見過ぎてたかも。
『いや、いいけど。てか、そうあっさり謝られたら調子狂う』
で、なんでここにいるの?
許されたので間髪入れずに聞いてみる。
『ねえ! 切替え早すぎじゃね!?』
うん、切替え早すぎてごめんね。
でも、最初から疑問だったし。
このままだと有耶無耶になりそうだし。君の一人称のせいで。
『~~~~ッッ!! いやもう一人称の話はやめてくれ!!』
ふ、ごめんごめん。
面白くて、つい。
『おぉぉぉまぁぁぁえぇぇぇはぁぁぁぁ!』
シャーッ! っと黒蛇が鎌首をもたげて威嚇する。
でもそれは威嚇なだけで、本気で僕を傷つける気がないのは目を見れば明白で。
もう、ごめんってば。
じゃあ、ここからは真面目に話をしようね。
君の話を聞く前に、僕の状況を説明してもいい?
僕は、この突然現れた謎の黒蛇に僕のことを知ってもらいたくなった。
『まあ、いいけど。あんたマイペースだな』
うん、よく言われる。で、僕の状況だけどね。
『今の一応、辱めたつもりなんだが。全く動揺しねえな、おまえ』
うん、話進めていい?
『あ、ああ』
黒蛇が大人しくなったのを確認し、僕は軽く息を吐いた。
一人称を揶揄われたのがそんなに悔しかったのかな、この蛇。
それはそれで可愛いし、もう少し弄りたいけど、いい加減話を進めないと。
僕ね、見ての通りトイレ中なんだ。
『え? ああ、そのようだな』
そう。僕はトイレに座り、朝の日課を催していたところだった。
しかも、大きい方。
トイレに座り、目を瞑り、意識を集中して下腹に力を籠め、そうして直腸の中のものを全部出し、目を開けたら、黒蛇がいた。
そしてトイレに座ったまま、黒蛇を揶揄っていたから、そろそろトイレから出たいんだ。
『え? ああ、好きにしろよ』
うん、じゃあそこ退いてくれる?
蛇が横に退くのを待って、僕もトイレから降りる。
で、君はなんでここにいるの?
二回目の質問。
今度は、蛇もちゃんと答える。
『いや、あんたに召喚されたんだよ』
へ?
それは予想外の答えだった。
僕、トイレ中に黒蛇召喚しちゃったの?
『そうみたいだな』
えええ。ど、どうやって?
恐る恐る聞いてみる。聞いたところで召喚する方法を黒蛇が知っているかは分からないけど。
『召喚するには、俺様の形の影を作って、召喚呪文を唱える必要があるんだ』
んんん?
僕、影も召喚呪文も全く心当たりないけど!?
はああ、と蛇が深いため息をつく。
『薄々、そんな気はしてた』
な、なんか、ごめんなさい。
気にするな、というように、蛇が尾を振る。
その尾、そんな使い方もできるんだ。
『恐らく、あんたがトイレに座ったときの影が、偶然俺様の形になったんだろう。あとは、ひり出すときにあげた呻き声が、偶然召喚呪文と一字一句、発音も含めて同じものになったんだろ』
え? 僕の影と、呻き声で黒蛇召喚?
それは流石に苦しくありませんか。
偶然が重なるにもほどがありますよ。
突拍子も無さ過ぎて、思わず敬語になってしまう。
『ドン引きじゃねえか。仕方ねえだろ、俺様を召喚したのはおまえだ。他に考えられねえ』
うわあ。僕、トイレで黒蛇召喚しちゃったらしい。
やだ、召喚ってそんな簡単にできちゃうものなの?
『簡単にできるわけねえだろ。偶然で召喚されたとか初めてだわ』
うん、なんかごめんね?
偶然の事故で召喚しちゃったなら、元の世界に戻してあげたいんだけど、どうすればいいかな。
『あー、いいや。ここで生活すんのも面白そうだし。もう少しいてやるよ』
は?
『ってわけでよろしくな』
え? 急に? なんで? 訳が分からないんだけど。
黒蛇が、僕の周りをぐるぐると回る。
懐かれてしまったのかな、これは。
懐かれポイントなんてどこにもなかったと思うんだけど。
『飽きたら勝手に帰るからな。折角なら楽しくやろうぜ』
困ったな。
でも、懐かれると悪い気はしないんだよね。
仕方ない。
ふう、と息を吐き、蛇を見る。
じゃあ手始めに、この家案内するからついてきて。
「あ、グミ様ここにいたんですね」
黒蛇を連れて歩き出そうとしたら、下僕がきて話しかけてきた。
でも、何か要件があったわけではないようで、トイレの掃除を始める。
『
下僕。僕のご飯の用意や部屋の掃除をしたり、玩具を持って来たり、遊んでくれたりするの。
『そうか。下僕よ、しばらく世話になるぜ』
下僕はというと、ニコニコとトイレを片付けている。
「今日もいい色いい形。健康的ですね、グミ様」
あ、うん。
それより、黒蛇の声、聞こえなかったのかな。
『もしかしたら、あいつには俺様が認知できねえのかもな』
そうなの?
『召喚したやつ以外に俺様が見えねえなんざよくあることよ』
ふうん、そういうもんなんだ。
じゃあ下僕のことは置いといて行こっか。
『ほんとマイペースだな、お前』
黒蛇がニヤニヤしながらついてくる。
下僕をほっとくのなんて、いつものことなんだけど。下僕だし。
僕らが部屋を出ようとすると下僕が声を掛けてきた。
「グミ様、お家の中のお散歩かな? いってらっしゃい」
別に無視してもいいんだけど、今日は返事してから行こうかな。
僕は、今日初めて、声を出した。
「にゃあん」
ちょっと不思議な一万字に満たない短編達 瑛 @ei_umise
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