猫はトウモロコシを食べるのか。

「え?」


 唐突に友人が話しかけてきて、僕は聞き返した。

 夕方の神社の境内。露店の間を行き交う人、人、人。そのざわめきをうように聞こえる祭囃子。

 この神社では、今日から三日間、夏祭りが行われる。


「いや、猫ってトウモロコシ食べるっけ」


 僕らの背後には焼トウモロコシ屋があった。あたりに立ち込める、あまじょっぱいタレの匂い。先ほどこの匂いにつられて一本ずつ買い、受け取ったアツアツの焼トウモロコシを手に歩き出そうとしていたところだった。


 急に何を言っているんだ、こいつ。


 僕は友人の方を見た。何かを凝視している。僕は友人の視線の先を見る。友人は露店と露店の隙間の暗がりの一点を見ていた。

 目を凝らすと小さな影が見えてきた。猫だ。暗がりで分かりにくいが、赤キジ模様の猫だ。焼トウモロコシをくわえて立ち去ろうとした姿勢のまま静止して、こっちを振り返っている。


「あれトウモロコシだよな」

「紛れもなくトウモロコシだな」


 友人と呟き合う。

 その隙に、猫はトウモロコシをくわえたまま物陰に逃げ込んでしまった。


◇ ◇ ◇


 次の日の夕方、また、僕と友人は神社に来ていた。

 露店の間をぶらぶら歩く。聞きなれた声に呼びかけられた。


「ジンとタクじゃん」


 人込みから現れたのは同じクラスのハルキだった。


「おうハルキ、今日は弟達は?」

「ん、あっちにいるよ」


 ハルキのす先に、すくい網ポイを手に持ち、夢中で簡易流水プールに浮くスーパーボールを吟味する男の子達の姿があった。


「あ、猫だ」


 ハルキが呟く。

 昨日買った焼トウモロコシ屋と隣の露店の間に、あの赤キジ模様の猫がいた。またトウモロコシをくわえている。

 ジンが昨日と同じ疑問を呟く。


「猫ってトウモロコシ食べるのかなあ」

「食べるよトウモロコシ」


 ハルキがあっさりと答えた。


「食うの!?」


 正直意外だった。

 猫が食うのって魚とかネズミとかだけじゃないんだ。


「食べるよ、焼いたのより茹でて薄皮むいたやつをあげるのがいいけどね、薄皮で消化不良起こしたりするから……」

「にいちゃあああああん!!」

「にいちゃんにいちゃん!! おれあのでっかいスーパーボールがいい!!」


 ハルキの弟達がすくい網ポイを手に駆けてきた。

 そのままハルキの手にそれぞれしがみつく。


「わかったわかった、順番な」


 弟達に引っ張られるハルキの後ろ姿を見送る。


「あいつ実は猫にめちゃくちゃ詳しいんじゃね」

「だよな、普通、猫がトウモロコシ食うとか知らねえよな」


◇ ◇ ◇


 次の日の夕方も、僕とジンは神社に来ていた。二人であてもなくぶらぶら歩く。


「あれあの猫じゃね?」

「あー、あの猫っぽいな」


 参道の脇道の塀の上に、赤キジ模様の猫がいた。腹をつけ脚を体の下に折りたたみ座っている。頭はあげていたが目はつぶっていた。


「今日は焼トウモロコシかっぱらいに行かねえのかな」

「どうだろ」


 猫を見上げジンの目が好奇心で光っていた。


「お前トウモロコシ好きなの?」


 猫が薄く目を開けた。たぶん、ジンを見た。

 ふわ、と猫が欠伸あくびをして立ち上がった。垂れる尻尾をそのままに、お尻を高く上げて前脚を伸ばし、次に前脚に体重をかけて後ろ脚を伸ばす。気持ちよさそうに目を細めている。


「お、遊ぶか?」


 手を伸ばすジンを無視し、後ろ脚を二、三回ずつぷらぷらと振ってから、猫は塀の向こう側に降りて行った。


「そっち行くの!?」

「行っちゃったな」

「……」


 そりゃ、うるさい人間に話しかけられ続けたら逃げるだろう。とはいえ、しょげているジンは見るに忍びない。


「あいつ、焼トウモロコシ屋に行くんじゃね」


 フォローになるか分からないけど言ってみる。


「よし、行くか」

「仕方ないね」


 ジンが走り出した。僕も追いかける。

 焼トウモロコシ屋の裏手には神社の駐車場から参道に降りる階段があって、僕らはその前で足を止めた。息を整えながら辺りを見回す。赤キジ模様の猫は来ていないようだった。


「いないね」


 ジンに話しかけたが応えない。ジンは焼トウモロコシ屋の方をじっと見ていた。無造作に積まれた段ボールの蓋が動いている。中から猫が顔を出した。赤キジ模様の猫だ。焼トウモロコシをくわえている。


「あいつだ」


 どちらともなく呟く。店員のおっちゃんは気付いていないようだ。

 猫は、ひょいと段ボールの外に飛び出して露店の裏手を走り出した。僕達も追う。


◇ ◇ ◇


 露店の裏にはツゲの茂みがあり、暗くて狭くて見通しが悪かった。積まれた段ボール箱、ガスボンベ、クーラーボックス。行く手を阻むそれらを踏みつけ乗り越え猫を追う。


「えっ」


 先を走るジンが変な声と同時に視界から消えた。踏みとどまろうと前に出した足は地面に触れることなく。


「わっ」


 踏み出した先は穴だった。底の見えない深い深い穴だった。

 これは死んだな。こんな深い穴に落ちたら気付いてもらえないな。母さん心配するかな。ってか誰だよこんなところに穴掘ったの。

 一瞬の間にぐるぐるといろんな思いが巡り、落下の衝撃を想像して身を固くしたが。


「浮い……てる……?」

「これどうなってるんだ……?」


 僕らはパラシュートでもつけたかのようにゆったりと下降していた。真っ暗だと思っていた穴の底はほんのりと明るい。僕らの少し下を猫がふわふわと落ちている。少しもがいてみたけど、その距離は縮まらなかった。


 ふわふわ、ふわり。


 穴の底には大きなトランポリンがあって、猫と僕とジンはその上に降り立った。


「なんだここ?」


 ここは小さな円形の部屋のようだった。カーブがかかった壁に、いくつかの通路が口を開ける。


「なんだアンタら、ついてきちまったのかい?」


 僕でもジンでもない声が聞こえた。


「だ、誰だ?」


 ジンが問う。その声は少しだけ震えていた。


「誰だって言われてもねえ、アタシに名前はないし」


 声は足元から聞こえてきた。

 赤キジ模様の猫だ。赤キジ模様の猫が喋っている。猫はトウモロコシに尻尾を巻きつけ軽く左右に振りながら言った。


「仕方ないねえ。来ちまったからにはナツガミ様に挨拶しないとねえ。アンタら、とりあえずついてきな」


 赤キジ模様の猫が歩き出す。僕らは互いに一度顔を見合わせて、猫の数歩後ろを歩き出した。

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