散歩中にラプトルを助けた話

 インターホンの画面に映っていたのは、先日助けたヴェロキラプトルだった。


 いや、正確にはヴェロキラプトルじゃないかもしれない。というのも、このヴェロキラプトル――らしき生き物――に初めて会った際、俺はあろうことか何の恐竜か尋ねそびれてしまったのだ。


 俯瞰カメラに映るそいつは、人間の太ももくらいの高さにほっそりとした頭があり、二足歩行、体は羽毛に覆われ、胸の前で折り畳まれた二本の前足には鋭い鉤爪があり、蛇のような質感の長い尻尾でバランスを取って立っていた。


 その姿は昔観た恐竜映画に出てきたヴェロキラプトルに酷似しており、俺は勝手にヴェロキラプトルと決め込んでいた。


 いや、ヴェロキラプトルかもしれないが、先日助けた個体とは別のやつかもしれない。ヴェロキラプトルなんていたこと自体に驚いたが、先日助けた一匹しかいないなんて決めつけるのはよくない。


 扉を開けると、ヴェロキラプトルは流暢な日本語で喋った。


「先日は田んぼにハマっているところを助けていただきありがとうございました」


 ああよかった。先日助けたやつと同じラプトルらしい。

 何度もヴェロキラプトルと連呼するのも大変なので、ここからはラプトルと呼ぼう。頭の中で。


 この前助けたときに知ったが、昨今のラプトルは流暢な日本語を喋る。


「お礼はなにがいいかと散々考えたのですが、なにぶん人間の好みに疎いものでして……」


 そう言って、ラプトルは小さな包みを差し出した。


 完璧な口上こうじょうじゃないか。

 人間の好みには疎いのかもしれないが、挨拶礼儀作法に関してはマスターしているんじゃないか、このラプトル。


「おいおい、そんな気を使うことねえよ。あのときはたまたま時間があっただけだ」


 言葉を返しながら先日のことを思い返す。


 ――先日。

 国道から一本横道に入った片側一車線の歩道をぶらぶらと歩いていたら、このラプトルと目が合った。

 歩いていた道の周りには田んぼが広がっており、その田んぼの一つにラプトルはハマっていた。ラプトルは前脚の付け根あたりまで泥に埋もれていて、いくらもがいても抜け出せないようだった。


 最初は、近くの民家で飼っている変な――いや珍しい生き物が逃げ出して、田んぼにハマっているのかと思ったが、目が合ったラプトルに話しかけられてそうじゃないと知った。


「すみません、どうやらハマってしまったようで。手を貸していただけませんか」


 ラプトルはかぎ爪のついた小さな手で一生懸命もがきながら話しかけてきた。開閉する口から何本もの鋭い牙が覗く。


「手を貸すのはいいんだけど」


 逡巡する。

 その間にもラプトルの体は少しずつ泥に沈んでいっていた。


「噛みついたり、食べたりしないよね?」


 我ながらチキンな質問だと、言葉にしてから思う。目の前のラプトルは肩のあたりまで泥に沈んでいた。


「もちろんです! そもそも人間の肉なんて食べません!!」

「……そうなの?」

「はい!! 神に誓って!!」


 信心深いラプトルだな。最も、追い詰められた悪党も平気で同じ言葉を吐くものだ。


「ちなみに何の宗教?」

「プリスティア教です!!」

「プリ…?」


 神と言うからにはキリスト教だのイスラム教だのと答えてくるかと思いきや、予想外の即答だった。


「偉大なる母プリスティアを讃える素晴らしい教えです!」

「そ、そう……」


 ラプトル界にはそういう宗教があるのか。見るかぎり嘘をついている様子もないし、こいつを助けることにした。


 田んぼの淵まで来て、一度自分の服装を確認する。適当に着てきたスウェットにパーカー。

 うん、汚れても問題ないな。

 スウェットのポケットにねじ込んでいたラークとジッポ、財布を草むらに置く。


「お願いします!! 早く助けてください!! お礼もいたします!!」


 ラプトルは顔のすぐ下まで泥に沈んでいた。焦ってもがき、さらにどんどん沈んでいく。沈み方が早い。

 こいつ、誰も通らなかったら一匹で泥の下に沈んでたんじゃないか。


 裸足になって田んぼに入りながら声をかける。


「落ち着け、今行くから」

「落ち着いてられませ……! うぇ!? ペッペッ」


 ラプトルの口元まで泥が来ている。

 喋った拍子に泥が口に入ったらしい。


 適当に泥に手を突っ込み、ラプトルの胴体を探す。もがくラプトルの脚らしきものが手にぶつかった。


「痛っ! ちょっとおとなしくしてろ」

「ブハッ!! ゴハッ!!」

「チィッ!」


 完全にパニックを起こして暴れるラプトルに舌打ちしつつ、手探りで胴体を探り当て泥の中から引っ張りあげた。


「んっだああああ!!」


 ラプトルの元々の体重に泥が加わり重い。

 それを両腕で抱え、田んぼの外まで運ぶ。


「カハッ!! ゴハッ!! ゲホゲホッ!!」


 咳き込むラプトルの泥まみれの背中をさすってやる。

 羽毛に覆われたその胴体の先から蛇のような尻尾が伸びている。顔は爬虫類に近い。その不思議な見た目は斬新なモンスターと言ったところで。


 あー。ぽかハンライフやりたい。

 目の前のラプトルを見ながら、様々な動物を模したモンスターを狩猟するゲームを思い出す。


 いや、そんなことは今どうでもいい。

 草むらに置いたタバコと財布を手に取り、ラプトルに声をかけた。


「とりあえず、泥落とそっか」


 ラプトルを近場の公園に連れて行き、水飲み場の水で体を清めてやる。

 ついでに自分の体や服の泥も落とす。


 ラプトルは、体を震わせ、羽毛についた雫を飛ばした。


「助けていただいて、本当にありがとうございました」

「いーけど。今水飛んできたぞ」

「そ、それは! 申し訳ございません。お拭きします」


 ラプトルが前脚を伸ばしてくる。

 指から伸びる鋭い鉤爪が光った。


「いやいーって、で、お前どっから来たんだ?」


 さりげなく距離を取りラプトルに話をうながす。


「それが、気付いたらあの場所にいてもがいていまして。何も覚えていないのです」

「は?」

「ですがお礼はいたします! 連作先などいただけますでしょうか」

「いやいやいやいや、なんで記憶のないラプトルが筋を通すのだけはちゃんとしようとしてるんだよ!!」


 おかしいだろ。なんだこれ、新手の詐欺か。


「なんでと言われましても、そうしなければならないと強く思ったものでして……」


 ラプトルは困ったように鉤爪で頬を掻いた。


「あー、そうかよ」



 ーーー

 あの後、送ると言うのを固辞こじするラプトルにこの家を教えて別れたんだが、まさか本当に来るとは。


 渡された包みを開けると、川魚が出てきた。生臭い。


「おま、これどうしたんだ?」

「え、魚ですか? 採ってきました」


 魚を手に唖然としていると、ラプトルがツタツタと室内に入ってきた。そのままリビングまで進み、部屋をぐるりと見回した。独り暮らしには少し広い2LDKだ。

 ラプトルが口を開く。


「結構綺麗にしているんですね」


 なんだその初めて部屋にあがってきた彼女みたいな発言。

 だが、褒められて悪い気はしない。


「まあな」


 これが、俺とラプトルとの奇妙な同居生活の始まりだった。


 それから暫くして、ようやくこのラプトルに何と言う種類の恐竜か尋ねたら、前にも聞かれたことがあるんだけど、と前置きをした上で「種類なんていうのは君らが勝手にグループに分けて名前をつけているだけのものだろ。僕には君らが僕を何と言う種類の恐竜と呼んでいるかなんて知るはずもないさ」と怒られた。


 完全に敬語が抜けてやがるし言いぐさも酷い。


 でもそれが、このラプトルが心を許してくれているようで照れくさくて、ごまかすように俺はラークに火をつけた。



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