うさぎうっかり足を滑らす
今年の九月は肌寒く、部活終わりは
夕焼けに染まる校門を出て、アキは自転車にまたがりこぎ出した。
登校時は恨めしくて仕方ない長い坂を、自転車が進むに任せ
空の色が
河川敷で白い何かが動くのが見えた。
自転車を止め、目を凝らす。
長い耳がついている。
「うさぎ?」
ぴょこぴょこと跳ねるように動く白い毛玉はどう見ても白うさぎだった。付近の民家で飼われているうさぎが逃げ出したのかそれとも……。
河川敷の白うさぎの方から声がした。
「あの! そこの人!! 助けてください!!」
アキは
「そこの自転車に乗った男子生徒さん! お願いします!!」
アキは周りを見回す。見える範囲には自転車に乗っているのはアキだけだった。いや、そもそも周りにはアキの他に誰もいなかった。
河川敷の白い毛玉がアキの方へぴょこぴょこと跳ねてくる。
「どうかこっちに来てください!!」
声はなおもアキを呼んでいた。観念するしかない。アキは自転車を降りてカギをかけた。カバンを持ち、大股で斜めに土手を降りた。土手の雑草は無造作に踏みつけられ、アキの通った跡を示した。
長い耳の白い毛玉は土手を降りてすぐのところにいた。どう見ても白うさぎだ。
「呼びつけてすみません」
それは、うさぎの声だった。しげしげとうさぎを見つめる。
「うさぎが喋ってる」
「え? はい、まあこの地域の言語はだいたい習得してます」
「ふうん」
アキは、うさぎの言い方に引っ掛かるものを感じたが、深く突っ込まなかった。面倒ごとはなるべく早く片付けて家に帰りたい。
うさぎは月を
「わたくし、あの天体で観光を楽しんでいたんですが、足を滑らせてこっちの天体に落ちてきてしまいまして」
「いや待ってどういうこと」
うさぎの話をまとめると、彼(もしくは彼女)は地球外生命体で、月を観光中に足を滑らせて地球に落ちてきたが、大気圏を抜けるための装置をこの河川敷で落としてしまい、地球から出られなくて困っているということだった。
うさぎは万が一、地球に落ちた時にカモフラージュするための姿だという。月観光は人気の旅行プランだけにたくさんの仲間が訪れる。その分、うっかり滑って地球に落ちてくるヤツがまあまあいるのだそうだ。うさぎの頭をパーカーのフードのように外し、
そんなうっかりコケたくらいのノリで地球に落ちてこないでほしい。
「うん分かったから、うさぎの頭かぶってて」
「お気遣いありがとうございます」
うさぎの中身の姿に、アキの胃の中のものは逆流しようとしていた。これはしばらく夢にでるかもしれない。
うさぎの中身はうさぎをかぶりなおした。
「ええと、それで、一緒に地球から出るための装置を探したらいいの?」
「いえ、それには及びません」
うさぎもどきは、アキの自転車を
「あれを貸してください!」
「ごめん無理」
アキは即断った。毎日の登下校に必要なものだ。徒歩でも通えなくはないが、掛かる時間が全く違う。それに見ず知らずのうさぎに自転車を貸したなんて親に説明しても信じるわけがない。
「もちろん只でなんて言いません。お礼はお渡しします!」
「いやでも……」
うさぎの熱意に押されそうになる。うさぎにとっても死活問題だ。
「この最新式うさぎ擬態スーツをあげま……」
「やめろ脱ぐな着てろ」
スーツを脱ごうとするうさぎを手で制し、早口で断る。アキのほぼ空っぽの胃がぎゅるり、と
「はあ、やっぱその装置探すの手伝うから」
もう日はとっぷりと暮れていたが、河川敷は道路の照明でかろうじて地面も見えなくはない。探すのは骨が折れそうだが、自転車を渡して親に怒られた上、明日から徒歩になるより、今探し物に付き合う方がまだマシだとアキは思った。そんなアキにうさぎは言う。
「いえ、装置は見つかったんですよ。壊れてましたが」
アキは一瞬言葉を詰まらせた。
「え? 壊れてた? それ詰んでね??」
「はい詰んでます」
うさぎは、当然のように答えた。
アキはうさぎを見た。うさぎもアキを見返した。
アキにはうさぎの赤い目が少しうるんでいるように見えた。
「……ちなみに、あの自転車貸したら無傷で返ってくるんだよな?」
「勿論それは保証します。借り受けるだけですから」
「いつ返してくれんの?」
「月の空間移動装置を使うので月に着き次第ですね。遅くとも明朝には」
アキは大きくため息をひとつついた。
「わかった。貸す」
「本当ですか! ありがとうございます!!」
うさぎはぴょんとひとつ跳ねた。
「自転車さ、家に届けてほしいんだけど」
「そんなのお安い御用ですよ!」
嬉しそうに何度もお礼を言って、うさぎは丸く輝く月へ帰っていった。
アキは河川敷の風に揺れるススキと一緒にうさぎを見送った。
◇ ◇ ◇
翌朝。
アキが玄関を開けると、大破した自転車と白いうさぎが待っていた。
状況が理解できず固まるアキに、うさぎが決まり悪そうに言った。
「本っ当に申し訳ないんですが、月に着いた瞬間足を滑らせて落ちてきちゃいまして……」
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