迷いラッコ

 風呂に入ろうと浴室の扉を開けたら湯船に何か浮かんでいた。


 白い頭に、黒真珠のようなつぶらな瞳、濡れた鼻、茶色いしなやかな体、毛むくじゃらの手。ラッコだ。


 僕はラッコを見た。

 ラッコも僕をみた。

 全裸でラッコと見つめ合う。


 先に口を開いたのはラッコだった。


「あ、よかったら一緒に浸かります?」


 何故か誘われた。お前喋れるのか。


「いや、ここうちの浴室」


 ラッコと混浴ってなんだ。温泉か。ふざけるな。風呂くらい一人でゆっくり入らせろ。

 僕の顔に不快感が出てしまったのか、ラッコは急に言い繕った。


「ごめんなさい。はぐれた家族を探していたら迷い込んでしまって」


 ラッコが俯く。つぶらな黒い瞳が潤んだように見えた。

 そうか、こいつ迷いラッコなのか。急にこのラッコのことが可哀そうになってきた。


「そっか、詳しく聞かせてよ」


 ひとまず、話を聞くことにする。

 ついでに手近にあった下着とジャージを身につける。

 知らないラッコだろうと、全裸で話を聞くのは気が引けた。あと寒い。


「最初は弟を探しに、父さんと母さんと一緒に泳いでいまして。弟は無事に見つかったんですが、住処すみかに戻る途中で今度は自分がはぐれてしまって。家族を探して夢中で泳いでいたらここに辿り着いたんです」

「そう」


 頭の上の小さな耳と鼻先の間を両前脚でしきりにこするラッコを見ながら、僕はふと疑問に思った。


「ここへは、どこから入ったの」


 ラッコは毛づくろいをする手を止め、黙って天井を指さした。

 指さす方を見上げる。


 うちの浴室はユニットバスで天井に点検口がある。

 その点検口の蓋が開いていた。


「嘘だろ」

うそじゃないです、ラッコです」

「いや、今そういうのいいから」


 浴室に踏み台を持ち込み点検口を覗き込む。

 真っ暗で何も見えない。


 懐中電灯で照らしてみた。

 周りは鉄骨で覆われていてラッコどころかネズミも入り込めなさそうだった。

 点検口の周りも照らしてみた。ほこりまみれのそこに、ラッコが通った跡はなかった。


「キミ、本当にここから入ったの?」

「疑うんですか?」

「うん、ここから何かが入った様子がないもの」


 ラッコはびっくりしたように湯船から飛び出した。


「そんなはずはありません! その穴の中を僕にも見せてください」


 嘘をついているふうではない。

 僕はラッコを持ち上げた。

 点検口に頭を入れたラッコは安心したように言った。


「あ、ほらやっぱりここで間違いないですよ」

「そうなの?」

「はい、こっちです」

「え、僕も行くの?」

「一人じゃ寂しいのでついてきてください」


 ラッコに腕を掴まれ、しぶしぶ点検口の中に入る。我ながらチョロい。

 中は、大人一人が腰をかがめて立てるほどの広さがあった。

 暗い中をラッコに手を引かれて前かがみで歩く。ラッコ、お前二足歩行できたのか。


「あ、あれです」


 前方に明かりが見えた。


「キミよくこんなところ通ろうと思ったよね?」

「……家族が通ったかもしれないと思ったので」


 この飄々としたラッコがそれだけ必死に家族を探していたんだと思う。

 その割に僕の家の風呂で寛いでいたけど。


「マキエン!」


 明かりの方から、誰かを呼ぶような声がした。

 ラッコが僕の手を放して走り出す。


「ハポ!」


 明かりの方から三匹のラッコがこちらに駆けて来た。


「マキエン!」

「マキエン!」

「アチャ! アムエン!」


 四匹はギュッと抱きしめ合う。

 なんだ、あっさり見つかったじゃないか。

 僕は抱きしめ合うラッコ達に背を向け、暗がりを歩き、点検口から自宅の浴室に戻ってきた。


 それからの僕は、浴室の扉を開ける度にラッコがいないか少しワクワクし、誰もいなくてガッカリし、ラッコがひょっこり顔を出さないかと点検口を見上げるようになった。



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