ブブデバイス
パチン。
コバエを叩いた。
目の端にチラチラと入ってきて鬱陶しいやつだった。
何気なく手を見ると一ミリにも満たない黒い点がついている。さっきのコバエだ。特になんの感情もなく手を擦り、残骸を払った。
仕事に戻る。
コバエってやつは、なぜああも人の周りを飛び回って集中力を削ぎにくるのか。
リモートワークで日中も家にいるようになって気が付いた。
鬱陶しいな。
といってもコバエを見るのは一日に二匹か三匹。
たまに近くを飛び回るヤツをつぶすくらいでそこまで気にしてはいなかった。
三日後。
カップ麺にお湯を入れて待っていたらコバエが手元に来た。
パチン。
躊躇なくたたき、手を払おうと目をやる。
五ミリほどのそいつは小さいながらも羽も足も判別がついた。
「きもちわり」
同時にタイマーが鳴った。
ゴミ箱の上で手のコバエを払い、割りばしを割る。
カップ麵の蓋を開けてすする間、潰れたコバエの姿が残像となって頭をちらつく。食欲が失せる。それでも、なんとか完食する。
カップ麺の容器を流しに持っていき洗ってからゴミ箱に突っ込む。
ようやく、潰れたコバエの残像が消えた気がした。
さらに三日後。
昨日あたりからコバエを見なくなった。
それは喜ばしいことだが。
ハエを退治しようと丸めた新聞紙を握っている。
天井に止まっている。
無視して仕事をしようとすると顔の周りを飛び回り、退治しようと新聞紙を手に取ると、あざ笑うかのように天井に逃げていく。
「よし、そっちがその気なら俺にも考えがある」
新聞紙を投げ捨て、財布をズボンのポケットにねじ込み外に出た。
行先は最寄りのドラッグストア。
歩いて十分ほどで着く。
自動ドア入ってすぐのところに置いてあるプラスチックカゴをひっつかみ、目指すは、勿論「害虫駆除」の棚。
いくつかの駆除グッズを手に入れ、まっすぐ家へと急いだ。
昨日からハエのせいで仕事が進まないのだ。
早く退治して平穏なリモートワークライフを取り戻さねば。
―――
気が付くと僕は不思議な空間にいました。
「やあ、起きたかい」
僕に声を掛けたのは、ぼさぼさの黒髪にズタズタの服をまとった青年でした。
にやり、と邪悪に笑ってその青年は言葉を続けました。
「聞きたいことが山ほどあるって顔してるな」
僕はなにか話そうとしましたが言葉が出ません。
「オマエにはこれからちょっとした実験体になってもらう」
実験体……?
嫌な響きです。出来ることなら辞退したいです。
「これからオマエをある世界に飛ばす。そこで経験値を五億貯めたら願いを一つ叶えてやるよ」
どうやら自分が話したいことだけ話すタイプの人のようです。
経験値ってなんでしょうか。
「説明がめんどくせえんだよ」
えええ。
「あっちの世界についたら『ステータスオープン』と唱えな」
ステータスオープン?
「後は好きなようにやるんだな」
いろいろ不明なことが多すぎてもやもやしますが、僕に拒否権はないのでしょう。
「ふ……聞き分けのいい奴は嫌いじゃない」
あなたに好かれましても……。
「まあいい。存分に楽しませてくれ」
その言葉の後、体に強い衝撃が走りました。
だんだん目の前が暗くなっていきます。
そういえば話せないのにいつの間にかあの人と会話になっていましたね。
あの人は結局なんなんだったのでしょうか……。
なにも分からないまま、僕は意識を手放しました。
次に意識が戻ると、僕は浮いていました。
やっぱり言葉を発することはできないようです。
でも考えることはできるようで。
ステータスオープン。
頭の中で言葉にしてみました。
すると、目の前にうっすらと透ける板が現れました。
________
Name Zebub
Exp 0
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
これだけではやっぱりよく分かりません。
書いてあるのは、名前がゼブブで経験値が五とだけ。
そういえば、経験値を五億貯めたら願いを叶えてもらえると謎の男が言っていましたね。
五億というのがどれ位なのか分かりませんが、経験値を貯めることを当面の目標にしてみましょう。
……経験値ってどうやって貯めるんでしょうか。
どうしたら良いか分からず、フラフラと彷徨っていたところ。
パチン。
とても大きな破裂音とともに、僕の体を衝撃が襲いました。
一瞬で暗転する意識の中で、僕は無機質な声を聴きました。
『――死亡による経験値を獲得。個体を再構築します』
気が付くと僕はまた浮いていました。
さきほど聞こえた「経験値を獲得」という声が気になります。
死んだことで経験値をもらえたようなのですが。
確認してみましょう。
ス、ステータスオープン。
________
Name Zebub
Exp 4
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
……経験値が増えていました。
嬉しいものですね。
経験値の増やし方が分かってよかったで――パチン。
とても大きな破裂音とともに僕の体を衝撃が襲いました。
『――死亡による経験値を獲得。個体を再構築します』
ええええと死ぬまでの間隔が短すぎませんか。
また気が付くと僕は浮いていました。
その後も何度も強い衝撃で死んでは生き返ることを繰り返しました。
何度も繰り返していたら。
『ーー死亡回数十回到達。スキル経験値十倍獲得。死亡による経験値を獲得。個体を再構築します』
いつもと違うアナウンスが流れました。
どうやらもらえる経験値が増えるようです。
意識を取り戻した僕は早速経験値を確認してみました。
________
Name Zebub
Exp 76
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
一気に増えていますね。
そういえば、少し視界が広くなったような気もします。
これは嬉し――――――パチン。
『死亡による経験値を獲得。個体を再構築します』
だから早いんですって!!
意識戻ってから死ぬまでが!!!!
早く経験値を獲得したいのでありがたいのはありがたいんですが、死ぬのは痛いのでもう少し間隔をあけてもらいたいものです。
これではこの世界をゆっくり見て回る余裕もありませんし……。
それからまた何度も強い衝撃で死んでは生き返ることを繰り返しました。
『ーー死亡回数二十回到達。スキル経験値千倍獲得。死亡による経験値を獲得。スキル自動回避獲得。個体を再構築します』
意識を取り戻すと、さっきまでより周りがよく見えるようになっていました。
鋭い視線を感じて見やると山のように大きな男が凄い形相でこっちを見ていました。
手には灰色で黒い模様がびっしり入ったの棒のようなものを持――ヒュウッバシン。
大男が手に持った棒のようなものを叩きつけてきました。
棒は直前まで僕がいたところに打ち付けられ、形を歪ませています。
あれは、何枚か重ねた紙をくるくると棒状に丸めたものだったんでしょうね。
僕は何故か一瞬で上昇し、行き止まり ――おそらくこの建物の天井でしょう ――にとまっていました。
もう一度、近くまで行ってみましょう。
――ヒュウッバシン。
大男が紙棒の歪みも気にせず叩きつけてきました。
やはり、僕の体は勝手に動いて紙棒を避けています。
ううん、困りましたね。
死なないと経験値がもらえないのに、死ねないんじゃどうしようもないじゃないですか。何とか殺してもらえませんかね? いえ、死ぬのはきっついんで本当は殺されたくはないんですが。
僕は何度か大男に近付いてみましたが、叩かれそうになる度に体が勝手に天井に移動してしまいました。
このままだと本当に死ねなそうです。
なにか、なにか方法はないんでしょうか。
そう考えながらもう何度目か分からない自動天井移動をしたときでした。
『――回避三十回成功。実績を解除しました。フェーズⅡに移行します』
……え? フェーズツー?
アナウンスが流れた後、突然大男が紙棒を投げ捨てて何かを叫びました。
「ーー、ーーーーーーーーーーーーーーーーー」
大男はそのままどこかへ消えてしまいました。
……何か新しいことが始まるんでしょうか。
待っている間は暇ですし、ステータスでも見てみましょう。
________
Name Zebub
Exp 4436
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
経験値がものすごく増えています。
アナウンスで言っていた経験値千倍のおかげってことでしょうか。
何気なく数字を眺めながら僕は不思議なことに気が付きました。
最初に死んだときに獲得した経験値は
________
Name Zebub
Exp 4
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
4でした。
その後、スキル経験値十倍を獲得し、死亡一回につき得られる経験値は40になりました。
貯めろと言われた経験値が五億に対して、死亡一回で入る基本の経験値は4です。効率悪そうじゃないですか、これは。
……いやでもこんなこと考えていたも仕方がないですね。
経験値の貯め方が分かっているんですから、目標値までひたすら貯めるだけです。
難しいことを考えていたからか、だんだん疲れてきました。少し休みましょう。
ーーー。
ーー。
僕の意識はそこで一旦途切れました。
『――自然死に成功。実績を解除しました。スキル経験値一億倍獲得。死亡による経験値を獲得。個体を再構築します』
―――
家についた俺は、さっそくドラッグストアで手に入れた害虫駆除グッズを開封した。いくつものハエ取りグッズとハエが居なくなるというグッズを、部屋のあちこちに置いて回る。
最後に殺虫スプレーの包装を開けて手元に置いた。
「こんだけあれば大丈夫だろ」
たかがハエに結構な額を使ってしまった気がするが仕方ない。
仕事にならないんだからな。
自分に言い訳をしながら仕事に戻る。
なんだか外が薄暗い。
犬が吠えている。うるさい。
ざわざわとした騒めきに悲鳴が混じり始めた。
なんなんだ。
窓の外を見るとマンションの下の道を通っている人達はみな上を見上げていた。
窓を開けて上をみる。
……馬鹿でかいハエのような姿の化け物が上空を飛んでいた。
―――
「うーん。自由度を持たせてみたつもりだったんだけど、GAMEOVERまであっという間だったねえ」
ぼそぼそと独り言を話すのは、ぼさぼさの黒髪にズタズタの服をまとった青年だった。
彼の前にあるモニターの中では、超巨大なハエが街を破壊して回っていた。不安を誘うようなBGMと人々の悲鳴が流れる。
「CPU任せのベルゼブブ人間界侵略シミュレーションにも飽きたから転生者の魂を使ってみたけど、そう面白くもなかったねえ」
青年は巨大なハエのステータスを開いた。
________
Name Zebub
Exp 400004436
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「こっから経験値が入る要素はないから、オマエの経験値はここまでだよ。……残念だったね」
誰に言うでもなく呟き、青年はモニターとデバイスの電源を落とした。
「おい、ゼブブ」
電源が落とされると同時に、青年は背後から呼び掛けられた。
「ん、なに?」
驚きもせず振り返りもせず、青年が返事をする。
「勝手に転生者の魂を使ったな。転生条項違反だ、来い」
「ええ? 何の話ですかあ? 全く分かりませんねえ」
「これは任意同行ではない、連行だ」
おどける青年に声は淡々と告げた。
一瞬の沈黙。
「ちぇっ、最近は窮屈で全然遊べないねえ。やだやだ」
青年は抵抗しない意思を示すため両手をあげながら振り返り、掌を声の主に向けた。
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