第57話・十津川湯治
郡山に舞い戻った高虎は、盛大な出迎えを程々にやり過ごし、早馬で粉河へ向かう。
そうして再び調度を荷駄に積み、取って返すように郡山へ帰る。
いつからだろう。藤堂佐渡守という仁を見る目が一つの侍大将から、まるで一国の主を見る目に変わったのは。粉河に入った当初は、紀の国を侵す丈武の鬼と見られていたのに、今では頼れる主同然である。
――息が詰まる。いや、これが京極公が言うておったことか。自分自身そこまでの人間ではないと卑下しても、外から見れば立派な仁となるのか。
思うことがある。先祖となる多賀高忠、経家、貞隆、そして貞能は、生まれながらの頭であったのか。試行錯誤の末に頭として認められていったのか。それを語る人は少ない。
「与吉殿!」
「婆様!」
郡山の屋敷には一人の老婆とお付きの医者がいた。彼女は池田伊予守の最側近梅原武政の生母にして、高虎の母を産んだ、つまり母方の祖母にあたる。
「それにしても如何なる御用件で」
「ええ。貰い物の布がねぇ、与吉殿に似合いそうって」
傍らには布生地がある。確かに好みの紺に、薄く桜の花が散らしてある。
ふと高虎は昔を思い出した。昔は、よく姉上が自分の着物を調えてくれた。そうか、亡き姉上は祖母に似たのか。
「忝う御座る。上洛次第、菱屋に作らせまする。あ、いや」
「どうかした?」
「中納言様にも似合いそうだなと思いまして」
「まあ、それなら着せてみても良いかもねぇ」
「ならば今から中納言様に会っていかれませぬか」
「ええっ? 宜しいの?」
「御案じ召されるな。中納言様の具足親は、貴方様の孫に御座る」
そうして広島のことなどを中心に近況を語りながら本丸の御殿へと向かう。
すると先に御殿へ使わしていた大木長右衛門が前方から駆けてきた。
「大木、何事かしらん」
「あいや、高崎殿が急ぎ御耳に入れてほしいこと有りとのこと。ひとまず玄関先に待たせております」
高崎半右衛門は秀保近侍のなかで、最も高虎に近い情報源である。他に保田兄弟なども居るが、彼らの父は今一つ信用が出来ないので結局高崎の方が使い勝手が良い。
「手短に申せ」
「御耳を、失礼致します」
話を聞いて、高虎は思案の表情を見せた。
「如何されたの?」
「いや、折り合いの悪い者が中納言様の席に居るとの報せにて」
「貴方にもそのような御方がおられるのね」
「ははは。ちと一癖も二癖もある者でしてね」
「貴方以上に?」
館に入ると早速高島が客待ちに案内しようとするので、多少迷った。
「如何なさいますか。ここで中納言様に暇が出来るのを待っても良いですが、親子に挨拶していかれますか」
「話に花が咲いているようなところを邪魔するのも悪い。少しぐらいなら待つとするよ」
しかし客待ちで他愛の無い話をするのも限度がある。前の客があまりにも長すぎるのだ。
「それで今に面会されているのは、どのような御方なの?」
「小姓の兄弟とその父親でしてな。」
そう言って保田一家の複雑な歴史を解説し、自分の見てきたありのままを語った。
「世に、不可思議な御仁は一人や二人で宜しいと思っていたけれど、存外に居るものなのねえ」
「それにしても長すぎます。婆様を長くお借りしても勝右衛門殿にも迷惑がかかろう。少し力を使いたいと思います」
そういって高虎は秀保と小姓親子が対面している間の襖を、強引にこじ開ける。
「長すぎるぞ千賀地ぃ」
「おやおや藤佐殿、何事かな。ん、其方は?」
「祖母で池伊予様が内衆梅原勝右衛門殿の御母堂だ」
そうして祖母は伏せながら挨拶をする。人が増えるのは秀保にとって嬉しいことだ。
「賑やかなことは宜しいことです。それで用件は?」
「祖母が良い生地を持って参りましたね。もしかしたら、と思いまして。どうでしょう、今この場で少し似合うかどうか確かめたく」
そう言うと秀保は生地を見た。
「私の好みとは少々違いますが、佐渡が気に入った色と思えば悪くないものですね。半蔵、商人からは如何思いますか」
「ははは薬問屋に聞きますか。まあ宜しいものと思いますが」
高虎の祖母は、はて孫への贈り物のつもりだったのだが、という顔をしている。それでも期せずして国主への贈物となり、梅原家やその主池田伊予の格向上に繋がるのなら悪くはない。
よく見てみると秀保や千賀地、つまり保田親子の膝元には何枚もの紙が置かれている。その中身は何事かの図である。
「十津川、ですか」
「ええ。半蔵殿から修験の山についての話を伺いましてね」
「修験……?」
聞けば千賀地の郎党の中には修験道に通じる者が幾人かあって、そうしたところの話の話を小姓の倅たちから聞き及び、この日直接の講義を受けていたらしい。
言ってしまえばひ弱な秀保が、そうしたところに興味を持つのは珍しい。
「中納言様は修験に興味がお有りなの?」
同じようなことを思うのが祖母である。
「様々なことを思うなかで、何か一つぐらいは模索しておるのですが、その一環ですね」
秀保がこう言うので高虎も少し心配になる。
「何か御座いましたか?」
「折から、私はどうにも舐められている節がある。それは私が武芸に疎く、身体も細白いことが原因では無いかと思うのです。しかし武芸であれば兄関白は一通りやって、ああだ。ならば別の切り口から身体を鍛える必要があるのではないか、と考えましてね」
「左様、ですか……。しかし国の主が修験の道に好むのは、昔京兆殿の例が御座る。あまり吉例とは……」
「わかっていますよ、それぐらい。でも己を変えるために事を起こすというのは、悪い例を踏むぐらいではないと」
「そこまで仰せなら、行ってみますか。十津川に」
自分でもそのような言葉が出てきたことに驚きがある。
「連れて行ってくれますか?」
「ただし時間は御座いませぬ。今回は湯治に毛が生えた程度と心得下さい」
こうして急遽、秀保の十津川行きが決まった。
祖母は、もう少し考え直してはと進言するが、その助言も聞かない高虎に振り回される藤堂家中はたまったものではない。
先乗りして宿所を調えるよう命じられた矢倉大右衛門が聞こえるように、高虎への罵詈雑言を呟かなければ、一高や庄九郎たちが直談判に出ていたかもしれない。
「与吉殿、この儀は合議にかけるような事ではないの? 何なら伊予殿には私から通しておきますけど」
「お気遣い有り難うございます」
「あまりにも強引すぎます。御偉方と話し合うことが一番じゃないの?」
「今に羽長をはじめ城へ帰っている者が多い。いま遊びへ出るのに合議するとして、待っていれば江戸大納言様の宴が始まってしまいます。時間が無いのです。なればこそ、私めが専横を振るうことを決めました」
「……中納言様のお身体に傷が一つでもつけば、御偉方にこっぴどく叱られましょう。祖母として、人の親として、与吉殿、貴方を心配しているのです」
「ありがとうございます。婆様が斯様に言うて貰えるのは幸せなことです。今少し、駄々っ子を見守ってくだされ」
十津川への出立は翌朝のことだった。
見送りの女性たちは突然の旅立ちに困惑し、籠に乗ろうとする秀保を見守っていたが、遂に妻於菊が飛び出し抱きついた。
秀保は幼妻を落ち着かせるように頭を撫で、こう説いた。
「御案じ召されるな。強くなって帰ってきますよ」
十津川は遠い。現代のルート検索で郡山から約百十キロとなる。
付き従う中で山に慣れた高虎の近侍たちに保田一家は、秀保が途中で引き返すことになるのだろうと踏んでいた。
しかし高虎はともかくとして、秀保も序盤の行路に弱音を吐かず籠に揺られている。折を見て健康状態を確かめるが、若さ故なのか、体力気力が十分に漲っている。
間もなく山道に差し掛かる時、またしても高虎は列を止めた。
「佐渡、如何に」
「中納言様、此方へお越し下さい。これより進路を西へ取れば高野山に、我らが粉河と相成り申す。十津川は正面からの山道に御座る。お身体や御気分が宜しくなければ、西へ向かいます。如何でしょう」
「構いません」
この言葉に高虎は覚悟を決めた。
「そういえば佐渡守。何れにしても山々を抜ければ熊野の社に海が見えると伺っています」
「ええ」
「私も熊野の海が見たいなあ。出来ることなら、熊野の潮風を浴びてみたいものです」
「かしこまりました。快気の折には熊野を詣で、舟を手配させましょう」
「ありがとう。楽しみがあれば山道も乗り越えられると思う」
今このとき秀保と高虎の主従は、険しい山に挑もうとする。二人の頭に政や、政権の面倒な行事などを忘れて、ただ一つに山道を二人の足で踏みしめる。これまで主従二人は手取り足取り歩んできたと見えるが、このときほど歩調を合わせたことは無い。修験の山を前にして、今主従は真に一体となるのである。
だが、高虎はこの旅の先に何が待ち受けているのか、何も知らない。せめて桑山の親父や羽長に叱られるだろうな、その程度である。
文禄四年の政変 柊凛音 @rio2_t_a2_shu
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