50話・吉川平助事件(外伝6)

 天正十五年(1587)、長崎から帰国した高虎は京都の徳川屋敷の作事と並行しながら畿内に跋扈する盗賊の捜査を手伝っていた。

 母の従弟で一族の長であった多賀貞能の急死を悲しむ暇も無く、自身の叙位の話も大して関心が無い。

 唯一興味をひく、いや気分を複雑なものとさせるのは廃嫡された仙丸を、自身の養子として引き取ったことだ。

 この少年の才覚は誰もが認めるところで、正直彼以上の養子は探しても見つからないだろう。

 それを関白秀吉という小男は、突然何処から拾ってきたのかわからない少年を、姉一家の子と言って秀長の新たな養子として定めたのである。


 秀長周辺はもちろん、流石の高虎も困惑するほどであった。誰しも武蔵守夫婦は高齢であると認識しているなかで、突然子どもが出来上がり、仙丸を廃嫡とするのは合理的な判断からはかけ離れている。

 これからは、この天下人の「気持ち」一つに左右される時代が来るのである。


 当然高虎は小さな天下人に彼の後見人となるよう命じられた。高虎からしてみれば、丹羽長秀と仙丸親子への義理、近江中郡なかぐん国人の意地として拒否することも策の一つであったが、新しい少年の名が「於虎」と聞かされるとそうもいかなくなった。

 奇しくもその名前は、亡き母と同じものであった。

 偶然の産物か、はたまた仕組まれたものか。


 それにしても、ここのところ大和・郡山城外は羽振りの良い武士や奉公人で溢れている。

 欲の深い奴腹は更に増やそうとして、博打に精を出して悪徳商人の良い鴨になる者も出た。

 それだけならまだ、程度の知らない「成金」が身を持ち崩すだけで済む。しかし行き場の無い連中は、何をしでかすかわからない。

 同時にわきまえない連中というのは、成れぬ歩の僻みに端を発するという考え方もある。

 何れにせよ、郡山城の周囲で闊歩する連中の財源は何処から出ているのか。

 畿内を徘徊する盗賊を追う最中、高虎はそうした部分に目を向けるようになった。


「人を狂わせる銭は、これ総て悪銭と思うか」


 疑いをかける訳でも無いが、騒ぎの一端は郡山で起きていることなのだから郡山城を調べる必要がある。そう決めたのが盗賊を奈良町に追い詰めた翌朝のことである。


 内衆から賊が居ると告げられ、高虎自ら賭場に乗り込んだのは冬の日のことであった。

 賊・某左衛門は高虎の図体を見るや観念したように

「わしはこの身を賭ける」

 と言うので、高虎も

「それなら負けたら国を売ってやろう」

 と啖呵を切った。


 結局賊の方は如何様イカサマで高虎に勝ち、高虎は怒り狂い賊を組み伏せて逮捕したので、大木長右衛門は、それなら最初からそうするべきだったのでは、と思った程だ。


 賊を追い詰める過程で、高虎は内衆を使い郡山城の台所や本丸、果ては奈良町を司る中坊屋敷周辺に探りを入れていた。

 こうした頃、高虎の秘蔵っ子庄九郎は郡山の文庫にあった。算用帳簿を覗くためだ。 普通なら入ることは許されないが、高虎が横浜と小堀の舅であることが庄九郎を助ける。 最も事情の知らぬ者に見つかっても、何処ぞの稚児が度胸試しに入った、それぐらいで済む話だ。

 庄九郎も、九つぐらいになれば自分の出自から置かれた身が理解出来るようになる。

 祖父も父も、揃いも揃って織田家に対する謀反人として死んだ。

 そうした身であるから、自身を良くも悪くも普通に扱う、ただの女中の伜で才覚を見出され側に仕えることを許してくれる高虎は有り難い。育ての親とも言える。

 だからこそ己の身を磨かなくてはならない。幸い体躯に恵まれ武術の鍛錬は無理なく熟せる。(高虎の甥には勝てないが)

 そして様々経験を積む中で、どうやら文官の仕事も無理なく、むしろ楽しさのようなものも覚える。母は「向いているのね」と言うてくれる。

 気がつけば算用も昨年の分に至る。全く面白みの無いものだが、それでもこの世が物と数で成り立っていることが手に取るようにわかる。

 出費の項目を読めば、天下人の弟宰相ひでなが様の気苦労がほのかに浮かび、逆の項目を見れば宰相の威厳がわかる。


「……ただこれだけでは足りない気がする」


 何度か本丸の御殿は眺めたことがある。それは幼子にもわかるほどの財で、この世の黄金を集めたかのような輝きであった。

 それなのに、一連の算用では至って平凡だ。


 子どもの勘、そして行動力は逞しく恐ろしい。彼は棚によじ登り、高くに積まれた妙に綺麗な箱を見つけた。

 高鳴る鼓動が箱を開かせる。

 木の香りに包まれた箱には、乱雑ながら簡潔に記された算用が束ねられていた。

「あった。本当に、こんなものがあるなんて……!」


 こうしたとき、懐の紙に使える筆記具があればと思ったが、兎角一枚目を覚えることに集中した。

 だが庄九郎に時間は無かった。足音がしたのである。

 誰か、来る。

 こうしたとき、堂々としておれば良いと教えてくれたのは親父様であっただろうか。いやもっとあくどい老人たがどのであったかもしれない。

 それでも庄九郎は驚いてしまった。


「やあ庄九郎。算用を覗きに来るとは、学に熱心で宜しいな」


 宰相様、いや大納言様、豊臣秀長の姿がそこにあったのだから。


「わざわざ書庫で勉学とは、宜しいことだな。励みたまえ」


 庄九郎からすると有り難いことなのに、先ず何故秀長がここに来たのだろう、という疑問が湧き出る。


「近頃、色々と嗅ぎ回る頭の黒い鼠が出ている。くれぐれも、そういった真似事はせんようにな」


 そう言うと秀長は立ち去った。

 館へ帰ると庄九郎は見たことをありのまま高虎へ告げた。


「そうか。大納言様が」

「……親父様?」

「ありがとう庄九郎。良い経験をしたな。時期が来たら清兵衛いしだに算術の教えを乞うと良い。お主は算用の才があるやもしれん」

「はい!」


 悪いことをした。

 旧主織田信重の遺児を少し雑に扱ってしまった。

 そして、此度の容疑者の一人に秀長という仁を数えることになってしまったのだ。


 先の九州陣にて秀長は誰にも彼にも兵粮を高く売りつけ、暴利を貪り秀吉の不興を買った。

 高虎は兵粮を御用商人はやしに頼んでいるから問題は無かったのだが、尾藤下野守に泣きつかれ売り歩いていた井上源五と吉川よしかわ平助を注意した経験がある。

 尾藤は軍監の兄知宣に越度があった。

 根白坂を救援しようとしない軍監に高虎は大いに怒ったものだが、後から話を聞くと尾藤知宣は古参らしく兵粮を節制し配下の者に優先して食わせ、その空腹によって判断力が鈍ったらしい。

 結局総合的な判断に欠けるとして尾藤は処分され、弟の下野守も保身のために高虎を頼っていた。どうにかして高虎は尾藤に宇陀と名乗らせ、兄と決別させたのだが、それでも尾藤を失脚に追い込んだ秀長内衆の手法には違和感を抱いていた。

 帰陣後、彼は多賀家の統制として一族の重鎮吉左衛門に対して紀州への謹慎を命じた。もちろんこれは表向きの理由で、秘密裏に吉川平助周辺を探らせるのが主目的であった。

 吉川は紀州の水軍を一手に率い、それに附随する海上交通も握っており経済的に富む立場にある。それを探らせるためである。


 逐次伝えられる情報や、自身がこれまでの調べた結果からすると、秀長という本丸辿り着くのは時間の問題であった。

「だが……まだ確固とした証が足りぬ」


 考えるなかで、石田三成を使者とする秀吉のお褒めの言葉も、そこまで響くものではなかった。むしろそれはしがらみとして、高虎の思案を邪魔をする。

 それでも

「殿下は藤堂殿を大層かっておられる」

 という三成の言葉は、ありがたく受けとるべきものなのだろう。

「それで、信頼できる藤堂殿のことだから、もう一度長崎へ遣わしましょう、そのように殿下と奉行が盛り上がりましてね」

「……またですか……」

「今度鍋島殿が正式な奉行となります。その引き継ぎの作業です。引き継ぎと同時に商人や町人たちに、鍋島殿の手を煩わせるな、と」

 

 三成は猫手を見せる。可愛げとは対極にある石治少でも、少しくらい悪戯な心もあったらしい。



 激務どうかつを終え長崎からの帰路、大坂の館に多賀出雲守の姿があった。

 不在の間、様々なことを信頼のおける吉左衛門に任せていた為だ。そのなかで今の長で大身の彼が報告に来るというのは、やはり思った通りの結果が出たのかもしれない。

 俄には信じたくないものであるが。


「それで、どのようになった」

「やはり佐渡守殿の見立て通りとの由にて。秋に再び熊野を攻める中で、成り行きを見定めたい、とも仰せでした」


 九月下旬、吉川平助を大将とする紀伊衆は再び熊野を攻めた。

 その中で主戦力となる代表的な国人堀内安房守とは、仙丸の祖父杉若越後を通じ親しくなっており、最早吉川の一挙手一投足は高虎の手の中である。

 高虎も従軍しているが、敵を討つことよりも吉川隊の動きと共に木材の管理状況を入念に把握するよう内衆に対し厳命した。

 大和や紀州では築城や戦乱の時代に衰退した寺社の増築改修の為に木材の需要は旺盛で、更に天正十六年の五月には京都で秀吉肝煎りの方広寺大仏殿造営作事が始まった為に、その需要は著しく高まっている。

 一度でも物の売り買いをしたことのある者であれば、こうした好機は見逃す筈は無いだろう。それ自体を高虎は咎めようとは思わない。

 だが本丸から城下が銭で塗れ、武士は本分を忘れ銭に溺れる。これが健全な状態と言えるのだろうか。


 こうした警戒体制を他所に吉川勢は寺谷の反対勢力を一気に駆逐していく。天下人の弟の兵力を前に木っ端国人など問題では無かったのだ。

 これにより北山の大多数で抵抗勢力は概ね駆逐した、と平助たちは喧伝する。

 凱旋の帰路、彼らは堀内安房守の本拠地で速玉大社が座す新宮で祝宴を開いた。

 その最中一人の神官が吉川平助・三蔵兄弟の内衆へ粗相をしてしまい、内衆と神官に属する山伏とで口論が発生した。

 杉若越後が慌てて止めに掛かろうとするも、山伏は遂にこの内衆の一人を斬り殺してしまったのである。

 吉川兄弟はこれに激昂、宴を取り止めそのまま挙兵すると、神官が属する神倉に攻め寄せ、堀内安房守の制止を振り切り神倉を焼き討ちにしてしまったのである。


 この事は新宮から少し離れた場所に居た高虎と羽田正親の耳に入る。協力的であった速玉大社と諍いを起こすこと自体が大問題であるが、特に高虎は仙丸の祖父である杉若越後と地域最大の国人である堀内安房守両名の顔に泥を塗ったこと問題と捉え兄弟の身柄を接収した。


 事件の詮議が名目ともなれば、兄弟が治める紀之湊の館への捜査は容易いもので、出陣当時のまま全てが残されている。

 留守居の国人たちも平助の専横には嫌悪感を覚えていたらしく、高虎たちの捜査に最大限協力をしてくれた。もちろん今後の身の振り方の為というのが大きいかもしれない。

 意外だったのは和歌山の桑山重晴も吉川と、彼を重用する秀長に対して苦々しく思っていたようで、捜査に携わりたいと申し出があった。

 紀之湊の支配に際して、最古参で同郷の自分では無く、吉川平助などに任せたことは心外だったらしい。



 捜査は一ヶ月に及んだ。

 中でも郡山城の捜索は、此度の一件には関係ないとして婿たちの抵抗にあったが、紀之湊で怪しい帳簿を見たと嘯けば呆気なく帳簿などを押収することが出来た。

 既に多賀吉左衛門と自らの内衆の地道な内偵活動によって大枠は明らかになっていたが、押収した帳簿類によって詳細な金の流れが浮き彫りとなる。

 吉川が得た益は漏れることなく郡山の秀長のもとへ上納されていたのである。



 高虎は小堀たちに迫る。


「ここまで確たる証拠があっても其方らは、口を閉ざしたままか」

「御言葉ながら舅殿。舅殿は、左様に追及することが大和の御家のためになると思うておいでか」

「面白い。この期に及んで平助と大納言様を庇うことこそ、御家の為に無らん」

「舅殿は大納言様を貶めるのか」

「貶めるだと?  笑わせるなよ新助。一に紀州の木は誰のものだ?  間違っても大納言様のものではない。斯様に関白殿下が法度を仰せ付けているのだから、殿下、いや天下の木ぞ。良いか、殿下は木を伐る本数から加工搬出に至るまで仰せ付けている。法度に背くのみならず、私腹を肥やすのは謀反であるぞ」


 秀吉は方広寺大仏殿造営に際して、調達する材木の数と種類から伐り出し方、運び方を事細かに指定し、不足と超過を強く禁じていた。

 それなのに秀長と吉川は北山の国人や百姓と結託し、わざと多めに伐らせ、その分で私腹を肥やしていたことが調査で判明した。


「肥やすことで侍たちを食わせている。舅殿は正しいことを仰せになるが、天下人の正しさが必ずしも国支配への正しさには通じず」

「愚か者。新助、貴様は何のために算術の巧者たるか。現世の正しさとは数字と法度によるものぞ。平助も大納言様も、今般の所業は不正である」


 捜査を続ける中で陰口は様々聞こえてくる。


「まるで藤堂殿は目付役のようだ」

「太守への恩を仇で返す卑怯者」

「態度も図体もでかすぎる」

「大餅喰らい」


 悪銭で生きる連中には相容れぬものがあるのだろう。むしろ心地好さもある。

 思い返せば高虎は伊藤掃部の跡を得た。掃部は生前関白より筒井殿の目付を仰せ付けられていた。その跡を継いだだけなのだから頼まれてもないのに、大納言豊臣秀長の不正を追及することは理にかなっている。

「忠実だからこそ諫言せねばならぬ」

 幼少期の湖国では、六角親子に諫言できる仁が多く居た。


 陰口を振り切り高虎は桑山重晴をはじめ、大和大名衆を取りまとめた。特に秀長の出頭人たる羽田が同調したことで流れは変わった。また沿岸部の国人たちも、神倉を焼かれた怒りや木の伐りすぎによる害を懸念していたことで、迷いなく同調してくれた。


 十二月。

 全ての捜査は終わり、関白殿下による裁定が下された。


「罪人、吉川平助は此度不埒の徒と結び不正に材木を売買し暴利を貪ったこと、私闘によって罪無き神倉を焼いたこと、何れも関白殿下の意に背くとし甚だ許し難し。死罪を申し付ける。そして大和大納言殿は吉川平助の行動を止める立場にありながら、許可を与え私腹を肥やしたこと断じて許し難し。ただし先年より闘病の最中であることに依って、今冬いっぱい居城郡山での蟄居とする。此すなわち関白殿下の御配慮に依るものである」




 天正十九年(1591)正月。

 豊臣秀長の病状は重篤なものとなりて、生の灯火が今に尽きようとしていた。

 年始の北山巡見を終え、赤木から郡山へ帰着した高虎は、重臣たちから会話できるのは今の内と急かされ、病人が眠る寝室へと通された。


 吉川平助亡き後、水軍は高虎に移管され、兄弟が抑えていた北山は高虎と羽田正親の共同支配となり、紀之湊の権益は桑山が握った。

 北山に入った高虎は、筆舌に尽くし難い苛烈な措置を行い、同地域の有力国人入鹿氏は凄惨な族滅を遂げ、尾呂志の百姓たちは、その首が風伝峠に曝された。


 公平かつ公正で、質素な反面、藤堂佐渡守は苛烈であった。

 彼は法と秩序、そして武威と中央政権ひでよしとの近さ、近江衆や紀伊国人衆の絶大な支持といった様々な要因(仙丸を養子とし、於虎殿の後見を任されたことも大きい)によって大和豊臣家の頂点に立った。件の事件では秀長をも上回ったかのように見えたが、事件以降は静かに秀長を支えた。

 やはり室町時代京極氏を支えた多賀氏の一族に生まれた、高虎の遺伝子がそのようにさせるのだろうか。弁えるところは、よく弁える男である。


「……佐州よ……」

「熊野道は今日も無事に御座います」

「そうか……。それは良かった」

「あまり御無理はなさらずとも」

「いや。明日ともわからぬ……この命だ」

「は」

「……貴様は……わしの命をよくも……まあ縮めてくれた」

「それは、左様に思われても、致し方ありませぬな」

「如何に……わしは……後世思われるものか……。天下の笑い者とならん……」


「御心残りはありましょうや。然れど手前共から見れば、大和を統べ熊野を再興せしめたる功績は……敬服の至り。確かに失敗も御座いました。それも大納言様の御人柄に御座る。むしろ手前こそ、十年前より謝っても足りないほどに御座いますれば、何も案ずることは……」


 ふふと、秀長は笑った。


「佐州……頼みがある……。末期の頼みぞ、聞いてはくれぬか」

「! これまで散々御心にそぐわぬ所業の数々が御座います故、何なりと仰せ下さい」

「一応の……自覚があったのならば……それで良ぇ。どうかな……わしが死んだ後、佐州に肖像を……頼みたい。結局……家中の誰よりも……佐州が最もわしを良く見ていてくれた……。気力がある頃……佐州を迷惑に、幾度も煩わしく思ったが……。良くも悪くも……実のわしを見てくれたのは佐州ぐらいじゃでな……。誇張の無い……わしの絵を……どうか頼む……。この痩せこけた哀れな顔を……描かせてくれ……」

「御意に御座います……!」




 文禄三年の暮れ。

 秀長の死からまもなく四年を迎えようとしている。

 秀長が立ち上げた家は、天正年間の様々な変化、外圧、意のままにならない面倒な家臣、そして内なる粛清によって歪な形を描いている。

 

 時に天下の茶人古田織部は、奇妙な形の茶器を作る。

 高虎自身は朝鮮で見たような均整の取れた白磁の姿が最も美しいとは思っているが、それでも織部好みの茶器にも感じ入るところがある。


「そうか、織部殿は茶器を通して人の世を見ているのか」


 誰しも、同じように真っ直ぐに歩くことは出来ない。歪んだり、曲がったり、少し欠けたり。一つ一つの違いが人々の世を形成するのだ。

 それは大和豊臣家も同じことであった。


 外伝 了

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