第44話・暮れゆく

 羽田はねだ正親は輿入れを巡る詰めの協議を毛利家、秀吉方、聚楽第相手に奔走していた。

 正親は秀長の御息女の輿入れは自身が送り出したかった。それが名も無き羽田の六蔵を引き立ててくれた亡き秀長への恩返しとなるからだ。

「己が秀長卿第一の臣である」

 当人の自負はある。本来であれば桜井家一や横浜・小堀も居るが、自分は彼らよりも深く寵を受けたとの自信もある。


 しかし奔走するに思うことがある。

 藤堂佐渡守という高い高い高い壁である。奔走といっても大体の道筋を高虎がつけているため、正親がやることは承認の判押し程度だ。


 亡き戸田民部殿の館を用いて、京都市民に式典を見せる。大した祭りになるな。

 戸田民部少輔はこの年に亡くなった秀吉の信頼厚い家臣である。羽田が秀長に仕えだした頃、既に戸田三郎四郎として家中で活躍していた。

 民部殿亡き予州は政権の蔵入り地となり、誰ぞが代官として派遣されるのだろう。


 一連の惰性のような流れを熟す正親であったが、一つだけ承認できなかった事がある。



「大閤殿下の養女として安芸殿へ嫁がせる、左様に仰せと?」


 横浜や小堀の驚きは薄いものだった。


「喜ばしきことですな」


「お二方は、姫様の父は大光院様お一人と、思うておる筈ですが……」


 正親は複雑なのだ。

 天下のために、西国を束ねる毛利一門の若き俊英に嫁がせる姫に、今を生きている父親が居ないことが「適切」ではないことは理解出来る。大閤殿下の姪御への優しさなのだ。それは十分に有り難いことなのだ。

 しかし、正親自身が姫様のたった一人の父である大光院殿を信奉するから、頭では理解出来ても心が拒む。

 秀元殿はお若い。

 百歩譲って、秀保の養女としてなら、まだ大丈夫だ。

 側近連中を当たれば、数名は自分と同じ想いを持つ者があるかもしれない。


「駄目だ」


 そもそも、そうした側近連中が束になったところで最大派閥の近江衆には敵わない。桑山の爺様は早くから高虎贔屓なので数えることもできない。

 それに、この縁組みを望んだのが秀保本人であれば、己は主の心も計れない家臣となってしまう。

 それでは、大和宿老衆の名折れである。


「そうか。力というのは、こうした時に必要になるから、誰も皆求めるのか」


 文禄三年(1594)の冬、惣無事の世になってようやく気がついた。

 正親は権力欲に溢れる近江衆が苦手であった。何が彼らをそうさせているのか、理解不能であった。

 しかし、今しがたようやく合点がいったのである。

 遅すぎる気づきであった。



「それは宜しいことだ。是非に進めて戴きましょう」


 主立った宿老衆にこの話を含めた婚儀の議を報告すると、予想通り高虎は大歓迎の意向を示した。

 案の定と言えば案の定であるが、大閤殿下への忠臣がここまで来ると清々しいものだ。


「相分かった。左様殿下へ言上仕る」


 羽田長門守正親は、返答を携えてそうして再び伏見へと戻っていった。


 数日後、高虎の元に郡主馬が訪ねてきた。


「話をしたら取って返す故、酒膳は無用」


 突然の訪問に驚くが、何かしら急ぎの用があるのだろう。それも大閤殿下の馬廻なのだから、婚儀を巡る沙汰なのかもしれない。


「姫様の婚儀の沙汰であれば、羽田長門守が取り仕切っております故、手前には、少々与り知らぬ部分も御座いますが……」


 白湯を飲むと主馬は呟いた。


「その、羽長州のことだ」

「何か粗相が御座いましたか」


「長門守は優柔不断の仁かね。其方を見ているから、なのかもしれんが、あれだけのことを即決できぬのは、我等の不興を買っている。変わってはくれんか」

「なるほど。しかし承ることは出来ませぬ」

「何故」

「まず家中というのは、山の葉が如く様々な者が居ることが肝要にて、羽長州が様に熟慮の仁が居ても宜しかろうと。それに羽長州は大光院様が鍛え上げた俊英にて、その御息女お輿入れに関与せざるは、主従の間を引き裂くというもの。この佐渡守も、そこまで専横を奮うつもりは御座いませぬ。それに其方様方も、即断即決に慣れすぎている。あれぐらいで優柔不断と言う方も言う方、と存じますが」


 主馬は腕を組み、納得した表情を見せた。


「ああ。良ぅわかった。わしらも佐州で慣れていたのが良なかったのかもしれんな。あんたが如何に才人か、おっちゃんも忘れとったわ」


 これでまた、いつもの郡主馬と藤堂与右衛門に戻るのである。


「おっちゃん、毎度褒めてくれるけど、褒めてくれたとこで何も出てこんで」

「かまへんかまへん」

「手前も即決したところで、郡山の連中から何思われておるやら」

「心配すな。あんたにはおっちゃんもそうやし、殿下に大坂の奴らがついとるで、大船に乗ったつもりでやれば宜し」


 主馬の陽気さには、いつも元気づけられる。

 戦乱の世に大事な人たちを多く失った彼が、どうしていられるのか。気になるが、今はまだ聞く気にはなれない。


「その大船は、私が話を良く聞く男だからこそ、都合が宜しいのではないですか。もしも、大坂に都合が悪くなれば、船から蹴飛ばされやしませんか」


 帰ろうとする主馬を引き留めようとする言葉が出た。


「何やね、それは。つまり殿下や奉行連中の心変わりが怖いっちゅうことか。そりゃな、神子田たちを見とったら、そうなるのはしゃあないか」


 主馬は天井を見つめながら語り続ける。


「ようけ言われるやろが、佐州は家柄と共に殿下への功がある。余人、佐州に一目置いとる訳や。使えるもんを、ほっぽり出すのは阿呆のやることや。」


「ほんでも佐州がこらあかんわ思たら、いっそ山に登ってまえば宜し」

「山に?」

「そや。山上がり。どうにもならんと思たら、寺に駆けこむんや。ここらはようけあるやろ。そんなかから、自分が思った方向に駆け込んで、時間が過ぎるのを待つも良し、経を唱えて過ごすも良い」



 含みのある言葉だ。

 郡主馬もそのようなことを思うのか、と高虎は少し学びを得た気分になった。

 彼は和州の寺社を念頭に語ったが、高虎の頭には故郷の景色が思い出される。

 近江には寺が多くあった。郷里中郡、実家の目と鼻の先には二階堂宝蓮院。ここでいとこおじの多賀新左衛門が禅を組んでいたのを、何度も目にしたことがある。更に彼は、本能寺の変で降伏した後、一時期東福寺に籠もっていたことがある。

 そして勝楽寺に西明寺、金剛輪寺、敏満寺もあった。

 物心ついた頃には国主六角義弼が親子喧嘩の末に、永源寺へ遁走するという事件も起きた。

 考えてみると寺社は近い存在であったのだ。

 総合商社としての寺、供養の場としての寺、祈りと精神修養の場としての寺、そして逃れるための寺。

 それぞれの聖域は、余程の事が無い限り血で穢されることはない。

 いつ高虎が聖域を必要とする日が来るか、皆目見当もつかないが、選択肢として心得ておくのは悪くないように思う。


 こうして羽田長門守の奔走もあり、段々と婚礼の日取りが固まった。


「来る二月末、京の市中にて盛大に執り行うとの由に御座います」


「長門、大義であります。二ヶ月後ですか」

「二ヶ月もあれば、我等宿老衆も落ちついて仕度ができる。長州、誠に良い仕事をしてくれた」


 正親は秀保と桑山重晴から厚く礼を貰う。この瞬間がたまらなく好きだ。

 特に尊敬してやまない桑山重晴に褒められるのは、自信になる。


「この長門守、三河一向の門徒や江戸大納言様の御子息様を巡るやり取り以上に、緊張致しました」

「それは長門が我が義妹を大切に思ってくれている証です。改めて礼を申さねばなりません」

「いえいえ。やるべきことをやったまでのこと」


 影で話を聞きながら高虎は逡巡する。

 桑山の親父と羽田、そして秀保。例えば桑山と羽田は天正初頭からの付き合いがあり、秀保と羽田は名護屋留守居の日々を過ごした仲である。

 高虎が存じない人間関係の姿だ。


 次の昼下がり、秀保は茶に高虎を呼んだ。


「昨晩、佐渡は裏で聞いていましたね」


 秀保にはお見通しである。


「皆々、円満は心が安らぐものですな」

「居心地が悪かろうと思いました。だから、あの場に出なかったのは正しい」

「弁えるべきを弁える。これも臣の務め、というものでしょう」


「保田から聞きました」


 あの小姓、余計なことを言う。


「郡主馬が早馬で藤堂佐渡守を訪ねた。これは事実ですね」

「ええ」

「私はそれを聞いて、逆に驚いたところがあります」

「それは、あの藤堂佐渡守が万事整えているのでは無いのか、という部分でしょう」

「ふふっ。本当に佐渡は人の一歩も二歩も先を行きますね。その通りです。正直長門の調整も、これは佐渡守の下地があったからこそ、と思っていました。でもそれは違ったらしい。が、大坂方は何かしら佐渡を求めた」

「大したことはありませぬ」

「でも気持ちはわかるんですよ。家中の力関係とは別にして、藤堂佐渡守という男は縁組みに長けた男だ。そんな男が大して関わっていないというのは、解さない訳で」


「そこまで仰せならば、この藤堂佐渡守も一肌脱ぎますが。まずは羽長へ話を通して戴きたく」


 この日、曲音のもとで茶を点てるのは小堀新介の嫡男作介である。この青年は主従の話を聞きながら何を思うのだろう。

 家中の微妙な均衡、そして絶大な支持を誇る実力者。

 この作介は父の手代として検地を手伝うこともあり、家中重臣層のなかでは領内の民百姓と直に接する貴重な存在である。だからこそ、この権力劇が如何に下々の者共にとって空虚で、無意味に見えるかを知っている。

 だが、秀保が高虎が帰国してから国内の治安が良くなったことも重要で、力を持つ実力者の手腕は勉強になる。


 そうして年は暮れる。

 気がつけば、高虎と秀保が再会して一年が過ぎた。

 文禄三年はとても濃い一年だ。だが人生は長い。来る年が今以上に濃密で、忙しい一年になることは大いに予想が出来る。楽しい日も頭を悩ませる日も、最善を尽くして生きていかねばならない。


 時に秀保も高虎も、互いの快い距離感が終わることは無いと思っていた。

 不穏を抱えながらも、自分たちの前途に幾分の疑いを抱くことはなかった。

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2024年12月24日 12:00
2024年12月25日 12:00
2024年12月26日 12:00

文禄四年の政変 柊凛音 @rio2_t_a2_shu

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