第43話・真相
秀元との婚儀の話は概ね調った。
調ったということは、母である尼や秀長の正室大方様、そして姉妹への披露と相成る。
その役目は、家宰たる横浜の仕事である。そこに高虎の用はない。
何かあれば、秀保や一高がどうにかしてくれる筈で、むしろ横浜に限って面倒は起きないと踏んでいた。
婚儀は誰もが不安を覚える。特に相手を知らぬ政略結婚であれば、姫にとっては尚更だろう。
「おきくちゃん、おめでとう!」
秀長の正室、つまり大方様の祝福する声が館を飾る。
秀元に嫁ぐおきくは、秀長と側室の間に生まれた娘である。この側室というのは秀長がその人生でただ一人、妻とは別に惚れた女人であった。
彼女は地元大和の国人の娘で、いつ頃からか寺通いをしていた。その彼女が新任国主として赴任したばかりの秀長に見初められ関係を持ってしまった。
よりにもよって国主が寺通いの女人と関係を関係を持つと言うことは、当然奈良町の人々に嗤われる事となり、更にその女人が子を宿してしまったのだから家中は大慌てとなる。特に秀長の後継者候補筆頭で丹羽長秀の三男仙丸を見守る多賀一族は気が気では無かった。
寺社勢力への断固とした対応を託された秀長の、その実の男子が寺社関係の血筋ともなれば頓挫してしまう怖れがあった。更に言えばこの女人は筒井一族の流れを汲むというのだから話は複雑になる。
だからこそ生まれてきた子が女子であったことは、何人かの家臣の心を安堵させたのである。今では秀長当人の心中は知る由もないが、それでも既に女子の父親であったこともあり、変わらぬ愛情を注いだのである。
大方様も人が出来た女人で、自らも育児や家中の差配に忙しいのに、母子への援助を惜しまなかったので、秀長亡き後もその仲は良好である。
「大方様、忝う御座います」
今に興福院を再興せしめた女人の娘だけあって折り目正しい。そのような妹の姿を見て秀保も一高も胸をなで下ろしている。
だがそれでも不安げな顔を見せるので二人は助言を贈った。
「安芸殿はお優しい方だから、案ずることは無いよ。それに当分は伏見住まいだから、森家へ嫁がれた御姉上様とも会える」
「何なら郡山までも近くなりましたから」
秀保と一高の兄二人の言葉もまた頼もしい。
だが不安を払拭するまでには至らない。それは彼女が一番頼みとしていた存在が今日ここには無かったからである。
「ところで、佐渡守様はいらっしゃらないのですか?」
高虎は出自の良さと武功及び勤勉さ加え重臣への縁組みによって台頭した。同じように欠かせないのが奥向きとの付き合い方で、彼は生まれながらおばや姉といった女性に囲まれ育ってきたこともあり女性への付き合いが上手い。
だから高虎は家中での女性人気が高い。
「父上は領内の巡察も兼ねて境目の寺社詣でとの由に御座います」
一高の言葉は、どこか含みのあるものだった。
密議である。
それも高い買い物である。
「森半介の郎党!?」
「大きな声で叫ぶな。どこに耳があるかわからんぞ」
「あいや、よく居場所を掴めたな」
森半介は天正二十年(一五九二)に突然子息を刺し殺し自らも腹を切り果てた留守居衆の男である。この夏、高虎たちは森半介が果てた事件の再捜査を試みた。しかし誰しも口をつぐみ、断念に終わっていた。
だが千賀地半蔵は違った。
「まあな」
「それで何処に居たんだ」
「おっと。ここから先は対価を払って貰おう」
とにかく千賀地は金にうるさい。秀長以上に守銭奴である。だが彼の場合は生きるために必要なことなのだ。
伊賀の乱で故郷を焼かれ、紀州保田の里も秀吉来襲で被害を蒙った。今は僅かに残った故郷予野の土地と家人を維持するために商いに専念している。
元々伊賀国人としての務めには不向きだと感じ、若い頃から商いをして諸国を巡ってきたので悪い暮らしでは無い。特に今目の前に居る大男という気が合う存在と出会えたことも商いのお陰である。
高虎にとっても千賀地の存在は大きい。話していて面白いし、提供する商材は高虎の欲を満たし、菱屋林家とは違った視点を持つことも役に立つ。
「わかった、わかった」
「何のことは無い。和州の森という家を考えたのだ。かつて順慶殿の御家中にも森という家臣があった。そして筒井家は今、伊賀を治めている。それならばと上野の城下を探ったまでのことよ」
はて、筒井の旧臣であれば家中にも居るはずでは、と思ったが彼らの視野外であればわからないのは当然なのかもしれない。
指定されたこの日、高虎は指定された寺へ、僅かな供回り、といってもいつもの三名等を引き連れて向かった。名目が巡見を兼ねた参詣である。
門をくぐると千賀地の次男が出迎えてくれた。
「郡山に居た筈だが、いつの間にここへ来たのかね」
「小姓頭へは届け出ております」
「何と言うた」
「家の都合、です」
家の都合で休んだ小姓がよりによって佐渡守と会っていたとなれば、何か言われてしまうやもしれぬ。
「父と御客人がお待ちです」
苦笑していると小姓は高虎を急かした。
堂の前には既に千賀地が立つ。目が会うや否や、銭を寄越せと手を出す。
「頭金」
「此の中に御客人がいる。森家累代の小者だった男だ」
巾着の中身を確認しながら案内をする器用さは、伊賀と紀州の有力国人
そして商人の三つを両立させるだけある。背中にも目がついているのかもしれない。
「どうかな、向こうは面識はあるか」
「そりゃ話したことは無いが、都度見かけたことはあるらしい」
戸を開けると一人の男と、僧侶がいた。千賀地に協力している僧である。
「和尚、迷惑をかけて相済まぬ」
「いえいえ。人の役に立つのが寺の役目。有り難い限りに御座います」
一人の男は、森の小者というが、流石の高虎も見覚えが無い。
「藤堂佐渡守である。生憎貴殿とは面識が無いが、今日は亡き半介殿のことを伺いに参った次第」
「佐渡守様にお目通り赦され恐悦至極に存じます……」
「苦しうない。確か乱次郎と申したな」
「ええ」
「半介殿とは長かったか?」
「御家を継がれた以来の主従に御座いました」
単刀直入、話題に入るのは怖さがある。いつもそうだ。だが、切り出さねば終わってしまう。
「ならば半介殿の件は、さぞかし気落ちされたことだろう。この藤堂佐渡守も、よもや出兵の日が最期になるとは夢にも思わなんだ。天正二十年から二年。未だに郡山で半介殿の姿を探してしまうよ」
「そこまで旦那様を思うてくださるとは……」
「だからこそ半介殿が最期に何を見たのか。帰朝してからずっと考えておった」
乱次郎は嗚咽と共に涙を見せる。
「旦那様が一番悔しかったと思いまする……」
「一体何があったのだ。覚えている限り話してくれ給う」
唐入りで主だった家臣が出兵して暫くした四月、奈良町や郡山城下に賊が目立つようになった。
店荒らしや物盗り、それに人斬りである。
乱れる治安に横浜も小堀も中坊井上源五も、こうした対応に苦慮していた。主立った兵、特に大和衆の精鋭たる甲良武士団の不在の弊害は大きい。
そうした最中、森の家人が一人の男を捕らえた。
「その者は旦那様と知己の者であったのです」
「さすれば筒井の旧臣かね」
「いえ。大光院様の内衆であられた侍に御座いました。それから暫く賊徒の様子を見定めましたところ、彼奴等は皆一様に……かつて大光院様にお仕えしていた身に御座いました。そして彼奴等の中には聚楽第が支えであると嘯く者や、奈良町での一揆を呼びかける者など……」
「なんと……」
「だからこそ旦那様は悩まれたのだと思いまする。治安を守ることは中納言様への忠義、されどかつての輩を斬ることは恩人たる大光院様や関白殿下への不忠ではないか、と」
「半介殿は遂に決することが出来ず自我を失い、狂乱死してしまった。このようなところか」
「左様に御座います……」
かつて高虎は秀長家中の綱紀粛正を謀り、秀長に甘やかされた不埒者たちを法と道理を以てして一斉に放逐した。この一連の「吉川平介事件」によって藤堂佐渡守高虎は、和州におけるその地位を盤石なものとしたのである。
そしてこの事件は秀長の権威を地に堕とし、ついにはその寿命も縮んでしまった。
法の遵守、そして小さじ一杯の権力欲の為に、高虎はそれなりの人数を傷つけてしまった。
「悪いことをした」
悪びれない大伯父とは異なり、高虎は頭を下げる。三国一の巨人が頭を下げるのだ。
「いえっ。旦那様も佐渡守様が仰ることは尤もだ、と仰せでしたので……」
だからこそ千人切が捕まり、処刑されたときには乱次郎は安堵したという。
泉下の半介一家も同様であろう。
最後に高虎は同じ頃に死んだ中坊に務める孫右衛門の中間について聞いた。しかし乱次郎は知らなかったと答える。
「ただあの頃、あの場にいた物であれば何が起きたかはわかっております。恐らく孫右衛門様の中間も、旦那様と同じ苦難を味わったのでしょう」
誰しもが板挟みを嫌う。どちらかについていた方が気は楽なのだ。人はそんな簡単に覚悟が決まるものではない。
二年前、国許の留守を預かった者たちは、聚楽第を敵に回すことを恐れ見て見ぬ振りをしたのであろう。国を守る立場としては断じて許すことは出来ない。しかし高虎はその重圧を知らないから、何かを言うことは避けたい。
「ともかくこの一件は終わったことに御座います。どうか佐渡守様も中納言様の御為、聚楽第とは良好な間柄を保って下さいますよう、お願いに御座います」
あっという間に密談は終わった。
高虎は千賀地に対して彼の身柄を末永く保護するように伝える。貴重な協力者は丁重に扱いたい。
「なるほど藤堂家で捕まえることが出来た訳だ」
「嫌われるというのは大変なものだな」
溜め息をつくと千賀地は嫌味で返す。
「ただもうこれは終わったことなのだ。下手人は総て死んだ。その後、治安を脅かす輩は出てきていない。不埒な輩は最早この世には無い。そのように思う他あるまい」
慰めの言葉も出るのか。高くつきそうだ。
「罪を抱えて生きてゆく。侍とは因果なもんだ」
答えの無い問いである。
「わしに悔いは無い。秀長様に諫言申し上げたことは、己を貫いたまで。何を言われても、嘘をつかなかった己自身を褒めたいよ」
大した働きもなく、主へ媚びるだけの内衆。そのような内衆を甘やかし、秀吉の法度に背いてでも食わせようとした秀長。
高虎は彼らに対し、法度と道理によって鉄槌を下したのである。事実大和宿老衆は高虎の行動を支持し、秀長の梯子を外した。そこに各々の私利私欲があったとしても、大半は恩よりも法と道理を優先した。
「いいさ。曇りは晴れた。気持ちを新たに中納言様をお支えするのみだ」
そして気持ち晴れやかに郡山へ帰城する高虎を、次の問題が待ち受けていた。
昨日も、今日も、明日も、問題ばかりの日々である。
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