第42話・ルソン壺

 藤堂新七郎が伊勢から戻ってきたのは、それから暫くのことだった。


「千石の様相は如何であった?」


 この日伏見の館に居た白雲虎高は早速新たな知行地に興味津々だ。


「まず第一に今井の地は北辺に山が迫り、南には高田派の総本山一身田が御座る。遠方に加え、周りの具合を見るに扱いにやや難があるやもしれませぬ」

「その辺りは馴れた者が多いから、問題は無かろう」

「は。ただ伊勢までの往来が、少々面倒ですな。山城から伊賀、そして伊勢へ出なければなりませぬ。」

「どうにも。わしら藤堂の家は、往古より飛び地が似合う家柄、という訳だなあ」


 永禄年間に藤堂九郎左衛門が浅井長政に安堵された私領を見ると、甲良ではなく蚊野・安食に点在していたらしいことが窺える。最もこの藤堂九郎左衛門と虎高親子の関係性は不明である。

 津藩の編纂史料では、高虎の祖父とされる人物、そして父虎高が九郎左衛門を称したとされ、寛政譜にて旗本藤堂氏の祖少兵衛も称したと記述されるが、その傍証たる史料は今のところ見当たらない。

 室町時代、藤堂九郎左衛門という名は京極被官として登場する。天文初頭には尼子氏を代官と仰ぐ九郎左衛門尉家忠という人もあった。恐らく、九郎左衛門系統が公家侍ではない藤堂氏の嫡流と推測する。

 この藤堂九郎左衛門という人は地味だが中郡の有力国人の一人らしく、東福寺の高僧熙春龍喜を招いたこともあった。文化面にも理解があったのだろう。

 作中の設定としては、何処からか養子に入った虎高との関係も良好で、高虎も温厚な九郎左衛門じじさまを慕っていた。

 温厚な九郎左衛門、そして狡猾な国人として苛烈な多賀新左衛門の親戚二人の塩梅は難しい時代に抜群であったらしい。


「それにしても新七郎。お主も伜も、家中も、少々欲が足りないような気がするのだ」

「親父様、それは、禄が足りない、と?」

「そうだ。今彼奴の禄は、お仙の一万石を併せてようやく二万だ。だが考えてみよ。今の彼奴は二万石以上の働きをしている。そうは思わぬか?」

「……それは言えます。天下に聞こえる働き、人づてに聞いた人柄に、仕官の徒が列を成しても、総てを受け入れることの出来ぬ口惜しさは御座います。特に、豊薩合戦で名を馳せた佐伯殿が未だ客人身分とは、人に笑われても致し方ないこと」

「お主も禄が低い」

「いえ、私はそこまでの仁ではありませんから」


 そうそう卑下するものではない。

 思えば高虎は磯野員昌にも織田信重にも、そこそこの禄でよく働かされた。父虎高が元亀争乱の終結後に身を退いたお陰でその分本貫地の分があったし、林という有徳人がよく銭を生み出してくれたので何とか破綻せずに済んでいる。だが今後禄高が都度の微増であれば十年のうちに破綻を来す。


「ここまで働いておるのなら、もう二倍ぐらいの禄が欲しいな。伜は、多くを望むべからずと言うておるがね、分相応であって欲しいものよ」


 藤堂家中に、欲と渇望が芽生えた。


 十二月五日、長束と増田、そして石田三成の奉行から十日以内に京へ上るように命じる書状が出された。「るそん壺」の代金に加え、商人への支払いの督促である。


「るそん壺か。何やら堺などで話題と伺うが、そこまで良い品には思えん」


 おじの多賀吉左衛門は高虎から渡された書状を読みながら呟く。一門の長である多賀新左衛門が晩年は茶の湯を好んでいたこともあり、陶器の良し悪しには理解がある。


「おじ上。これはただの壺に非ず。銭を生み出す壺に御座る」

「何か聞いたことがあるな。確か比国との貿易か」

「唐入りも元は日明の貿易が為。更に大閤殿下はその先行きを見通し、比国との貿易を模索された。この島国や明国のみならず、南洋にも歩みを進める殿下の御心には、頭が下がるばかり」

「以前、其方は聚楽第の企み……いや、素案を耳にしたというが」

「東国の貿易ですか。結局その後の話は聞き及びませぬ」



 夜半、呼び寄せた菱屋の父林次郎と共に千賀地ちがち半蔵こと保田則直が郡山の居館にやって来た。

「千賀地は呼んでないぞ。一体、何処から嗅いできたのやら」

「銭貨の動く音がした。それだけさ」


 胡散臭いが八、頼もしさが二、といった具合だろうか。

「壺の代金だけならまだしも、商人へはその二倍とは、中々剛毅な商いときた。払えない訳ではないが、商人相手のことなら林殿に聞いた方が早いと思いましてな。まあついでだから千賀地にも聞いてやらんでもない」


「無論商人としては払ってくれた方が助かるというものだ」


 次郎は笑いながら言うと、こう続けた。

「其方が付き合う商人は、わし等だけではない。ここで世に藤堂佐渡守は、きちんと支払ってくれる御方である、と周知される。此度の策について率直な感想としては、大閤は面白いことをなさる御方だな、と」


 次郎は懐から酒を注ぐと、面々に振る舞った。


「時に、この酒の値打ちは誰が決める」


「そりゃ次郎殿だろう。いくらだい」

「千賀地殿の言うことは正しい。では、わしが酒を調達するとして、そこで値段を決めるのは? もちろん酒問屋だ」


「何だか昔も聞いたことがある。物の価値は売りたい者、そして買いたい者が決める、そのように言うて」

「よう覚えておられた」

「物の価値でいくと、京では餅が一つ五文もするものがあった。わしはもう少し安いものを選ぶが、奉行連中御用達となれば副次的に価値が生まれますな。これは刀や茶器も同じと感じております」

「うむ。それが名物というもので、人の手から人の手へ移りゆく過程で価値が生まれる。所有によって生まれる物語を売買することが持ち手の名を高めることがある訳だな」



「物語を売り買いするのは、手前の得意とするところだ。ちょうど売りに来たところでもある」


 高虎は、千賀地が何か良いことを言った気がするのに無視をした。


「では物の売り買いでは何を用いるか」

「それは金銀や銅の銭貨です。あとは米ですな。往古は物と物を交換しあっていたと聞きますが、やはり銭貨の方が都合が宜しい」

「今、米の例えが出た。米を銭貨に替えることがある。その際の価値は誰が決める」

「米問屋か……金商人、両替商ですか?」

「細かく見ればそうだが、広く見たならば?」


「殿下、そう言わせたいのだろうな」


 千賀地はつまらなさそうに寝転がっている。自由な男だ。


「左様。では天下人とは何を定める仁であるか」

「物の価値?」

「うむ。正確に言えば、物の価値を定めるための基準、これを決めるのが天下人とわしは思うておる」


 林次郎の念頭には先頃よりの検地がある。大閤殿下と石田三成が如き奉行衆は、検地で遣う枡を統一した。これが先ず以て価値・尺度を定める、と言えるのだろう。


「物のはかり方を決める。確かに物の価値と言えるかもしれん」


 千賀地が少し真面目な顔つきになった。


「天下人の仕事には、事を裁くこともある。これは物の価値とは少々異なるが。まあ相論の裁きでは、どちらに利があるかをはかる訳だし、罪人を裁くときは、それこを罪の重さちうものをはかる。これも天下人の仕事というわけだな」


 この千賀地の解釈はよくわかる説明である。普段の行動を上手く説明されると、高虎も納得する。

 物の重さ、そして物の価値。

 かつては大名の国によってまちまちであったのを、信長が新機軸を定め、秀吉は九州から東国に至るまで統一せしめたことでこれを広めた。

 特に天正以降、この島国で金銀を確と造り出し、秀吉秀長兄弟の辣腕、強引な手段によってこれが広まった。

 此度の唐入りというのも、思うに明国の経済圏へ自国で生まれた銭貨を広めようとしたのではないか。聞くところによれば明国に国王と認めさせるため、武威を示そうとしたらしいが。

 るそん壺の商いも同様に、銭貨を比国へ広めようとしているのではないか。

 そして商人へ二倍の代金を支払わせるのは、高虎など大名が溜め込んで居るであろう銭貨を、世に流通させようという目的が見える。

 高虎のように銭の使い方を弁える大名なら、どうにかなるだろうが、昨日今日小金を持つようになった所謂成金の大名は、そのやり繰りに苦労するものであろう。

 またしても、金貸しが跋扈する世の中になるのではないか。少々の危惧がある。

 逆に考えれば、自らが金貸しの真似事をするという案もある。上手くいけば婚姻戦略と並ぶ、縁作りが可能となる。


「以前、其方は聚楽第の企みを話してくれたことがある。その後わしも様々見聞したが、およそそのような案は見えない。恐らく粟野木工の絵空事か、取り止めになったのだろう。しかし今後聚楽第がその力を拡大し、殿下と異なることをやり始めようとする懸念はある」

「そうなると面倒だな。俺たちは、どっちの値付け、はかりに従えば良いのか、わからなくなる」

「例えば関白が若君様に位をお譲りにならず、東西で二つの権力が出来てしまえば、これでは統一が無意味となる」


「……成る程」


「わしも後先短いと思うほど老いた。どうなるかわからんから今言うておくがな、この先殿下と聚楽第で無いにしろ天下が二分されることがあるやもしれぬ。その際に、其方は何れかの陣営を選ぶことと相成る。そこでの物事のはかり方、其方が何方の値付けを選ぶか。こういったものを意識するのも良い」


 今の状況で例えていうのならば、秀吉が決める価値と、秀次の決める価値、何れを賛同し選ぶのか。決める価値、というよりも、提供する価値、と言う方がわかりやすいかもしれない。



「そういえば先に物語の話もあったが、大閤殿下は自らの出自や出世譚を物語にして、方々に流布している。硬軟の使い分けというか、出自の話は庶民からの親しみやすさと侮りを買い、それを武威と器量の出世劇で上書きするというのは考えたものだと思う。しかしだからといって次郎殿は、どうにも、この私の物語を作ろうとしているが流石に少々気恥ずかしさがある」

「そうかね? 近時殿下の周りには浅井備前殿の御息女や御一門が数見られる。我等が中郡も浅井殿の勢力に収まった時期もあるのだから、些末なことは良かろう」

「物事は正しくなければなりませぬ」

「正しさは公事だけで良い。物語ぐらいは、少々の誇張があっても良いではないか」


「で、話は終わったかね?」


 千賀地半蔵は手持ち無沙汰、指で紐状の物を振り回す。後から聞けば伊賀の国人が多く用いる伝統の組紐で、彼もまた暇の内職で作ることもあるらしい。


「そうだ、千賀地。先に何か言うておったな」

「売りたいものがあってな。森半介の郎党の居場所だ」



参考文献

鴨川達夫:豊臣期の一文の価値について――大和田重清日記から(東京大学史料編纂所紀要第30号 2020.3)

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