第41話・外聞と恋慕
その後、表だって語る者は僅かながら、裏の場で事を語り合う者は居た。
特に彼との距離が近い者は、事の次第で自身の存亡が懸かってくるために切実であった。
特に最大の与党の一角とも言うべき池田伊予守などは、得意の茶の湯を通じて同好の士、いや道連れを増やすことに勤しんでいた。
「そういえば、大坂の奉行が寄越してきた呂宋壺なる壺であるが。土佐守は如何に思う」
土佐守、一般的に小川祐忠とされる男は記憶を呼び起こすように天井を見つめた。
「うぅむ。あの壺は、言ってしまえば凡百の壺に御座る。然しながら、聞くところに彼の壺の本質はその造形では無く、壺を介して生まれる銭貨の流れが本質だという。私は焼き物、壺にはその造形美を愛でたい。心が動く壺であれば、やぶさかではないのですがね」
「すなわち土佐守は集金には応じぬか」
「そんなことを言うて、伊予守様も心中同じと見ておりましたが」
「わしか? わしはまだ決めかねておる」
「あのようなものは、佐渡守殿に任せておけば宜しいのですよ。金もある、押しつけがましい奉行連中とも上手くやる。面倒なことは、今までもこれからも、あの御方に任せた方が宜しかろう」
些か気まずいなかで、茶頭曲音の音が良く聞こえる。
「土佐守は、あまり藤佐と合わぬか」
「いや、嫌っている訳ではありません。しかし、どうしても昔の身分を考えてしまう」
「身分か。まあわしは佐々木であるし、藤佐は多賀の一族。確かに土佐守とは少々違うわな」
「あれはそこまでの生まれでもない。大した家柄でもない私は、羽長州殿の方が肩入れできる。私自身中途の与力ですが、一応は大和の宿老衆なのだからこそ、そこまでの生まれでない秀長様が、そこまでの生まれでない羽長州を育て上げたという、この昔物語は我等が共有すべきものであると思うております」
今となっては、亡き秀長が何方を贔屓にしていたのか知る術はない。むしろ横浜と小堀を側に侍らせていたし、郡山に入ってからの秀長は曲音の茶の湯に癒やしを求めていた。それが曲音にとっての誇りなのではあるが、要らぬ火種になるとは、侍というのも難しいものだ。
「ならば土佐守は、此度の藤佐と関白殿下の一件は」
「ええ。殿下の御気分を害した方が頭を下げるのが道理でしょう」
あまりにも毅然と答える土佐守だが、事情を知る曲音には何処かおかしい。
小川の妻は秀吉の側近で知られる一柳氏の娘だが、彼女のいとこ一柳右近は聚楽第に仕える立場である。それでいくと多賀一族、藤堂佐渡守の親族には聚楽第の奉行を務める藤堂玄蕃殿が御座す筈云々と曲音は思うのだが、藤堂佐渡守の体躯による無言の圧は、日向守光秀の謀叛に与した小川でさえも怯んでしまう部分があるのだろう。対して羽田長門守は人当たりが良い。
曲音は何方とも良好な間柄なので、もしも両者を天秤にかけることがあれば、身が引き裂かれるようなものである。
一方で当事者である秀保や一高たちの困惑というのは、相当のものであった。それでもなお気丈に振る舞う少年たちに、忠政は感心せざるを得ない。実に大したものだ。特に秀保は十一日に奈良町での能舞台を再び成功させた。動じない心というのは自分たちの盟主として、実に頼もしいものである。
この日、秀保と一高のもとに、弟分の金吾秀詮が訪ねてきた。毛利一門、小早川隆景の養子として西へ下る彼を招いたのである。
秀詮は十一月に入ると、いよいよ三原へ向かうために支度に忙しくしていた。その息抜きと、励ましてやろうという兄二人の気遣いである。
和州家の館へ入った金吾が驚いたのは、そこに何故か森忠政と毛利秀元の姿があったことだ。しかし招いた方は、さも当たり前かのように平然としているので可笑しい。
「金吾様、いやこれよりは小早川中納言様と、お呼びせねばなりませんな」
恭しく一高が称える。
「しかし金吾がいなくなるのは寂しいものだ。良いか金吾、兎にも角にも酒は程々にな。貴公はどうにも、年相応の飲み方が不出来である。まあ安芸殿が詳しいが、養父となられる三原様は礼儀に厳しい御方と聞くから、鍛えて貰うのも良いかもしれぬ」
年の近い兄貴分秀保に、そのように言われてしまうのは少々己が情けないと思うのではないか。少なくとも忠政が同じような頃合いであれば、取っ組み合いの喧嘩になっていたかもしれない。しかし近時の少年たちは実に大人しい。そのような分で果たして戦場の活躍が出来るのだろうかと思うのだが、惣無事の時代であれば、そうした気性は必要無いのかもしれない。
「ええ。おじ上様は厳しい御方です。しかし最近は丸くなってきたとも聞きますな」
悪戯顔の秀元に、金吾は少々ふてくされたように言った。
「なんだか兄者たちに言われると、先のことがやや不安になってきます」
こういうときこそ大人の出番である。
「何、ここに居るのは手前以外は皆養子。徳に宮内少輔殿は二度も経験がある。これからも良き御相談相手となりましょう」
「あはは。斯様に言われてしまえば、断る訳には参りませぬ」
「……早速。いや、これは相談ということではないですが、御家中新七郎殿は如何お過ごしで?」
金吾はどうにも新七郎を好いており、この日も居ないことを残念がっていた。
「新七郎殿なら、新知伊勢へ向かうため今暫く紀伊在国の御身に御座います。様々家中の新参を取り纏めるのに苦労をして居るようです」
「そうですか。是非金吾が気にしておりましたと、お伝え下さい」
「それにしても」
「如何した金吾」
「しかし宮内少輔殿と森殿はともかく、安芸殿はええと、一体如何なる間柄となるのでしょう……? 」
ごくごく自然な問いである。自らが西国下向の仕度に追われる最中、嫁ぎ先の跡目が自らに近い人物と昵懇になる。これほど意味が不明な展開も無かろう。
「金吾様、この御方は殿の御弟になるやもしれませぬ」
「へえ、私が入る小早川の御家から見れば、養父の甥御、宗家の跡目とまでは存じておりましたが。弟、となれば安芸殿と妹御に縁談ということでしょうか」
「あいや、まさそこまでは決してはおらぬことで。何分太閤殿下はもとより、小堀殿や横浜殿たちの、それに父や羽田殿といった宿老衆の内応を取り付ける必要がありますからな。今のところは、安芸殿が一方的な恋慕に御座います」
一方的な恋慕、というところで皆吹き出してしまう。
「此方もまだ近しい者にしか話していません。国許にも話を付けなければ」
「確かに毛利の御家中がどう思うか、ですな。ただでさえ殿下より私なぞを押しつけられて、挙げ句宗家の御跡取りにも豊臣の御血筋、亡きおじ大光院様の忘れ形見となれば、反発は必至やもしれませんな」
ともあれ家の事情によって結ばれる時代、恋慕によって結ばれたいという純粋な秀元の想いには羨ましいところがある。だからこそ秀詮は、これも何かの縁と思い西国に下ったら養父に相談してみるのも、有効な手であるかもしれないと芽生え始めた。
何より亡き秀長の娘、秀保の義妹を良く知る秀詮は適任である。
そして口には出さないが、彼らは自分たちが党を組もうとしている自覚がある。それは誰かへの抵抗とか、そういった邪な気持ちもあるだろうが、純粋な血と縁の連なりであったり、自らの生存戦略であったり様々な思惑が交錯するものだ。
和気藹々と会は終わる。だが秀詮には言っておきたいことが一つだけあった。
「兄者、くれぐれも関白殿下とは仲良うしてください。私はどちらの兄も尊敬しております。今の状況は私めも辛いのです。どうか、これ以上は拗れませぬように……」
「ありがとう。でも案ずることはない。仲が良いからこそ、ああやって言うてもらえるのだ。それは別に悪いことでもない。貴公もあまり気にして思い詰めるのも良くないから、楽にしてくれよ」
様々な思惑を以て縁を組もうとしていたのは秀保たちだけではない。
聚楽第もまた、縁を以て関係性を深めようとしていたのである。
同じ十一月の半ば、秀詮が西国に出立した頃である。伏見の秀保の宿所のもとに一人の大物がやってきた。
「佐渡守は居られるかね」
江戸大納言徳川家康である。この日あいにく誰も彼も出払っていて、藤堂の奥方と留守居の居相新丞程度しか居なかった。
仕方なく新丞がその旨を伝え、何か言付けがあれば預かるとしたが、家康は
「いや、大したことでもないし、内々のことだから」
と断って帰ろうとした。
「お待ちください大納言様」
珍しく彼女は前に出た。逆に諸将の妻は自分が相手だと物怖じするところがあるのに、この女子は大したものだと家康は感じたかもしれない。
「これは、これは」
「御用件は、和州中納言様へでしょうか。それとも我が夫佐渡守へでしょうか」
「どちらかといえば和州殿へ、でもあるが、やはりここは佐渡守の耳に入れておきたいと思ってな」
「大納言様、わたくしも一人の将の妻に御座いますれば、何の不足がありましょう。是非に夫佐渡守と思うてお話し下され」
「これはこれは。いや此方もまた佐渡守に良く合う肝を持っておられる。いやはや申し訳ない」
「過分な御言葉、わたくしは礼儀作法も知らぬ但馬の田舎者にて、御無礼の程を御容赦いただきたく存じます」
考えてみれば藤堂佐渡守は家康に対して自分の妻のことを語るようなことはなかった。ただ一言、自分などには勿体ない良き御方にて、としか聞いたことがない。
「では言付けを頼もう。実は近々拙者の娘が嫁ぐことになってな。その先が吉田侍従なのだ。ああいったことがあったから、この縁談が決まったら直ぐに佐渡守の耳に入れておきたかった。やはりわしと彼奴の仲であるから、誠意として真先に伝えたかったのだ」
吉田侍従池田照政は関白秀次の義兄であるが、ここで照政に徳川の娘が嫁ぐとなれば、関白にとっては最大の与党が加わったことになる。かねて秀吉の命によって秀次を指南して昵懇となった両者であるが、ここに思っても居ない縁が加わった。
「左様、ですか」
「やはり関白殿と中納言殿、それに佐渡守とが上手く拗れることは、余としても望んでいるものではない。どうか、勘違いやすれ違いがあってはならぬと思うてな」
藤堂の妻であればこそ、心労は多い。難しい局面になればなるほど、自分自身は但馬の野山を駆け巡る野生児の頃が懐かしい。
好いた男への愛というのは、全く大変なものだ。
「……大納言様は、まこと我が夫を好いておられるように見えます」
「好いている、か。そのように見えるか? いや、わしは確かに佐渡守を気に入っている。やはり家の連中とは違うものを持つ。それがよい。そちらの言う好きとは、また違うかも知れぬ」
「いえ。互いに一人の男を好いた。すると、わたくしと大納言様は恋敵と言えるのかもしれませぬ」
思いがけない言葉に家康も口元を緩めるしかなかった。
たとえ自分が藤堂佐渡守を好いていたとしても、身も心も深く愛せるのは、その妻には敵わないものなのだ。例え天下人の義弟として、大納言の位に関東の盟主たる地位、そして数人の妻があったとしても、徳川家康には不可能なこともあった。
だが家康には、それを上手く形容して同じ一人の男を好いた人間に対して語りかける言葉というものを持ち合わせてはいなかった。
「はは恋敵か。なかなか面白いことだ」
「御耳を汚し、申し訳ありませぬ」
「いやいや構わんさ。何だか少し気が晴れたよ」
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