第39話・京極高次という男(二)

 ここで起きたことを赤裸々に話してしまうと、高次の思うつぼのような気もする。しかし嘘をつくのは「不忠」であるようにも思われる。


「あいや、思うところは……。どうにも、御座いませぬとは断言できず。然れどこれは内々の軽微なことにて、何か侍従様の御手を煩わせることは……」

「ふうん。可もなく不可もなく、というところか。わしはどうにも、近時の聚楽第の連中が気に食わぬ。あいつらはわしを舐めておるのだ」


 高次は頬を撫で一息ついた。


「確かにせがれの一件では醜態を晒したやもしれぬが、それにしてもだ。一体連中はわしを誰だと思っておるのか。全く以てけしからん連中だ。近時関白めに取り立てられた輩共は、このわしが誰であるのか理解していないようだ。婆娑羅道誉も三官四職も昔のことなれど、戦国の内訌にて落ちぶれたこの御家を、一代で再び立てたのは誰ぞ」


 文禄の初頭、彼は高島打下の有力者山田氏の娘に手をつけ孕ませていたが、彼女とお腹の子を廻り母や妹、従姉妹を巻き込む騒動を起こしていた。そのような高次が果たして京極家を再興せしめたと言えるのだろうか、と高虎は疑問を表情に浮かべる。


「太閤なぞも長浜の御城を脅かしてやれば、妹御を従妹を室に迎えたいと泣きつく。それが京極の御家なのだ」


 全く聞くに堪えない武勇伝に思わず高虎も苦言を呈してしまう。

「侍従様、あまり左様なことを口に出すものではありませぬ」

「何、昔話と例え話だよ。わしがその気になれば、というものだ」

「……まさか風聞の元は……」

「ははは。人聞きの悪いことを申すな佐渡守。わしは風聞なぞには頼らんよ」

「……。ならば人から頼まれれば、事を起こされる、と?」

「頼みの類に依るとしか言えん」

「天正十年の砌は如何に」

「あれは様々な面子、そして淡海の衆の跡目と領地の相論等が複合的に組み合わさった結果だよ。まあ少なからず嘆願はあったが、最終的に決めたのはわしと日向守だ」


「そこに、一人の佐々木小兵衛としてためらいや、悔恨などは無かったのですか」

「伊賀攻めという大いなる成功体験があったからな。あそこで淡海の衆の軍事について自信を得たから、事を起こすことは容易であった」

「事を起こす以外の手段もあった筈では」

「織田の世は何れ破綻を来す、無理があったのだ。だからこそ我等は事を起こした」


「しかし明智日向守は負け、侍従様は流浪の民、武田殿も死へと追いやられた。我が一族も失ったものがあった。あの蹶起は失敗に終わったと手前は考えておりまするが、侍従様は如何に」

御父子おやこのみならず、吏僚連中も取り除き、人に無理を強いる政を終わらせたのだ。これを成功と言わずして何と申すか。義弟や阿閉親子の死は戦であるからして、これは致し方の無いことだ。わし一人でも生き延びた、これだけで成功だ。それに多賀の御家も源助は豊後守を称するに能わずして、出雲守を名乗ることになった。これも事によって得られた果実と言えよう。それにだ、貴様が如き才人が世に出ることが出来た。実に面白きことである」


 自分を引き合いに出された高虎は、腹に熱いものを感じる。

 こっちは一族の助命のためにどれだけ頭を下げたのか。だが今更高虎はその迷惑料を高次に請求する気も無く、或いは悪びれもせず武勇伝を語る高次に圧倒されたのかもしれない。


「……。私の前の主織田七兵衛尉信重様は、大坂にて謂わば乱に巻き込まれ死んだ。小兵衛殿と信重様は親しくされていたと覚えております。侍従様は今、信重様の死について如何様に」

「ああ。信重殿は運のないことであった。実に惜しい。それだけだよ」

「それだけ、ですか?」

「あの状況で、かつての謀反人の伜、まして日向守の婿ときた。疑われるのも仕方なかろう。良い御仁でもあったが、わしは大して気にも留めておらなんだ」


 冷たいものだ。

 それでは亡き信重は、まるで死ぬことが運命であったかのように聞こえてしまう。いや高虎も自身もそのように感じるところもある。だが信重の妻子を保護し養育する立場であるから、そのようなことは口が裂けても言いたくない。心の奥底の、深いところに閉じ込めるべき言の葉だ。


「で、佐渡守。貴様は太閤へつくのだろう?」

「いやはや侍従様、何方につくとか、そのような話ではなく、此方としては無駄な諍いは避けるべきかと存じておりますが……」

「笑わせるな佐渡守。貴様は既に太閤へ誼を通じ、更には我が義妹を脅したそうではないか。一体何がやりたい」

「あいや、それらは金周りのことで、それ以外に深い理由は無く……」

「金なら良いのか? もっと己の才覚で事を起こしてやろうと、大望は無いのか?」


 ここまで来ると京極高次という男の、血気盛んなその性格に呆れを通り越して感心してしまう。


「いや……。しかし侍従様、何故貴方様はそこまで私を焚きつけようとなさる。何故貴方様は戦おうとするのですか」

「何故? そのようなこと決まっておろう。我々は武士ぶしである以上、戦いたいものだからだ」

「……?」

「考えてもみよ。絵師が絵を描くように、表具師が表具を拵えるように、百姓が土を耕すように、我等武士は戦う。これは物の道理ではないか」


 そう語る高次の晴れやかな表情を見るに本心なのだろう。


「否。武士の力というのは、物事の最後に行使するものにて、始めから行使するものに在らざるや。もしくは領する在地在所を守るために行使するものにて。まして守護家が出自たる侍従様ならば、軽々な振る舞いは元の被官筋の仁としてお諫めせねばなりませぬ。一体誰が侍従様を斯様にしてしまったのか。嘆かわしい限りに御座います」

「知っての通り、わしには北郡きたぐんの熱き血が流れている。祖父浅井久政が妻は北郡の盟主の一人井口弾正の娘である。わしには熱血を以て信長卿や公方様を敵に回した、浅井備前守と同じ血が流れておるのだ。抗う北郡の熱き血が」

「佐渡守めが知るに、北郡の武士は皆、冷静な切れ者が多いように思いまするが」

「当たり前だ。熱き者は皆死んだ。だからこそ生き残った連中は爪を隠して生きておるのだ」

「……ならば、ならば侍従様は何故、剥き出しで生きておられるのでしょう」

「まだ小兵衛を名乗っていた頃の話だ。わしを指南してくれた男がいた。彼の男は北郡の士では無いが、野心を隠そうともしない剥き出しの熱き男であった。彼の男が曰く、湖国に生を受けたのならその一生に謀をやらずに死ぬべからず、苛烈を善とせよ、とな」


 聞き覚えのある言葉だ。

 死して七年。尚も高虎は母方の一族多賀新左衛門の呪縛から逃れることは出来ないのだ。それは高虎にとって「運命」であったのかもしれない。

 そもそも北郡の武士に熱を加えたのは、多賀一族の内訌なのだから、つくづく因果な血が己に流れている。


「碌でもないことを吹き込む御方が、居たものですな」


 高次との会話は草臥れるものだ。

 そして己は絶対に軽挙妄動、天下を揺るがす事を起こそうなどと思ってはならぬ、そのように胸に刻んだ。

 そう、何があっても心を乱してはならぬのだ。藤堂高虎は従順な豊臣の臣であり、一門大和中納言秀保を支える立場に過ぎない。従うのは豊臣家が発する天下の武事のみで、家中での諍いを起こしてはならぬ。

 だいたい国衆ならば五百石から千石を食めば良い方だったのが、今や一万石の大名なのだから太閤殿下に感謝をせねばならぬ。


 応接間を立ち去ろうとすると高次を呼びに来た京極家中の者と鉢合わせた。

 驚いた。かつて遠巻きに眺めた若狭の国主筋である武田孫八郎の面影に、秀吉側室龍子の雰囲気を纏った若侍が、面前に居るのだから。


「此奴は津川内記と申す。面も働きも申し分の無い男だ」


 驚いた高虎の顔を眺めながら、ひざまずく若侍の肩を揉む高次の顔は、悪戯な笑顔をしている。


「ここだけの話だが、義弟孫八郎と妹の子だ」

「なっ……」

「これはわしと佐渡守の密談だ。他言は無用である」


 京極家屋敷から煮え切らぬまま、高虎は屋敷へ戻る。

 これも以前京極高次が教えてくれたことであるが、昔高次の先祖にあたる京極材宗が健在の折は、材宗に侍る藤堂備前守なる男も京極屋敷の近くに屋敷を構えていたらしいことが、どうやら古記録に残されているらしい。

 高虎は先祖という者に興味が無いため、だからどうしたものか、と思ってしまう。結局己は己の身一つなのだ


 屋敷へ戻ると、それまで無言を貫いていた居相孫作が堰を切ったように口を開いた。


「ったく京極公も大概無茶苦茶な御方ですなあ」

「ああ」

「でも、殿に戦うことを迫るのはようございました」

「孫作よ。俺はそんなに戦いたい男では無いのだ。第一、俺は戦には、向いてはおらぬ」


「えっ?」


 若い頃、但馬戦線で共に苦労を重ねた孫作は、高次の言葉に感化されたらしい。


「ええっ?」


 思わず二人は吹き出した。


「あのなあ、俺は図体がでかいだけだ。人より力があるから、ちょっと殴れば人は死ぬし、大刀強弓も何のことはない」

「全く羨ましい限り」

「いやな、待て孫作。俺はそのように力だけが強い割に、己でも戦の才とか将の器は無いと思っている。だいたい、この図体だから敵は真っ先に打ち寄せる。そんな男に大将は務まろうか」

「でも普通にこれまでも務まってきてますけども」

「阿呆孫作。将ちうのはな、島津殿が如く後方に構えるものなんだ。最前線に出張っては都度傷だらけになる男、これは猪武者というのだ。わしは但馬の一揆ひとつ何も出来なかった猪武者なのだ」


 とは自嘲するものの、高虎も最前線に立って首を獲ることが、扶持と出世に繋がることを国人の生き方として理解しているし、最前線に立つことは母衣衆としての務めでもあったから、やぶさかでもないところもある。

 だが一つの備えを束ねる以上は、そうはいかない。


「そんな殿だからこそ、家中が集まっているのでしょうが。確かに菱屋があること無いこと、姉川で武功だとか但馬で一揆を征伐しただの吹聴して人を集めていることもありますし、殿だって……。」

「俺は傷だらけになるより、他のやり方で天下の役に立ちたいと思っておるのだ。菱屋が菱屋のやり方をしておるように、俺も皆も血を流さぬように。そのようにありたいのだ。だから謀も苛烈さも、この安寧の世には最早無用の長物なのさ」


 その高虎の言葉に、孫作は一抹の寂しさと地位を得ることの難しさを感じた。



「おや」


 その頃、市中を散策していた森忠政は、一人の仁を見かけた。


「これ殿、女子おなごへの声かけは……」


 近侍は忠政を制止しようとするが、元より聞くような男ではない。

 だが近侍は次の瞬間驚いたのである。忠政の目に留まったのは女ではなく、若い身綺麗な男であった。


「これは森の侍従殿」

「安芸侍従殿も元気そうだな」



「毛利の跡目たるそなたが、市中で女子に夢中なぞ、知れ渡れば笑いものぞ」

「や……これは……」

「まあ若い時分はよくあることだ。だが貴殿は運が良い。あれは手前の知り合いだ」


「あれは我が妻の義理の妹。つまり前の大和大納言殿の実の娘で、中納言殿の義理の妹だ」


 安芸侍従毛利秀元は呆気にとられた。若人の純情を弄ぶ、純粋無垢な激情家は企みを笑みに浮かべていた。

 

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