第38話・京極高次という男(一)
文禄三年の秋、京都を賑わせていたのは大坂・伏見方と聚楽第方の確執だけではない。
火に薪をくべ、更に油を注いだのは、よりにもよって、中央の治安を取り締まる所司代の倅であったのだから尚更である。
所司代の伜共だけなら良かった。
豊臣政権の要石、秀吉という男の権力の根幹織田一門のなかで、よりにもよって信長嫡孫の岐阜中納言織田秀信をも巻き込んで洗礼を受けたのだから。
京都の市民の困惑を帯びた熱狂と、政権内部諸侯の当惑は凄まじい。
気がつけば豊臣政権の中枢に異国の教えを受けた、もしくは影響を受けた人材が増えてきた。
かつては高山右近や内藤如安といった程度で、秀吉は彼らを追放したことで政権としての厳しい姿勢を示してきたのだ。しかし時が経てば厳しい沙汰というのは忘れ去られる。いや、むしろ秀吉が追放することが出来ない人材に限って洗礼を受けるのである。
家康と共に東国の要として君臨する蒲生氏郷、中国戦線以来豊臣家を支えてきた黒田如水、伊賀の筒井定次、そして商人出身として豊臣政権の懐を支えつつ今般の役では最前線に出張るる小西行長が代表的な大名である。
他にも中川秀政や秀吉の一門である侍従勝俊なども洗礼を受けたと聞くし、丹後侍従細川忠興の妻、つまり織田信重未亡人の姉妹も洗礼を受けたことで名高い。
高虎自身は幼い頃から禅宗に天台、法華一向と多賀大社など既存の宗教と親しんできたが、特に深く傾倒している宗教はない。どの教えも腑に落ちるところもあり、文化経済的にそれぞれ優れている面も理解してきた。
それは、この数十年に渡来した新しき宗教は同様である。
特に知らぬ世界を見せてくれる、知らぬ世界の品々を、医術を教えてくれることが刺激的だ。
ただし教えを広げることが、海の向こうの大国が覇権を広げるが如きであることや、奉る神を絶対であるとして、既存の宗教から朝廷、理解を示さない領主に至るまでを批判する一部の宣教師の振る舞いには違和感を抱くところもあった。
こうしたところで当時最も熱気を帯びていた長崎に派遣された経験があった高虎は、盲目的に信奉する者や、何も見ずに侮蔑する者とは違い、良いところも悪いところも語り冷静な判断を下すことが出来る。
現状、高虎は身の回りで新たな教えを受ける者が出ると少々困るところがある。
それは治める国が往古より神仏の教えによって成り立ってきた大和紀伊であるからだ。謂わば南蛮の教えとは水と油にて、かつて畿内に君臨した三好長慶は良くぞ教えを許容したと驚くばかりだ。今の高虎には許容するだけの覚悟も、度量もない。
結局図体ばかり大きくとも、自身の小さいところ、守りたい部分は変わらないのだ。
高虎の小さい部分は、織田秀信や所司代の伜共が洗礼を受けたことを懸念する。彼らは主である豊臣秀保と親しいが、もしも秀保が感化されてしまえば、ここまで改善してきた奈良町の寺門との良好な関係が再び破綻しかねない。宰相様存命の折のような関係に戻ることを高虎の小さい部分は避けたいのだ。
だが高虎の内にある、苛烈な顔は面白いことも囁く。かつて信長卿が既存宗教との距離感を保つために、新しき南蛮の教えを上手く活用していたように、敢えて大和衆にも教えを受ける者を増やすことで、奈良の寺門や紀伊の諸衆を刺激することも可能ではないか、と。南蛮の教えを受けることが出来ると、南蛮の渡来兵器も手にすることが出来る。
ああ、三好長慶や信長卿、それに九州の諸大名たちは、そのようにして新たな教えを受容してきたのか。
だが、今の高虎には、そうした苛烈な選択肢は想うだけ無駄だと感じている。
高虎にとって重要なのは、宗教的な部分よりも、こうした状況に於ける政権内の力関係の変化である。
一門衆の重臣として政権を支える立場にある高虎は、こうした人と人の関係を見る方が性に合っている。そして政権の中枢で洗礼者が増す状況は、必ず豊臣政権の中に、誰ぞ得をする者があるのだ。
幸か不幸か、高虎には心当たりがあった。
「これは佐渡守。一体珍しいな」
八幡山侍従京極高次は、高虎の藤堂家の主筋にあたる家柄の当主である。
高虎の父方藤堂氏は、京極持清の代に被官として頭角を現し、京極材宗の近い立場としても活躍していた。そして母方の多賀氏は京極家の重臣家として栄華を誇ったこともあった。
かつて京極家の被官は北近江三郡からなる北郡、また犬上郡や愛知郡からなる中郡に割拠していたが、数多の争乱によって、持清の時代から尚も勢力を維持しているのは僅かだ。上坂氏が伸び悩んだ今、大身のままの被官は藤堂高虎程度であった。
最も高虎はそうした家柄を誇ったことも無いし、むしろ天文から永禄の末まで京極から離れ六角氏に通じていたことで、京極氏に対して引け目がある。
対照的に京極高次という男は、その家柄を誇りとする。彼は自尊心がとにかく霊仙・伊吹の山より高く、家祖佐々木道誉から持清までの累代に対する崇敬は琵琶湖よりも深い。
それでいて高次は稀代の謀将である。
織田信長・信忠親子を敗死させ、豊臣秀吉を脅かしながらも、妹を秀吉に嫁がせ、更には従妹の茶々が秀吉の世継ぎを生んだことで地位を確固たるものとした。
そして織田秀信の妻、この母親が高次正室の妹に当たる。
しかし秀吉の義弟たる江戸大納言徳川家康と比べると、未だ侍従であり、石高も弟の伊奈侍従生双より低い。
「大上様は如何お過ごしでしょう」
「これはこれは。どんな風の吹きまわしかね」
「先般、岐阜の中納言様や所司代様の御子息が、切支丹の洗礼を受けたと耳に致しましてな。大上様は熱心な方にて、さぞやお喜びのことと存じ……」
「はっはっはっ。誠律儀な振る舞いにて、後ほど母上様へお伝えしておこう」
高次は機嫌が良い。それは知行高という目に見える数字以上に、彼を取り巻く人的環境が、まるで平安の頃の貴族が如し、ということもあるのだろうか。
「特に母上から見れば、中納言は姪御の娘の婿、まあ孫みたいなものだからな」
「誠目出度きことに御座います。それにしても大方様も如何にして信心を広め奉るか、全く想像も出来ぬ苦労も御有りのことと……」
「この辺り母上の熱心さ、いや執心と言うべきか。一体何が母上を動かしているのか。これはひとえに帰る家の無きことに依るというものさ」
高次の母マリアは浅井久政と井口氏の間に生まれた。況や三姉妹の父長政とはきょうだいである。
彼女は元亀の争乱によって父母や長政のみならず、輩たる北郡の衆を失った心の傷を負っている。
「父母も兄弟も喪い、夫も既に亡い。そのような哀しき御心を、デウスの尊い教えが癒やしを与えてくれたのだ」
「成る程……」
「時に佐渡守は、かつて長崎へ赴いたことがあると聞く。母上はさぞかし羨ましいと仰せであったが、わしも天下の京極家の当主である。長崎が由々しき事態であったことは理解している。南蛮の教えへの警戒も、家中には代々仏の教えが息づいているから、ようわかる。しかし、だ。母上の生き甲斐を取り上げてしまうのも、酷な話だとは思わんかね」
高虎と高次では、高虎が年長にあたる。実務、武功でも高次は高虎に満たぬ。
しかし高次の気高さと、高虎の旧主筋そして太閤殿下の義兄弟たる高次を敬う心が、このような態度を生んでいる。
「幸いなことに太閤から見れば義理の母にあたるのだ。流石我が義弟なれば、ある程度のお目こぼしというところもあるだろう」
「いやはや……」
「勿論我が京極家が斯様に力を保持しておることもあろう。この世の全てを手に入れた太閤とて近江の名門たる佐々木源氏の扱い方を、ようわかっておる。更に言えば、だ。太閤が斯様に扱っておるということは、我が京極の御家は未だ光と力を持っておるということの証左とならんかね?」
「はあ……」
「しかしあの太閤も怖いところがある。このわしが少しでも弱音に隙を見せようものなら、あっという間に叩き潰されるであろうな」
「ところで今の聚楽第を如何思うか」
高次は眉間に皺を寄せた。
彼もまた何かしら思うところがあったのか。いや、それよりも聚楽第の話を高虎に振るというのは、何か確信犯のような行動である。
高虎は、面倒くさい相手に話が流れてしまった、と焦りを覚える。火の無いところに火をつけ、油を注ぐことができる高次であるから、また何か厄介なことになる危険がある。
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