第15話・吉野花見(一)奈良町、不穏の影に
二月二十五日、関白は京都を、太閤は大坂をそれぞれ出立して、吉野花見の行列が始まった。
この頃には大風で焼亡した小寺の村など、忘れ去られたに等しいものだが、これは動座の邪魔にはならぬようと、横浜羽田の働きによるものであり、特に何か行列に差し障る事は無かった。
行列の邪魔にはならぬようにとの触れは、国内の至る箇所に出た。それでいて適度に商いを行っても良い、等と都合の良い触れも出すのだから高虎には少しばかり、不思議な気分がある。
思えば亡き
守るべきものは守り、変えるべきものは変える。
これが天下の為政者に必要なものであるのかもしれない。
「それにしても、太閤殿下も京からそのまま御動座なされば良いものを、何故大坂に戻って堺筋や高野道をお選びになられたのか。此方としては守り備えるに一苦労に御座いますわ」
「そう言うな雲州。誰しも思うて居る事だ」
多賀出雲守秀種は、元は堀秀政の弟である。その妻は亡き多賀新左衛門尉の娘である。多賀新左衛門は高虎の母親の従兄弟に当たるため、三者の関係ははとことなる。しかし如何せん多賀新左衛門という人は、文武兼ね備えながら六角家中の内訌に首を突っ込んだり、本能寺の変で光秀に呼応するなど強烈な個性を持っていたから、今でも高虎の周りには苦手と言う人が多い。
新左衛門の没後、高虎の叔父で新左衛門の弟少兵衛が秀種を訴える事件が発生したが、高虎は母方の多賀氏との関係性は良好で在ることが第一と考えているため、秀種とは仲良くしている。
いや自身の派閥(そんなものは大和家中に存在しないのだが)を固める上では、多賀一門の重鎮で秀吉の信頼も厚い堀家との関係者である秀種との関係は重要である意識から、仲良くしているところもある。
秀種は完全無欠な兄とは違い、武芸無才である。しかし教養に詳秀で、太閤秀吉を信望し、何かあれば太閤へ貢ぐ秀種は、大坂方との窓口として見るべきところが或る。
「まあ確かに?
「それもそうだが、体面や面目を整える上では、関白殿下が京より公家衆などを引き連れて御動座なさる。これが肝要なのだ」
――それは太閤殿下の親心か。聞こうとした秀種は、堪えた。それを問うたところで、自身にも高虎にも、何の益も無いからだ。
「ま、我らは目の前のことを
「雲州も、当麻の守りを任せた。くれぐれも粗相、高野山への気遣いも忘るる勿れ。何かあれば粉河の者を頼ってくれ」
「細かいの~」
関白をはじめ、公家衆の行列が奈良町に到着すると、大きな歓声に包まれた。
大和衆の帰国行列もたいそうな賑わいを見せていたが、悔しいかな関白の行列は遙かに上回る活況、狂乱に近い騒ぎになろうとしていた。
群衆と行列の間に立つ大和・紀伊の侍たちは、どうにか群衆を鎮めようと身体を張る。特に彼らは高虎から
「百人切りの不埒者が現れるやも知れぬから、事細かに見定めるべし」
と厳命されているから戦場同様の視線を方々へ向ける。
そうした光景を離れて見守る
だが何人かの老衆、何十人かの侍、何百人もの群衆は、ある違和感に気がついた。
無論、高虎も気がついていた。
「新介、何かおかしいような気がするのだが、如何」
「奇遇にて、わしも同じ事を」
「「
「
「わしも知りませぬわ、佐州殿」
「誰か聞いてきては、くれんかね」
「そんなの、誰だって嫌でしょうに」
小堀新介と暫し押し問答を続け、結局高虎は折れた。
「なあ長右衛門、一体何と聞けば良いのかね。もしや馬印を聚楽第にお忘れか等と、聞くのかね」
「阿呆らしいな」
近侍大木長右衛門と嘆きあいながら、二人は中坊へ走る。
誰を呼び出すか迷ったものだが、ここは家老の一人
「これは佐州、久しいな!」
「いやはや
「いやはや民草共の道中歓待、誠の心地よさよ。中納言様の御仁徳というものだろうかね。しかし、ここで佐州が来るとは聞いていないのだが?」
「いやな、道すがら行列を見ておったらな、少し気になった事が」
「
「もしや馬印を、忘れてはいるのではないか、と大和衆から
白江は呆れた顔を見せ、次第に顔が青ざめる。
うわごとのように、いやはや、いやはや、まさか、云々と唸りながら、彼は控える内衆の何人かを呼びつけた。
誰も彼も、知らぬ存ぜぬという態度で、そのたびに白江の加齢が進んでいく。
「やってしもうたな権太夫。関白殿下の列に馬印無きは、郡山より中納言様の麾下に加わるという事。これは天下の関白として
「なあ佐州、一日ぐらい出立が遅れても、問題は無かろうぞ?」
白井の言葉に、高虎の声は荒くなる。
「それは困ります。此方としても、到底受け入れざる事にて」
「しかし、取りに戻れば出立は遅れてしまう!」
「早馬を走らせれば間に合いまする! それが嫌なら、恥を忍び郡山より我が主の麾下となり、高取からは
そのように言うと、彼は中坊を出て奈良町へと戻り、宿老たちを招集した。
「聚楽第が馬印を持たずに出てきたこと、
「今し方、
羽田は笑ってしまった。
「おいおい、遂に聚楽第の連中は、基本の基も忘れてしもうたか。呆れてしまうなぁ」
「それで今から取りに戻れば、出立に差し障るのでは無いかね」
桑山式部は憂いを見せる。
「早馬飛ばせば間に合う筈ですが、それでも馬印を運ぶ事を考えると、能わぬものと存じております」
「新介よ。出費は
「一日分、増えてしまいます」
於岩の姉御も世話する式部は、銭周りよりも日程が気になってしまう。
「これで吉野の山に雨でも降り、花見が日延べしてしまうと、婚儀に差し障るぞ」
「あまり不吉なことを言わんでくださいよ、式部殿……」
頭の痛い小堀と式部を尻目に、羽田は様々内衆に指図を行いながら高虎に問うた。
「それで佐州。郡山の黄門様に公家衆、当麻の太閤殿下、雲州には説明は行っているか?」
「いや、まだにございます。とかく今より郡山に登り、そこで黄門様をはじめ、留守居の者らに、一言説明仕り、更にそこから当麻へも早馬を出す所存にて」
「早うせい」
奈良町から郡山の城までは五町ばかりで、高虎の愛馬・賀古黒に掛かれば十分程で辿り着く。
城に入ると、既に話を聞いていた高虎の家臣から郡山の留守居衆たちが待ち構えていた。
高虎は一人一人に下知をする。例えば同名衆の太郎左衛門には当麻への使を命じ、留守居の池田孫次郎には高取への使者を命じた。
そのようにして手早く秀保への報告を終え、自らの居館へと向かう。
妻や
「あら佐渡守殿。戻っておいでだったのね。少し奥方様や
意外な顔が居館にあった。婚儀を控えた於岩の姉御である。
「これは暫くぶりに御座います。御陰様で御弟君たる宮内少輔や、桑山たちは、よう働いておりまする」
「そう、それは何よりに。それにしても、先より騒がしいじゃない? 奥方様たちと、出入りが激しいから男は嫌ね、なんて話していたの」
「いやはや、これはよう言い聞かせましょう」
「や、別にいいのよ。私は、一月経てば家を出るから。居なくなる姫君の戯言なぞ、聞くほど無駄じゃないこと?」
「ところで旦那様、火急の用事とは如何なる事に?」
「嫌だな御前、貴女ほどの御方ならば存じておりましょう」
「まさか馬印の話は、真の事なのですか?」
「それにしても馬印を持たずに出てくるって、武家としてどうなのかしらね。あの人たち、自分たちが公家にでもなったと勘違いしているんじゃないの?」
「そのような事、婚礼の儀で言うてはなりませぬぞ……」
「だってそうじゃない? この遅滞が、私めの婚礼に差し障るの。せっかく婆様たちが気合い入れて、あれこれ調えてくれているのに」
「まったく、返す言葉が御座いませぬ」
「まあ良いわ。ここのところ不吉の線があったから。でも不吉が婚儀の遅滞で済みそうなのは、これは吉兆ね」
於岩が何気なくつぶやいた言葉に、高虎はぎょっとした。
そのような占いを行う術師の類は、昨冬悉く追放したはずなのだが。
その顔を見た高虎の妻が、そっと囁いた。
「先だって、ちょうど十五日ぐらいに。洛中の黄門様より密使が届きましてね。嫌な夢を見た、と。それで」
「周りでも、あの日に嫌な夢を見た
高虎は愕然とした。あの頃は忙しいながらも、秀保に付き従っていた筈だ。よもや、あの御方が自分に隠し事をするとは、夢にも思わなかったのである。
それを即座に察知するのは、流石藤堂高虎の妻と言ったところだろうか。
「
興福寺の塔頭多聞院英俊は、二月十五日の日記に不思議な事を記述している。
曰く、
「春モ半ハ越了、万事如夢、當坊梅モチル、諸方サクラモモ一度二咲了、頓テチルヘシ、死滅待今明計也」
春も半を越えてしまった。万事夢の如く、當坊の梅も散ってしまうし、諸方の桜や桃の花は一度に咲いて、やがて散るべし。死滅を待つ事、今明らかとなったであろう。
穏やかな春の大和の国。桜や桃の花が彩る和州。
長閑な空気とは裏腹に、大和国は不穏な影が迫っていた。
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