第16話・吉野花見(二)日野輝資を探せ

 馬印を待つ間も奈良町ならまちでは何かしらの問題が発生する。


「親父様!」

「何だ庄九郎」

日野大納言様ひののだいなごんさまが、見当たらないとの報せが!」


 大納言日野輝資だいなごんひののてるすけは代々の武家伝奏・広橋国光ひろはしのくにみつの長子で、様々な要因によって一族の本家を継いだ。

 紆余曲折を経て足利義昭の昵近衆じっきんしゅうを務めた彼は、槇島城の戦いで自ら弓を取り戦ったほどの武闘派公卿として名高い。


「そんな事か」

「いやしかし親父殿、せっかく馬印が間もなく届くというときに、公家の大事を担う日野大納言様が居らねば、それはそれで、宜しくないと存じまする」


 食い下がる庄九郎に危機を感じ取った高虎は、しかと対面する。

「見当たらないというのは、誰からの報せだ」

「何でも平介殿が祗候したところ、旧知の日野侍ひののさむらいに打ち明けられたと」

「そうか平介が申すか」

「失礼ながら、平介殿とは如何なる御仁なのですか? 親父殿とは、如何なる関わりに?」


しからば日野卿ひのきょうを探すとしよう」

「親父様?」


 高虎は庄九郎の問いに答えない。高虎自身も、元は広橋の公家侍を名乗る同姓の男の素性を図りかねていた事もあるし、庄九郎が素性を知りて、自分の管理域を外れた行動を取りかねない事を危惧しての、無回答である。


 本作の舞台として設定した奈良町とは、東大寺・興福寺・元興寺を中心とした寺内町を指す。今の地名に表すならば、近鉄奈良駅からJR桜井線の京終駅までの南北十間あまりである。

 公家衆が泊まる宿は、同寺の宿坊の一つであろうか。

 ともかく高虎たちが到着した頃には、既に騒ぎになっていた。


「日野や広橋の侍衆が辺りを探しましたが、居りませぬ」

 現場には元広橋家の侍藤堂平介が張り付いていた。

 傍らには当の日野の侍が居る。


「何時から居ない、何処で居ないと分かった。大納言様は如何なる御仁か」


 話を聞くに日野輝資卿ひののてるすけきょうは朝から持参した和歌集を読んでいた。しかし昼前に少し侍が居眠りをした隙に、宿を抜け出してしまったようだ。

 さてや日野輝資卿は行動力に富み、どこか少年のような軽さを持った御方であろうか。高虎は御方おかたを、何度か遠目で見た事がある程度で何も知らない。人柄に詳しい日野の侍、広橋の侍といった面々が、何処か行きそうな場所に見当がつかないのであれば、高虎自身にも不可能であろう。


 その中にあって一人、己の感想を述べる男がいた。


耳学問みみがくもんを思い出すと、広橋の御家おいえというのは松永弾正殿まつながだんじょうが全盛の頃に一家揃い多聞山たもん御座おわした、と習った事が御座います。さすれば大納言様は既に奈良町には居らぬのでは無いか、と」


「庄九郎。お主は、わしらより物事に精通して居るな。一体、何処で左様に聞くのだ」

「いえ、これは亡き宰相様の夜話会やわかいで習った事で、中納言様も宮内少輔様も、伝八も存じて居る事に御座います故、何分親父様が不審に思う事はありませぬ」


 公家侍たちと元公家侍は、きょとんとした顔でやり取りを見ている。先に藤堂平介の事を、庄九郎は何も知らないと申したが、平介もまた庄九郎を詳しくは知らないのだ。

 父は不明で母親が高位の女房、それでいて主である高虎を「親父様」と呼び、小姓や近侍の中では抜きん出た存在。一体この庄九郎なる男は、如何なる者なのだろう。


 しかし新参の平介が謎を感じる高虎の近侍とは、何分庄九郎のみに非ず。長井弥二郎など出自がよくわからない家臣は幾人も居るし、何より大和家中でも羽田長門守のように出自がよくわからないながらも、出世を遂げる侍もある。

 それでいけば、義満公の時代にまで遡る事が出来る公家侍藤堂氏に対し、豊臣家などは秀吉以前が謎に包まれている。

 まあここでは実力が優位なのだから、そこまで気にする事では無いし、今はただ日野の旦那様を探す事が先決だ。


「確かに庄九郎殿が申す事には、一理御座いますなあ。殿さんは若さんの頃に、この奈良を守る多聞の城に居りましたから」

 日野の侍は、そう答えた。

「ならば、多聞山へ急ぐとするか。平介は日野の侍衆と共に、奈良町を固め給え」

「佐渡守はん、殿さんの顔は知ってはりますの?」

「何度か遠目でな」

「それやったら、よろしおすな」


 多聞山は奈良町の北に十間で、その麓に広がるのが東大寺や興福寺、そして奈良町である。

 この城は三好長慶の寵臣松永久秀によって築かれ、重厚な造りと絢爛豪華な内装は、近時の城郭の基礎にして最大級の傑作であった。

 松永久秀が織田政権に降ると、大和守護の塙直政が主となるが、彼の没後は廃城となり、城の建屋など多くは筒井順慶が自らの居城に再利用し、秀長が大和に入った頃に存在した郡山の城にも用いられていた。

 しかし館以外の多くは今も尚健在であり、石垣や石塔などは和州家の管理下にある事から、高虎も何度か維持管理の為に登った事がある。


 道すがら興福寺や東大寺の顔見知りに声をかけていく。

 ある一定以上の地位にある僧侶は日野輝資の顔を知る筈で或る。その目論見は見事に当たる。

 幾人は、探し人が多聞山の方向へ進む姿を目撃していた。


二人が急ぎ山を駆け上ると、一人の男が居た。


「大納言様っ!!」


 公卿髷を解いた荒れた髪が、風に靡く。

 大納言日野輝資は石垣に腰掛け、奈良の風景を眺めていた。


「やかましいの、これだから武家は」

「探しましたぞ、奈良町では大納言様を探して騒ぎになりつつ」

「おい貴様、名を名乗らんかい。何処の誰や」


 全く以て迷惑な御仁であるが、それでも彼は貴人であるから、ある程度の礼儀は尽くす必要がある。


「これは失礼致しました。大和中納言様が臣藤堂佐渡守に御座います」

「和州家の藤堂、か。何だか耳馴染みのある名前だが、そうか。いつの頃か、あれは御倉おくらのある籾井が攻められた頃だな。あの戦の先手は、高島七兵衛の臣藤堂与吉と言うことでな、広橋の弟たちが居心地悪ぅしておったわ」

「それは一体」

「ほら広橋の侍は代々速水と藤堂やろ? せやからな、武家と公家の侍に関係あらしないのに、やれ藤堂に攻め込まれたいうて、居心地が悪なったんや」

「いやはや言葉が御座いませぬ」


「時にやね、あんた藤堂の家に生まれたんやったら、姓は何処やの」

「姓?」

「何や、なんも知らんのか? 例えばな、わしが広橋の家に居った頃の侍はな、中原右兵衛尉藤堂景任なかはらのうひょうえのじょうとうどうかげとうちゅうのが父君ちちぎみ家司けいしをして居った。中原が姓氏となる訳や。それやったら同じ藤堂のあんたは、中原佐渡守なかはらのさどのかみである筈やけども」

「手前は藤原の佐渡守に御座います。官位を得た頃に、広橋の家に仕えし侍の存在を知らずして、知るは遂ぞ最近になってようやく。まこと恥ずかしながら、己の出自なんぞに気にする事無く鎗場に生きて参りました。藤原性というのも、藤堂の藤とは、さては藤原の藤、と選んだだけの事に御座います」


 時に母方で或る多賀氏も中原姓であるが、高虎は何処までそれを存じていたのだろうか。一説に藤堂高虎という人は、先祖などへの拘りや畏敬は持っていなかったとされるが、実のところは定かではない。


「それにしても何故、奈良町を離れ多聞の山へ御登りになられたのですか」

「そこに多聞山があったからや。わしもな、叔母上おばうえと弾正のおっさんが夫婦めおとになってから、爺様じいさん父君ちちぎみも、おっさんと仲良うしとったから、この辺はよう知っとるちゅう訳や」


「そこから見える、奈良の町は如何なものに御座いましょう」

「ええ町やな。変わらん。町人元気で、わしら公家衆も元気がええわ。奈良町の騒動で、廃れた廃れたなんて話も聞いたが、見る限りは松永のおっさんが居った頃と何ら変わりないわ。それはあんたら和州の武家一人一人が、ようやってくれとるからやろね」

は有り難き御言葉に御座います」


 暫く石垣から奈良の町並みを眺め、三人は奈良町へ戻った。

 その道すがら、

「いやいや先に戻り給え。奈良の町は勝手知ったる地にて、武家の案内あないは要らんわ」

「そうは参りませぬ。聚楽第より馬印が来着すれば、それを合図に皆々様を吉野へお送りせねばなりませぬ。そこへ大納言様が居られないとなれば、我ら武家の面目に関わりましょう」

「勝手なもんやのう、ええやないか別に」


 等とくだをを巻く輝資には困ったものである。それでも何とか奈良町へ送り届けると、日野の侍衆から話を聞きつけた懇意の僧侶たちに安堵の表情が広がった光景を見て、腕力を以て引きずり戻したのは悪くは無かったかな、と思うのものである。

 若干のこそばゆさは、

「藤堂殿のお陰や」「流石は広橋家司ひろはしのけいしの御一門、わかるもんなんですね」

 とか言われる事だろうか。実際のところ、高虎は庄九郎に言われるまでは見当もつかずして、自分の手柄と言えるところでは無い。


 次第の報告に中坊なかのぼうへ上がると、井上源五が慌ただしくしていた。


「佐州殿、日野卿の御相手は如何でした」

「いやさ、大仰なものではなかった。すぐに見つけ、引き戻してきたさ。それよりも源五、馬印は如何かね」

「ええ。ちょうど今しがた、届いたところに御座います。少々休み、高取、吉野へ出立の由」

「相分かった。急ぎ支度としよう」



 藤堂家の屯所が近づいた頃、不意に高虎は庄九郎を呼び止めた。

「世が世なら、其方は花見に招かれる客人であったかも知れぬ」

 庄九郎は怪訝な顔をする。

「親父様?」

 ふと高虎の心の声が漏れたのである。


「庄九郎を取り立ててやると言うたら、どうする」



「いえ。私めは、母共々生かしてもらえただけでも、十分なのです。多くは望みませぬ。更に言えば亡き大伯父上様おだのぶながの御子息方を差し置いて、謀反人の子息が取り立てられるは、一門の不興を買いましょう。ならば、私めは変わらず親父様のもとで歩むのみに御座います。それに」

「それに?」


「それに私めが貴人たるべき世ならば、このような花見などは開かれますまい。織田の気風きっぷは、斯様な伽美は好まぬと、この身に流るる血が、言うております」

「左様か」

「然して、庄九郎めは親父様の御側を侍る今を好いております。一体他に何を望めば宜しいのでしょうか」



 駒井日記に依れば、二月二十七日に太閤関白両殿下の吉野花見が行われたという。

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