第8話・霜月聚楽不審
二十九日、聚楽第で再びの兄弟会談が行われる。
しかし
客間へ通されると、この日は一人の僧侶が待ち構えていた。
誰も見覚えのない男だ。
「
秀保が問うも、一庵は首を横に振る。
「お初にお目にかかりまする。東福寺が僧、
高虎の宗派は一応日蓮宗を基本としているが、母方多賀氏の本家は臨済宗、分家となる吉左衛門は曹洞宗と、禅宗とも縁が深い。
特に故郷甲良の地は六角氏の影響から臨済宗が盛んで、少年時代には藤堂家を訪ねた臨済宗の高僧から学んだ経験もある。
しかし、このように人の諱を話の種にするような、無礼な僧侶を見たことは無い。
「おい坊主。我らに取り入りたいのか知らんが、礼のなってない坊主には何も言うまいぞ」
横浜、桑山、羽田は猛々しいところが無い。このように脅す役目は、自ずと武官の高虎が担う事となる。
客間に嫌な空気が流れる。今日は、どうにか柔和な会談を求めていたが、どうにもそのようには行かなかった。
「おい佐州、
一月ぶりに見る関白秀次の顔は青白く痩せこけていた。
「関白殿下、これは非礼をお許し願いたく」
「いや、いいさ。余の体調に比ぶれば些末な事よ」
「兄上、顔色も優れませぬ。言うて下されば、面会など不要の事にて」
先月の面会では、何度も反故にされ押し掛けた当人ではあるから、この日予定通りに会えたことは喜ばしい。
喜ばしいのだが、兄の病状を目の当たりにすると、言葉が出ない。
「叔父上は今、
「未だ尾張の荒廃は止まらぬのですか」
尾張は羽柴一族の生国だ。関白所領となった今、兄弟の父
国内を流れる木曽川は、織田領であった天正十四年(一五八六)に大洪水を起こした。六年も経てば、回復など容易なことだろうと思われるが、そこが上手くいかなかった。
織田信雄の改易後、今のように秀次領となったが、八幡を発展せしめた優秀な内衆を以てしても再興には至らない。
「考えても見よ。洪水以降も叔父上は数多の戦を繰り返してきた。そして全ての財を畿内洛中、博多に名護屋へ集めた。この意味がわかるかね」
「然るに、尾張に集まるべき銭貨が集まらない、と」
関白の問いに答えるは、一番の年長者である桑山である。彼もまた尾張に生まれた。
左様である、と答えた関白は突如激しく咳き込んだ。
「兄上!」
大和家中は慌てるが、隆西堂をはじめとする聚楽第の小姓衆は慣れたように関白の背をさする。
十数分に渡り、咳を繰り返す関白の様子を眺める秀保以下大和家中の顔色は、何れも関白殿下の御容態これ程ばかりとは、と驚きに満ちる。
「この通りでね。尾州に手をつける以前の、問題なのだ。実に我が身を恨む、というものだ」
「眠りの方は如何に」
「夜半に咳が出ると、この世の地獄だ」
「そこまでとは……」
「言わなかっただけだ。叔父上にも
そのように言うと、秀次は長久手の折の話をした。
岡崎中入り策を採った羽柴軍は、秀次を総大将に行軍を進めた。しかし既に察知していた徳川軍に大敗を喫したのである。
この中で秀次の軍は後方を担ったが、
部隊には兄弟の木下一族、木下一門が多く従軍しており、皆討ち取られてしまった。
中でも天正初期から秀吉の代官として活躍した
今日呼ばれた大和衆、高虎も桑山も羽田も横浜も、皆揃って羽柴家に入ったときは助左衛門の世話になったものだ。
一人生かされた秀次は、一門の死を背負う。そして咳をする度に、助休や木下一門の最期の姿その幻影を目の当たりにする。
関白の孤独の苦しみは、過去だけに止まらない。
上手くいかないの尾張統治を、今太閤秀吉が目の当たりにしている。責任の所在は明確で、聚楽第の秀次にある。
「父上様に迷惑を掛けると思うと、心が苦しくなり、また咳が出そうになってしまうのだ」
聚楽第の小姓衆は、ご案じ召されるな、と背をさする。
その甲斐甲斐しい姿は、胸を打つ光景である。
果たして大和家中は、何か気の利く言葉を掛けようかと思うのだが、何が一番気の利くものか、そして誰が真っ先に口を開けるのか、無言にも身体の内より出でる気にて、腹を探り合う。
「殿下、我ら大和衆も先年より太閤殿下には迷惑と御足労をお掛け致しております」
「一庵の申す通りです。兄上、共に叱られましょうぞ」
一庵と秀保の言葉に、関白はほんの少し笑みを見せた。
「時に和州様に横浜殿、奈良町の騒動は如何相成りましたかな」
秀保たちは意表を突かれた。主が落ち着いた事もあり、隆西堂が少し問うてきた。
各位関白の側に控える坊主を、暇満たしのつまらぬ茶坊主であると思うていたから驚いた。
「よもや貴僧から、奈良町の言を聞くとは。何ぞ由緒があるのか」
興味深そうに秀保は身を乗り出した。
「あ、いや。僧房の衆中にも、風の噂が聞こえましてな。ただそれだけの、事に御座います。いやはや、出過ぎた真似を」
「左様であるか。まあ銭貨の事や、千人切の事もあるからな。如何に民草を安んじる事が出来るか、国の主として悩ましい」
宰相たるべく奔走する秀保の姿に、大和の一同は胸を熱くする。それは兄関白にも響いた。
「実に頼もしき弟かな」
「いやはや八幡の名君として名高い兄上様を手本に、これよりも精進する次第に御座います」
斯様にして、次は師走に会おうと約し兄弟の和やかな会談は仕舞いとなった。
その晩、
高虎は羽田の年齢を詳しくは知らない。その見識の高さから、恐らく自分より二つか三つ年長なのだろう、と感じている。
羽田は、横浜や小堀と同じ秀長子飼いの男である。当初は一族の
今でこそ長門守を名乗るが、高虎が羽柴家へ転じた天正八年(一五八〇)には羽田
高虎は彼と共に紀州の山奉行や、北山の支配を担当しているが、常に敬意を払う。それは羽田が築城と縄張りの才を持つ事で、郡山に和歌山、粉河から赤木の城普請に至るまで、常に助言を受けてきた事に依る。まこと頼もしき兄貴分である。
羽田もまた高虎の武才と、奥深くに眠る可能性と教養を買っており、高虎の台頭を後援してきた。
大和家中で横浜と小堀が代表的な内衆であれば、顔となる老衆は藤堂と羽田の四十代の両人と言えよう。彼らを桑山、池田、宇多、杉若といった経験豊富な老齢の猛者が支えているのだ。
「久方ぶりに殿下の御顔を拝見致しました」
「ん、先月会うたのではないのか?」
「いやな長州殿、先月は目を合わせてはくれんかったのです」
「ほう、
白湯を飲みながら、語り合う。
「それでも、あの青白い顔には驚いたな。風に聞いてはいたが」
一月前は健壮の顔をしていたのだから、高虎も困惑しきっている。そして思わず、こう吐いた。
「殿下がわからませぬ」
「一体何ぞ」
「どうにも、どちら顔が表であるのか。健壮で意気に満ち、無邪気な悪を振りまく顔と、青白く病に蝕まれながら、それでいて慎ましさのある顔。どちらが殿下の真心であるのか。藤堂佐渡守には、どうにもわからんのです」
正親はそれに何も返さなかった。
「それで長州殿は如何なる所用にて」
「桑山殿や一庵法印とも話してあるのだがな、黄門様が大和や江州八幡の話をしたときだ。あの坊主から、小姓に至るまで、どうにも顔やら肩手の動きが目に付いた。あれはどうにも聚楽第はあやしいぞ、と」
奈良町について坊主が由緒を問われた場面、八幡の名君と秀保が口にした場面。何れも聚楽の坊主と小姓の顔に不審を覚えた、と言うのだ。
高虎も八幡の名君と秀保が口にしたところで、関白の背をさする小姓たちが凍り付いた瞬間を見逃す事は無かった。そして聚楽第への違和感は一月前にも覚えていたものがある。
「関白殿下の女房たる菊亭の娘御前は、己の財を誇示しておりました。まるで、この国に来たときの金商人が如き浅ましさ。聞かば大原の猟でも、内衆たちは銭で叡山の衆徒を威圧しておった由。これは天下の振る舞いとして
「宜しくなかろう。かねて殿下の行状は京童の物種になっていたが、斯様にまで腐っておるとは。どうだね佐州、探りを入れるか」
「いや、年内は様子を見ましょうや。それに我らは千人切について、浪人衆や陰陽師を改める事が先と心得ております」
高虎は関白になる以前、青年時代の秀次と共に津田宗及の茶会に参じた経験を持つ。更に遡れば、縁戚戦略では宮部家に関わったことで、少年時代の彼をよく知る。そして高虎を支える苛烈な家老矢倉大右衛門も、かつては村山与介として少年に仕えていた。
確かに聚楽第は不審である、関白は物笑いの種になっている。それでもなお、文禄二年末の藤堂高虎は、関白秀次という仁を信じていたかった。
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