第7話・十一月末の上洛
大和衆の十一月は、誰も彼もが唐入り、
救いとなるのは優秀な内衆たる
彼らに加え、
「とはいえ、未だ千人切は続いておりまして。これは如何ばかりか、経験多き所司代殿に助言を戴きたく」
上洛した高虎は、いつもの三人と庄九郎を引き連れて
所司代はかつて摂州を中心に暴れ回った千人切の捜査に携わった実績を持つ。その実績故に、何ぞ助言を請うた。
「ほう、秀長卿が御存命の
「ははっ、盗賊であれば、金の集まるところを狙うと見え、奈良中の寺社や大商人の館を守らせれば良う御座いました」
「人斬りは、違うかね」
「何故、人を襲うのか。皆目見当がつかずして、襲われた町人の家人に聞いても、皆覚えが無いと」
「この期に及んで刀を持つ者を考えてみろ」
「すると下手人は」
「左様。何方の浪人衆、いつもの通りだ」
そのようにして、高虎は在国の浪人衆を把握する務めが定まった。
浪人衆といえば紀州に退去していた畠山遺臣を思い起こすが、大和には在地有力者が居た。
彼らの中で大身の者は信長が存命の頃から、大和取次の
可能性を考えると、山に籠もった畠山遺臣や、粛清された大和在地有力者の郎党が首謀者であるのだろう、との思いを内々に共有した。
「時にだね、
「勘弁してくださいよ。二十日に急使が参られ、それから直ぐに上洛せいと言われたのですよ。何処に時がありましょうや」
この数日前、在国の桑山重晴と高虎の元に秀保からの二十日付書状が届いた。
その内容は紀伊国の陰陽師を改め、その身柄を妻子など男女分け隔て無く所司代の玄以と奉行浅野弾正と石田治部に引き渡せ、との命じられたので、とりあえず高札を掲げろ、との具合である。
所司代と奉行を動かせる存在は、太閤秀吉以外に存在しない。
「高札ぐらいは立てさせたのだろう?」
「ええ、まあ、高札ぐらいは間に合わせました」
折から太閤秀吉は、陰陽師や
それは長子の夭折、
唐入りの難航と陣中で相次ぐ病死に、母の死。そして自らが乗る船の難破などの災難。
その最中、次男の生誕に関し、何故か術持つ者が豊家に呪いを掛けたとの噂が流れた。
天正十七年の聚楽第落首事件に代表されるように、此の時代の秀吉は民草の噂に過剰なまでに敏感であった。
奉行衆があの手この手で調べ、ようやく陰陽師や声門師の不穏に行き着く。
そして近隣の国に放った密使の報せから、最も政権に不満を抱いているのは紀伊国の民草で、同地の陰陽師ならば有り得るだろうとの推論に達した。
それにしても、和州の一段落を待つように命令が発せられたのは、大坂方が気を利かせのだろうか。
「まあ焦らずとも良かろう。功を焦り、これ以上無実の民を殺すことは我らとしても本意にあらぬ。それに太閤殿下も赤子様が可愛い盛りだ、直に怒りも静まるだろう」
所司代の玄以は秀保の
それは浅野長吉も石田三成も同じ事で、これ以上の民草に重荷を強いることは避けたいらしい、と言付けが為されていた。
元々、高虎、桑山、横浜、羽田長門といった和州の重鎮が、揃って上洛する日取りで、奈良町に一本の高札を立てるのが精一杯である。残った小堀新介も井上源五も重鎮抜きで事を進める余裕など皆無であり、そうしたところの配慮もあったのだろう。
十一月二十八日。
日付が変わった頃、和州屋敷に朱印状が届いた。
明くる二十九日、聚楽第にて会おうとの内容である。
二十七日に認めた書状で、二十八日の日付に合わせるように届けられた。
寝ているところを起こされた高虎は、朱印状を読む気にもなれなかった。
再び寝てしまおうと思うのだが、一度目が醒めるてしまうと、そうはいかない。
手持ち無沙汰、彼は館をふらついた。
和州屋敷の守衛の兵士、夕餉の片付けを終え、明朝の食事について話し終えた炊事の者。
改めて、
まだまだ
「夜の書物は、目に毒では無いのか」
秀長の
彼は知り合いの僧侶から渡された
昔から、こうした物好きの
「こう忙しいと、夜中まで起きてしまうのですよ」
高虎と一庵の関係は、但馬以来の盟友である。
それ以上に、僧籍に妻を取らせた男で、横浜もその妻も、高虎と大して年も変わらぬのに、養女に仕立て上げて取らせた。謂わば舅と婿のような関係である。
自身の出世のために利用し、やや申し訳ないと感じる高虎だが、横浜自身は元々武官の高虎を敬う心を有していたために話し方も、敬った口調だ。高虎の方も、今は変に舅として振る舞うことも無い。
「新介が如く横浜が倒れては、和州家は何も出来なくなる。寝るのも仕事と心得よ」
「拙僧、頑強にかけては頼もしき侍衆に引けを取らぬと思うておりますから、心配は御無用に御座る」
「頼もしい限り」
書院に入り適当に座った高虎は、一庵の机に先度の朱印状が置かれていることに気がついた。高虎が読み終えた後、書院へ届けられたのだろう。
そうした視線に気がついたのか、一庵は口を開いた。
「然しですね、殿が洛中に在るというのに、聚楽第へ皆を呼び出す事は些か可笑しな事かと」
「そちも左様に思うか」
「太閤殿下が尾州下向の最中、関白殿下は如何にお考えか。愚僧には見当もつかぬ事に御座います」
秀保のことを「中納言様」「黄門様」と呼ぶ与力の
一庵は写本を閉じ、高虎と向かい合った。
「折角なのですが、是非耳に入れて貰いたい事が一件」
「如何」
「殿は
「善いことだ。亡き秀長卿は能を観るだけであったが、中納言様は自らも嗜まれる。名護屋では、とても良い時間を過ごした、と聞き及んでおるよ」
「名護屋での能は、奈良の座の連中が喜び、何でも善政の式なりと」
「素晴らしい限りだ」
高虎は能や猿楽に親しみを持つ。
元々湖国は盛んであったし、何より高島では能面打ちを得意としていた井関氏が同僚であったから、知識はある。自身が踊ることはしないが、見ることは幼少の頃より好いている。
但馬時代、つまり秀長家中に転じてからは隠していたので、和州入国で猿楽座と親しくする姿には大和を知り尽くした取次の伊藤掃部が驚いていたほどだ。
秀保は歌から茶の湯、能に造詣が深い少年であるが、中でも能を一番の得意としている。それは勿論、具足親である高虎の影響による。高虎はどうにも茶の湯は、その図体が狭い茶室には収まらず、そこまで得意とはしていない。
具足親が得意で無いことは、秀保の喜ぶところにも非ずして、自ずと能楽を良く励むようになった。
未だ高虎は、成長した秀保の能を観たことは無い。恐らく観たいと言えば、あの笑顔で応じてくれるだろう。
「能の話と言えば、座の連中に聞けば新介の腕前は、大和衆の侍では一番と評判のようです」
「聞いた、聞いた。中納言様も褒めておった。天下無双とは、彼の男に相応しい言葉ぞ」
「それ、本人が聞けば喜びまするぞ」
この頃の高虎は、なかなか人前では褒めない男であった。
単純に、まだ恥ずかしさがあった。
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