第4話・兄関白

 十月十日。

 前日に饗庭定林坊あいばのじょうりんぼうが残した呟きを反芻はんすうしていた。

何方どちらにせよ気が落ち着かぬ御方おかたを、湯治の為といえど遠路えんろの旅に出すは、会得えとくのいくところにあらず。たとえ湯の効があったとしても、洛中へ着く頃には元に戻ってしまうもんや、と思いますわ」


 そう考えると、今し方関白殿下がたかんぱくでんかは何処に居るのか気になるものだ。

 高虎は熱海を知っている。数年前小田原攻めの際、新七郎と足に湯をつけたことがある。

 しかし一体熱海なる地から洛中まで、どのくらい掛かるのか曖昧な記憶が頼りである。確かあの時は一月ひとつきばかり掛かっただろうか。

 近日中に帰洛するという事は、この一ヶ月は街道を進んでいることになる。

 湯の効というものには詳しくない高虎は、家臣や女房衆が口にする薬に例えて考えてみる。確か、薬師くすしの世話になっている面々は、症状が落ち着くまで薬を飲んでいる。

 すると関白殿下は、一月前には湯の効で心身が回復したのだろうか。ただ定林坊じょうりんぼうが呟いた懸案は残る。果たして関白殿下にお目通り叶うのだろうか。



 このように暫く物思いに耽っていると、竹助ちくすけが来客を知らせに来た。その客は関白の先馬さきうまで、秀次より朱印状を携えて来た。

 朱印状の内容は、先月つまりうるう九月二十五日に赤間関より送った帰朝報告が、湯治より帰る道中にある関白の元にも無事届いた旨を、報せるものである。

 湯治の為、中納言おとうとを待たせていること、在陣の苦労も聞けていないことを詫び、聚楽じゅらくで聞かせてくれ、と丁寧な内容である。

 その日付は十月七日とあり、ちょうど算用と戦い初めた頃合いである。先馬に聞けば、六日の日は清須で父法印と再会し、父子おやこ水入らずの一日を過ごしたそうだ。

 そうなると、この書状は清須か美濃国内、岐阜の辺りでしたためられたのだろうか。先馬は問うよりも先に、姿を消した。



 遊ぶことを知らない高虎は、手持ち無沙汰を嫌い主の館を訪れた。

 仙丸、庄九郎、仁右衛門をはじめ小姓たちは揃って物見遊山に出かけたらしい。大木長右衛門の倅三五郎を仙丸に附けた為、長右衛門も不在だ。


「せっかく大木殿がお目付をしているのなら、佐州もついて行くが良かろうと、あるじとしては思うのですがね」

「若い者の時代にて、何も手前が居っては邪魔となりましょう」

 秀保は呆れたように吐いた。

「佐州は、お仙の父なのですよ。それに庄九郎や仁右衛門の父代わりでもある。私が申したいのは、たまには父子おやこ水入らずで過ごしなさい、ということです」


 高虎にとって心地が良いのは、主は若いながらも物を知り、ずけずけと動じることもなくことを話すところだ。何処か七兵衛尉信重に似る。これが利発と言うのだろうか。

 だが人は秀保を、可愛げがないと疎む。高虎は、そうした人を嗤う。

 若くとも物を言うのは、悪いことではない。

 父の白雲はくうん虎高が言うところには、高虎の青い時代を思い出すらしい。

 やや恥ずかしいところもあるが、やはり幼い頃から湖東ことうの僧に学んだ誇りがあるから胸を張る。

 しかし高虎をそうさせたのは、僧よりも大伯父多賀新左衛門おおおじたがしんざえもんの存在が大きい。いや、大きすぎる。


 乱世が中郡ちゅうぐんに生んだ怪物は、近江諸将にとっても災厄であったが、高虎の情操にとって最悪で最低な部類である。

 思い返すと、父や母、姉や兄と他愛ない日々を過ごしたい時期もあった。しかし多賀新左衛門おじうえは、それを許さない。きょうだい三人は、あらゆる術を叩き込まれた。

 父や母も乱世の定め、他愛ない日々というものを知らずに育ったが為に、特段なにか咎める事はなかった。


 結果として、今の高虎があるのだから良かったのだと思う。

 そういえば、かつて信重に師は誰かと問うた事がある。旧主は一つ、化け物だ、と答えた。そうなると秀保の師は誰であろうか、いつか聞いてみたい。


「そういえば私のところに聚楽の使いが来ました。曰く八日に柏原、九日に伊庭いば、そして今日は草津に逗留し、此方へ戻るのは陽が出る前に、との事。如何いかが思いますか」

「すると先の七日付書状は、その道中に認めたものと」

「兄の具合を察するや如何いかに」

「伊庭から草津は不可解ですな。いや、柏原から伊庭も何か可笑おかしい。確かに道のりとしては九里であるから何ら疑問は非ず。然れど殿下は、伊庭から二里ふたりも満たぬ八幡はちまんに城が御座います」

「同じ事を思いました。伊庭からであれば、草津は近すぎる。一日に進む道のりを考えると」

「左様です。石山や大津までは辿り着けるはず」

「恐らく道中で何かあった。そして八幡の民に疑念を抱かせる事を嫌った。推論を述べるなら、無理をして、虚勢で八幡を通り抜ける。その代償は大きく、草津で休み、念のために人々に悟られぬようにみやこの民が目を覚ます前に帰着を試みるか、と」


 重苦しい。この有様で、如何に諫言かんげんあたうのだろうか。それどころか和州へ起つ日までに、会うことはできるのだろうか。


「先の使者もそうだが、帰ってきたからどうにも聚楽の衆は目を逸らしてくる」

 不意に秀保は漏らす。

「いやね、私も少なからず昔なじみが聚楽に居るのですよ。しかし彼奴きゃつらはどうにもなのだ。私との仲であるのに」

 その居心地の悪さは秀保の機嫌を、損なうものでもあり、向こうがその気ならば夜間の出迎えは無用だろう、と言い放つ。

 それでも兄の様子は気になるから、僅かに夜目利く者を配し、兄関白の表情を探ることを決めた。


「如何にせよ、悪いことばかりを佐州に話そうというわけでは無いのです。年が明けての話ですが、聞いてくれますか」

 一瞬高虎は身構えた。またしても奈良町の件に関わることと思ったからだ。しかし彼は聞いて拍子抜けすることになる。

姉御あねご妹御いもうとごの嫁ぎ先をそろそろ探さねば、という事を思い出しましてね。特に姉御は許嫁の与一郎殿が身罷り、そのまま御家おいえに残って十年でしょう。そろそろ然るべき嫁ぎ先を探さねば、と思って居るのですよ」


 姉御、とは今に歌舞伎者として伝わる名古屋山三郎さんざぶろうの妹「於岩」である。

 彼女は元々木下一門の有望株与一郎の許嫁として、秀長の養女に迎え入れられたが、輿入れを前に与一郎が病没。そのまま秀長の長女として、妹や仙と秀保、桑山兄弟といった「弟たち」の良き姉貴として振る舞っている。

 妹御は秀保の妻おみやの異母妹「菊」である。

 彼女は朗らかな姉二人とは異なり、大人しい娘である。しかしながら、どのような武人を前にしても同じ大人しさを保つところを見ると、実は秀長の子どもたちで最も胆力を有するのは菊ではないかと、高虎は見ている。


「それは宜しい事かと。帰り次第、横浜法印や長州殿と相整えまする」

「いや、いや。私の希望をだね、良いかい。姉御や妹御が嫁ぐ先、というのは私と義兄弟になる訳です。そうなると文官は要らぬ。どうせなら家に由緒があって、本人も猛々しく、叔父上の覚えも目出度い御方が良いな。ああそうだ。間違っても、武勇無くも姉御や兄の威光で取り立てられ、病んだ妻を追い出すような京極修理きょうごくしゅりが如き者は駄目だぞ」


 京極修理大夫しゅりのだいぶ生双は此頃に、継室の父毛利もうり秀頼の遺領飯田に入り、後に「伊奈侍従いなじじゅう」と称された男である。

 秀長が存命の頃、彼は庄九郎の姉「湊」を正室としていたが、彼女が病むと呆気なく離縁を選んだ。

 於虎侍従時代の秀保は、この出来事を深く怒り、仙丸と共に京極家へ乗り込み抗議を行った過去を持つ。

 これは湊と生双の縁談を纏めたのが高虎であった事が大きい。元々藤堂氏が昔々京極家に仕えていた縁から取り纏めた縁談であった。

 秀保は、自らの後見人の面目を汚した生双が許せなかった。

 この一件は京極の姉にして秀吉の室である西の丸竜子たつこの執り成しで和解を果たすも、それから間もなくして湊は亡くなった。


「如何にせよ、大和へ帰ってからでしょう。明くる年の事よりも前に、まずは今日明日の関白殿下の御機嫌次第だ」



 翌日の早暁、関白秀次は遠路熱海より帰洛を果たした。

 秀保が密かに張り巡らせた夜目使いたちによると、行列はひそひそと進み聚楽第へ辿り着いたようだ。

「籠から降りる一瞬に、関白の表情を見出した男が曰く、関白殿下の御病状、快癒の兆しと」

 羽田長門の言葉に秀保、高虎たちは安堵の顔を浮かべた。

 それならば、久方ぶりの御兄弟の再会は近いだろう。そのように皆考えていた。


 しかし事態は思わぬ方向へと進む。

 再会の場は、聚楽第方から一方的に断られた。断られ続けた。


 十三日の晩、高虎は荒れに荒れた。


「如何なる事か、如何なる事か。この書状には、確かに聚楽で会うと、ある訳だ。然れど、何故聚楽方は断るのか」

「落ち着かぬか佐渡、関白殿下の御躯の問題では無いか」

「親父様よ、病ならば斯様にわしも怒らぬ。しかしだ、聞けば関白殿下の御許みもとには公家衆や商人が出入りをして居るとの由。これ快復の他に何と言うのか。いや御快復は良いのです、ならば、何故聚楽第は黄門様とお会いにならぬのか」


 酒をあおりながら高虎を諫めようとした桑山治部卿法印重晴くわやまじぶのきょうほういんしげはるであったが、見事に言いくるめられてしまう。確かに不可解だ。

「黄門様は、聚楽第の顔馴染みから避けられると仰せになられた。わしもまた、聚楽第の昔馴染みと会えず仕舞いだ」

「何と佐渡もそれか」

「親父様も?」

「ああ、倅と共に前野や木村を誘って茶でも如何と思うて居ったが、下人を以て断られたよ」


 どうやら聚楽第は何らかの理由により和州家を避けている、この認識が二人の間で生まれた。

「向こうが会わぬと言うのなら致し方ない。ただなあ、此れは兄と弟の、聚楽第と和州家という、大事の事である。関白殿下が確かに書状に認めたとあれば、関白殿下の面目に関わる事でもある訳だなあ。そして会うならば、明日しか無い。最早、押しかけるほかあるまい」


 このとき高虎の脳裏には、あの日京極家へ押しかけた主の姿が思い浮かんでいた。

 そうか、ここは強引に会いに行く、そうした手段も有用であろうか。さすがは要所わかやまを任される桑山の親父様ならではの発想である。


「然らば明日、連れだって聚楽第に押しかけますかな。この藤堂佐渡守、声の大きさにかけては自信がありまする」


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