第5話・十月十四日の再会

「失礼つかまつる! 大和中納言様が具足親ぐそくおや藤堂佐渡守とうどうさどのかみに御座る! 此度こたび関白殿下のお目通めどおたまうべく伺候しこうのところ、会えぬ会えぬと断られる始末によって、我があるじを引き連れ押し掛け参った次第! 我ら明日みょうじつ帰国するにあたり、どうにか今よりのお目通りを望む!」


 ずいずいと傲慢に押し掛けた和州一党わしゅういっとう先駆さきがけをくのは、高虎本人である。その大声たいせい聚楽第じゅらくだいに響き渡ると、すわ討ち入りなるぞとか、下郎下郎と、勇ましい内衆うちしゅう出張ではった。


「関白殿下の内衆とお見受け致す! ここに御座おわすは関白殿下の御弟君おんおとうとぎみにて、下がれ下がれ! 誰ぞ話のわかる老《おとな》衆を参らせ給う!」


「下がりなさい其方そなたら。やかましい御仁ごじんの相手はわらわが致す」

 奥よりでたる女房にょうぼうは、見事なる装束にて正に高貴こうきの人である。内衆から御台様みだいさまと呼ばれる彼女こそ、他でもない菊亭きくてい今出川晴季いまでがわはるすえの娘である。


「さては藤堂佐州とうどうさしゅうと申したか。その武勇は関白殿下も知る所ながら、このみやこ聚楽じゅらくにて強引なの子は嫌われましてよ」

「流石は殿下の御台所様みだいどころじゃ。それがしのような山海さんかいのむさ苦しき男にどうぜずとは、みやこ女人にょにんにも、見るべき者はりますな」


 先ほどまでの大音量とは違い、今はまろやかなに時が流れる。これが御台所の気品が為せる技なのだろうか。


「殿下のお目通りを望むとの意なれど、生憎あいにくかなえるわけには参りませぬ」

しかれども、中納言様がお目通りを望んで居られるのです。これは殿下もしたためた旨、断ることこそ不義理にて候や」

「殿下の御身体、御心おこころを存じて居るのならば、藤堂殿こそ不義理にて」

「昨日まで、殿下は商人あきうどたちにうたと伺った。しかららば、中納言様のお目通りも、叶うとおもうてります」


 この二人の問答もんどうは埒が明かず、秀保は呆れて小姓と雑談をする。果てや、門前もんぜんで一日が終わってしまうぞ、と。

 そこへ一人の女房が現れた。

 関白の、もう一人の正室たる池田若政所いけだのわかまんどころである。


「藤堂殿も御台様みだいさまも、中に入られては如何でしょう」

 これには御台所きくていのむすめも、

「これは政所まんどころの申す通りじゃ。然れど佐州殿、この代償は高くつきましてよ。ま、其方そほうに気あらば、貸してやりましょう」

 等と折れた。


 大和の主従にとって聚楽第じゅらくだいは、天下の弟として幾度も足を運び、その建設に携わった一人として、勝手知ったる館である。


「恐らく妾などより、大和様や藤堂殿の方が詳しかろうと思いまする。依って客間まで、これ以上の案内あないは不要かと」

 御前ごぜんが何処まで察しているのか、定かでは無い。しかし渡りに船ではあった。


「流石は侍従いけだ殿の妹御いもうとごだね。やはり武家ぶけの心は、武家のがよう判っておられる」

「せっかく館の中に入れたのです。参りましょうぞ」

「急ごう。兄と会えるのだ、心が収まらぬよ」


 主従は聚楽第じゅらくだいを進む。すれ違う女官にょかん、驚く内衆うちしゅう奉行衆ぶぎょうしゅうを尻目に、ずいずいと進む。関白が座す御殿ごてんを進める二人を止める者は誰も居ない。


「遅いぞ大和、佐渡」

 御殿では机に書物しょもつを広げ、筆を執る貴人が一人。その顔にやまいは見えず、壮健であった。


おもて大声たいせいさわがしうて、たれぞ誰ぞと皆がささやくなかで、あれは佐渡であると言えたのは、一人であった。近頃の内衆はいかんな。学識がくしきを求めるばかりに、豊臣家ほうしんけきっての武人ぶじんの声もわからぬ者が増えてしまった」

 関白豊臣秀次かんぱくとよとみのひでつぐ大和中納言秀保やまとちゅうなごんひでやす長兄ちょうけいにして、この国の重鎮である。


「大和は名護屋の守護在陣しゅございじん、佐渡は船での活躍。遠く聚楽でも聞きおよ次第しだい。既に太閤殿下でんかよりお誉めの言葉をたまわっておろうが、ここで余からも礼を申す。大和は豊家ほうけおとなとして、佐渡は豊家のこつとして、更に励み給う」

 ひとまず、二人は関白より真心の言葉を、一応聞く事が出来、胸をなで下ろす。しかし関白は一向に二人を見ようとしない。


「お身体は如何ですか」

「見ての通りだ。世俗せぞくから離れてしまえば、此方こちらのものだ」

「それは、よう御座いました」

「だが武人ぶじんの話をする今に、少し心持ちがわるぅなってきた。いや、佐渡が悪いという訳では無い」


 その日、関白は二人の顔を見ることは無く、書物だけに目線を向けていた。


書学しょがくは面白う御座いますか」

余一人よいちにんでやる分にはな。しかし公家くげが入るといかん。特に日野と広橋の御兄弟は、やれ教えてやるだの、間違って居るだの、いちいち口うるさい。太閤殿下でんかは字ばかり追わず、武芸に励めと仰せになる。しかしだ、武芸に励むとな。これまた口煩い虫が湧く。よもや、なんじらも文句を言いに来たか」

 思わず主従は顔を見合わせた。仕方が無く正直に胸の内を打ち明けると、関白は悪びれること無く続けた。


「あれは少々、至らぬところがあった。しかしだ」

「あいや、喪が明けぬなかで禁を破る事は如何に」

 身を乗り出す秀保に、関白は冷たく言い放つ。


「余関白ぞ」


禁中きんちゅうの儀礼など、武家の長者に関わりのある事かいな」

「恐れながら、殿下がお読みになられる書物にも、儀礼慣例を守るくものも御座いましょう。その学識がくしきを、どうか」

「わからぬかな弟よ。何故なにゆえ聚楽第ここ伽美きゃびか、それは豊家ほうけの威がみかどを超えるためだ」

京童きょうわらべ殺生関白せっしょうかんぱくとのそしりを受けておりまする」

「言わせておけ。それに良い言葉ではないかね。余には武威ぶいが無い。殺生関白、この言葉で少しは面目が立つというものだ」

「関白とは、その地位は、儀礼を重んじるものに御座いましょう。非礼の誹りは如何に」

「愚か、愚か、愚か。貴様、和州で仏僧共ぶっそうどもに骨を抜かれたか。太閤殿下でんかが今、新たなる世を築かれた。良いか弟よ、新しきことは、壊すことだ。つまらぬならいは関白が壊す。ただそれだけの事だ」


 高虎が知る関白秀次は、こうも内に籠もった人間では無く、もう少し朗らかであった。見るだけならば壮健のじんであるが、その口ぶりは陰気でやまいの人と感じる。恐らく小吉秀勝こきちひでかつや祖母大政所の死がそうさせたのだろうか。


「時に大和。太閤殿下でんか御子おこが生まれたこと、一体どう思う」

誠目出度まことめでたきこと、かと」

「豊家の継嗣けいし如何様いかようになるか」

「申し上げにくいのですが」

率爾無そつじなく申せ」

「やはり筋目すじめかんがみるに、淀の若君様わかぎみさまでしょう」


 ここで秀次の筆が止まる。その異変を本能で嗅ぎ取った高虎が思わず、殿下如何でんかいかがなされました、と声をかける。


「どうにも先より大和は、余に説法を続けておる。佐渡、此れは後見人が悪いのか」

「兄上! 佐州は関わりの無いことに御座る」


「思い返せば天正二十年のみぎり、おじ上は漢城かんじょう陥落に気を良くし、みかど明皇帝みんのこうてい、余をその関白、日ノ本を若宮様、その関白に大和か宇喜多の八郎めに据えると、朱印状を寄越してきた。これは名護屋で起きたことと聞きしに及ぶ。さては弟よ、貴様もそのごとの席に加わって居ったか! 中納言の任とは太閤たいこうの戯れ言をいさめる事も含まれようや。然れど先よりの言動、此れ見るに貴様は、何も言わず阿呆の顔をして笑って居ったのでは無いか! 答えずともよい、その心は聞けばよう分かる事ぞ」

「兄上、兄上! 書物ばかり見ておっては、人の真心は判りませぬぞ」

「笑わせるな中納言! 余のわずらいは、大方貴様おおかたきさまが悪いのだ。貴様の事を誰も彼も、名護屋で役目を立派、御立派な御弟君おとうとぎみに御座いましたと告げるたび、虫唾が走る。何が真心だ、貴様、余の病状を聞くに、ほくそ笑んでおったのだろう!」

「有り得ませぬ!」

「貴様のあるじは誰だ、それは余だろう! ならば何故淀の赤子を立てようか。貴様は兄を兄と思うて無いか、増長をしておるのではないか。よう考えよ。我が子息や金吾の処遇は如何になるか、わかっておるか? とかく豊家の継嗣は時期尚早だ。二度と判ったような事を申すな」



 自らの屋敷に戻った秀保は、ただただ溜息を吐くばかりであった。

「呆れたものだ。我が兄が斯様かようにまで、真心を失っていたとは」

 秀保の言葉の中で新参しんざんの心を折る事が、関白と兄、の使い分けである。既に高虎は慣れたものであるが、一応は用途の違いで、日録に残す事を前提とするときには関白、残さない場合は兄という具合だ。

「佐渡、我がままを言うて良いかね」

「はて、如何様に」


「今から触れを出せば、今日中に洛中を出られようか?」

 この言葉に、兄へ、そして聚楽第への落胆を見る。それは高虎も同じ事であった。性急せいきゅうな言い分も理解が出来る。早く和州へ帰りたい。その一心であろう。


「急ぎ調ととのえまする」


 京の都から大和郡山の帰路は十二で、大半が木津きづ川沿いの街道を用いる。

 朝に出て、休みを知らずに馬を飛ばせば、その日のうちに辿り着く事が出来る距離ではある。ただ堂々とした凱旋であれば、ゆるりと進みたい。

 そうなるとおのずと京より六里の玉水たまみずに宿を取る必要がある。ここは宰相ひでなが以来の定宿じょうやどでもあるから、話は早かろうとて高虎は小姓の磯崎金七きんしち先馬さきうまに任じた。その相方となるのは石田清兵衛で、彼には奈良町ならまちへの触れ回りや、中坊なかのぼうに屯する井上源五への伝達をも命じた。

 庄九郎と孫作の二人には、大和衆各家へ見回りを命じた。

 皆、遊びに出ていたが、既に帰国の支度は調えていた。であるから、帰国日の前倒しに動じる者は皆無であった。大和衆の結束の強さは、秀保と高虎の誇りである。

 この中で唯一、池田伊予守いけだいよのかみだけは逆に名護屋へ下った。これは名護屋在番の為ではあるが、実のところは茶会を開くためであろう。


 あれこれ指示をしていると、長右衛門が駆け込んできた。誰ぞ客人があるらしい。

「誰かね」

所司しょし……」

「法印様か?」

「その内衆の落合殿に御座います」


 京都所司代きょうとしょしだい民部卿法印前田玄以みんぶきょうほういんまだげんい豊臣家とよとみけの重鎮であり、信雄失脚後の織田一族を支える後ろ盾とも言える存在である。

 藤堂家との関わりでは、やはり庄九郎の事で親しくなった。すなわち謀反人として死んだ信重の妻子が、今も健在である事は彼の赦免に依るところが大きい。


 落合なる内衆が言うには、本来であれば黄門様へ御挨拶に伺うところであるが、所司代の政務に追われ叶わない。仕方が無いので藤堂殿へ餞別せんべつを遣わせた次第、との事である。

 要は、勝手に帰国する日程を前倒しするな、との叱責である。

 ともあれ所司代と秀保主従の仲は至って平常であるから、そこまで心配することは無かろう。然しながら礼儀は必要であるから、心ばかりの詫びとして懐から銭貨せんかを送った。


 そうこうして秀保たち大和衆は、ようやっと帰国の途に就いた。

 

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