第3話・北白川茶話

 夕餉ゆうげのち、近しい者を呼び寄せた。

 その面々は、仙丸と庄九郎、そしていつもの三名である。


「夕餉に仁右衛門にえもんの姿が無かったが、あれは如何した」

「それが親父様、私めより仁右衛門がよう驚いておりました。きょうは彼の烏帽子親増田様えぼしおやのましたさま御在番ございばんというだけではなく、なんと長宗我部様が御出とあり。増田様殊の外喜び、黄門様に仁右衛門を貸してくれぬかと」

 つまりは、久しぶりの親子水入らずの時間を過ごす為に、増田屋敷に呼ばれたらしい。


 仁右衛門は高虎の姉の子である。幼くして母を亡くし、父は高虎に付き従い忙しくしていた為に、まともな親子の情というものを知らない。

 奉行の増田長盛は情けに厚い好漢で、幾人もの孤児に扶持を与え育ててきた。この増田の姿勢は突然織田信重しちべえの遺児を養育することになった高虎にとっても参考になり、時間が合えば増田に「親」について指南を受けていた。

 そうした増田家通いのある日、十三になる甥御を小姓として連れて行ったところ、長盛は彼を特に気に入り、養子に寄越せとせがまれた。流石に高虎は拒んだが、それならと元服で烏帽子親になる、自らの仮名を下賜することを強引に定めた。更に同じ頃、親交ある長宗我部元親の後継者千熊丸せんくままるが長盛を烏帽子親として元服し、右衛門太郎盛親うえもんのたろうもりちかを称していた。

 長宗我部家とは元親の上洛に携わり、人質の津野親忠さんなんぼうを自らの屋敷に置き、長宗我部信親ちゃくなんの弔問使として家督相続にも携わり深い縁を持っている。ここで奉行衆筆頭格の一人を通じ、甥御が義兄弟になることは、大和家中での勢力拡大を目論む高虎にとっても悪い話でも無かった。


「それでいくと親父様は、さてはこうなることを見越して仁右衛門殿を遣わせたのですか?」

「なんと、あの武勇の士が、今や先を見通す術士に変わるかね」

 庄九郎が聞くと、大木長右衛門が軽口で皆を笑わせる。


「あいや、わしは何も知らんよ。此度のことは黄門様の差配だ」

「ならば黄門様が術を身につけておいでと?」


「それはどうだろうな。しかしながら、先を見通す術というのは我等のようなさむらいでも養うことは出来る。これは亡き新左衛門おじからの受け売りだが、先を見通す力というのは、如何に物事を知っているか。そして推し量る力次第であるか。推し量る為の経験はあるのか、といったところが大事になるらしい。仙も庄九郎も、知ることを大事とせよ」


 聞いた庄九郎はじめ皆がなるほどと思う中で、ただ一人仙丸だけは秀保の小姓を思い浮かべた。確かに保田やすだ兄弟といったか、彼らの父は千賀地ちがちなる伊賀国人の顔も持っていると聞く。それなら人の消息に詳しい事に納得できる。

 きょうの藤堂家は算用に忙しかったから、誰それが上洛している事は知る由も無かった。一方で黄門様が耳聡い。ただそれだけの事なのだろう。


「ただわしでも、人が嘘を申したときの顔は見抜けるようになった」

「それは御同名ごどうみょうの平介なる者ですか」

「聡いな孫作。あの者、一物いちもつ隠し込んでいるように感じた。皆々、特に気をつけて接してくれ。あの手の者には弱みを見せる勿れなかれ


 一同は微かに頷いた。


「時に親父様、明日よりは如何過ごされますか」

 和州へ凱旋するのは十五日であり、六日ばかりいとまが出来る。庄九郎が言うには、多くの家臣は洛中で羽を伸ばし、昔馴染みと過ごす者も居るらしい。

 庄九郎は高島衆との茶会で北白川へ行くと語る。


「気が合うな庄九郎。明日わしは北白川より向こうの八瀬や大原へ行こうと考えておった」

 この一言に和気藹々としていた五人の顔が強張る。それは畏れおそれおおくも、関白殿下ひでつぐ不行状ふぎょうじょうを咎める為の見聞であるからだ。

「親父様、さすれば尚のこと茶会にお越しください。丁度良い相手が居りますから」

「其れは如何なる御仁かね」

饗庭あえば定林坊じょうりんぼう殿です」


 その夜、高虎は懐かしい夢を見た。

 焼け落ちる寺社と、笑顔で火矢を放つ庄九郎の父信重しちべえの声が生々しかった。


「流石に、乱世の定林坊はくたばっておったか」

「ははは。御先代は何かと庄九郎殿の父君や、藤堂様の話をしておりました。魑魅魍魎の高島郡広しと言えど、やはり多胡宗右衛門たごそうえもん磯野丹波守いそのたんばのかみ、そして織田七兵衛おだしちべえ藤堂与右衛門とうどうよえもんは強烈であったように思いまする」


 北白川の荒れ果てた庵は、巨躯きょくの高虎には狭すぎる。それでも八瀬大原を駆ければ関白の留守居共に密議が見破られると、庄九郎が主張するのだから、仕方なしに言うことを聞いた。

 都合が良かったのは饗庭定林坊の茶会であったことだ。これは彼が山門さんもんの衆である事が大きい。関白秀次が正親町院おおぎまちいんの喪を破り遊猟を行った場所が、山門つまり比叡山の西側にある大原であった。


「あれは二月の事。正親町院の崩御に際し、我等山門の徒も喪に服し始めた頃合い。あの時期は私めも山に居りましてな、明くる日に関白殿下が大原で遊猟なさるべくとて触れ書出でたり、山門衆中は大いに驚き呆れ。たれぞ関白殿下の様子を見て参れと、まあ定林坊が丁度良いと言われるのですよ」

「確かに御先代の頃より、法体ほったいとは程遠いから武家の狩りを眺めるには適任だな」

「これでも私めは、先代よりは法体に近づこうと努めているのですがね。まあ商人あきうどに見えるか、町人まちびとに見えるかは知りませんが、特段関白の内衆に怪しまれること等はなく」


 当代の定林坊が話すには、関白たちは村人に炊飯を、商人に菓子の用意を強いて遊猟に及んだという。

 山門の衆徒は大いに怒る。然れど今の山門に関白の愚行を咎める力は無い。何より相手は武家の長者であり、摂政関白として公家を束ねる存在である。更に関白の後ろ盾である菊亭こと今出川晴季卿いまでがわはるすえきょうも、難しい存在であると話す。

「山門が怒りを帯びて居る頃、菊亭とその娘や。銭をちらつかせて、これで満足せぇと言いよるんですわ。これはね、儀礼の問題でしてね、銭で解決するような問題とは違ぃますのんや」


 どうやら聞く以上に関白秀次の不行状は根深い事がわかった。在国に不首尾を抱える高虎は、これ以上の厄介ごとを抱える気は無い。しかし聞いてしまった以上は、最早引き返す事は出来ないだろう。特に錢の話は、在国でも問題になっていたから憂慮が必要である。

 ただ高虎と関白に関係は無い。一定の信頼を得ては居るものの、諫言かんげんできるほどの関係ではない。いったい何が出来るのだろう。


「我が家で喪中を軽んじると、白雲斎はくうんさい様や矢倉殿に鞭で打たれましょう」

 服部竹助はそう笑う。

 権門は儀礼を重んじる。それは藤堂や多賀のような古式ゆかしい武家も同じ事であるのだが、近年は成り上がり者が増え、儀礼を軽んじる人間を「武家み」との蔑称で呼ぶと、定林坊は語る。

 権門が太閤殿下に平伏すのは、総合的な権力に依るものでは無い。誰よりも低い生まれながら、誰よりも有職故実ゆうそくこじつや儀礼を身につけた、その隠れた努力に感服しているのである。

 儀礼というもの、秀保は幼い頃から叩き込まれている。高虎をはじめとする、付き従う者たちも叩き込まれている。

 それでいくところ関白の秀次も、その家臣たちも、必要最低限の儀礼を身につけているはずである。それなのに彼らは禁を破った。

 儀礼を知った上での行動なら愚かであり、儀礼を知らぬのなら関白の恥であると感じる。


「聞けば今、関白殿下は熱海に湯治と伺いました。これは法体のごとに御座いまするがね、もしや気のやまいにてと思うております。これも昔、多胡宗右衛門尉が健在の折に聞いた話ですわ。七佐々木ななささき惣領そうりょうたる越中家えっちゅうけの末代は、いとけなき頃より身体が悪く、それでいて年が上がるにつれ気も乱れるようになったと」

「わしが高島に入った頃、既に七佐々木のうち越中家は滅んでいた。そうなると永禄の末から元亀の頃合か。そのような話と関白殿下、如何に関わるか」

「多胡殿は狩りに誘ったのです。御方おかたも少しは病と薬効やっこうに見識有りて、もしや獣の血でも見ると落ち着くのでは無いか、と」

「それで越中殿は如何いかが相成あいなったかね」

「血を見るや卒倒し、終ぞ湖を見ることなく、と伺いました。それでね藤堂殿、もしや関白殿下も獣の血でも見て、気を休ませようと内衆歴々は思うたのではありませぬかね。それならば、まだまだ会得えとくのいくところ」

 確かに一理ありそうな話で、士の中には一人二人、そうした病を抱える者は居るもので、高虎にも覚えがある。



「藤堂殿は、今は和州様に仕えておいでと伺いました」

「おいおい当代、うちの殿は儀礼を重んじて居るし、寺社を焼いて回ったのは昔の話ぞ」

「そうではありませんよ大木殿。饗庭の中にも和州の寺社参詣を求める者もおりましてな、元々此度は庄九郎君に取り次いで戴こうと思うておったのです」


 それぐらいの頼みなら、郡山に戻ってから差配が出来る。驚くべきは庄九郎が預かり知らぬうちに、父親に従っていた者やその一族から信望を集めていた点だ。

 帰り際、定林坊に何かあれば藤堂方へ使者を遣わせるよう申し渡す。


「時に庄九郎、いつの間に高島の衆中を手玉に取ったのかね」

「渡辺の兄様の伝手つてですよ」

「幾人集まった」

孝蔵主こうぞうす様や淀の御方様の伝手で海津衆かいづしゅうが数名。他には饗庭殿や永田殿、多胡殿ぐらいです」


 高虎は軽く目眩を覚えた。悩ましい、かつて高島を治めた男を父に持つとはいえど、今の庄九郎は何の力も持たない秘蔵っ子である。

「庄九郎、今の高島は太閤殿下の御蔵入おくらいりの地ぞ。あまり高島に手を突っ込むな。其方は殿下の御高配ごこうはいで今がある。その今、庄九郎は恩を軽んじているように、父には見える。良いか、藤堂の家で高島を取り次げるは新七郎、大右衛門、清兵衛の三人だけだ。明日よりも高島と関わりを持ちたいなら、彼らを通すか、功を上げ三人に並ぶかだ」

 体面で動く世界だ。たとえ自身の寵児ちょうじであったとしても、越権行為は叱りつける必要がある。特に初陣での活躍で有象無象の小姓を蹴落とした直後であれば、多少の自惚れはあるだろう。そこを叱りつける事で、庄九郎の才を伸ばしてやろう、という親心でもある。


「申し訳、ございません」

 

 どこまで本心なのか、今の高虎にはわからない。しかしながら感心したのは血筋などおくびにも出さず、こうして素直に頭を下げることが出来る部分である。この好漢ぷりが高島国人たかしまのこくじんの信望を集めたのだろう。

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