第3話・北白川茶話
その面々は、仙丸と庄九郎、そしていつもの三名である。
「夕餉に
「それが親父様、私めより仁右衛門がよう驚いておりました。きょうは彼の
つまりは、久しぶりの親子水入らずの時間を過ごす為に、増田屋敷に呼ばれたらしい。
仁右衛門は高虎の姉の子である。幼くして母を亡くし、父は高虎に付き従い忙しくしていた為に、まともな親子の情というものを知らない。
奉行の増田長盛は情けに厚い好漢で、幾人もの孤児に扶持を与え育ててきた。この増田の姿勢は突然
そうした増田家通いのある日、十三になる甥御を小姓として連れて行ったところ、長盛は彼を特に気に入り、養子に寄越せとせがまれた。流石に高虎は拒んだが、それならと元服で烏帽子親になる、自らの仮名を下賜することを強引に定めた。更に同じ頃、親交ある長宗我部元親の後継者
長宗我部家とは元親の上洛に携わり、人質の
「それでいくと親父様は、さてはこうなることを見越して仁右衛門殿を遣わせたのですか?」
「なんと、あの武勇の士が、今や先を見通す術士に変わるかね」
庄九郎が聞くと、大木長右衛門が軽口で皆を笑わせる。
「あいや、わしは何も知らんよ。此度のことは黄門様の差配だ」
「ならば黄門様が術を身につけておいでと?」
「それはどうだろうな。しかしながら、先を見通す術というのは我等のような
聞いた庄九郎はじめ皆がなるほどと思う中で、ただ一人仙丸だけは秀保の小姓を思い浮かべた。確かに
きょうの藤堂家は算用に忙しかったから、誰それが上洛している事は知る由も無かった。一方で黄門様が耳聡い。ただそれだけの事なのだろう。
「ただわしでも、人が嘘を申したときの顔は見抜けるようになった」
「それは
「聡いな孫作。あの者、
一同は微かに頷いた。
「時に親父様、明日よりは如何過ごされますか」
和州へ凱旋するのは十五日であり、六日ばかり
庄九郎は高島衆との茶会で北白川へ行くと語る。
「気が合うな庄九郎。明日わしは北白川より向こうの八瀬や大原へ行こうと考えておった」
この一言に和気藹々としていた五人の顔が強張る。それは
「親父様、さすれば尚のこと茶会にお越しください。丁度良い相手が居りますから」
「其れは如何なる御仁かね」
「
その夜、高虎は懐かしい夢を見た。
焼け落ちる寺社と、笑顔で火矢を放つ庄九郎の
「流石に、乱世の定林坊はくたばっておったか」
「ははは。御先代は何かと庄九郎殿の父君や、藤堂様の話をしておりました。魑魅魍魎の高島郡広しと言えど、やはり
北白川の荒れ果てた庵は、
都合が良かったのは饗庭定林坊の茶会であったことだ。これは彼が
「あれは二月の事。正親町院の崩御に際し、我等山門の徒も喪に服し始めた頃合い。あの時期は私めも山に居りましてな、明くる日に関白殿下が大原で遊猟なさるべくとて触れ
「確かに御先代の頃より、
「これでも私めは、先代よりは法体に近づこうと努めているのですがね。まあ
当代の定林坊が話すには、関白たちは村人に炊飯を、商人に菓子の用意を強いて遊猟に及んだという。
山門の衆徒は大いに怒る。然れど今の山門に関白の愚行を咎める力は無い。何より相手は武家の長者であり、摂政関白として公家を束ねる存在である。更に関白の後ろ盾である菊亭こと
「山門が怒りを帯びて居る頃、菊亭とその娘や。銭をちらつかせて、これで満足せぇと言いよるんですわ。これはね、儀礼の問題でしてね、銭で解決するような問題とは違ぃますのんや」
どうやら聞く以上に関白秀次の不行状は根深い事がわかった。在国に不首尾を抱える高虎は、これ以上の厄介ごとを抱える気は無い。しかし聞いてしまった以上は、最早引き返す事は出来ないだろう。特に錢の話は、在国でも問題になっていたから憂慮が必要である。
ただ高虎と関白に関係は無い。一定の信頼を得ては居るものの、
「我が家で喪中を軽んじると、
服部竹助はそう笑う。
権門は儀礼を重んじる。それは藤堂や多賀のような古式ゆかしい武家も同じ事であるのだが、近年は成り上がり者が増え、儀礼を軽んじる人間を「武家
権門が太閤殿下に平伏すのは、総合的な権力に依るものでは無い。誰よりも低い生まれながら、誰よりも
儀礼というもの、秀保は幼い頃から叩き込まれている。高虎をはじめとする、付き従う者たちも叩き込まれている。
それでいくところ関白の秀次も、その家臣たちも、必要最低限の儀礼を身につけているはずである。それなのに彼らは禁を破った。
儀礼を知った上での行動なら愚かであり、儀礼を知らぬのなら関白の恥であると感じる。
「聞けば今、関白殿下は熱海に湯治と伺いました。これは法体の
「わしが高島に入った頃、既に七佐々木のうち越中家は滅んでいた。そうなると永禄の末から元亀の頃合か。そのような話と関白殿下、如何に関わるか」
「多胡殿は狩りに誘ったのです。
「それで越中殿は
「血を見るや卒倒し、終ぞ湖を見ることなく、と伺いました。それでね藤堂殿、もしや関白殿下も獣の血でも見て、気を休ませようと内衆歴々は思うたのではありませぬかね。それならば、まだまだ
確かに一理ありそうな話で、士の中には一人二人、そうした病を抱える者は居るもので、高虎にも覚えがある。
「藤堂殿は、今は和州様に仕えておいでと伺いました」
「おいおい当代、うちの殿は儀礼を重んじて居るし、寺社を焼いて回ったのは昔の話ぞ」
「そうではありませんよ大木殿。饗庭の中にも和州の寺社参詣を求める者もおりましてな、元々此度は庄九郎君に取り次いで戴こうと思うておったのです」
それぐらいの頼みなら、郡山に戻ってから差配が出来る。驚くべきは庄九郎が預かり知らぬうちに、父親に従っていた者やその一族から信望を集めていた点だ。
帰り際、定林坊に何かあれば藤堂方へ使者を遣わせるよう申し渡す。
「時に庄九郎、いつの間に高島の衆中を手玉に取ったのかね」
「渡辺の兄様の
「幾人集まった」
「
高虎は軽く目眩を覚えた。悩ましい、かつて高島を治めた男を父に持つとはいえど、今の庄九郎は何の力も持たない秘蔵っ子である。
「庄九郎、今の高島は太閤殿下の
体面で動く世界だ。たとえ自身の
「申し訳、ございません」
どこまで本心なのか、今の高虎にはわからない。しかしながら感心したのは血筋などおくびにも出さず、こうして素直に頭を下げることが出来る部分である。この好漢ぷりが
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