第2話・算用
秀保一行が京都に帰着したのは十月六日の事である。
彼らは大坂で
「なんだ桑山、その頭は」
剃髪を命じた秀保本人の笑い声に一同は吹き出してしまった。
「ちゃっかりと
「いやはや、此度の騒動で
兎にも角にも南都の衆中とは上手くやっていく必要がある。それまで秀長の抑圧的支配から、少しは融和的になる必要を秀保も高虎も感じていた。
そのように一人一人に声をかけていると、厳しい表情を見せる男が一人居た。彼は孫の仙丸に手を引かれ、そして傍らには勇武の嫡子が居る。
「これは仙、そして越後守。無礼講であるし、
後に長秀と娘の間に生まれた仙丸が秀長の養子になると、一時期はその後継者の外祖父として名を轟かせた。
その
「この一年、領内の寺という寺を巡り歩き、己を見つめました。やはり越後守一人が罰せられずは、生き恥に御座る。家督は既に倅に譲りました。今出来るは越後守を捨て去ること。以後は
杉若越後守、諱を知らず。名は
こうした宴席には酒が付き物だが、酒はない。世話人の藤堂が酒を好まぬ男ということもあるが、一番は戦地で服せなかった
振る舞われた食事は質素なものばかりであったが、それでも久方ぶりに再会した主立った大和衆の顔ぶれが良い肴となる。
例えば
また
藤堂家では
わいわい、がやがや、やいのやいの。
若き国主は、この宴の席を最上とする。彼は幼くして家族の団らんというものを失っていたから、こうした家臣団の結束に家庭を感じるのである。
「明朝は早く、日の出より前に起きた者から、此度唐入りの算用を取り纏める。大名衆各々筆と算術に腕の或る者を出し、一人一人の粉骨を求む。黄門様の
この藤堂高虎こそ、算用合わせに困っていた。
彼の隊は多くを船の
彼に今あるのは、歴戦の
ただ洛内には祖父以来の出入り
「
彼は実の名を「渡辺
「おおう、庄兵衛。母君様や姉上は息災か」
「いやはや御若君御生誕で、全く休む暇がありません。んま、母は暇が嫌いですから、逆に元気になったと姉とよう話しておりますわ」
何よりだ。泉下の与右衛門様、それに七兵衛様もお喜びの事だろう。
正味、昔なじみとは言え家の算用を他家の庄兵衛に見せることは些かの不安がある。しかし彼は天下の黄母衣衆を務める伯父に鍛えられておるし、不始末があっても先走って告げ口をするような男ではない。
それに、何か不足あれば赤子の時代より知る織田七兵衛の遺児・庄九郎に聞くだろう。
黙々と、たまに部分部分での確認で怒鳴りつけあいながら算用の確認は進む。
家臣が書き上げた帳簿を確認しながら、高虎はつくづく戦というのは割に合わないものだと感じた。特に身取りが皆無な外征では、特に割に合わない。
確かに最前を征く将士に比べると兵糧の輸送費は抑えられた筈だ。しかし船を扱うことに銭が掛かる。特に幾度も朝鮮軍の奇襲に遭った海将の立場としては、失った水夫の家族に報わなければならない。
いったい、亡き宰相
民草に報いるのなら、彼らに還元するべきなのだろうが、そうはいかない事情がある。郡山に戻ったら中坊の井上源五らと共に、奈良の町人を慈しむ策を講じなければならぬ。しかし自分たちはそれが出来るのだろうか、奈良町の民草は自分たちを受け入れてくれるのだろうか。心配は募る。
考え込みながら、それを隠しながら算用に勤しむ家臣を見て回る。
流石なのは若かりし頃の
その小姓衆では、やはり筆頭の磯崎金七と庄九郎の出来が良い。甥の仁右衛門と、在籍四年目になる長井弥二郎の
近侍の
その中で無骨な相貌ながら、振る舞いから字に至るまで美しい者に目が留まった。
七日朝より始まった、算用は二日半も掛かった。
それでも当初は四日掛かると思われていたものが、十月九日の昼には全ての家から算用帳が出揃ったのは、稀に見る早さといっても過言では無い。
そうして大和衆の算用帳は秀保の居館に全て集まり、夕刻に奉行衆へ届ける手筈が整ったのである。
集まった算用を聚楽第へ届けに出向くのは秀保の役目である。その時、
やはりこれからは若い者たちの時代なのだろう。寂しさをおぼえるも、かつての高虎もそうだったのだからと思い返せば、何のことは無い。
そうして自らの屋敷へ戻った高虎を、出入り商人の筆頭である
こういった席には、近侍の三人や小姓衆を置くか、廊下に座らせる、
そうなれば大木長右衛門や居相孫作、服部竹助のいつもの三名を各所に置くことになるのだが、何故だか高虎は、どうにも妙な胸騒ぎを覚えて供回りを外して面会を行うことにした。
「
「いやはや、皆々ようやってくれた。まだまだ
「それで旦那様。この者に用があると伺いましたが、正直申しますと願ったりにて」
「やはり菱屋は知って居ったか。この者の出自を」
「知っているも何も、我が家の
菱屋忠左衛門は
その本姓は林で、父の林次郎兵衛は多賀新助、つまり高虎の祖父が健在の時代に出入りをはじめ、新助が戦で亡くなると母おとら附の商人となり、藤堂家の食事から戦までを支えた隠れた名臣である。
また永禄から元亀にかけての動乱、そして本能寺の変といった近江を巡る動乱の影に母の伯父多賀新左衛門ありと囁かれている中で、その手足として暗躍したのは次郎の一党ではないかと高虎は分析している。
そんな次郎の倅が連れてきた男だ。見応えはさぞかしあるだろう。
「それ平介殿、旦那様にご挨拶をば」
無骨の中に気品を持つ男が面を上げた。
「藤堂平介に御座います。父祖
藤堂平介、諱を景政という。
誰も彼も平介の年齢を知らない。面は壮年に見えるも、立ち姿は小姓衆と変わらぬ瑞々しさにて、その所作は普通の武家では老齢になり、ようやく身につくと言われる美しさである。
藤堂平介は少なからず
そして菱屋が紡いだ縁は藤堂平介という存在だけでは無かった。高虎がそれを知るのは、翌文禄三年(一五九四)三月の吉野大花見まで、待たなければならなかったのである。
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