文禄四年の政変
柊凛音
文禄二年の章
第1話・文禄二年の帰還
彼は此の日、二年ぶりに再会した
「どうですか、少しは疲れも癒えますかね」
「ええ。たまには、斯様な湯浴みも宜しう御座います」
「それは何よりです」
二年の歳月と、その地位はここまで人を育てるものかと具足親は心の中で呟いた。
今から三年前、彼は
「余は暗愚です。
具足親として、その実質的な後見役を託された藤堂は肝を冷やした。まるで
されど後見役が家中随一の武官で、その武功に並び出る者の居ない藤堂佐渡守
「良いですか若君、具足親はかの
「あのときは面目面目と
「いえ、少しずつ学んでいくのですよ。佐渡めも、間違えながらも、生きて参りました」
二人の再会は二年ぶりであった。
天正二十年(一五九二)に始まった唐入り。
秀保を支える大和衆からは具足親の藤堂佐渡守と仙丸親子、桑山の三男
高虎は
されど彼の
「成りません。
しかしそうは言いながら、ここに今主従は二人湯に浸かっているのである。
「ところで湯上がりに館で一つ二つ話があるのです。良き話と、悪い話の二つがあります。佐渡は何方から聞きたいですか」
「如何なる事や……、ならば良き話を伺いたく存じますが」
「相承りました」
和州の館は堀秀治の隣にある。秀治はかの才人堀秀政の嫡男で、秀保の三つ上である。二年も共に名護屋を守った仲であるから、位の差など超えて兄弟のように仲が良い。
兄弟であれば秀保には年が同じの兄弟分が居る。それが高虎の
「それで
「お仙、そのように身を乗り出さずとも良い」
仙丸は秀保を黄門様と呼び、秀保は「お仙」と呼ぶ。それでいけば秀保のことも幼名で呼べば良いものだが、彼の幼名が藤堂佐渡守の諱と被る「
「良い話は
実のところ先年お拾君御生誕の砌より、何かにつけ
だから今、
「そのようなこと、殿下の耳に入れば如何になりましょう」
「
「しかし堀殿や奉行衆には」
「
そのようにして彼は悪い話を始めた。これが長くなり、とても長くなる。
「斯様に奉行衆が忙しくしているのは、どうやら唐入りの終結が難航しているとの由。まあそもそも同じ国、同じ家でも解り合えぬと言うのに、違う国と解り合おうなど早すぎたのだ。つまり今一度の唐入り、これをどうか覚悟して頂きたい。
二に
三に兄の不穏です。これは断片的、あくまでも風聞の類ですが、どうやら身体が悪しく、それでいて
長く、重苦しい課題である。
今再びの唐入りは、
しかし在国大和の騒動は頭が痛い。
元々天正十九年に
同年も奈良で一揆の噂が起ったが、これは藤堂の武力で未然に防ぐも、二十年に彼らが西へ下ると遂に崩れたらしい。
和州の留守居を担う
一揆勢は京や大坂に連行され厳しい取り調べを受けたが、結局は訴えが認められる。
「その折は中坊の井上を、わざわざ名護屋へ呼びつけて叱りつけたと伺いました」
「ええ。そうでもしないと奈良の衆中が納得しないと思いましてね。お仙もそうでしょうが、私にも面目がありますから」
井上源五は
「腹を切らせても良かったのですがね、
「まこと立派な
「いや、立派かどうかは、お仙が決めることではなく、国に帰って、衆中が決めることです。猶も世は乱れているわけですから。むしろ、ここから
「いやはや遠く名護屋より、
この
「ところで我が祖父
「杉若は見せしめという処分だよ。まあ単に事情も知らず桑山に巻き込まれただけですし、そもそも隠居の
こうした話をしていると、丁度良く桑山一晴と貞晴、杉若氏宗が揃い詫びに訪れた。彼らは唐入りで功を上げたのにも関わらず、詫びてきた。
それぞれ、子や孫として一族の汚名を雪ぎ、己等の面目が為に行うものなのだろう。
閏九月二十五日、名護屋を出た和州一行は赤間関にあった。
藤堂高虎の隊列は出征の時よりも荷物が多い。曰く、
また藤堂個人の趣味として、朝鮮の石像も運んでいるという。郡山の居館、その庭に置くつもりらしい。
彼は幼い頃から石造物に触れ、また
どうやら前途も波が多そうである。豊家の将来、国の行く末、領民、
少なからず、どのような結末になろうとも、宿老としての働きを見せなければ。
気の重い帰り道である。
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