音無響花は、やっと見付けた。
九頭虫さん
音無響花は、やっと見付けた。
「──…残念だけど、話にならないわ」
「…はい、申し訳ありませんお母さま」
完成したバイオリンが突き返される。少女は見習いで、だが確かな跡継ぎだ。
「……あの、お母さま。お姉さまは…」
「彼女は音無の名を捨てたのでしょう? あれのことは忘れなさい」
「で、ですが──」
「忘れなさいと、そう言いました。もう貴女に姉は居ません、この家を継ぐのは貴女ですよ、
「──ッ……はい、申し訳ありませんお母さま」
「分かれば宜しい。さぁ、次へ」
(…私に、勤まるわけが……──いえ、弱気になっては駄目です、私。…やらなければいけないのだから)
少女──
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「──響花?」
「ひゃあァッ!?」
─
「あっ、ごめん! 驚かせたかな…」
場所は学校。響花は中学生である。音無の名はどこに居たとて重くのし掛かり、上の空にもなるだろう。
「──お、
「ううん、急に話しかけたのは僕だから。──あ、ペンを落としたよね?」
桜華と呼ばれた華奢で可憐な少年は、響花が落としたペンを拾おうとするが…、響花はそれを遮り自分の手で拾う。
「い、いえ大丈夫です! 桜華さまのお手を煩わせるわけには…!」
「……響花、やっぱり"桜華さま"なんて止めようよ。僕たちクラスメイトだし…何より幼馴染じゃないか」
「──それは出来ませんわ、桜華さま。音無家は"
「それだっておかしな話だよ、バイオリンを作ってくれる人が居なきゃ僕たち奏者は何も出来ないのに。響花だって昔は普通に──」
「ご容赦を、
「なっ…! 誰がそんなことを! 僕は響花のことが好きだ、君の作るバイオリンは──」
「…失礼します桜華さま。……お互い、もう昔には戻れないのです。…お姉さまが居た頃の私たちには」
響花は逃げるようにその場を去る。
「響花……やっぱり、お姉さんのことを気にしているんだね…」
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バイオリンを作り、そしてバイオリンを作る。それが音無響花の1日だ、それは音無家の全てにも等しい。奏者の名家、語火家の影として。
そして今日も、響花は完成したバイオリンを母に見せる。
「──…フゥー……話すことはありません、もう一度です。"製法書"をよく読みなさい」
「…はい、申し訳ありませんお母さま」
「それと、謝罪はもう聞き飽きました。次からは返事だけでよろしい」
「…ッ、はい…お母さま」
─
「──少し席を外します、手を休めないように」
母親は席を立ち、部屋には響花が一人残された。
やはりまた、認められなかった。響花の母、音無 結弦《おとなし ゆづる》は厳しいひとであり、多くを語らなかった。「音無が作るバイオリンは、代々受け継がれてきた"製法書"に全て記されている。私の声を聞かず、自ら歩きなさい」……送られた言葉と言えばこれだけだ。
確かに、製法書はバイオリンを作る術が不足なく書かれている。響花もそれに従っていた。──しかし、たった一つ最後のページ。"不可解"が記されていた。
『真の自分を忘れるな』
これだけが、書かれている。響花はどうしても理解できなかった。自分は"音無響花"だ、これが真の自分でないならいったい私は誰なのだ?
(…何度やっても、どうやっても、……やっぱり私には)
響花はおもむろに、先程突き返されたバイオリンを鳴らす。それは澄んだ音色であり、十分に美しい。だがどこか、歪であるのも確かだろう。"良い"音色ではない、それは響花自身が最も理解していた。
(お姉さまとは…大違い)
響花の姉、
(…私は、いつも不完全です……)
──《やぁ
ふと、扉越しに声が聞こえた。母を呼ぶ女性の声。それは微かな声だったが、響花ならば耳が良く、逃さず聞ける。
《…
《そうだね…、もう半年くらいかな。ふふ、久しぶり。それはともかく、今時間は空いている?》
《ええ、雛菊さまの頼みとあらば》
《ありがとう。勿論バイオリンのことなんだ、今日は大事な日だったものだから、些か酷使してしまって。診てほしい》
《承りました》
(雛菊さま…って、
響花は憧れの演奏家を一目見ようと扉に手をかけるが、思いとどまる。
(──駄目…駄目ですよ、音無響花。今は己の使命を全うしなさい、…他にうつつを抜かしてはいられませんわ)
響花は首を振って、自分の作業へと取り組む。とはいえ、母親たちの会話はずっと聞こえた。
《──そういえば…聞いたよ奏ちゃんのこと。どうしてしまったの? 家を出たって……》
《……そのままの意味ですわ。あれは音無を嫌い家を出た後、その先で結婚し名を変えました》
《は、結婚!? 彼女まだ10代だろう、一体どこの誰と…?》
《クラスメイトのピアニストです、怪しい人ではありませんわ》
《──クラスメイト…それにピアニストか。……なんだ、正直ほっとしたよ。まだ音楽に関わっているなら、いつか仕事で会えるかもね》
《いえ、あれ自身は今、画家として活動しています》
《──は、画家!? ……あれほどの才能が?》
《ええ、あそこに作品が飾ってありますが》
《えっ持っているの? どれどれ…──って、凄いねこれは……、この屋敷に飾っても見劣りしないじゃないか、これじゃあ文句のつけようもない。…しかし結弦、随分と今の奏ちゃんに詳しいね?》
《……あれが音無の名を捨てたなら、私は一人の母親に過ぎませんわ》
それが聞こえたとき、響花は手が止まった。
(お母さま…やはりあなたは……)
《──結弦さぁ…その姿を奏ちゃんの前で見せてあげれば良かったんじゃあないの?》
《……そうでしょうね。…私も結局、音無の名に囚われているのでしょう。……ですが仕方のないことです》
《…ふぅ……、お互い家を守るのも大変だね。…桜華と響花ちゃんにはせめて、ずっと親しくしていてほしいな……》
《……そうなれないのが、音無と語火ですわ。…終わりました、雛菊さま。思ったほど調整箇所は多くありませんでした、酷使したと言っても流石は雛菊さまですね》
《いいや、結弦の腕が良いからだよ。でもありがとう。…そうだ、響花ちゃんは部屋?》
《はい、修行中です》
《よし、じゃあ折角だし一曲弾かせて貰おうか。バイオリンの音ならここからでも響花ちゃんに届くよね? ここに、ささやかな応援を込めて》
─
バイオリンの音が聞こえてくる。暖かく、しかし儚いそれは、誰の胸にも強く響いた。
(……お母さま、やはり私はお母さまが好きです。この名も、家も、大好きですわ。…だからお姉さまが居なくなった今、私は音無の後継者としてお姉さまだけは越えなければならないでしょう……。でないと私は、きっとこの名を背負えませんわ)
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「──響花、響花!」
「きゃぅあッ!?」
─
それから、数ヵ月が経った。響花は変わらず、学校では上の空だった。
「桜華…さま……、…申し訳ありません、ご無礼を……」
響花は、桜華が落ちたペンを拾おうとするよりも先にそれを拾い上げた。
「無礼に思ったことは一度もない。……響花、最近ずっと苦しそうだ。誰に話しかけられても、まるで聞こえていないみたいで……」
「それならきっと…、桜華さまの勘違いですわ。私は音無の人間としてふさわしくある為にあらゆる力を尽くさなければなりません。…それは誇りあること、苦しい筈がありませんわ。……そうでしょう? 語火桜華さま」
「…それは音無としての使命だろう。響花の思いは同じなのか?」
「──…ええ、ええ桜華さま。これは私自身が望んだことですわ。私は、お姉さまを越えねばなりません。さもなくば、私は前を向けません」
「響花……それは──」
「"呪いでしかない"……でしょう? それも、承知していますわ。…もう宜しいでしょうか桜華さま、今後は緊急のご用でなければ会話はお控えください。…失礼します」
響花は、桜華と顔を合わせないように、その表情を見せないように、その場を立ち去った。
「…僕は……僕には何が出来る? 語火の僕は……」
ーーーーーーーーーーーーーーー
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─
「──違う」
(これでは駄目。お姉さまのバイオリンと比べるまでもない…、やり直さないと)
夕暮れ、この日も響花は部屋の中、一人作業に努めていた。製法書に向き合いながら、そして真の自分を探しながら、しかし見つけられないまま、一心不乱に手を動かしている。それは間違いなのかもしれないが、けれど音無にはそれしかないのだ。
だから、此所に訪問者などある筈がない。…ある筈がないのだが。
─
「ひゃぇッ…!? …な、何──」
ノックの音、扉からではない。だとすれば窓であろう。
≪響花。僕だ、桜華だ。開けてくれないかな? ──その、出来れば早く…!≫
「え…桜華…!?」
響花は考えを纏めないまま窓を開ける。転がり込んだのは、確かに桜華だった。
「ッ、いたた…。昔の響花は凄かったんだな…、こんなことをいつもやっていたのかい? …ふぅ、落ちるかと思った」
「なんて無茶を…! 大丈夫桜華? どこか怪我とか…!?」
響花は詰め寄って桜華の体を探る。
「はは…響花がこうしていたときも、僕はそう思っていたよ。でもやった甲斐はあったかな、やっと"桜華"って呼んでくれたね」
「あッ……も、申し訳ありません桜華さまッ!」
響花は慌てて桜華から離れ、頭を下げた。
「責めてるわけじゃない──…っていうのはもうわかっているんだろうな響花は。音無として自分を律しているんだね」
「──ッ………そ、それはそうと桜華さま、何の御用で此方に?」
「ああ、響花の手伝いをしに来たんだ。…僕も、あれから少し考えてさ。そうしたら思い出した、僕だって"語火"桜華なんだと。今更…だけどね」
「手伝い…」
「僕は奏者だ、試作の検証と、多少の意見くらいは出せると思う。…響花は今、"音無家"として姉を越えようとしているんだよね。それなら僕は、"語火家"としてそれを支えればいい。僕は響花を支えたいんだ、響花が呪われているのなら、僕だって呪われるさ」
「──そんな、どうしてそこまで……?」
「…昔から言っているけれど、僕は響花が好きなんだ。籠りがちだった僕を、君はあっという間に救ってくれたよね。さっきみたいに、窓からやってきて。…あのときは天使か何かだと思ったよ、でも響花は誰に使わされたでもなく、響花自身の意志で僕を助けてくれた。それがとても、嬉しかったんだ」
「…ッ、駄目です桜華さま……だって私はもう、昔の自分に戻ることはできないんです…!」
「それで良かったんだよ、響花。だって人は変わるものじゃないか、僕がそうだったように。僕は響花がどうなろうと、何をしていようと、ずっと君の味方でありたい。もし君が僕を殺したって、それを受け入れよう。──あぁ、これはちょっと重たいな……はは、難しいね思いを伝えるって。でも、口を衝いて出たなら本心に違いない」
「……ッ──」
響花は、頬に涙が伝うのを感じて顔を伏せる。
「……ごめん…」
そして、桜華の胸に倒れ込んだ。
「ごめんね、桜華…巻き込んだらいけないのに……嬉しいって思っちゃいけないのに…私……酷いひとだ……ッ」
それは、ただ二人だけの時間だった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「……音無響花、首尾は──…ッ!? …桜華さま?」
母親が部屋の扉を開けると、響花は桜華と手を繋いだまま、試作品を床に転がして部屋の真ん中で眠っていた。
「どうしてここに…」
ふと、開いたままの窓を見て全てを察した。
「──なるほど、無茶をなさる」
ほんの少しだけ口角を上げて窓を閉める。そして、二人に毛布をかけてやった。
「……お休みなさい」
母親は音を立てぬよう、ゆっくり扉を閉める。
《や、結弦。二人は寝てた?》
《ッ…!? 雛菊さま…いらしていたのですか》
《うん。…しかしなんだか安心したよ、二人の関係って案外そのままだったのかもね。でも意外だな、結弦は両家の関係を気にして二人を叩き起こすかと思ったけど》
《……意地悪なひとね、雛菊》
《はは、ごめんごめん。──…って今、私のこと名前で──》
《あら? きっと空耳ですわ、雛菊さま》
《そ、そんなことない! ねぇもう一回言ってよ結弦!》
《さて、私はもう眠らせていただきますね。雛菊さまもそろそろ戻らなくてはご予定に影響が出るのでは?》
《そんなぁー! ねぇお願いだよ結弦ぅ、私達だって昔みたいにさぁー!》
母親達の声は、徐々に消えていく。
そして響花は、それを聞いていた。
(……威厳を保とうとしているわりに、隙が多いですよね、お二人は…。──お姉さまも、それに気付いていれば今でも……、いえ、過ぎたことですよね。本心が何であろうと、お母さまが厳しい方なのは変わりません…。──お姉さま、貴女は今、何をしているのですか?)
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季節は巡り、響花と桜華は、やはりずっと肩を寄せていた。母親も初めは二人の関係を戒めたが、それもいつかなくなっていた。音無は語火の影であるなら、傍に居るのも自然なことだろうか。
─
「「…違う」」
「うん…、凄く丁寧で澄んだ音だと思う。この時点でも確かに優れたバイオリンだよ」
「…けれど、足りませんわ。何かが…いいえ何もかも。空気に混ざって伝わる…意思や呪い……?」
「…ここまで来ると、もう弾き手の問題だと思うけど……」
「いえ、桜華さまの演奏はずっと正しいですわ。…その演奏を生かしきれていない気がするのです。どこか足りないところがある筈です」
「足りないところ……? あっそうだ、強いて言うなら──」
─
「音無響花、経過は?」
「あっ、お母さま…。申し訳ありません、これもやはり至らないものでした。すぐに次を」
「心意気は宜しい、…一度現時点の成果を見ます。桜華さま、宜しいでしょうか」
「はい、結弦さん」
桜華はバイオリンを差し出す。母親はそれを、慣れた手つきで弾いて見せた。
─
それは、響花達が聴いた音と概ね同じものだった。ただし、母親が抱いた感情はもう少し別のものだった筈だ。
完成されている。
この音は、音無の跡継ぎとして何ら不足はなかった。響花たちは二人で研鑽を重ねる間に、いつの間にか辿り着いていたのだ。
音無響花は、既に音無の先にいた。ならば音無の母親としては、既にその役目を終えている。だが、響花その人が今を良しとせぬならば、それを見守るのが先代の役目だろうか。
「──…なるほど。……私が言うべきことは特にありません。今後も、よく励みなさい、音無響花」
「──はい、お母さま」
(……声が優しすぎますわ、お母さま)
「……それと、これを」
母親は懐から封筒を差し出す。
「
「お父さまが…?」
「では、私はこれで」
「あっ、お母さま、待っ──」
─
母親はこれ以上の会話を嫌ってか、響花の声を聞かずに部屋を出た。
「…見てみよう、響花」
桜華の言葉に頷いて響花は父親からの封筒を開ける。
「──招待状が…二つ?」
「…! 響花、これ
「えっ、お姉さまの…!? でも、どこにお姉さまの名前が……?」
「ここ、ハンドルネームだよ、『右ウデ』。奏さんはこの名前を使って仕事をしているんだ。……音無は有名だから、名前で辿られたくないんだろうね」
「そうだったのですか……。詳しいのですね桜華さま」
「響花の悩みの種だからね。それより、轟さんからこれが送られてきたってことは…」
「…「会いに行きなさい」……ということでしょうね。…ふふ、お父様、貴方は離れたところから、いつも私たちのことを見通していますね…。行きましょう、桜華さま。お姉さまが会ってくれるかどうかは分かりませんが…、今やっと、覚悟が出来た気がします」
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーー
─
「すごいね響花、人がこんなに沢山…!」
「ええ桜華さま。…これが、お姉さまの作品……圧巻ですわ…!」
そこは、全くの別世界だった。会場の細部にまで芸術が広がっていて、特徴的なモチーフは片腕を失った少女である。少女は微笑んでいて、ずっと暖かかった。
──《もしもし、今朝納品したイラストですけど…、ああそうですか! ありがとうございます。…いえこちらこそ、またよろしくお願いします》
ふと、人々の声に紛れて確かに聞こえた。知った声だ。少し離れた、人気の少ない場所に彼女は居た。
「──…桜華さま」
「うん、僕にも見えたよ響花。…それに多分、あの人も僕たちに気付いている」
響花達は、ゆっくり彼女に近づく。それに対し彼女は、手招く仕草をしてその場を離れ、2階の関係者控え室に消えた。
「…話はしてくれるみたいだね」
「──行きましょう」
─
部屋に入ると、響花の姉──…奏はそこに居た。
「……本当に来たんだ?」
「お姉さま…」
「まぁ座って二人とも。お茶くらい出すよ。…時間は空けといたから、ゆっくり話せると思う」
部屋の中は、独特な緊張感が漂っていた。姉は友好的に振る舞うが、声の調子、仕草を見れば決してそんなことはない。出された紅茶は良い香りだったが、口を付ける気にはならなかった。
「それで…、何から始めようか?」
姉は、感情を出さぬよう平坦に訊く。それでも、微かな敵意は読み取れた。
「…まずは、この機会を与えてくださってありがとうございます、お姉さま」
「あぁごめん、そういうのは飛ばそう。話に来たんでしょ?」
「分かりました。…じゃあ、お姉さまの近況を聞かせてください」
「近況…か……。幸せだよ。好きなことを、愛する人の隣でやれてる。これ以上無いね。…音無の方は、相変わらず娘を部屋に閉じ込めているんでしょ?」
「……はい、否定は出来ませんわ。でも私はこの生活に満足しています。……お姉さまが私にさえ何も言ってくれなかったのは、それを知っていたからですよね?」
「…あなたはよく、人の心を言い当てる……」
「お姉さまは本当に、嘘を吐けませんね」
「……自分に嘘ばっかり吐いているあなたの母親の影響でね?」
「えっ……、気付いて…いたのですか。お母さまの気持ちに…」
「うん。だってあの人、嘘が下手でしょ。まぁ本心がどうであれ、あの人は私を阻んだ。去るには十分だと思うけど」
姉は目を閉じて紅茶を一口飲むと、次は桜華へと目を向ける。
「……で、知らない人だったから触れてなかったけど…。あなたは誰?」
「語火桜華と申します。会うのは初めてでしたね、奏さん」
「…語火だって?」
「はい、確かに僕は語火です。けれど僕は響花に救われた身です、だからずっと、隣で支え合うと決めました」
「へえ……、てっきり語火も音無と同じようなものだと思っていたけれど…やっぱり偏見は良くないかな」
「いえ、語火も同じでしたよ。唯一違ったとすれば響花です。響花は音無も語火も関係なく、僕を救ってくれました」
「──…へえ……その目、個人的に覚えがあるよ。…これじゃあ、あなた達を悪い人とは言えないな。……ってことは、"あの"音無はもうすぐ終わるのかな」
「──お姉さま……」
「全く…、血の繋がりって本当に厄介な呪いだよね? 安心した自分を見付けてしまったよ。縁なんてとっくに切った筈なんだけどなあ…、……ねえ、響花」
姉は、初めて響花の名前を呼んだ。
「私はあなたのことがあまり好きじゃないけど、…音無だった私は、あなたのことが好きだったよ」
「──…ッ……お姉さま……私も…、私もお姉さまのことが…大好きでした……!」
これは、別れであった。響花とその姉は、今この時から姉妹ではなくなったのだろう。二人は家族であった関係に、ここで決着をつけた。
・・・・・・・・・・・・・・・
「──人の個展の控え室でいつまで泣いてるんだよ響花…」
「うっ…うっ……だって……! …だって泣かずにはいられませんわ…なんと言うか…喪失感が……うぅ…ぅ……ッ!」
「全く…話っていうのはここからでしょ? まだあなたの悩みは残ってると思うけど」
「は…ッ、はい…そうですよね、お姉──…いえ、"奏さん"。……ええと、そう…奏さんは絵を描くとき、何を思って描いているんですか?」
「えっ、仕事の話か……んーそうだな…自分と正直に向き合って描いてるよ。好きなものを、好きなように。でもどうしてこんなことを?」
「実は…バイオリン作りに行き詰まってしまって。……姉のバイオリンを越えられないんです、どうしても」
「あぁー……そりゃ残ってるよねあの家に。そんなに重い枷なんだ」
「そうですよ! だってお姉さまのバイオリンは凄く…"鮮やか"だったんです! あんな豊かな音色、私はあれ以上のものを聴いたことがありませんわ」
「ふーん…でも多分その人、あんまり深いこと考えてバイオリン作ってないよ」
「えっ……そうなのですか!?」
「何かあったとすれば…憎悪と憤怒かな。どちらにせよ、自分に正直だったのは変わらないと思う。あなたの姉が作るバイオリンも、今の私が描く絵も」
「自分と…正直に向き合う……」
「そう。でもそれが良いこととも言い切れないかな、私の場合欲望に負け続けたわけだから誉められたもんじゃないし。…こんなのが参考になるとは思えないけど?」
「──…いえ、そんなことはありませんわ。私は一つ大切なことを思い出しました」
響花は弾かれたように立ち上がり、近くの窓を開ける。
「話を聞いてくださってありがとうございました、奏さん。私はこれで失礼します」
言いながら、響花は窓枠に足をかける。
「ッ、響花、待っ──」
そして、飛び降りた。
「ちょッ、ここ高めの2階だぞ!? おーい生きてるよね!? 生きてなきゃ困るんだけど!」
残された二人は身を乗り出して下を見る。
「心配かけてすみません! でもこの方が早いので! それではー!」
響花は健在で、笑ってその場を後にした。
「──くっ…あはははっ! …なんだか響花らしいな……」
桜華は、それを見て笑った。
「えぇ……、昔からああだったっけ?」
「そうですよ、愛しいでしょう?」
「危なっかしいとしか…。……まぁ、あんたらの仲が良いってことか。泣かせるなよ、桜華」
「もちろんです、泣かせませんし、泣かされません。じゃあ僕も行きますね、響花を追いかけないといけませんから!」
桜華は一礼した後、小走りで扉から出ていった。
「──……なんだよ。二人とも、私より"大人"じゃんか」
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーー
「ただいま戻りましたわお母さまー!」
「窓からで済みません!」
─
母親に聞こえるように大声を上げながら、響花と桜華は作業部屋に帰ってきた。
《なっ…!? あなた達一体どこから──》
《待った結弦》
《──ッ、雛菊さま?》
《今回は口を挟まない方が良い。──見てな、伝説が生まれるよ》
─
激しく速やかに、そして丁寧に準備を終える。
(大事なことはただ一つ……、"何のために作るか"ですわ! 音無を継ぐ為じゃない、お姉さまを越える為でもない! 私は、昔からずっと──!)
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
─
「──桜華さまの為に、バイオリンを作っていたんです」
やっと、辿り着いた。
「桜華さまは、ずっと前から私の大切な人です。私がここまで音無として誇りを持っていたのは、語火桜華という存在があったからなんです。彼の傍で、彼に尽くす事こそ、私が"音無響花"である理由、つまり"真の自分"です。…酷い回り道だったけれど……お母さま、これが私の答えですわ」
響花は桜華と共に、まっすぐ母親を見つめる。そして、母親の答えは決まっていた。
「…これに文句など出てくる筈もありません。あなたは音無の跡継ぎとして──…ッ!?」
瞬間、何者かが母親の肩を叩いた。
「ったくあなたもだよ結弦。あなたはどうして、"音無結弦"なの?」
「ひ、雛菊さま…! だけど私は──」
「ほら、行ってきなっ!」
母親は背中を押され、響花の目前に立たされた。
「…じゃあ、響花もっ」
響花もまた、桜華に背中を押されて母親と対面する。
二人はこれまで、母と子として接したことはなかった。沈黙が流れるも必然だろうが…
やがて、母親が両手を広げて響花を包容した。
「……頑張ったね、響花」
やっと直接向けられた、ただ一つの愛。
「──ッ……」
響花は泣いた。泣きたいわけではなかった、ただ涙が溢れてきた。やがて声も抑えられず、母親の腕の中で、それを枯らした。
「"音無は語火の影である"……か。このままも悪くないけど……少し変えるかな?」
「うん、母さん。これからは"音無と語火は共にある"…だよ。だって響花は、輝いてるから影になれない。……昔から本当は、これが本質だったんじゃないかな。──ッ!?」
─
いつのまにか心を落ち着けていた響花が、桜華に飛び付いた。
「──ッ…響花?」
響花は強く、しかし優しく桜華を抱き締める。それは感謝と、謝罪と、そして愛だろう。
「ありがとう、桜華」
その時間もまた、ずっと続いた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーー
ーーーーー
・・・・・
─
「──やあ、轟ちゃん。…あ、今聴いてるのってもしかして」
「ああ、音無と語火の……俺らの子供たちの音ですよ」
「……素晴らしい音が出来上がったもんだね。あーあ、私も語火の父親として協力したかったなぁ…。ずるいぞ轟ちゃん一人だけ」
「そうでもない、俺も君から話を聞くまで家の事情を知らなかったんですから」
「あら、そうなの? それなら嬉しいねえ……。──なぁ轟ちゃん、一度家に帰らないか?」
「えぇ? しかし俺たちには予定が──」
「頭下げよう。「家族に会いたいから」って正直に言えば良いさ、信頼の貯金を崩すなら今だぜ」
「信頼って……また貯めるのは大変なんですよ? ──…まぁ逆に言えば、大変な思いをすれば良いだけか」
「よっしゃ、そうと決まれば交渉だ。会いに行こう、私たちの家族に!」
父親二人は、この日初めて予定を変えた。
音無響花は、やっと見付けた。 九頭虫さん @kuzu_musisan
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