三章 変化

第22話


いつもと違う天井を見上げて、一瞬動けずに固まっていた。


(そっか……もうデイナント邸じゃないのね)


可愛らしいウッド調の家具は安心感があるが、侍女達の声が聞こえないのは少し寂しく感じた。


カーテンを開いて窓から見える緑の景色が目を癒してくれる。

鳥の囀りが聞こえて、窓を開けると冷たい風が吹き込んでくる。

驚いたのは空気が澄んでいて、とても気持ちいい事である。


桶に水を汲みに向かい、たどたどしい手付きで顔を洗った。

これも屋敷では侍女が当たり前のようにやってくれていた事だ。


勿論、運ばれてくる紅茶も軽食もない。

着替えも身支度を整えるのも自分一人でやらなければならない。

侍女の有難さを噛み締めたところで、此処には誰もいない。


(一応、平民の生活について勉強してきたけれど、大丈夫かしら……?分からないところは、マーサさんに聞いて早く一人で出来るようにならなくちゃね)


こうなると分かっていた筈なのに時間がなかった為、十分な準備も知識も蓄えないまま来てしまった。

その事が悔やまれる。


冷水で顔を洗いながら気合いを入れる為に自分の頬をパンと叩いた。


(覚えることは沢山あるわ……!)


頼れる人もいない。

後戻りも出来ない。

だからこそ自分の力だけで頑張るしかないと思える。


ゼルナの手紙には、いくつかの条件が書いてあった。

動物が好きか、贅沢をしなくてもいいか、自分の事は自分で出来るか……此処に来た瞬間から理解出来る事だが、動物が外にも邸の中にも沢山居る。

贅沢をしなくてもいいか……というよりは、しても意味がないのだろう。


この場所には王都と同じ様な娯楽や買い物に行く場所もなさそうだ。

ドレスを着て買い物に出掛ける事もないからか、着飾っても仕方がない。


以前はどれだけ目立ち男性の目を引く事が出来るのか……そればかり気にしている世界で生きていた。


新しいドレスの話題や化粧のやり方を話しながら自分を磨いていく。

あまりお洒落や化粧が得意ではないからか、そんな生活に息苦しさを感じていた。


『地味』


ジャネットと比較されては、いつもそう言われていた。

華やかさがなくてもいいのかと悩んだ事もあったが、フレデリックは派手な化粧もドレスも匂いの強い香水も好まなかった。


お洒落をすると嫌な顔をしたから、なるべく彼の好みに合うようにと気を遣っていたつもりだった。


だから『地味』だと言われてもこのままでいいと思っていた。

けれど結局は自分とは真逆で化粧もドレスも派手で、香水の匂いも強いジャネットを選んだ。

悔しさが込み上げてきて、グッと手を握り込む。


(もう関係ない……忘れよう。あの二人の事は)


逆に、ここではお洒落をする必要はない。

ありのままの自分で居れるのだと思えば、気楽で素晴らしい生活なのではないだろうか。


(あとは自分のことは自分で出来るか…………忙しいマーサさんに迷惑を掛けたくないわ)


マーサは主に料理を担当しており、もう一人の従者は掃除を担当しているそうだ。

後は動物の世話係と、数人しか雇っていないそうだ。


逆に言えば、ゼルナもマルカン辺境伯も全て自分の事は自分でしているという事だろう。


驚くべき事は、現国王と共に王城で育ったマルカン辺境伯がこうした生活を好んでおり、ゼルナもまたこの生活を好んでいるという事だ。


まだまだ不安な事もあるが、生活に追われて頭が空っぽになれば余計な事を考えなくて済むだろう。

今の心持ち的には、とても嬉しい事だ。

恨み言を呟いて自己嫌悪に陥る必要もないだろう。


(なるべく早く、色々な事を覚えていこう……!)

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